当時はカラオケが全盛を迎える時期とあったが、まだ設備が整わずカラオケ店で遊ぶというわけにはいかなかった。今では見られない「「流し」といわれる商売があって飲み屋街を一軒ごとに回りながらギターを肩にした芸人が回ってきたのだ。上手でも下手でも歌う客に会わせて楽しませてくれるので、気分良くなり酒を飲まなくても楽しませてもらえたのだ。今から思うとしらふでよくそんな遊びがいつまでもできたと反省しかないのだが、その当時、自分もそんなことが許されるものという(親会社の人たちの真似事)気持ちになって自分が悪いことをしているという意識が消えていた。すべては仕事につながっていて、これらはお客のためであり、会社のためであるという誠に勝手な自己都合の錯覚のままに時間と大切な経費を無駄遣いしていたんのだ。
朝になると反省の時間もなく、決められた仕事の予定を処理するために、あちこちと飛び回り、新しいユーザーを増やしその会社の人間関係を増やすことだけを夢中になって作っていた。確かにその影響はあった。仕事はできて注文は増え仕事は繁盛した。それをよいことに家庭を顧みることはなかった。自分が何をしているのか、冷静に見ることはしていなかったのである。そして先輩に連れて行かれるままに今まで経験したことのない世界へ足を踏み入れることになっていたのである。そこは「夜の銀座」の世界である。
朝になると反省の時間もなく、決められた仕事の予定を処理するために、あちこちと飛び回り、新しいユーザーを増やしその会社の人間関係を増やすことだけを夢中になって作っていた。確かにその影響はあった。仕事はできて注文は増え仕事は繁盛した。それをよいことに家庭を顧みることはなかった。自分が何をしているのか、冷静に見ることはしていなかったのである。そして先輩に連れて行かれるままに今まで経験したことのない世界へ足を踏み入れることになっていたのである。そこは「夜の銀座」の世界である。