波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思い付くままに    「分かち合う喜び」

2014-04-29 16:23:29 | Weblog
先日散歩の効用について新しい発見があったが、その時忘れていたことがあった。それは冬の間は全く気が付くことのない通り道から見える庭の木々や草花の存在である。
都市とは違い郊外であることから、どの家にも僅かながらの庭があり、そこに住む住人の趣味と好みに合わせて植木が備えられている。春になって散歩をしていると一軒一軒の庭の様子を見ることが出来るのも大きなメリットである。散歩をしながら「借景」ともいえる庭を見ることが出来ることは時に歩く足を立ち止まらせるほどのものもあり、本当に楽しみである。
道路を彩る「はなみずき」、そして各家々に見えるチューリップをはじめ、もっこうバラやボタン、雪柳などがある。これらは自分の家になくてもこうして近所を歩くだけで垣根越しに見ることが出来る。樹木や草木の育つ持ち主は決して強欲な人ではない。恐らく通りがかりに写真を撮りたいと声をかければ「どうぞ」と招き入れてもらえるだろう。
誰でもその喜びを分かち合う気持ちさえあればできる事である。隣の婆さんも時折、「今日は魚屋さんの車が来る日でアサリの生きのよいのがあったので味噌汁を作ったから、なべをもったいらっしゃい」と声をかけられることもある。
分かち合っても全く減らないものがあることがこの世の中に存在していることが分かる。
それは小さな愛、好意、尊敬などであろうか。この事を各人が最大限に享受しながら暮らす生活と相手の短所や欠点をお互いに言い合って憎しみや怒りを掻き立てて暮らす生活とを考えれば
どちらが豊かなそして平安な生活であるかは答えは誰でもわかることだろう。
しかし、現実には自分の事として考えるとき、以外に気づかないし、気づいたとしても簡単に
行動には移せないものである。
そこで人生の過ごし方全体への影響も変わってくる。その対象が家族であろうと、他人であろうと「分かち合うことの喜び」を知っているか、どうかそれがその人の生活を豊かにするか貧しくするかの別れになることを考えてみたいと思っている。
いよいよ春本番である。気持ちも身体も開放感に満たされる時期となった。
少しでもその中にあって新しい空気を受けてそこから満たされるものを受け止めたいと願っている。

   パンドラ事務所   第八話   その2

2014-04-25 09:12:19 | Weblog
あの頃は営業で全国を歩くことが多かった。東京を離れあちこちのお客さんを訪ねながら地方へ行けることはある意味旅を楽しむことでもあった。新潟から在来線で30分ほどで新発田へ着く。ここが有名なシバタサーカスの発祥地であることも、ここへ来て分かった事であったし、
駅前で「へぎそば」を食べたのもここだった。お客さんに連れられて新潟の奥座敷と言われていた月岡温泉に案内されたのもこのころである。そんな思い出が一度によみがえり、何となく親近感がわいた。そんな話をひとしきりした後、肝心の話に入った。
「私の友達が急に具合が悪くなってね、見舞いに行ったんだよ。そしたら布団を逆さにしいて
目が宙に浮いたようになって様子が尋常じゃないから、同居している子供たちを二階から呼んでこのまま放っといたら大変だから救急車を呼んで病院へ連れて行きなさいと言ったんだ。
そして私の知っている議員の先生に電話して病院の先生にも良く頼んでもらいなさいと教えてやったんだが、あとでよく考えたら他人の事でそんな世話を焼くことはなかったんだが、その時は夢中で、子供たちはどうして良いか分からずにおろおろしているもんだから、余計な事をしたかも知れなかったんだがね。その時はそのまま病院へ行き、友達も手当てを受けて落ち着いて退院もできて今は家で子供たちの世話で暮らしているんだが、それから数日後に議員の先生と会った時に婆さん余計なことをすることはないんだ。これからは人の事で口を出すんじゃないよとさんざん言われたんだけど、私にすれば、何で叱られて、こんなことを言われなきゃいけないのか、分からなくて腹が立って「ごしょぱらやける」悔しくてしょうがなくてね。あんたに聞いてもらいたかったんだ」と訴えた。青山は話を聞きながら何となくわかるところもあるが、分からないところもあり、「もう少し詳しく話を聞かないとよく分からないところがあるんだけど」と静かに言った。
いずれにしても、80を過ぎた婆さんが自分ではよいことをしたと思ってしたことで、関係ない議員の先生から余計な事だ、もう関わりを持たないようにと子供を叱るように叱られたという事なんだが、どうしてそんなことになったのか、今の話だけでは理解できないでいた。
しかし、急に何もかもと言うわけにはいかないし、話の仕方によっては身体に影響が出てもいけないと思いつつ、「まあゆっくりお話を聞きましょう」となだめることにした。
新発田の有名なお菓子屋さんの娘として優雅に育ってきたようで、世話好きな人柄であった。

思い付くままに   「幼子のように」

2014-04-22 09:28:18 | Weblog
「子供は無邪気でいいね。」と学校へ上がる前までの子供たちを見ていると本当に嫌な事を忘れ、思わず声をかけたくなるほど心が安らのを覚えます。
人間は成長するとともに「知識を持ち始め、それは年齢とともに増えるのです」しかしそれだけでは済まないのです。「知識」を持つだけなら良いのですが、それと同時に「憂い」というか、
「不安」と言うか余計な感情が生まれてくるのです。言い換えれば知識を持つがゆえに
「考えなくても良い余計なことも考えてしまう」ことなのです。しかし知識を持つという事は
考えることは必要ですし、悪いこととは決して言えません。唯困ることはその考えがいつも正しいとは限らないことと又、完全とは言えないことが多く、その為に自分勝手な知識に従って行動することが多いからなのです。
そしてもう一つ言えば、それは一般的には楽観的で前向きな考えで行動するなら良いのですが、殆どの人が問題に直面した時に悲観的になり、深刻に考えることが多いのです。
そして問題を前にして大抵の場合、この二つの思いの中で自分の中で苦しむことになるのです。そして結果的にはうまくいきそうなことでも、悪く考えておけばそれ以上のことはないだろうと悪いほうにしか考えない癖のようなものがついてしまうのです。
犯罪者の例を見るとこれに似ている現象がみられるとあって一度使った手口で何回もつかまってしまうケースがあるとTVでも紹介されています。
然し、大人になり、人生を歩んでいくうえで物事を考え行動するときにこの事は避けて通ることは出来ません。人間はどんなに知識があり、権力、そして財力があったとしても全てが自分の思うようにいかないことは、例えば「寿命」一つを考えても分かることです。
と言って今更幼児に還ることもできる事ではありません。そして更にこの思いは年齢を重ねるごとに強く深く大きくなることで肉体的にも精神的にも影響が大きくなることも事実です。
信仰者はそんな時「神を信じる」そして「神にゆだねる」と祈るのです。
人間はどこまで行ったとしても人間としての限界があり、人間でしかないのです。自分の考え
自分の力、自分の愛の全てを駆使したとしても不可能でしょう。そして平安は得られないでしょう。孫や保育園に通う幼子を見るたびに私は自分を少しでも小さいものにして、何も知らなかった幼子のような心を取り戻したいと謙虚な心を持ちたいと願うばかりです。

パンドラ事務所   第八話  その1

2014-04-18 16:16:22 | Weblog
一人暮らしをしていると他人や家族に気を使うことがないが、何かし忘れをしているような錯覚をおぼえて落ち着かないことがある。青山は密かに一日をどうやって大事に過ごすことが出来るかと言う思いを忘れないように考えていた。それは自分の存在感であり、生かされているものの使命感とも思って「タイムスケジュール」のようなマニュアルに沿って行動するようにしていた。それには炊事、洗濯、掃除、花の手入れ、自己体操などもある。週に一度の買い物を兼ねた散歩は出来るだけ天気の良い時をねらっている。もちろん事務所の生活も欠かせないのだが、こちらは自己都合でどうにでもなるので気が楽である。
しかしこのリズムが突然の来訪者で壊れてしまうことがある。その日も一本の電話が入り、そこからその日のスケジュールはすっかり変わってしまった。
「青山さん、今お話ししても良いかしら」遠慮がちではあるが、こちらの都合も聞かないでドンドン話しそうな勢いである。「悪いけど出来るだけ早く会いたいんだけど、家まで来てもらえないかしら」といきなり強引な要求である。「どうしたの。何があったの」というと「来て貰ったらゆっくり話すから時間を都合して私の家まで来てくれないかしら」電話の主は80歳はとうに過ぎている婆さんである。ある会合で知り合い、妙にウマが合い、何となく気楽に話している内に偶に電話がかかってきて、近況を話す中になっていたが、それ以上でもなければ普段は忘れていたのだが‥‥今回の電話での呼び出しでどうしたものかとためらったが、一人暮らしの婆さんの頼みとあって、むげに断ることも出来なかった。
「じゃあちょっと片付け物をすませたら、午後から出かけますよ。おうちはどこですか」というと武蔵野線を所沢へ向かっていくつか行った駅と指定された。
初めて乗る電車でもあり、好奇心も手伝って行ってみることにする。
家に着くと「上がって、上がって」とせかされて居間へ案内された。テーブルにはお茶の用意がしてあり、こぎれいに掃除もできてお茶菓子まで添えてある。
「暫くですね。こちらで一人暮らしですか。優雅ですね。元気にしてましたか。」
「普段は一人ですけど、息子と娘が適当に来てくれるので、安気にしています。この頃は足が不自由になって歩くのはしんどいですけど、まだ杖は使っていませんよ」と話はとどまらないで続きそうである。「確かご出身は新潟でしたよね。」「新発田ですよ」と言う。「新発田」と聞いて青山は遠く忘れかけていた会社時代の記憶が急によみがえってきた。 

思い付くままに  「ジジババトリオーその後」

2014-04-15 09:12:39 | Weblog
老人会が解散して(昨年3月)一年が過ぎた。その後三人だけが相寄りトリオとして定期的に交わりを持っていた。それは一人身の無聊を慰め昔を懐かしみ、また僅かな楽しみ(花見、買い物
食事会)を分かち合いながら、時に助け合い、励ましあう時を持つことであった。しかしその関係もそんなに長く続かなかった。トリオのリーダー格だった爺が昨年6月、11月と立て続けに手術を受け(初期がん)体調を崩したことがきっかけだった。無事に退院することが出来たが、自宅療養を余儀なくされ、手放しの生活とはならず、その為に東京で働いていた一人娘が仕事を辞めて父親の面倒を見ることになる。
寝たきりと言うわけではないが、病人は家族の介護と世話になるために今までのような自由な行動がとれなくなったわけである。普段は娘と同行の散歩であったり、買い物であったりたまの旅行も家族だけのことになる。つまり老人同士の今までの交わりが全くできなくなったのである。
このいままでの生活のリズムからの変化は目に見えない心理的な影響をこの半年の間に生み出していた。当人の爺にとってはこの新しい生活は今までにない家族への気遣いであったり、自分勝手な行動が出来ない窮屈さが不満をもたらしている。すると家族の目をごまかしても婆の所へ顔を出し、いつものように自分のペースでの会話をして今までの自分を取り戻そうとする。
然し、家族の監視の時間が気になりゆっくりもならず、そそくさと帰ることになる。
婆も以前のように何もかもさらけ出して話すこともならず、爺の顔色を見ながらあまり立ち入った話題を避けて相手をしなければならなくなっていた。こんなわけでコンビの内に目に見えない亀裂とストレスが生じ始めているようだ。
確かに僅かな時間だが今までと同じようにお茶を飲みながら話は出来る時間を何とか持っているのだが、その中身は前とは違っているために、会っていても今までにないストレスも同時に発生しているようなのである。
昨年までは今頃になると有志での花見の会であるとか、食事会とか、ささやかではあるが顔を合わせての時間が自然に生まれ実行され、ストレスの消化で楽しんでいたものである。
今年は花も散った今になってもそんな話も出ない。
私も婆のストレスの緩衝帯のような存在で愚痴話を聞く形になっている。
一年前との変化に驚くと同時に移りゆく世の流れに、いまさらのように驚きながら自戒しながらの毎日である。

パンドラ事務所    第七話   その4

2014-04-11 09:49:39 | Weblog
青山は指示されたホテルまで時間通りに出かけたが気持ちはどんよりと重かった。彼女は静かに待ち合わせのロビーのいすに静かに座っていた。「こんにちわ」と声をかけると「暫くでした。お変わりありませんか。今日はどうもご迷惑かけます」と何気ない様子である。ほっとしながら
ホテルの和食の店へ案内して食事をすることにした。食事中はあまり口も利かず、子供や孫の近況を聞いた程度で済ませた。このまま何事もなく帰ることが出来たら、それなりに気楽で楽しい時間で帰れるのだがと思いつつ「それじゃあ、お茶でもしながらゆっくりお話ししましょうか」とテイールームへと向かった。
「お二人で何かお話が出来ましたか」と率直にいきなりぶつけてみた。急であったのか、直ぐに返事がない。やっぱりこじれて話が出来ていないのかと青山はもう一度構えなおして考えなければいけないかと思い始めていたところ、彼女から意外な言葉が返ってきた。
「今日はわざわざお忙しいところお時間をありがとうございました。青山さんには余計なことで心配をかけてしまいましたが、お蔭で二人で冷静に話をすることが出来ました。そして結局母を田舎から連れてきて三人で暮らすことにしたのです。主人も元来優しい人で悪い人ではないことは分かっていたのですが、お酒が入ると自分を見失うことがあり、以前の事も後悔していました。乱暴をするわけでもなく、年も取った事ですからおとなしく暮らしたいと申しております。
孫もできて娘夫婦も時々来てくれるので、それを楽しみにしています。」
「そうですか。それは良かった」青山は心底ほっとすることが出来た。
人間生きている限り何かしら「思い煩う」ことが起きている。そしてその為に自分が苦しむと同時に周りの人までも巻き込んでしまう。そして自分でため息をつき、自分勝手にああでもない、こうでもないと考えて右往左往することになる。
そんな時は良い考えも知恵も働かず波風を立てるだけになる。聖書には船に乗っていた弟子たちが突然の嵐にうろたえてどうすることもできなくなり助けを神の求めた時、「静まれ」の声に
波が収まり助けられたとある。
この家庭もこうして家族ともどもに平安を取り戻すことが出来た。これからもまた問題に直面することもあるだろう。しかし今回のように落ち着いて問題を語り合うことで「静まる」ことが出来れば平安を保つことが出来るだろうと青山は確信することが出来た。

    思い付くままに   「春来たりなば」

2014-04-08 10:07:13 | Weblog
「今頃何を言っているんだ」と御叱りを受けるかもしれないが私は今日初めての経験を発見することが出来た。どうしても必要な用事が出来て駅前まで行くことになったのだが、いつもなら車か、自転車とすぐ思いつくところだが、久しぶりの春の訪れに誘われて「歩いてみよう」と
考えた。帽子をかぶりスニーカーを履いて身軽く歩き出した。「健康法」として「歩く」ことを
習慣にしておられる人を多く耳にしてはいたが、自分なりに自信があって自分で行動したことがない。それは一つには57歳から22年間続けたジムトレーニングの成果にあるのだが、それを卒業してから、家の中でのラジオ体操と「つま先立ちトレーニング」の具合がよく(血流改善)
を続けて体調が維持できていたからでもあった。
しかし今回歩くことにして出かけてみると普段気付かない建物や店、そして様々な場所などを発見して,正に「ぶらりさんぽ」である。そこには新しい発見があり、珍しいお店がある。
時には食堂の看板メニューを見て「うな重」がいくらしているのかとか、シニア専門の娯楽設備を備えたお店(カラオケ、囲碁、将棋、麻雀、ダンス)があったりして驚かされる。
又近くに珍しい公園(椎のみ公園)があったりする。道もいくつかあって、どの道を歩いてみるか選んでみたり、退屈も疲労も感じることなく興味津々である。
無事用事を済ませて、帰りは来る時とまた別のルートを模索し、どんな出会いがあるかと興味がわいてくる。結局往復一時間ほどの歩行となった。距離にすると約6キロ歩いたことになる。
それは苦痛でも疲労でもなく、心地よいものとなった。少し汗ばんだ感じも嬉しく体力にも自信になった。
こんな経験から事ほど左様に人は考え方、心の持ち方ひとつで物事の見方、考え方がこんなにも変わるのだという事を身をもって知ったわけである。
若い時からどこかへ出かけるときはどうすれば、時間を短縮し楽をして歩かなくて済むかだけを考えていた自分がこれだけ自分が歩くことが楽しいことかを知った事の発見だった。
毎日と言うわけにはいかないが、又時と場合によっては「歩く楽しみ」を味わうのも悪くないと思えてきた。人間関係も同じ様に考えれば「嫌いな人」も好きになることだってあるはずだと思うし、世の中のことも全てが変わってくるかもしれない
人は常に変わることを望んで日々を生きることが大切だと考えさせられている。

    思い付くままに   「春来たりなば」

2014-04-08 09:33:20 | Weblog
「今頃何を言っているんだ」と御叱りを受けるかもしれないが私は今日初めての経験を発見することが出来た。どうしても必要な用事が出来て駅前まで行くことになったのだが、いつもなら車か、自転車とすぐ思いつくところだが、久しぶりの春の訪れに誘われて「歩いてみよう」と
考えた。帽子をかぶりスニーカーを履いて身軽く歩き出した。「健康法」として「歩く」ことを
習慣にしておられる人を多く耳にしてはいたが、自分なりに自信があって自分で行動したことがない。それは一つには57歳から22年間続けたジムトレーニングの成果にあるのだが、それを卒業してから、家の中でのラジオ体操と「つま先立ちトレーニング」の具合がよく(血流改善)
を続けて体調が維持できていたからでもあった。
しかし今回歩くことにして出かけてみると普段気付かない建物や店、そして様々な場所などを発見して,正に「ぶらりさんぽ」である。そこには新しい発見があり、珍しいお店がある。
時には食堂の看板メニューを見て「うな重」がいくらしているのかとか、シニア専門の娯楽設備を備えたお店(カラオケ、囲碁、将棋、麻雀、ダンス)があったりして驚かされる。
又近くに珍しい公園(椎のみ公園)があったりする。道もいくつかあって、どの道を歩いてみるか選んでみたり、退屈も疲労も感じることなく興味津々である。
無事用事を済ませて、帰りは来る時とまた別のルートを模索し、どんな出会いがあるかと興味がわいてくる。結局往復一時間ほどの歩行となった。距離にすると約6キロ歩いたことになる。
それは苦痛でも疲労でもなく、心地よいものとなった。少し汗ばんだ感じも嬉しく体力にも自信になった。
こんな経験から事ほど左様に人は考え方、心の持ち方ひとつで物事の見方、考え方がこんなにも変わるのだという事を身をもって知ったわけである。
若い時からどこかへ出かけるときはどうすれば、時間を短縮し楽をして歩かなくて済むかだけを考えていた自分がこれだけ自分が歩くことが楽しいことかを知った事の発見だった。
毎日と言うわけにはいかないが、又時と場合によっては「歩く楽しみ」を味わうのも悪くないと思えてきた。人間関係も同じ様に考えれば「嫌いな人」も好きになることだってあるはずだと思うし、世の中のことも全てが変わってくるかもしれない
人は常に変わることを望んで日々を生きることが大切だと考えさせられている。

   パンドラ事務所  第七話   その3

2014-04-04 09:36:31 | Weblog
人間は年齢を重ねるごとに円熟さを増し角が取れて円満になるという俗説があるが、現実は真逆なのかもしれない。人は年をとるごとに我儘になり、自分勝手になり、人の事は考えない動物なのかもしれない。良く考えてみるとそれも無理からぬ気もするのだ。身体が不自由になり自分の思うままにならなくなり、したいこともできなくなる。他人のことなど構うほどの余裕もなくなる。つまり自分の事だけで精いっぱいになる。するとそれは夫婦であろうと親子であろうと他人のような感覚になっても仕方がないことかもしれない。
若い時に「僕が君を一生守り愛し続ける」と誓い、「私はあなたにどんなことがあっても従っていくわ」と言った誓いの言葉も年をとる毎に薄れ今や「そんなこと言ったかしら」状態なのか。
(もちろんすべての人がそうだとは言わないが、)神はそんな人間を罪の存在であると断罪して
救いの手を差し伸べている。
「青山、お前うちのカミさんのこと知ってるよな。一度会ってどんな気持ちなのか話を聞いてみてくれないか。」正直言っていまさら何を聞いて何を話してみても翻意するとは思えないし、説得する自信もなかった。だが若い時の過去にこだわっているわけでもなかろうとも思えた。
「お互いにもう良い年になったのだから、助け合っていこう。言いたいことがあるならなんでもいえよと言ってみたらどうだ。」念のために言うと「それは何回も言ってみたんだ。今のままで田舎の母親の事も一緒に面倒見ることだってできるし、と言うときちんとけじめをつけたいのだと言い張るんでね。」「気持ちが変わるとは思えないが、お前がそういうなら一度俺が話を聞いてみるよ」と言って収めてみた。
しかし考えてみて世の中どうしてもう少しお互いに分かり合えないものかとつくづく思わされる。そして似たような話がほかにもたくさんあるのかと考えるとき、多くの人が不満と不安、
そしてストレスを抱えながら暮らしているのかと思わざるを得ない。
そして貧しくても苦しくても平安の内にあることが出来る幸せを改めて感謝する思いであった。
店を出て別れ際に見た彼の姿に何となくさびしそうな影を見る思いで見送ったのだ。

思い付くままに    「父と子」 その3

2014-04-01 09:36:35 | Weblog
自分の思いが強くなり、自分望みどおりに事が出来なくなると人は他人の事は忘れ自分の事を中心に無意識に行動することは本能的であり、ある意味自然かもしれない。
「人の事はどうでもいい、何と思われようと関係ない、」と自分の考えを主張し徹底する。そこには妥協も配慮もまして自分を犠牲にしてまでと言う考えは微塵もない。そしてその度合いは
父を含む親の年齢が若いほど強く、そのまま子供への圧力になりかねない。その結果は様々であるが、いずれも不幸につながることが多いだろう。
ある家では一階と二階で親子が別所帯で暮らしている。二階の若夫婦は一階に住む親とは生活が別であるのはいいとしても顔を見合わせてもほとんど口も利かない生活だとのこと。だからそこにはお互いの協力はなく、無邪気な孫だけがじいちゃん、ばあちゃんに親が働きに行っている間甘えている。こんな過程はざらにあるようだ。
又一階には90歳を過ぎた母親が一人で住み、若夫婦が二階に住んでいながらお昼には「おむすび一つとおしんこ一切れ」で何の世話もしない嫁がいるだけで具合が悪くなれば救急車を呼んで病院に預けるだけだとしているところもあると聞く。
又、50歳を過ぎた息子が一人の母親の世話でマザコン同様に嫁も取らず仕事をしている。
母親はまるで息子の主婦のようにあれこれと世話を焼き、それを生きがいにして毎日を暮しているという話もある。
こうしてみると目に見えない歪な家庭がいかに多いことかを垣間見ることが出来る。いろいろ事情があり、その状態を悪いとは言えないし、正常ではないとも言えないかもしれない。
人生は様々であり、そのものが何らかの「罪との戦い」のなかにあるとはキリスト教の教えにあるが、自らを省みるとき、様々な負い目を負っていることに気が付く。
それは決して非難されるものではないし、それぞれそれなりに幸せに暮らしているのだろうとも思う。・幸せの形態が時代と共に変化しているようだ。
そんな事を考えている内に本当の幸せな家庭とはどんなものだろうかと改めて考えさせられるのだが、何事も心を平安に過ごせる環境ではないかと思う。
しかしどうしても何らかの不安を抱えて過ごしていることも事実である。
人生は複雑であり、様々な形態でそれぞれが生きるしかないのかもしれない。