波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

足跡    「台風シーズン」

2016-08-29 11:45:37 | Weblog
古来日本のことわざに怖いものの名称を「地震、雷、火事、親父」と言われて何となく覚えていたが、さすがに21世紀の今日ではこれを改めなければならないような気がしている。
まず、4位の親父は恐怖の対象ではなくなったと言える。それほどに親父の権威も説得力もなくなり、むしろ子供が親をリードしているかのようである。少子化とも関連し、子供自体が少なくなり親が無意識に過剰な過保護に走り、何でも言う事を聞くようになってしかも生活の豊かさとあいまって黙って何でも好きな事をさせ、叱る事も注意する事も出来なくなってるのか、?
とも思われるが、子供の事件も増えている気がする。
そして新たに恐怖の対象にあげなければいけないのが、「台風他の自然現象」と「テロ」になるかもしれない。何故ならどちらも人為的には対処の決め手が見つからず、ただひたすらに出来る範囲の防御策でしかないからだ。そういう意味では地震も火事も似たようなところがあるが、
台風も「気象予報」に頼るだけで分かったからといって完全に対策が取れるわけでもない。
おおよそは多分「我が家は大丈夫だろう」と各自が考えている事と台風の影響が具体的には
全く予測ができない事もあるだろう。
テロに至っては全く手の施しようもなくまだ日本はその影響を受けていないが、直近での訪日外人が2千万人を越すようになり、外人の移住者も年々増えている傾向が確実であり、まして
4年後のオリンピックを目の前にしてそのどさくさにまぎれて何が起きるか不安もある。
これらは現在の日本の体制では防御対策に限界があり、対策の立てるにも時間がかかるような気がする。それだけ日本が世界に注目されている事は悪い事ではないが、
これからの日本は世界の日本として注目されているだけにしっかりとした管理体制が臨まれるところだ。

思いつくままに  「小さき者に神」

2016-08-26 10:55:03 | Weblog
先日の新聞に突然のように障碍者を殺傷する事件があった。犯人はこの障碍者施設で看護師として働いていた人物いわれている。突然の犯行のように見えたが、証言ではじぜんからのけいかくであったらしく、その行動は周到なものであった。しかし正常な理性を持ち合わせている人間では到底考えられない事件でもある。何故ならこれらの動機が金銭でも怨恨でもなく個人的な独断的な思想によるものだからである。
強いて言えば孤独から来る独自の世界への没入とでも言うのか、周辺の人間関係が殆どなかった環境におかれていた事がきっかけかもしれない。
人間は小さいときからの育ち方や環境によって影響を受けやすいのだが、どんな育ちかをしていたのかと考えさせられた。私は小さい物心がつき始めたころから父に連れられて日曜日になると教会へと行っていた。そして「日曜学校」での礼拝において無意識の内に神の存在を教えら、それを信じるようになっていた。成人になり仕事でしばらく教会を離れて、かなり世の中の事を知らされ経験し罪の中に身をおいて誘惑も多かったが、定年を過ぎてから神に呼び戻されるように教会へと帰って行った。そして高齢になるほどその思いは強くなり、自らの罪を悔いながら過ごしている。三浦綾子さんの「氷点」を読んで人間の「原罪」を強く考えさせられたのもこのころである。自分が意識するかしないに拘わらず人間は「原罪」の中におかれていると言う意識を持ったのだ。また人の心にはそれぞれ意識する貸し中にかかわらず、神の存在があることも知らされていた。この犯人もその成長過程においてこれらのことを知る機会があったら、こんな事を起こすこともなかったと思うし、人の心に神が存在している事をしらされないばかりに
犯行に及んだのではないかと考えさせられている。

足跡    「オリンピック終わる」

2016-08-22 09:43:14 | Weblog
4年に一度のオリンピックが終わった。ブラジル(リオネジャネイロ)での開催で日本からは
はるかに遠い国での開催で、更にジカ熱発生他治安の問題など心配されている中で無事に全競技が無事に終了した事は何よりであった。世界の160カ国近い国の選手が集まりその業を競う事ができた事はすばらしいイベントでもある。
そしてそれぞれの選手が国の名誉を背負っての活躍でもあった。日本は予想(金14個、メタル数40個)に近い成績を上げて活躍してくれた。今回は世代交代もあるが、若さを存分に生かしたもので、特にはじめての出場で金メタルをとった選手が多くあった事が目立った。
正直言って気候問題をはじめとしてあまり環境の良いとはいえない状況でこれだけの成績を上げられたことは次回の日本での開催に大きな期待を持たせる事になったし、選手もまた自信を持つ事が出来たことだろ思う
何より若い人の成長を見る事は将来に希望を持たせてくれるし、国民全体を明るくさせてくれる事が何よりである。それは日本全体に勇気を与え、世界における日本の存在感をアピールする事でもあるのだ。政治もようやく安定期に入り、日本全体が世界の中で小さいながらも経済成長とともにその役目を果たさなければならないときでもある。
オリンピックはその存在を示す証でもある。これからの努力と練習によって日本での開催を期待したいものである。
その東京のリーダーも新しく女性が着く事になった事もむべなるかなと思えて楽しみである。

足跡    「習慣」

2016-08-19 10:26:47 | Weblog
人間は不思議な動物(生き物)なのかもしれない。同じようでも一人ひとりは独自の生活習慣を持ちそれを正当化しそれを基準としているところがある。
従って一般的に言われる習慣的行動を変えようとせずある意味習慣を排他的に自分なりに守ろうとする傾向があり、其の傾向は豊かな生活をしている人ほど強いように思われる。
例えば飲料水一つを取り上げても「私はこの水しか飲みません」とか、お米も「この銘柄のお米しか買いません」とか、コーヒーでもお酒でも全てに好みで決めてしまいそれが変わると違和感と同時にそのものの価値観まで変わってしまうことがあり、有り難味や感謝の思いも軽くなってしまうような気がしてならない。日本は豊かな生活が出来る世界でも少ない国の一つだと考えているが、世界では食べれるだけでありがたい、食べる事さえ侭ならない国が多くある事を学びたいと思う。最近TVで「世界でただ一人の日本人」と言う番組があり、南米やアフリカやその他の僻地で生活している日本人を紹介している番組を見たが、日本人にもこんなに生活力のある人もいるのかと感心するとともに人間は覚悟を決めればどんな不自由な環境でも生きていく事ができる事を教えられた。高齢になれば致し方ないとしても若いうちはどんな悪条件でも悪い環境でもそれに耐え、其の中で生きていく習慣をしっかり身に着けたいものである。
習慣とは恐ろしいもので、それは食べ物だけにとどまらず、生活全体に蔓延していくのである。
生活が豊かになると言う事はそういうレベルの生活を意味しているのかもしれないが、冷静に考えれば原点は衛生的に不安がなく食べられれば充分なはずである。
習慣となり、それを守ろうとする時に守れない対応が備わっているかどうかがその人の人生を狂わせる事もある。現代の日本は豊かな生活のうえになりたっている。
それだけに原点に立ち返って生活全てを振り返って、(70年前の戦後)を思い出してみるのも大事なのではないかと考えている。

思いつくままに  「コミニュケーション」

2016-08-16 11:00:58 | Weblog
長い習慣で今でもプロ野球に対する関心は今でもすくならずあるが、最近衝撃的な記事を眼にした。シーズン中、成績不振を理由に現役の監督が上司から「休養」を命じられたのである。
事実上の解任である。成績不振による監督の交代は良くある事で、毎年とまで言わないまでも珍しい事ではない。この場合監督自らの申し出によって行われるのが通例であって、上からの指示で行われる事は珍しく、監督本人も不本意であろうしシーズン中でもありこれから計画している事もあっただろうし、悔しい思いであったろうと察しられるが、本人の胸のうちを察している。
しかし、このような事がどうしておきたのだろうかと考えると不思議でもなんでもない気がしている。シーズン前から派閥のようなうわさもあったし、チーム一丸と言う雰囲気はかんじられなかったので、何となく成績はよくないだろうなあと予測していたが、ここまであからさまになると其の実態が明らかになって不安への影響も大きい事だろうと思われる。、
選手同士、選手とコーチ、コーチと監督これらの組織内の人間関係が充分に理解されていない事が意思の疎通を欠き、共有されなければいけない勝利へのパワーとなって結果に結びつかなかったのだろうと思う。
野球チームだけではない。構成されている家族であれ、学校であれ全ての人間関係のつながりがそれぞれに理解しあい、それぞれが自らの立場で力を発揮して一つの目的に向かうのでなければ結果には結びつかない事の証明である。
逆に一人ひとりの力は弱くても、一つにまとまって目的の為に自己の力をいつも以上にはっきして戦力的に発揮する事もできるのである。
「お互いが謙虚に話し合う」これだけのことが簡単であるが、難しいのである。
何が障害になっているのだろうか、お互いに反省すべき事ではないかと学ばされる。

足跡    「心の持ち方」

2016-08-13 10:23:23 | Weblog
自分の気持ちを良く落ち着いて考えてみると一日のうちでかなり変化があり、ゆれている事が分かる。例えば電話であれ、メールであれ外部からメッセージが入ると、その内容によっては影響を受け、急に変わる。良い話であれば一度に明るく全てが良く見えるようになるし、悪いニュースだと憂鬱になり、気がめいってしまう事になる。良い話であれば其のあとも全てに前向きになり、物事を積極的に取り組む事ができる。
外部からみればみすぼらしい貧しい生活のように見えていても「自分は一人ではない」と考えるだけでも気持ちは変われるのだ。まして家族の声を聞き、それぞれが持ち込んでくるニュースを聞いて「うれしい内容」であれば自分も同じように豊かな平安を得る事ができる。
こんな風に考えると人間って考えようによっては単純な存在ともいえないこともない。
生活を豊かにすることは難しい事ではないのだ。つまり自分を守ってくれている存在を信じるか、どうかということだけでも其の力は大きい。
どんなに環境が貧しくても否『死」を迎えるような状であったとしても、この世に生きている限り状況は同じであり、自分との戦いの中におかれているのだからだ。
心の中の葛藤は一日続いている。其の戦いを如何に向かえどのように臨むか、それは勝つとか
負けるとかではなく、以下に其の日を納得の行く状態で過ごせるかどうかである。
言い換えれば敵と思われる「自己中心的な罪」の思いをどのようにコントロールしたか、どうかと言う事でもある。
そう考えると一日は短いようで長く、単純のようで複雑でもある。そして心の中の戦いをどのように相容れて対して行くか、其の勇気のある姿勢にかかっていると思っている。

足跡    「オリンピック」

2016-08-10 09:40:15 | Weblog
4年に一度のオリンピックが今年はブラジルで始まった。何故4年に一度なのか、そしてアテネで始まったと言われるこの競技が何時から始まったのか、勉強不足で知らないが世界の人が一堂に会して共有するスポーツの業を競う祭典には大きな意義がある、
現実には世界のいたるところで争いがあり、苦しんでいる人、貧しい人、不安や悩みを存在している現実がありながら、そして毎日世界のどこかで傷つき苦しんでいる人が多勢いることも知らされている。そんな状況の中で世界の全ての人々の中で選ばれた人々が其の技を競いフエアーなルールの下でメタルを受ける事の意義を感動を持って知らされることはそれらの争いや憎しみや恨みを忘れさせてくれる瞬間でもある。
このオリンピックの精神が世界の人々に行き渡り平和と協力そして助け合いにゆきわたることを
心から願わずにはいられない。
兎角メタルの数の獲得にだけに関心が行き、其の球に表に出ない手段などが使われることも伝えられたが全く論外であろうと思う。
オリンピックは世界の人々が共通の場で相互に力を試す唯一の場とすべきであり、結果を過大視する事ではないと考えるべきであろう。
其の事が相互扶助の精神を生み、世界は自国だけの利益にとらわれず肩を組み手を取り合って助け合いの心をうみだすばとすべき場としてもらう事を願わざるを得ない。
祭典は地味でよい。其の国らしい特色が世界の人々にたたえられれば充分である。
オリンピックを迎えるたびに其の原点に立ち戻る事を望み、考えさせられてしまうのだ。




      足跡     「老人会」

2016-08-07 07:29:31 | Weblog
老人会に出席すると話題は「病気。死、そして食べ物」が中心となる。しかしこの問題をどの程度に自分のこととして考えて話しているかと、人事のように自分は関係ないような軽さがあり、
重さが感じられない。単なる噂話の一つであり、自分は関係ないかのようである。
しかし、病気とか、死という話題はそんなに軽々しく口には出来ないおおきなもんだいであろうと思うと、其の話題に同調する気にならない。
終わった後ある婦人が私にそっと告げた。「来月腰椎の手術を受ける予定なの。毎日とても痛くて我慢できないので決心したのよ」みんなの前では笑いながら何事もないかのように話しながら
個々にはそんな苦しみや痛みを抱えている人がいることを知らされたのである。
どんなにつらい思いで毎日を過ごしているかと思うと聴いたときから、心が痛み少しでも何か出来ないかと考えてしまった。せめてお見舞いのしるしでも届けてあげたいとかんがえてみたが
それはその人にとってどれほどの凪ぐ攻めになるかと情けなくなる。
「死」の問題となればもっと深刻な事になるだろう。おそらく誰も口にする事はないだろうし、知られたくもないだろう。自分も其の立場だったら誰にも知られず、家族だけに囲まれて苦しまずに上野本へ帰ることが出来れば、一番幸せかなと思う
その時この世で犯した罪の数々を思い、そして課せられた役目を終えた気持ちを感謝とともにざんげしながらこの世の生活を終わる事ができる事を願っている。
死とはそれほどに厳粛なものであり、真剣に考え神の前に立つ事の意義を考えるべき他と思う。
世間話の一つとして軽々しく話す話題ではないと思いつつ、黙って聞いていた。
暑い日が続くようになった。高齢者には影響が大きく感じる。怠けているように見られても
静かに通り過ぎるのを待つしかない、

    足跡   「セラピー」

2016-08-03 10:24:15 | Weblog
最近TVで外国の警察ドラマや犯罪ドラマを見る機会が多くなった。するとその画面で必ず出てくる場面がある。それは警察官や刑事が犯罪者を捕らえようとして拳銃で射殺すると、その後
必ず規則によって「セラピスト」の所である一定期間のセラピーを受講し、其の承認を得なければ現場への復帰は認められないと言う規則があると言う事である。(日本でも似たような内規はあると思われるが、表には見られない)
外国では(特にアメリカ)では人間の精神面を非常に重要な基本として考え、事件の大小に拘わらず義務化しているようである。テロをはじめあまり動機が明確でない、書道的な事件が多くなっている現代でおきている殺傷事件などを見ていると、日本でももう少しこの心理的な面での
重要性を考えるときが着ているのではないだろうか。
民間ベースでの心理療法的な医療は存在しているがもう少し、見直してみる必要はないのだろうかと考えてしまう。
自分でも何か事が起きると自分なりの解釈で勝手に決め付けて本当の実態も分からないままに符誤解したり相手を傷つける事もある事をおもうと、世界で理にかなわない言動が起きても不思議ではないとも思う。
自分の考えや行動が間違いや誤りがないかと考えながら過ごしながら「これでよいのか」という
反省と謙虚さがそこに存在しているかどうか、考えてみたい。
心理療法面の必要性を今回の殺傷事件を読みながら、其の必要性を感じたものである。