波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくまま

2008-12-31 09:46:14 | Weblog
2008年も今日を持って終わる。特別な感慨もないが、静かな思いで過ごすことができることを感謝したい。一年を健康で過ごせたことが何よりである。
今年の一月を迎えたとき、私の頭には次のようなことが浮かんだ。
①北京オリンピック②アメリカの大統領選挙③衆議院選挙④地球温暖化の影響
⑤洞爺湖サミット等である。
何れもすべてが前向きであり、世界が明るくなる予兆のようなものを感じていて悪いイメージは出てこなかった。しかし、実際は日を追うごとに悪くなり、年末には「百年に一度の大波」と言われるほどの不況に陥り最悪の結果で終わってしまった。しかし、よく考えてみると今の状況はここに来て突然起きたことではない。
ある意味、起こるべくしておきたと言ってもおかしくない。
何故なら一年前から始まっていたサブプライムローン問題の対応の遅れ、それに伴うアメリカ発金融危機の拡大(リーマン他)それはビッグスリーの自動車メーカーにまで波及してしまった。これは2001年9月11日の米中枢テロに端を発した
アメリカのイラク戦争とつながり、アメリカは報復を重ねて以来ずっと、ここに重点を置いてきた。そのためになすべき事が充分出来ないままに現在を迎えざるを得なかった。それはアメリカだけではなく経済成長をつづけていた中国を始め、とりわけ日本、その他の国々へ影響をもたらしたことになる。
現在日本で連日報じられているニュースは日本だけでは解消できないことであり、影響を免れないのである。(出来ることはしなければならないが)
そんな意味では、この年末から世界がもう一度、原点に立ってこの危機状態を脱却する努力をする時を迎えているといわなければならない。
アメリカは新大統領にバラク.オバマ氏を選び、日本も麻生氏が着任している。
中国も、ヨーロッパもそれぞれが努力して新しい変化を求めていくだろう。
幸い、今までの蓄積もある。この国力を有効に使用していけば、来年は新しい希望の年となる事は出来る。
果たして来年はどんな年になるだろう。様々なことが浮かんでくるが、少なくも日本にとって暫くは我慢の時間になることは間違いない。
しかし必ず、回復の時期はやってくる。その時を信じて来年を迎えたいものである。一年間お世話になりました。

波紋       第53回

2008-12-29 13:29:03 | Weblog
彼女はその日珍しく饒舌だった。アルコールの勢いもあったと思うが、今まで溜まっていて話したくても話せなかったことが、松山の話しかけで弾みがつき、ついそんな気持ちになったのこも知れない。今まで誰にも話したことが無かったろうことを話しながら、彼女は遠くを見るような淋しげな表情だった。
「その後、結婚しなかったのはその人のことが忘れられなかったからかなあ。」松山が呟くように、話しかけるでもなく言うと、「分らないわ。でも縁がなかったのよ。」そういうと、彼女は「今度は水割りにしようかな。」と、おいしそうに焼き鳥を口にした。
女は強いな。こんな時、男だったらどうなるんだろう。人にもよるだろうが、案外立ち直れないやつが出てくるんじゃないだろうか。男のほうがきっと弱いから。
「ところで、この会社へは誰からの紹介できたの。」「お人形を教えてくれていた先生が小林さんを知っていてね、その女の先生はその小林さんを好きだったらしいの。よく食事したり、会ってたらしいわよ。小林さん奥さんもいて家庭もあったから不倫だったかもね。」「えー。まさかそんな関係じゃないと思うけどなあ。」
「分んないわよ。男と女は何時どうなってもおかしくないわ。」
「先生に紹介されて小林さんのところへ面接に行ったの。お昼をご馳走になってお話を聴いたんでけど、是非来てくれといわれて考えたの。でも、仕事は楽そうだったし、給料は安かったけど、住みやすかったわ。」
松山は話を聞いているうちに、だんだんがっかりしてきた。この感性は何だろう。
自分では考えられないことでことだし、想像もつかなかった。でも女性の立場からすればこんなところかもしれない。
生活がかかっていたとしても、自分のことだけ出し、家庭があるわけじゃない。
将来、別に昇格を望んでいるわけでもない。とすれば、本音はこんなところなのか。そこへくると、男は仕事に情熱を燃やし、目標を達成することに全力投球をしその達成感、充実感を生きがいにする。そして、結果として昇格を夢見る。
男と女の違いを思わざるを得なかった。
間もなく彼女ともわかれることになるのだが、長いようで短かった仕事の仲間として、最後に本音の話が出来たことを良かったと思うことにした。
新しい営業のスタッフはその部屋だけで男女合わせて30人ぐらい居ただろうか。
そのグループを束ねる責任者が居た。偶にこの部屋に来て、声をかけるのだが、
めったに来ない。(それで助かっているのだが、)でっぷりと太った、少し猫背が特徴であった。役員であり、次期社長候補とも言われ、実力者の一人だった。

波紋     第52回

2008-12-26 09:51:47 | Weblog
新しい年を迎えたが、松山の心はあまり晴れやかにならなかった。毎日の会社への通勤も前ほどの高揚感は無い。ひたすら定年までの時間を何とか、やり遂げることが目的あり、それまでは何とかどんなにいやなことがあっても頑張らなければならないと思っていた。
二人の娘は順調に大きくなり、高校に通っている。加代子も近所のパートへ出るようになった。すべては順調であり、何の不安も無いはずだが、何か物足りなかった。それはやはり会社での会話が無く、心を分かち合って話が出来ないことにあるようで、淋しかった。外での出来事、愚痴を含めて話を聞いてもらいたかった。
そんな時、話を聞いてくれるのは風間女史しか居ない。
その彼女も今年は定年を迎える。そんな彼女といつか食事をしながら話をした事があった。
「今年で、定年だよね。会社辞めることになるけど、どうするの。」「田舎へ帰るわ。」「田舎はどこなの」「仙台よ。」「誰かいるの。」「両親が店をやっているわ。弟が後を継いで手伝っているんだけど、私が帰ると小姑でお邪魔虫になるのかしら」「そりゃあ、いいね。田舎があって、両親も元気なら安心じゃない。それで何かする予定あるの。」「別に何も考えていないけど、帰ったらゆっくり時間があるわ。」「結婚はもう考えていないの。」「この年になったら、そんな気持ちも無いけど、なかなか良い人って居ないものね。」
「東京へ出てくる時、何か目的があったんじゃないの。」
「そうね。あの頃は私も若かったわ。仙台で仕事をしていた時、素敵な人が居たの。何となくお互いに好きになって結婚してもいいかなと思っていたの。そしたら突然、その人が東京へ転勤に決まって、東京へ行っちゃったの。居なくなってから
とても淋しくて、どうしても彼のところへ行きたくなって、会社を辞めて東京へ出てきちゃったの。でもすぐに仕事が無くてぶらぶらしていて、趣味の人形つくりを教えてもらっていたの。」
「彼にすぐ会ったんじゃないの。」「それが私が決心して東京へ出るのに時間がかかったの。彼と連絡が無くなって、一年ぐらいたっていたと思うわ。」
「でも、彼に連絡は取れたんだろう。」「そう。取れたわ。でもその時は彼に新しい彼女が居たわ。残念だけどあきらめるしかなかったの。」
そこまで話すと、彼女は残っていたビールを苦そうにぐっと飲み干した。
何か触れてはいけないことに触れてしまった気まずさを感じて、松山もしばらく黙って、自分の酒をちびちびと飲むしかなかった。

思いつくまま

2008-12-24 09:37:33 | Weblog
この時期、クリスマスを迎える。クリスマスを迎えると不思議に思い出すことがある。「靴屋のマルチン」という話だ。ご存知だろうか。トルストイの原作で有名なのだが。マルチンは店の窓から見える道を通る多くの靴だけを見ながら毎日仕事をしていた。靴を見るだけで男か、女か、そしてその人がどんな人かも分かり、毎日の出来事も分るようになっていた。
ある日、教会の牧師さんが聖書の表紙の修理を頼みにやって来た。「マルチンさん、大事な聖書なのでお願いします。」マルチンは丁寧に破れかけていた表紙を直し、見るとも無く聖書を見ていた。そして、そのうち私もキリストを通じて神様に会って見たいものだと思うようになっていた。「イエスさまが来てくれないかなあ。」すると、どこからか「マルチン、明日、お前のところへ行くことにしてあるから、窓の外を見ていてごらん」そんな声を聞いたのです。
翌日、雪かきをしていたおじいさんを見て、そのおじいさんを迎え入れ、お茶をご馳走します。今度は赤ちゃんを抱いた貧しいお母さんが目に留まります。マルチンは出て行って、家に迎え入れ暖かいショールを上げました。
そして、最後にりんごを奪って逃げていく少年にりんごを返すように教え、少年のために共に祈りました。「イエス様は来てくれなかった」とマルチンはがっかりして寝ようとしていたとき、マルチンの心に、おじいさんが、お母さんがそして少年の姿が影絵のように見えたのです。そしてマルチンは、その貧しい人たちの姿の中に神の姿を見たことを知ったのです。
クリスマスはプレゼントやイベントの行事だけの日ではないことを考え、静かに自分を見つめ自分の心に厳しく思いをはせ、問い詰めて見ることも大事なことではないでしょうか。
ある女性実業家が子供二人を抱えて、離婚し、毎日生活に追われ子供たちを育て、寝る時間も無く暮らしてきた。努力が報われ、子供たちは立派に成長し、母の元を離れていった。これで少しゆっくり、のんびり出来ると思っていたら、不眠症にかかり、悩まされた。そして「虚しくて、虚しくて、何故自分が何のために生きているのか分らなくなった。」と思った。
満ち足りて、与える必要がなくなったときに不満が生じたのである。
人間の心はいつでも与える立場になっているときにのみ満足することが出来る事に気づきたいものである。

波紋      第51回

2008-12-22 08:45:02 | Weblog
人間の健康や運命というものは分らないものとは、頭で分っていても、実際には何が何時起きるか、想像もつかないことがある。まして自分のことになると尚更である。(自分は大丈夫という自信がある)だから、こんな話を聞くと、まさかと思って信じられないことが多いのだ。谷川さんが脳梗塞で仕事が出来なくなる。お酒が飲めなくなる。どんなに不自由なことだろう。
何が原因なのだろう。やはり気になるところだ。考えられることはそんなに若くないことは分る。(実際には67歳)一つにはその年代で一つの壁があるのだろうか。聞いているうちに少し家庭のことも分ってきた。奥さんが何年か前に別居していないこと。生活習慣が変わったこと。食事が不規則になっていること。お酒が好きなこと。これらのことも要因にはなっているのかもしれないし、血圧の管理もできていなかったのかもしれない。(医者はあまり好きでなく、いっていない。)
それにしても、病気は突然のようにやってくる。松山は虚しさを感じながら、でも自分のこととしては考えられなかった。勿論50歳は過ぎて60に近くなりつつあることは知っていたが、まだ遠い先のことのように聞いていた。
松山はゴルフの腕を磨き、かなり自身が出来ていた。業界のコンペにも常連として出場、優勝しその腕前は認められていた。お客さんとの懇親ゴルフも年に何回もあり、あちこちのゴルフ場でプレーできることはとても楽しかった。
何より帰りのビールのおいしさは格別で、何もかも忘れる事が出来た。
1990年、中国が日本にとって、非常に注目され始めていた。日本の企業はこぞって注目し、進出を試みた。それは日本の景況が盛んで、世界に認められると同時に安価な労働力を求め、コストを下げることが出来るメリットを追求することにあった。松山の会社でもそれまではアセアンを中心に中国を除外していたところがあったが、会社全体で、視察団を組み、(広いので手分けをする必要があった)
調査をすることに二なり、そのメンバーに松山も入った。お供とはいえ、えらいさんと一緒なので、責任は重大である。北京から上海、そして広東と南へ下り深せんと続いた。何しろ広く、大きい。いくら日にちがあっても足りないし、見るところはある。その年にあの天安門事件があったのだが、その難は逃れていた。
こんな大きな国と資源があるところと対等には難しいなあ。というのがその印象であった。そしてその年も終わったのである。

波紋      第50回

2008-12-19 08:56:32 | Weblog
松山の環境は今までとすっかり変わり、新しい職場になってしまった。
大きな部屋ではあるが、自分達のデスクはその片隅であり、風間女史と自分と、
本社から来た時の予備のデスクがあるだけである。少し離れたところには主要の
エリート集団が屯している。何しろ、一人一人が東大、京大、一橋を始め、六大学の学卒である。彼らは各自が独立した仕事を持ち、自立した業務についているので
組織として動いている感じがしない。
松山は今まで小さな事務所で数人が家族のような雰囲気の中で、お互いに助け合い、連絡ととり、会話をして仕事が出来ていたのでこの新しい環境は別世界の思いであり、最初は緊張の連続であり、なじむことは出来なかった。しかし、今更
転職も出来ないし、家族の事もある。歯を食いしばっても頑張らなければと気持ちも強く持つことにした。日中は外出することが多く、(お客さん回り)気がまぎれるのだが、帰ってきて報告書を作成し、整理などは気が重かった。
「松山君、月までにいつもの資料はしっかり頼むよ。内容についてもきちんと説明が出来るようにしておくように」滅多に声をかけない担当の上司から業務命令だけが飛んでくる。「分りました。ちゃんとやっておきます」それだけ言うことがやっとであった。そして優しかった小林のことを思い出していた。
「遅くならないように終わって、早く帰りなさいよ。君の家は遠いんだから。子供たちも待ってるだろう。」そんな小林の慰めが身にしみていた。
その小林も定年で静かに去って行った。引継ぎでしばらく新しい職場にも来ていたが任務も終わり、誰に見送られるでもなく、声をかけられるでもなく、一人で部屋を出て行った後姿が残っていた。
松山は、電車でのワンカップを飲みながら、世の中の流れとその変化に人生を考えていた。「そうだ、谷川さんのところへ寄ってみよう。」しばらく会っていないが
いつもやさしく話を聞いてくれるし、いつも工場に居る。一緒に酒を傾けて話を聞いてくれる。松山は電車を途中で謝して谷川を訪ねた。
谷川はその日会社を休んでいた。聞いてみると、「検査入院」との事。「どうかしたんですか。」「この頃、調子があまり良くなかっただけど、言葉が良く分らなくなってね。ろれつが回らなくなったんで、行ったんだけど、軽い脳梗塞らしいんだ。」松山は愕然とした。
あの元気のよい、フオークリフトの上から「やあ、元気かい」と大きな声をかけてくれていた人が「まさか」と思ったが……

         思いつくまま

2008-12-17 09:54:51 | Weblog
ある日の新聞に長門裕之さんが妻の南田洋子さんを5年前から介護をしているという記事が出ていた。(お読みなった人もいると思う)つまり二人の老人の
「老老介護」の様子である。私も妻がアルツハイマーになり、仕事をしながら介護をした経験があるが、私の場合は無責任といわれても仕方が無いほどヘルパーさん
(当時は家政婦さん)にお世話になり、夜だけの世話であった。それも子供に任せることが多く、ほとんど出来なかったことを告白しなければならない。(それでも休みの日には近くの荒川の土手まで行き、車椅子に乗せ散歩をしたり、入浴の際の介護をしたが、そのときの事は強く残っている。)
長門さんはその中で入浴には2時間ほどかかる。また、毎夜お手伝いさんに泊まってもらいますが、自分も1時間おきに起きて洋子の部屋をのぞいているとも書いています。そして最後に気弱な自分を洋子に見せたくないと思うから最近は重い病気にかからなくなりましたとし洋子を介護できることに幸せを感じています。
洋子のために一生懸命生きたいという思いが、今の私の元気の源かもしれませんねと結ばれていた。
私自身を顧みて、若かった(50歳代)ということもあって、この長門さんのような心境になれなかったことを恥ずかしくざんげするばかりです。
そして、わたしはここで「人間の愛」について考えざるを得ません。聖書には
「愛はすべてをしのび、すべても耐える」という言葉がありますが、この言葉の
元はギリシャ語で「口を覆って語らない、秘密にする」そして「逃げないで、踏みとどまる」という意味があるそうです。
つまり愛とは逃げないで、踏みとどまり、持ちこたえるという意味で耐えながら
自分にとって意義あるものに質的に変化させることであるらしい。
苦しみの中から自分を成長させることで、決して怨むことなく、むしろ大切なものに思うことである。
長門さんの姿に生きた本当の「人間としての愛」を見た思いがしたのである。

波紋      第49回

2008-12-15 10:43:34 | Weblog
静かに世の中が動いていた。あれだけ忙しく、注文に負われていた仕事もいつの間にか無くなり、松山は工場から「今月はいくら作ればいいの」と追われるようになっていた。同業者も最盛期から言えば、いつの間にか半分になり、止めている会社や倒産した会社が出ていた。何時までも同じで仕事が続かないこと、波があることを知り、不安を覚えるようになっていた。そんな時、所長の小林から全員に通達があった。「来年から、この事務所は閉鎖し、別なところへ移動する。営業部門も他の部門と一緒になり、合同で行うようになる。」風間女史も田所も江村君も神妙な顔をして聞いていたが、お互いにどうなるのか心配であった。
小林は定年を控えていた。組織変更の引継ぎが終われば退職が決まっていた。
風間女史も独身をとうしていたが間もなく定年である。みんなばらばらになる運命であることを感じていた。
そんな時、突然田所が退職願を出した。結婚して、店を持ちたいというのである。
元々ゴルフが好きで、ゴルフで身を立てたいと思っていたぐらいだったので、結婚した相手の親に金を出してもらってゴルフショップを始めるという。
遅い結婚だったが、ようやくその気になったらしい。そして静かに去って行った。
江村君も転職を願い出て、事務所を出た。いつの間にか、三人になってしまったが
松山は止めるわけにはいかなかった。行くところも無かったし、家族がいた。
子供たちが独立して、一人立ちが出来るまで頑張らなければという思いがあった。
自分もいつの間にか50歳を過ぎていた。そんなに若いわけではない。
辞めるときの事を考えておかなければと不図思う。
そんな時、飲みながら話の出来るお客さんがいた。同じ千葉で仕事をしていることもあり、帰りがけに仕事にかこつけて立ち寄る事があった。
「谷川さん、うちの会社もいよいよ合理化が始まって、店を閉めることにないましたよ。今度は大部屋で全く知らない人たちと一緒にされるんですよ。ずっと一緒だった仲間は辞めていってしまい、淋しくなりました。やりにくくなりますよ。」
「そりゃあ、大変だね。でも何時までも同じというわけには行かないかもしれないよ。会社も生き物だからね。まあ、辛抱してもう少しだから頑張んなさいよ。」
豚のホルモン焼きを食べながら、谷川はおいしそうにホッピーをぐっと飲み干した。松山もビールのジョッキを一気に空けた。少し疲れがほぐれて二人は顔を見合わせて笑った。そしてその年も暮れていったのである。

波紋    第48回

2008-12-12 09:31:41 | Weblog
その日、松山はレストランへ案内された。名越の家族全員で出迎えられ、始めての会食だった。食後名越夫人の説明から始まった。病院での治療は始まっていて、その症状は特別危険ではないことが分った。リハビリを続けることでかなりの回復が見込めるらしい。夫人の話はリハビリを始めとする介護の問題である。
10年以上疎遠で名前だけの夫婦をしてきて、他所の女と同棲まがいの生活をし、病気になって帰ってきて面倒をみろとは虫が良すぎる。病院での世話はするけど、それ以上のことはする気はないという。確かに、それも分らない気もしないでもない。子供たちは「お父さんがかわいそう。家につれて帰ってみんなでお世話をしよう。」と口々にいう。どちらも聞いていて、もっともな気はするが、こうしたらというほどの知恵も出ない。夫人の話は単身で家を出てから、ほとんど家を顧みないで、出て行った亭主を見放し、自立して子供の面倒を見てきた意地があった。結婚も「ボランテイア」の気持ちだった。(相手の懇望で)今までのぐちがいっぺんに爆発したような感じでもあった。何時までも続く話は、どんなに耐えて、我慢してきたかを思わせ、女の強さを見る思いでもあった。
「しばらく、病院で治療をして、その経過と様子を見ながら、どうするかを考えたらどうですか。まずはリハビリを一生懸命やってもらいましょう。」松山は
みんなの気持ちを慮りながらそう話すと、みんなもうなづいて別れることになった。やはり一家の中心が病気になることは大変であり、病人もつらいだろうが、介護するものも負担を担うことになる。
人生の一面を見る思いであった。その後、一年を過ぎて、様子を聞くと、回復は思ったより遅く、言語障害、手足の運動機能障害は残り、リハビリをつづけているとの事、対外的には一切、外部の人との接触を避けているとのことで、松山も見舞いにもいけない状態であった。
会社は娘婿が中心に夫人が顧問となり、経理を担当して、切り盛りしているとの事
名越がタッチする場面はないが、彼の作った基礎は立派に生きて、家族を守っているのだ。男は黙って勝負する。松山はその家族を見ながら、ある意味「破天荒」な人生を歩いた一人の男の生き様を見た思いでもあった。
淋しい思いは残るが、羨ましい気もする。誰でも出来ない(真似の出来ない)事でもあった。
その頃、会社のほうにも大きな動きが出てきていた。営業部門が吸収合併で組織が変更になるというのである。松山は自分の運命に大きな変化が近づいていることを感じていた。

思いつくままに

2008-12-10 15:41:13 | Weblog
最近テレビで「あやのこうじきみまろの漫談」のDVDがミリオンセラーになったと報じていた。私もテレビでどんなものかと少し見たことがある。
そこに出てくるのは「中高年」の夫婦が対象であり、そこに表現されることは、誇張されているとはいえ、確かにその通りであり、間違いないことである。
自分たちのことを言われているのだが、自虐的にその話を聞き、無邪気に笑い、楽しんでいるのである。しかし、聞き終わって、現実に戻り、冷静に身の回りを振り返って笑ってばかりいられないこともあることを知るのである。
ラジオの「人生相談」の番組を聴いていると、同じ中高年を対象にしても「離婚」を前提にした深刻な話であったり、子供や財産に関わる話が多い。
これらは結婚生活を基盤にした、夫婦生活がこわれかけていることを表しているといえる。
そもそも結婚生活は言うまでもなく、他人同志の出会いからはじまり、共同生活が営まれるのだが、始めからいろいろな面で困難が生じることは予測されるのであるが、「恋は盲目」の例えのように一時的に見なければならないものがみえなくなるのである。だから成り立っているように見えるのだが、本当は成り立っていないのだ。そのうち、見たくないものまで見えるようになり、年齢(時間)と共に
お互いの自我も成長し、様々な障害を引き起こしていくようになる。
分っているようで、どうすることも出来ないで流れるのは止むを得ないことなのかもしれない。
従って、結婚生活の成功例は少ないといわれている。
ではうまくやる方法は無いのだろうか。無難に長持ちさせる事は出来ないのだろうか。その鍵は「寛大さ」にあるといわれている。この言葉、辞書によると「心がゆったりとして鷹揚な様子。度量の大きい様子」と出ている。
つまり、要は寛大な夫が多少欠点があっても眼に見えないようなもので妻を絡めてしまうこと言うことらしい。(妻が夫を絡めてしまうも成り立つ)
ということになるのだが、実際にこの鍵を持っていたとしても(知っていても)
この鍵を使って成功することは難しいのであろう。何故ならば、そのためには
相当の努力と、忍耐を必要とするからである。そしてそれを克服したもののみが成功するのだから。果たして皆さんはどうでしょうか。
(因みに私は失敗者の一人で終わったのだが)