波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

  オショロコマのように生きた男  第41回

2011-10-29 12:48:30 | Weblog
男と女の違いはそれぞれの立場から出なければ分からないことが多い。男は女を女は男を本当の意味で理解することは難しいことだ。分かっているようで分かっていないことが多いし、理解しているようで理解できていないことがある。
「彼女にすれば、どうしても彼のことが忘れられないで居たらしい。しばらく島で暮らしていたのだが、知人を頼って東京へ出てきて彼の友達から彼の居場所も調べて分かったのか、訪ねてきた。そして前のように付き合ってほしいと言われた。男は今、新しい彼女が居るわけではなかったが、と言ってその彼女と付き合う木はもう無かった。彼にしか分からない気持ちだろうと思う。
そこで、何とか彼女にあって説得してほしいと言うことなんだ。」宏は話を聞きながら、途中から馬鹿馬鹿しくなっていた。
第一自分には関係のない話しだし、もし関係があったとしてもそんなに真剣になる話でもないと思っていたからだ。放っておけば
いつか結果が出て、何とかなる話だと自分なりに結論を出していた。
村田は「野間さん、一度彼女と会って話を聞いてやってほしいんだが、何とかお願いできないか。私にはちょっと出来ないので」
「分かりました。じゃあ彼女にあって話を聞けばよいんですね。」「出来れば説得して分かれさせてもらえれば一番良いんだけど」「それはどうかな。彼女がどう出るか、分からないから、成り行きしだいでよければ話はするよ」何となく頼まれて、断れない雰囲気になっていた。
何日か過ぎて、村田から連絡があり、どう話をつけたか知らないが、渋谷の駅前のハチ公の所で会うことになった。
宏は遊び半分で渋谷まで出かけていった。目印は手に雑誌を持っていることだけだったが、すぐ分かった。宏が意外と思ったのは相手にされないで振られるくらいなら、たいした女ではないのだろう、はっきり言ってブスかと悪く想像していた。
駅前に立っていた彼女を見て宏は「あっ」思い、見間違うほどであった。少し太って見えるが、背も高くむしろそれがグラマーな雰囲気を漂わせ、魅力的だ。髪を少し長く伸ばし、眼もパッチリと黒目がぬれているように見える。
「これはすごい」宏はいっぺんに気分が変わった。「こんにちわ。野間と言います。お聞きになっていると思いますが、頼まれてあなたのお話をお聞きすることに頼まれています。良ければ少し時間をもらえますか。」彼女も少し恥ずかしそうに挨拶をしたが、話を聞いていたこともあって、「はい。」と素直だった。

思いつくままに

2011-10-26 09:31:35 | Weblog
「私の恵はあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。」こんな言葉が聖書にあった。しかし、わたしには何度読んでもこの言葉の意味が良く分からなかった。弱さの中にこそ力が発揮されるとは一体どういうことだろうか。
この言葉がいつまでも頭に残っていた。
人間はこの世の生活において一般的に病気、窮乏、迫害、侮辱などの行き詰まり状態に置かれるとすべてに弱気になり、出来ることが出来なくなり、自ら自分自身を追い詰めてしまうものである。(年間自殺者の数が年々増えていることを見てもそれが分かる。)だから、そこから力は発揮できないし力が出てくることは、考えにくいとおもう。しかし、そうではないとある。
そんな弱さの中でこそ発揮されると言うのだ。
私たちの生活は昔に比べるとその内容は格段の進歩を遂げてよくなっている。そしてそれが当たり前であり、更にもう一段良くなることを望み、もっと良くしようと考える。食べること、着る物、そして住む所とすべてのものが、今より良くなることを自然に考える。そして今の状態より貧しく、惨めになることを考えない。どうしてもそれを強いられるときは、心が自然と貧しくなり、
生活すべてが後ろ向きになり、すべてが消極的になる。
しかし、ここで考えてみよう。何もかもが無くなり、何もかもが出来なくなったわけではないはずである。元来人間は裸で生まれ
何も持たないところから一歩を歩き出したはずである。そのことを思えば、今の自分が置かれた状態で(それがどんな状態であれ)何が出来るか、何をすべきか。すべてがゼロからのスタートと考えれば、必ず何かが生まれてくる。
そこにこそ本当の力が生まれ、発揮される瞬間なのだ
そしてその動機、勇気、決断を迫られるときでもあるのだ。この言葉がその意味として考えるべきなのか。
とかく豊かさの中に埋もれ、それに慣れ親しんでしまい、その状態が崩れると立ち上がることの出来ない人間の弱さを知り、
その弱さの中でこそ、本来の人間に与えられている知恵と力を発揮する時として考えなさいとして、その可能性を示されて
いると考えるべきだろう。そしてそのことが自分がこの世に生まれ、生かされて生きている証だと考えたいと思う。

  オショロコマのように生きた男  第40回

2011-10-24 13:52:21 | Weblog
特別決まった仕事があるわけではないので、毎日がのんびりしたものだった。時々専務に呼ばれて実験室でのテストを手伝って、
データー取りをしたり資料をつくったり、用事を頼まれて買い物に出かけることぐらいであった。
今までの忙しさからすると、物足りないものを感じることがあり、そんなときは人恋しくなることもあった。そしてそんな時、
忘れかけていた村田氏から電話がかかってきた。木梨の会社に居たときは同業者であり、一時はライバルとして張り合ったこともあったが、今は関係がなくなったのだが、今は営業の第一線で日本市場だけでなく、海外へも手を伸ばし、順調に仕事を進めていると聞いていた。彼についても池田と同じように敵対心のようなものはなく、むしろ友情のようなものを感じていた。お互いに
酒が飲めないことを知っていたし、そんなこともあって食事なんかも良くしていた。
「今度T磁気へ入ったと聞いてるけど、新しい職場はどうですか」業界の中の噂は早く、何時の間にか村田の耳にも入っていた。
「お陰さまで楽させてもらっていますよ」そして彼から仕事の話とは関係ないのだが、相談にのってもらいたいことがあるので
ぜひ時間をほしいと頼まれた。「暇だからいつでも良いですよ」というと、「じゃあ、今度東京のほうへ出てくることが会ったら連絡してほしい」と言われた。
それからしばらくすぎた頃、東京の研究所まで試料を採りに行く仕事を専務から頼まれて、村田のことを思い出し、連絡すると、
「ありがたい。時間をとっておくので、悪いけど秋葉原の事務所まで来てくれないか」と言われ約束した。
その日事務所を訪ねると「それじゃあ、ゆっくりできるところで話を聞いてもらいたいので、」と駅前の「アマンド」へ連れて行かれた。ここは高級感のある喫茶店としてしられ、少し高いがゆっくり時間が取れることで有名だった。
「忙しいところを時間をとってもらい、申し訳ない。仕事のほうは落ち着きましたか。私のほうから町田まで行ければよかったのですが、何しろ手不足で申し訳ない。」いつものように礼儀正しい挨拶だった。
「いや、ついてのことで時間が取れたので、良かったです。」二人はコーヒーを飲み、宏はタバコを取り出し落ち着いた。
「実は私自身のことではないんですけどね。私の家の近所に大学の医学部のインターンをしている人が居ましてね。知り合いなのですが、彼は伊豆の大島出身で独身なんです。その彼が大島に居たとき付き合っていた彼女が居て、東京へ出てくるとき、いったんは別れたらしいんだけど、その彼女が突然上京してきたんだそうです。」

オショロコマのように生きた男  第39回

2011-10-22 17:04:57 | Weblog
池田と会うことは宏にとっては癒しの効果があった。最初の会社での出会いからではあったが、他の誰よりも気持ちが楽になれるのがうれしかった。「どうだい、元気にしているかい。」いつものように焼酎の水割りを美味しそうに呑む姿を見ながら話しかけると「変わりないですね。いつもマイペースでやっていますから」どんなときでも、何があってもあまり顔に出すことなく、泰然自若としているところが良いところだったし、感情をすぐ出すタイプではなかった。
「今度、君も知っている木村専務のところでお世話になることになったよ。」「えーそうなんですか。まだ横浜の工場で仕事しているとばかり思っていましたよ。何があったんですか。」「結局、儲からないと決断したんだ。大会社は決断すると早いよ。先の見通しをたてて、だめだと分かるとすぐ手を引くんだ。小さい会社だとそうは行かないよ。止めたくても他にやることがなければ
続けるしかないからね。」「そうだったんですか。それでこれからどんな仕事をするんですか。」
「まだ、何も決まってないし、何を言われるか分からないけど、とりあえずは専務のお付きというところかな。ところで、座間君はその後どうしてる。まだ一人かい。良い人でも見つけたかな。」「彼女ですか。あまり関心がなくてよく分からないですけど
すっかり会社のお局さん的な存在ですね。社長の信頼もあるので、あのままずっと居るんじゃないですか。野間さんも知ってる仲なんだから、東京へ出てきたら声かけてやってくださいよ。」「そうだな。彼女は大人だから何があっても騒ぐこともないだろうから心配ないよな。」これと言う話はないが、こうした時間をすごすことで疲れが取れる思いであった。
「ありがとう。じゃあ元気で頑張ってくれ」これと言う話があるわけでもなかったが、胸にたまっていたものが取れたように
さっぱりした気持ちだ
町田での新しい生活が始まった。周りは知らない人ばかりだったが、専務と二人の部屋でデスクに向かっていると
周りのことは気にならないし、落ち着くことが出来た。
「君は好きなことをやっていて良いから用事があるときは私が頼むのでそのときはよろしく、後は自由にしてくれ」
専務は鷹揚であった。社長にも挨拶はしたが、仕事のことに就いてはあまり関心がないようで、専務にまかせっきりのところがあった。銀行出身とか聞いていたが収支だけを見ているのかもしれなかった。
仕事は主に磁石の製造だが、景気にも乗って順調そうに見えた

       思いつくままに

2011-10-20 10:29:40 | Weblog
毎日をどのように過ごしたらよいか、このことはその人にとって大きな意味があり、人生に影響がある。それは一日はその日で終わり、二度と繰り返すことの出来ない時間だからと言うことを忘れているである。(しかし意外とこのことを軽く見て何気なくすごしているのだが)
また、自分は自分の力で自分で生きていると考え、自分以外の力で生きていること、又生かされていること、生きることの大切さをどこまで覚えて毎日を過ごしているだろうか。その思いは年齢を重ねるごとに強くなり、大きくのしかかってくる。
そして更に毎日は同じようでいて、同じではなく、日毎に予測しないことがおきていることを知るべきだと思う。
自分の考えで自分の思い通り日が過ぎているようでいて、予測できないことがおきていることを知ることこそ「生きていること」であると知るべきだと思う。
英語で「ワンダフル」というお馴染みの言葉がある。誰でも知っていて良く使われる言葉だ。意味は「素晴らしいこと」ことと
書いてあり、そのように使われているが、言葉の起こりは「フル・オブ・ワンダー」から出てきているそうだ。
つまり、「驚きで一杯」とか、「びっくりした」という意味が強いそうである。
つまりこの言葉を使う外国人は事が予定通り進むことについては、すばらしいとは思わないわけで予想外なことがおきたり、
予想外な人生になることを「ワンダフル」という言葉を使って表現しているのだそうだ。
確かに毎日が同じであると決め付けたり、変わりようがないと諦めたり、何も起こりようがないと努力をしない人は多いと思う。それは半分諦めであり、人生そのものをそんなものとして放棄しているようなものである。
しかし、予期しないことが起こるのが人生であり、そう考えながら、そう願いながら人生に期待と努力と、好奇心と関心を持って生きるならば、予想外なことはおきるし、起こすことが出来るのだ。(年齢に関係なく)
トルストイが「靴屋のマルチン」という本の中で、毎日道を歩く人たちを道の下から眺めながら仕事をしていて、何か良いことがおきないかと願っていた。ある日牧師が店に来て聖書をおき、「あなたは今日神に会うことになる」といって帰った。
マルチンはいつ会えるのだろうかと思いつつ一日を過ごしたが、それらしきことは何もなかった。
その時、不図聖書を読みながら、「あなたが今日で会った人、そしてその人たちにしてあげたことすべては、私にしてくれたことだよ」と言う神の言葉を聞くことが出来た。そしてマルチンは自分の人生を見直すことが出来たとあるが、
これこそが「ワンダフル」の言葉にふさわしいのではないだろうか。

   オショロコマのように生きた男   第38回

2011-10-18 13:26:49 | Weblog
箱根には専務が定宿にしていた旅館があった。二階建てで見るからに旅館とは思えないつくりだが、中に入ると雰囲気ががらりと変わる。玄関を上がると正面に外の光が差し込む床前がある。砂利の上に鶴が一羽舞い降りてたっているかのようにおかれ
その周りには川の流れのような敷物が置かれていた。一つ一つのものにこだわりがあり、商売抜きの趣味の旅館であることが分かる。部屋数も少なく小さい。その一つには一般客には使用されない部屋があった。著名な作家の部屋として指定されていたようだ。湯屋も小さく大衆的とはいえない。
料理もこの旅館らしく、食材にそれほどの贅沢さはないが他では味わえないものが出た。その一つに「豆腐料理」があった。
皿に一丁の豆腐が何気なくおかれているだけだが、箸をつけるとその豆腐は一瞬のうちにさらさらとまるでそうめんのように
ほぐれ、口に入れるとまるで豆腐と思えない味わいのあるものであった。
専務はいつものようにお供に若い女性をはべらせ、酒を楽しみ、料理を味わうのが趣味だった。座持ちの良い旅館つきの女性の
何気ないサービスで場は盛り上がり、楽しい時間が過ぎていく。
特別なことがあるわけではなかったが、宏はその食事の独特な雰囲気に呑まれて周りのことは少しも気にならなかった。
たわいのない話が続き、食事の時間が過ぎると、女性たちを帰らせ、二人はロビーに落ち着いた。
そこからは庭が一目で見渡せられ、夜間光線で昼間と違った独特の雰囲気が出ている。そんなことを思い出していた。
「所で、君はこれから何をしたいんだ?」唐突な専務の質問だった。「今まで自分が追いかけてきたものをもう少し本物にしたいと思っているんです。まだ途中半ばで満足していません。」宏は専務の前では何の遠慮もなかった。
「そうか。とりあえず私のアシストとして私のところへ来なさい。そしてしばらく私の仕事を手伝ってほしい。その間に
君の希望を入れて、どうするか色々と良い方法を考えてみよう。今すぐどうこうというわけにも行かないからな。支度もあるだろうから、準備が出来たら連絡しなさい。部屋を用意しておくよ。」
午後遅く、料亭から出ると町田の駅まで送ってもらい、そこで分かれた。
駅で電車を待つ間に不図池田のことを思い出した。忘れていても突然思い出し会いたくなるような、そんな男だった。
「池田です」いつも声を聞くと、宏はほっとした。「野間だけど、突然で悪いね。今、町田まで来ててさ。良かったら帰りにでも会えないかと思ってね。」「すいません。今日は帰りが遅くなるので、明日なら、」
「分かった。じゃあ、明日いつものところで夕方でも」

オショロコマのように生きた男   第37回

2011-10-15 13:04:16 | Weblog
久子が言うようにこんなに短期間に会社を変える人はそういないだろう。自分ではそんなつもりではないのに結果的には学校を出て、会社勤めをするようになって最初から数えれば4社目になる。平均すればどの会社も一年から二年である。
久子が言うように自分にも責任がないとは言わないが、なぜかそんな運命を感じないわけにはいかなかった。
しかしそれでも、そんな自分をあまり振り返ることをすることもなく、深刻に考えることもなかった。それよりもどうして
自分が考え、しようと思うことが続けていけないのか、そのことのほうが不思議であった。
正月休みも終わり、人々の動きがいつものように、激しくなり始めたころ、約束の日を覚えて木村専務のところへ向かった。
会社は町田駅から少し離れたところにあったが、工場が長野の方にもある事を聞いていた。専務は行ったり来たりで両方の技術全般を見ていた。「お正月はゆっくり出来たかね。家族と一緒にすごすのも良いものだろう。」「お陰さまで今年は久しぶりに
こどもたちと過ごすことが出来ました。」そんな話をしながら本題へと入っていった。
「専務、自分は新しい樹脂の磁石の成型に興味があって、そのことをずっと考えてきました。そして自分なりにいろいろと
勉強をしたつもりです。」そして、原料の工場での仕事のことや、M社での研修、そして横浜の工場での実務の経験を交えながら話を長々としていた。それは今まで誰にも話しえなかった、胸の中にたまっていたものを、すべて出すような強いものでもあった。専務は宏が話している間、何も言わず、ただ黙って聞いていた。
やがて時間が時を告げ、昼休みの休憩に入っていた。「話が面白くて、途中で言うことが出来なかったが、お昼をゆっくり場所を変えてしようじゃないか。今日は私に付き合ってくれ」二人は会社を出て、車で町を離れ、静かな料亭へ入った。
嘗て、木梨と一緒に原料製造に携わっていたときは、この会社へ原料を少しでも多く買ってもらおうと、専務のところへずいぶん
通ったものだった。競合メーカーもあり、簡単ではなかったが、なぜかこの専務に気に入られ、ずいぶんと無理を聞いてもらい、最後は全量引取りを条件に、融資の話も内諾してもらっていたことを思い出し、宏は忸怩とするものがあった。
「迷惑を掛けた」そんな思いが消えなかった。
その頃、この専務から時間外の招きがあった。「今度の週末、箱根までドライブするからお前もついて来い。」
「分かりました。いつ、どこへ集合ですか。」出かける前には社長に話し、必ず軍資金を用意することが習慣になっていた。

      思いつくままに

2011-10-13 10:36:18 | Weblog
海外旅行がだいぶ盛んになっているが、日本人全体で海外へ出ている人の比率はそんなに多くないのではないかと思う。
(統計資料があれば良いのですが、)毎年ゴールデンウイークを利用して出かける人や、仕事として出かける人が年々増えていることは間違いないとは思うが、限られた人や出かけていく人が不特定多数で増えているとは思えない。まして高齢化とともに行きたくてもいけなくなっている人のことを考えると、まだそんなに多い数字ではないのかなと思ってしまう。
日本が島国であるということ海外へ出て暮らしを考えなくても良いという国の豊かさが、その必要性を生まなかったということもあるかと思う。(嘗て日本が貧しい時代には、積極的に移住を考えたときがあり、ブラジル移民などはその例とされている)
私も若いときに幸いにも仕事の関係で海外へ行き経験をすることが出来た。今、こうして振り返ってみて、本当に行くことが出来たことを良かったと思うし、学ぶことも多かった。これからも出来るだけ機会を作り海外での経験をすることをお勧めしたいといまさらのように思う。
日本の留学生が世界の国々で比率的に少ないことが伝えられ、若い学生があまり海外での勉強を思考していないことを聞かされると少し残念な気がする。(ただの観光や物見遊山は歓迎しないが)
やはり積極的に外国へ出てゆき、視野を広げ、日本では出来ない経験をし、そこから人間性を見直し、磨きこれからの日本を
考えてもらいたいものと思っている。
確かに日本の場合、犯罪の発生率を一つ取り上げても世界的にも圧倒的に少なく、安全であり、(これだけあっても)
治安も良いことは統計にも出ている。(殺人率:日本1人/10万、欧米10人/10万、窃盗:日本1.3人/海外200人/10万)
しかし、それらを考慮に入れたとしても、海外で得るものは大きいことは経験しなければ分からない。
そして、もう一度に日本の良さを外から見ることで改めて知ることから、自分に課せられた任務をしっかりと果たしていくことを考えてもらいたいものと思っている。
私自身の経験から言えば、海外に出るまで日本の水を馬鹿にして、そんなに貴重なものだと思っていなかった。しかし日本の水ほど、安全で、どこでも飲める水がないことを海外へ行って始めて知ったが、そのほかにも大切なことを学ぶ場は一杯あるはずである。それらのことを若い元気なときに吸収し活用してもらいたいとつくづく思っている。
高齢者になってからでは行きたくとも行けない人がたくさんいることも知ってもらいたい。

オショロコマのように生きた男   第36回

2011-10-11 14:58:08 | Weblog
人間関係というものは不思議なものだ。そんなに親しくしていなくて、何十年も会っていなくても、いつも一緒にいるように
何のわだかまりもなく話せる人もいれば、いつも一緒にいて(例えば夫婦であっても)口も利きたくないか、本当のことを
親しく話せない人もいる。好き、嫌いということとは違い、何となくうまの合う人とうまの合わない人というものは世の中にはあるような気がする。木村専務とは何となく、なんでも話が出来て理解してもらえる人のような気がしていた。
いつでも前もって連絡してくれれば、時間を空けて待ってるよといわれ、宏は安心した。今すぐ特別急いで会うこともない。
そのときが来れば、相談にのってくれることさえ分かれば安心でもあった。
東京と横浜の間でのやりとりは、次第に頻繁になっていた。工場長でもあり、責任者でもある上司は、次第に落ち着かない様子でいらいらしていた。そしてその年も終わろうとする暮れに給料と一緒に、わずかながらの賞与も出た。これで今年も無事に終わるのかとほっとしていると、挨拶の中で、この工場は来年の3月で閉鎖するとあった。
本社からの派遣社員は東京へ帰ることになるが、プロパーの人間と、野間は解雇となる。「とうとう来たか。」予期していたこともあり、宏はそれほどのショックはなかった。いつかそんな日が来るのではないかと思わないでもなかったので、諦めてもいた。ただ、ここでの仕事はとても興味深く、得るところは多かった。
その意味ではわずか2年足らずではあったが、勉強にもなったし、充分仕事を覚えることが出来たと満足していた。
そして正月の休みが明けて仕事が始まり、少し落ち着いた頃、木村氏へ電話を入れた。型どおりの年初の挨拶をした後、
会いたいと告げると、いつでも待っているよといわれ、早速時間を決めることが出来た。
予定通り、3月に入ると工場は閉鎖された。宏は千葉の家に帰ると家族が喜んで歓迎してくれた。帰るたびに大きくなっている息子と娘を本当に可愛いと思う。それなのに何故一緒に暮らそうという気持ちが起きないのか、それは自分でも分からない心理でもあった。久子は相変わらずで、「又、会社を替わるの。長続きしないわね。あなたのせいじゃないの」と皮肉を返してくる。宏は子供との生活が楽しみで久子の言葉には反応しなかった。
そして、約束の日、町田へ出かけた。専務は役員ではあったが、経営には興味がないと見えて会社のことには無関心であった。
ひたすら自分のしたい仕事への情熱を語り、それを理解させようとしているときの姿を宏は頼もしく映っていた。

オショロコマのように生きた男   第35回

2011-10-08 18:30:26 | Weblog
彼女の話は細々と続いた。噂話なのではっきりした内容ではない。しかし宏にとっては重要だし大きな問題であった。
自分に何の心当たりもないのに会社へ来ないでくれといわれることは、初めてのことであるし、これからのことにも影響してくる。それだけに聞いておきたいことであった。
「何でも野間さんが居ると、全部なんでも知られてしまう気がするということと、いつかそれが外へもれるのではないかと
いう心配があったそうよ。それと自分で何でもやってしまうので、会社の方針通りに進ませることが出来ないということを
気にしてたらしいの。少し気が小さいところもある人だから、あなたの行動が気になったんじゃないかしら。」
やはり特別自分の責任になるようなことはなかったと、少しほっとした思いだった。
彼女と別れて横浜へ帰る電車で、宏はぼんやりと考え込んでいた。M社のことはこれで一応納得できるようになったが
今の会社も長続きしそうもないな、とすれば、又次を考えなければならなくなる、しかし、すぐにどこへと言う考えは浮かばなかったし、どうしようということも考えられなかった。
翌日から又、いつものように仕事が始まった。「この間のテスト品、出来てるか。」試作や検査や不良品の始末のようなめんどくさい仕事はみんな宏のところへ持ってきた。彼は黙ってその一つ一つを片付けて報告した。
宏にとって、それはみんな自分の力をつける大きな材料になることをしっかり意識していたのである。
今度自分がこれらの仕事に責任を持つときが来たら必ず役に立つと言うことを、いつも感じていた。「分かりました。今日中にやっておきます。」どんな面倒なことを言われても嫌な顔をせず、片付けていく様子を上司は、ただ見ているだけだった。
週一の休みは、食道楽の日でもあったが、東京での社長との話の後は何となくそのことが気になり、相談する人のことを考え始めていた。木梨の会社を辞めるときに相談にのってくれた木村氏はその後も役員をしていると聞いていた。
業界では知られている人であるし、話がしやすい。一度訪ねてみてもよいなあと思いはじめていた。その会社は町田にあった。
そんなに遠くない。思い切って電話をすることにした。「木村専務は、今日会社にいらっしゃいますか」「はい、どちらさまですか」「野間と言います。」「ちょっとお待ちください。」そんなやり取りの後、久しぶりに専務の声を聞くことが出来た。