波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

「今を生きる」

2020-10-26 10:48:23 | Weblog
台風シーズンも過ぎ、穏やかな風とさわやかな気温の秋晴れの日が続くようになった。日本の四季を確実に感じるとともにこの温暖化の中でもこうして四季を明確に」感じて生活できる事をうれしく思う。最近「爺友が入院」との知らせを受け、どうしたかと気になっていたが、ニュースが入り、どうやら自転車で転倒し、大けがによる手術で入院中だということだった。毎日元気で散歩しながら町内を回っているのを見かけていたが、残念である。
そんな中、息子がやってきたので近況を語り合うことが出来た。ひょんな話から私の葬儀の話になり息子から私の葬儀についての話になった。彼の話によると最近、「直葬」と呼ばれる新しいシステムがあるらしい。病院で死亡すると身内だけでそのまま葬儀社に託して済ませる方法で直接の身内だけで
費用も格安らしい。私は即座に「其れでお願いするよ」と返事をした。できる事ならできるだけ簡素に迷惑をかけないように旅立ちたいと願っていたのでこれで旅立ちの一つが決まったことになり、安心感ができた。そんな話から帰宅後、「そうだなあ、別れの挨拶ぐらいしておかなければいけないかなあと漠然と遺書らしきものを思いついた。大げさに何も言い残すこともないが、何も言わないのも失礼かなとも思い、一言お別れの言葉のようなものを残しておこうか、そしてそれを知らないように置いておこうかとふと思いついた。となるとそれらしきものを何回か練習して書く必要もあるのかなと考えてみた。考えてみるともう何度もこの世にいなかったかもしれない自分がこんなにも長生きできていることが不思議でもある。これも考えてみれば「生きていなければいけない勤めを負わされているのか、」と考えたり、「しっかり生きているうちに、なすべきことをしなさい」という指示かと考えたりするようになった。毎日が最後だと思って大切に、そして出来るだけ相応しい日を過ごしたいと考えるのだが、なかなか思うようにはいかない。
顧みて本当にもったいないくらい良い人生を過ごしてきた。感謝しかない。だからこそ今を大切に生きて、最後を全うしたいものである。

「続・死生観について考える。」

2020-10-19 15:28:42 | Weblog
私の二度の事故経験から考えると、とても不思議な気がしている。それは何故何事もなく回復することが出来たのか、それは単なる幸運とだったとして済ませてよいのだろうか、世の中にはほんの少々躓いて転倒しても、大きな怪我につながる人や長期の不自由さの中で苦しむ人は大勢いる。しかし私はその他にもエスカレーターで降りている途中、突然のめまいで倒れ、㊦まで転倒した時も(この時は顔に擦り傷を負って病院で手当てを受けた)大きな死傷にはならずに回復したが、当然だったとは思えない。世の中には「何故?」と信じられない出来事が多い。助かるはずの人が信じられない状況の中で亡くなる人もいる。こう考えるとこれだけ世の中が進み、様々なことが解明されていても人間の考えでは解明されないことが多く存在しているのだ。まして一人の人間の考えでわかることなど、ほんのわずかな身の回りのことしか解っていないのだ。しかし不思議なことに人は自分が何でも知っていて、何でも分かっているかのように悟って「知ったかぶり」をする人の多いことだろうか。そして自分が正しいことを主張したり、自分の考えが正しいことを押し付ける人がどれだけいるだろうか。今になって、自分を顧みて私自身、自己中心な人生を過ごしてきたことを回顧せざるを得ない。
自分のわかること、知っていることなど、世の中のことから考えればほんの僅かなことでしかないことに気づかないで生きているのである。
「謙虚になろう」「身の回りからの忠告に耳を傾けよう。」それが小さな子供の声であっても、どんなに僅かなことであっても耳を傾けて馬鹿にしないで聞く耳を持とう。「全て口に入るものは、腹を通って外へ出されることを分からないのか。しかし口から出てくるものは。心から出てくるもので、之れこそ人を汚す」と世界のベストセラーと言われる聖書の一節にはあったことを思う。


「死生観について考える」

2020-10-12 14:00:16 | Weblog
東京を離れて、今の住まいに来て10年が過ぎた。誰も知らないところで暮らし始めたが何時の間にか「ジジババ会」のようなものが出来て、誘いを受けて食事会に出て新しい仲間が出来ていた。みんなかなりの年配であるが、元気で車で「イチゴ狩り」に行ったり、紅葉狩り見物をしたりとできる範囲で楽しい思い出作りが出来ていた。然しそれも長く続かなかった。やがて体が悪くなる人がぽつぽつと出てきて、最初の仲間の3人が残っていた。そのうちの一人が突然「心筋梗塞」で亡くなり、あとに残された3歳上の隣人と私だけになった。その彼も最近姿を見ないと思っていたら、入院しているという話が入り、何時の間にかまた元の「独りぼっち」の状態になっていた。私とて何時どうなるかわからないが、これだけは自分でもわからない。
「死」を受け入れることを覚悟しておかなくてはならない。私の人生を振り返る時、私自身の記憶でも二度の仮死体験を覚えている。一つは「5歳ぐらいの時に3階の物干場から裏の路地へ転落、母親の手に抱かれて失神、もう一度はクリスマスの祝会の後、ほっとしたのか、突然気を失い倒れた。気が付いたら救急車の中で、盛んに名前を呼ばれていた。その間約10分近く過ぎていた。二度とも検査の結果は特別な影響もなく(わからないのだが)
今日まで過ごしてきた。こうして考えると人は何時どうなるかわからないし、自分ではどうすること御できな存在であることが分かる。従って、その時をいつでも迎えられる覚悟を詞と置くべきであろう。パウロという人は「生きるも益、死ぬもまた益」と自分の信ずる信仰に生きたといわれているが、
誰もが生きている以上、死をどのように迎えるかを生きているうちにしっかりと身に着けておくことが大事だと、考えさせられるこの頃である。

「自粛生活の一日」

2020-10-05 08:57:54 | Weblog
ここの所毎日のようにコロナ感染者の人数を記録している。全国の感染者の数が5千人を割らないまま、続いている。最近ではワクチンの開発のニュースもちらほらと聞こえてくるが、わが日本ではどのような対策が出来ているのだろうか。少しづつ緩和しているとはいえ、決め手がないままに推移しているような気がしてならない。新聞やニュースでははっきりしないが、全国では様々な形で被害が出ていて犠牲者が出ているのではないかとしんぱいである。自分も毎日をポジティブにと出来るだけ前向きに生活を整えているつもりだが、ともするとこれで良いのかと不安が過る始末である。
当面はパソコンとTVで時間を過ごすしかない。その中で「小さい村の物語」というタイトルでイタリヤの農村のドキュメントがある。イタリアといえばローマをはじめとした歴史の古い観光名所だが、ここに出てくるのは、こんなところがあるのかというほどの農村である。平地がほとんどなくどこへ行くにも坂道しかないような不便なところで数千人のが紹介されるのだが、そこに住む人たちが、すべて毎日を「穏やかに」「平和に」そして
家族力を合わせて生きているのである。何よりその生まれたところを愛し、どんなに不便であっても毎日を「満足し」「仲良く」過ごしているのである。そんな風景を見ているうちに心がいつの間にか穏やかになり、癒されている自分がいることを知り、自分もまた、同じように毎日を満足し、感謝しつつ生きなければと思わせてくれるのだ。
人生を振り返ると様々な思いが思い浮かぶ。そして理想を追いつつ、様々な思いが過っていくが、人勢は「その時」「その状態」をいかに満足し。その時間をいかに大切に過ごすかということに尽きることを学ばせる。まだ十分ではないが、置かれた時間を大切にして過ごしたいものと考えさせられている。