波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

足跡   「台湾旅情  ③」

2017-08-21 10:36:18 | Weblog
40年前訪台した時は地下鉄が工事中であった。新幹線もなく桃園から台北の市内へくるには
バスしかなかった。高速道路はできていたが、この道路だけが市内へ通じる道とあって混雑が激しく事故などあるとたちまち渋滞となり、市内へ入るのに1時間半もかかるじょうたいであった。(現在は新幹線で20分ほど)バスから市内へ近くなると左側の丘に見える「円山ホテル」を見てまもなく着くと思ったことを思い出す。そんな台北市も行くたびに便利になり、立派なものができていた。地下鉄、新幹線、そのほか近代的な建物(円形ドーム)ができている。その中で一際目立つのが、東側の最開拓地にできた「101タワー」であろうか。400メートルの高層ビルは見事なもので今回はタワー見物ができた。エレベーター前には世界のブランドショップがそろい、入場券(600元)をもって並んでいる大半のお客は大陸の人たちであった。
エレベーターは386メートルの高さまででそこからは階段で4メートルをあがることになる。
そこから外部へ出ることができるが強風のためにかなり危険である。
内部には60トンを越す球体がタワーのバランスをとるために作られてあり、これで地震や台風による強風にバランスをとっているそうです。
今台湾ではこの建物がシンボルになって観光客を喜ばせているようです。

思いつくままに  「台湾旅情  ②」

2017-08-17 10:50:26 | Weblog
くどいようだが40年以上の訪台で私は観光という名目でのものは一回もなかった。全てが業務の訪問であったのは当然だったので、今回が初めての訪問のようであった。
その中でも「円山ホテル」は今回の最高の観光だった。台湾へ行くたびに桃園の国際空港から台北市内へ向かうたびに高速道路から一際目立つホテルがある。そしてこのホテルを見つけるともうすぐ市内だとわかるのであるが、道の左側の山(丘)の中腹に真っ赤な建物が見えてくる。
それが円山ほてるだ。「いつか一度あそこへ泊まってみたい」とそれを見た人はみなそう思って眺める。聞くともなく聞いていると「あのホテルは一般の人はとまれないのだ。」と聞かされる。そしてそれ以上は詳しい話をしない。理由が宿泊費が高いのか、資格のようなものが必要なのかといつも何となく気になりながら通り過ぎている。今回このホテルのレストランで「80歳を迎えた主人公のお祝いの会食が行われるということで特別に予約され入管ができるのである。
格調高い真っ赤な玄関の階段を上がり入館すると赤いじゅうたんがロビー一面に敷き詰められ広いロビーいっぱいに飾りがついている。正面中央に台(3メートル四方)がおかれその上に「ピンクの蘭の花が置かれている。突き当たりの階段を上り左右に分かれた会談をさらに上るとホテルとレストランへと通じる廊下がある。その壁には要人の記念写真が飾ってある。
政治化を始め、有名な世界的なスターがずらりと並んでいる。
このホテルは嘗て大陸からの政治、軍隊、ほか要人用のために作られたために一般人はさまざまな規約のために制限をして泊まれないようになっていたのだそうである。
そんな訳で長い間開放されなかったが、最近ではツワー旅行の中にも入るようになって一般化しているとの事。中でも大陸から来た観光客は台湾旅行のトップが円山ホテルでの記念写真と会って大勢の中国人がパスで押し寄せていた。
泊まることはできなかったが、格調高い、いかにも中国人好みのホテルで、台湾を象徴するホテルであることがわかり納得したしだいである。
















































8(

「足跡」    「台湾旅情  ①」

2017-08-14 10:41:06 | Weblog
私が始めて台湾を訪ねたのは、1973年だから今から44年前である。もちろん日本を離れることも初めてで38歳であった。現代では学生時代から海外へ行く人が多いので感覚が違うし
考え方も違うから比較はできないが、私は今でもそのときのことを覚えている。それほどに強い印象があったのだろうし興奮もしていた。現在の羽田の海外ターミナルは立派だが成田空港がないころなので此処からしか行けなかった。会社から海外派遣を命じられて長期に生活をしなければならない人は家族全員と会社の主な社員が打ちそろって見送りに参加し「万歳」をして送り出すほどの意味があった。(戦時中を思い出すほど)
羽田の海外出発はそのときだけでその後の海外は全て成田であった。
そして今回図らずも台湾へ行くことに決まったとき、家族のものは82歳の年齢から日常の様子から当初無理だからお断りをすることを進めていたが、やむない事情もあり、私の希望を取り入れてできるだけ負担が少ないようにと準備を計画してくれていた。
まず、同行者に娘をつける(一人にさせない)飛行機は羽田ー松山(台北市内)。そして出迎え台北滞在中は台湾の知人の同行と車を準備という、至れり尽くせりののものであった。
それほどまでにして、行かねばならない事情とはどんなものだったのか、それは40年以上の台湾との取引が継続していることによる信用と、取引先の社長が台北での80歳のお祝いを行うことの希望で友人代表で選ばれたという経緯である。
80歳のお祝いをする友人は家族全員(夫婦、子供、孫全員13名)をこの夏休みを利用しての計画であった。確かに事情を考えればこの時期でなければ休みを取れないことはわかるが、
真夏の真っ盛りであり、それによりによって台湾ということは考えようによっては最悪の状況での計画であり、「どうして?」と思われるが、それには深い事情があることが後ほどわかることになるが、それは後ほどの話としたい。

思いつくままに  「忖度」

2017-08-09 10:22:37 | Weblog
今年の流行語大賞を決めるには少し時期が早すぎるのだが、この言葉が候補に挙がるのは間違いないと思われるほど春からこの言葉を聞かされている。
私は不勉強でこの言葉を新聞で見るまで知らなかったし、読むこともなかった。言われてみれば
意味はなんとなくわかるような気がするし、似たような言葉はある。
私が勤めていた会社はある有名な親会社を持つ関係会社だったので親会社を訪問すると有名学卒の人ばかりで社内の会話もかなり普段は聞かない難しい言葉もあった。
先輩営業の方からお話を聞くときは緊張して聞いたものだが、意味のわからない語彙も多かったことを思い出す。そんな中で「聞け、悟れ」というのがあったが、上司の言葉を具体的に聴くのではなくて、その話の空気を感じて上司が何を話したいのか、何を望んでいるのかを悟ることを学ばされたのだが、まさにその意味に近い言葉の意味であろう。
何故か具体的名言葉でなく、意思を伝えるという習慣があり、私もそんな空気を知り、学ぶことになったことを思い出している。
似たような言葉に「行間を読む」というのもあった。つまり言葉と言葉の間にある見えない文字を自分で当てはめて上司が何をいいたいか、または何を言おうとしているか、あるいは自分が書いたものには上司が言いたいことをわざとあけておくということもあったのである。
こうしてみると「忖度」は昔からあった習慣のひとつかもしれない。
今では「古語」としておそらく使う人も知る人も限られて、まして子供をはじめ若い人には受け入れられない言葉かもしれないが、こんな習慣が現在も残っていることが果たして良いことなのか、なくすべきか、改めて考えさせられると同時に昔を思い出すひと時となったのである。

足跡   「今を生きる。」

2017-08-07 09:17:24 | Weblog
世の中、予想通りには行かないことをつくづく思わされる。今年に入ってどんな年になるかとの期待のうちに始まったが、アメリカを始め東南アジアの近隣を含めて日々何かが起こり、また
日々何が起こるかわからない時代である。(何時の時代もそうであったのだが)
始まる前にはつい良いことが始まり、良いことがおきることを期待するが始まってみると、期待通りには世の中ならないようである。アメリカも新大統領が色々努力しているようだが、期待通りには世界をリードできていないし、国内も順調そうに見えていたが、ほころびが見え初めて落ち着かない毎日のようである。
果たして後半この世界は同動くのだろうか、何時激しい台風が襲ってくるかもしれない季節でもあり、何事もないようで毎日が変化しているのである。私たちのような人間でもこの世に生きている限り精一杯生きていかなくてはならない。毎日の時間を以下に大切にすごすことを考えて
義務があるのです。常に「正気になって身を正していかなくてはならないのです。」
何事か良いことがおきて楽になることを願うのではなく、生きている限り何を求め、何を果たしていくことが託されているかを考えなくてはならないだろう。
今週は思いがけず数年ぶりに「台湾」は行く予定ができた。それも娘と同行である。
嘗てこんなことを想像もしなかったが、おそらく二度とない旅行になることだろう。
そしてこんな導きに私は大きな力を覚えるのである。
自分で考え、自分では予想もできない不思議な導きがあることを経験することになるのだ。
人生の不思議さは自分では考えられない。計画的に事を進める人もいると思うが、それでさえ大きな力が働いていることを知るべきである。
だからこそ、日々「今を生きる」の気持ちをしっかり持ち合わせていたい。





















思いつくままに  「愛の強さ.大きさ」

2017-08-04 09:15:50 | Weblog
最近毎日のように男女関係の問題が話題になっている。しかしこの問題は今に始まったことではない。おそらく神がこの世に男と女を創ったときから始まっていたと考えられる。それほどに大きく大事な問題であるが、この問題を単に男女関係に決め付けて考えることがそもそも誤りなのだろうとおもう。人間として考えるとき、男も女もすべて人間なのである。
したがって男女関係の問題を取り上げるとき、間違ってしまうのは是は男と女の問題と限定してしまうことに始まっている。どちらも人間として同あるべきかと考えることから始まらないと解決にはつながらないのである。
この世では夫婦という形をとり、子供を育て家庭ができるとそれだけが単独でかんがえてしまうんだが、人間として考えればどこの家庭もどのような生活をしようがおなじなのである。
まず人間としての存在があって、その存在がどんなあり方で生きるか、それが完成しないと問題はおきることになる。記事にならなくてもおそらくどんな家庭にも大なり小なり同じ問題は発生している、そこで各家庭でそれぞれが人間として同あるべきか、家庭形成を考えていきていくことがだいじであろう。そこで必要なことは忍耐であり、情け深さ(思いやり)ねたみ、自慢、高ぶり、(上から目線)礼節を守る、自己中にならない、いらいらしない、恨みを持たない、不義をしない、すべてを忍び、耐えることもある。
これらをしっかりと見につけて本当の「愛」の強さを養い、身に着けることを訓練しなければならないだろう。これは人として生まれてきた義務として一生の課題となる。
そしてその結果がその人の人生を決めることになることをもう一度考え直してみたい。

足跡  「喜怒哀楽」

2017-08-01 10:01:38 | Weblog
人は意識していると、いないとに関わらず「喜怒哀楽」を心に映しそれが表面に現れるものである。特に「怒り」についてはその影響も大きく場合によっては相手の命に関わることもあり、また心に一生残るような傷を与えることがある。しかし人はこの「怒り」を抑えなくすことはできない。何らかの形で誰もが経験し誰もがその影響を与え誰もがそのためにくるしむことになるのである。ある日何気なくTVを見ていたらこの「怒り」をどうすれば抑えるか、あるいは最小限にとどめることができるかを専門の先生に解説している場面があった。
それによると、その感情が突然沸き起こり抑えられなくなったとき、何らかの方法で「6秒間」の「間」を持つことができれば最小限の状況でその「怒り」を抑える、または沈めることができるというものであった。その抑え方は各人の自由で色々な方法が考えられるであろう。
いずれにしても僅か約10秒程度の間を(静止)持つことができれば場面が大きく帰ることができるというものであった。そうかもしれない。
自分の経験からしても「瞬間湯沸かし器」の言葉があるように「怒り」は突如何の根拠(あるのかもしれないが)もなく起こるものである。
そしてその影響は消えることなく相手にダメージを与えてしまうの江ある。
これらは年齢と共にエネルギーの減少で縮小していくものであるが、心の中にくすぶり続けけいるものではない。先日もあるレストランで93歳のおじいちゃんが家にいることができなくて
店に来てぶつぶつと何時までも愚痴をこぼしていたが、これなども「怒り」が屈折しているだけで消えたわけではない。これらはさまざまな形でその人の生活にストレスを与え、人間関係を壊すことにつながるのだが、すでにこうなると周囲の意見は無視され打つ手は無いようだ。
かくしてその毒はその家庭だけではなく徐々にその周辺を犯していくことになる。
人間とは事ほど左様に無意識に「怒り」から始まったものをまきちらしていることになる。
できることなら「「喜び」の要素を拡散することを考えれば世の中はどんなにか「平安」へと変わることだろう。