先日散歩の効用について新しい発見があったが、その時忘れていたことがあった。それは冬の間は全く気が付くことのない通り道から見える庭の木々や草花の存在である。
都市とは違い郊外であることから、どの家にも僅かながらの庭があり、そこに住む住人の趣味と好みに合わせて植木が備えられている。春になって散歩をしていると一軒一軒の庭の様子を見ることが出来るのも大きなメリットである。散歩をしながら「借景」ともいえる庭を見ることが出来ることは時に歩く足を立ち止まらせるほどのものもあり、本当に楽しみである。
道路を彩る「はなみずき」、そして各家々に見えるチューリップをはじめ、もっこうバラやボタン、雪柳などがある。これらは自分の家になくてもこうして近所を歩くだけで垣根越しに見ることが出来る。樹木や草木の育つ持ち主は決して強欲な人ではない。恐らく通りがかりに写真を撮りたいと声をかければ「どうぞ」と招き入れてもらえるだろう。
誰でもその喜びを分かち合う気持ちさえあればできる事である。隣の婆さんも時折、「今日は魚屋さんの車が来る日でアサリの生きのよいのがあったので味噌汁を作ったから、なべをもったいらっしゃい」と声をかけられることもある。
分かち合っても全く減らないものがあることがこの世の中に存在していることが分かる。
それは小さな愛、好意、尊敬などであろうか。この事を各人が最大限に享受しながら暮らす生活と相手の短所や欠点をお互いに言い合って憎しみや怒りを掻き立てて暮らす生活とを考えれば
どちらが豊かなそして平安な生活であるかは答えは誰でもわかることだろう。
しかし、現実には自分の事として考えるとき、以外に気づかないし、気づいたとしても簡単に
行動には移せないものである。
そこで人生の過ごし方全体への影響も変わってくる。その対象が家族であろうと、他人であろうと「分かち合うことの喜び」を知っているか、どうかそれがその人の生活を豊かにするか貧しくするかの別れになることを考えてみたいと思っている。
いよいよ春本番である。気持ちも身体も開放感に満たされる時期となった。
少しでもその中にあって新しい空気を受けてそこから満たされるものを受け止めたいと願っている。
都市とは違い郊外であることから、どの家にも僅かながらの庭があり、そこに住む住人の趣味と好みに合わせて植木が備えられている。春になって散歩をしていると一軒一軒の庭の様子を見ることが出来るのも大きなメリットである。散歩をしながら「借景」ともいえる庭を見ることが出来ることは時に歩く足を立ち止まらせるほどのものもあり、本当に楽しみである。
道路を彩る「はなみずき」、そして各家々に見えるチューリップをはじめ、もっこうバラやボタン、雪柳などがある。これらは自分の家になくてもこうして近所を歩くだけで垣根越しに見ることが出来る。樹木や草木の育つ持ち主は決して強欲な人ではない。恐らく通りがかりに写真を撮りたいと声をかければ「どうぞ」と招き入れてもらえるだろう。
誰でもその喜びを分かち合う気持ちさえあればできる事である。隣の婆さんも時折、「今日は魚屋さんの車が来る日でアサリの生きのよいのがあったので味噌汁を作ったから、なべをもったいらっしゃい」と声をかけられることもある。
分かち合っても全く減らないものがあることがこの世の中に存在していることが分かる。
それは小さな愛、好意、尊敬などであろうか。この事を各人が最大限に享受しながら暮らす生活と相手の短所や欠点をお互いに言い合って憎しみや怒りを掻き立てて暮らす生活とを考えれば
どちらが豊かなそして平安な生活であるかは答えは誰でもわかることだろう。
しかし、現実には自分の事として考えるとき、以外に気づかないし、気づいたとしても簡単に
行動には移せないものである。
そこで人生の過ごし方全体への影響も変わってくる。その対象が家族であろうと、他人であろうと「分かち合うことの喜び」を知っているか、どうかそれがその人の生活を豊かにするか貧しくするかの別れになることを考えてみたいと思っている。
いよいよ春本番である。気持ちも身体も開放感に満たされる時期となった。
少しでもその中にあって新しい空気を受けてそこから満たされるものを受け止めたいと願っている。