波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに  「一期一会」

2017-06-29 14:37:11 | Weblog
一度は聴いたことのある言葉だと思うが、この言葉の意味は言葉よりも重いものを感じる。それは人生において数少ない出会いであったり、人生において一生に一度しかないような時間をさしていることがあるからだ。私は先日「山陽路を行く」の中で久しぶりに老体をかばいながらたびをしたのだが、その際、台湾から来日したある取引先の人との出会いがあった。
その人は三年ほど前に息子が台湾市場開拓中に出会った人であったが、その出会いがきっかけで取引が始まりその人を通じて現在も日本での取引が続いている。その人が取引先への挨拶ということでこられて私が案内をすることになったのだが、日本語ができるので不自由はなかった。
仕事は予定通り進み、終わったが、その後マイルームへ私を案内してくれて休憩しながら
打ち合わせを行った。その行動の一つ一つに不思議な敬意が感じられた。常に目上の人に対する礼儀をわきまえての気遣い、たどたどしい会話の中にも常に相手の立場を慮った言葉使いが感じられて不思議な思いだった。
その話の中には仕事のことだけでなく息子の個人的な悩みなどもわからないなりに理解しようとしている姿勢、、そして何とか自分でできることをカバー使用とする姿勢がうかがえた。
そこには金銭的な計算はなく、ただ人間対人間の信頼関係から生まれてくる信用でしかないものであった。私は今までたくさんの人と交わりを持ち、人生を歩いてきたが、日本といわず外国人でこのような人に出会ったことはない。
何がそこにあるのか、なにがそうさせるのか、それもわからない。不思議な人間関係が生まれているのだ。人と人との出会いはたくさんあるが、このように短いわずかな出会いの中で是だけの信頼関係が生まれ、これだけの交わりができることは単に取引をしているというだけでない
「出会い」と「「運命」を覚えざるを得ない。
人生にはこのような金銭や時間や単なる交わりだけでは理解できないことが起きることを学ぶことができた。これが「一期一会」というものかと考えさせっれている。

              足跡   「夢の続き」

2017-06-26 10:56:31 | Weblog
毎日、何かしら夢を見ているようである。それは淡い覚えているような覚えていないような
記憶にあるような、ないようなものであるが、確かに何かしら残っている。
おそらく眠ってすぐではなく夜明けごろか、目覚めるわずかな時間なのかもしれない。しかし
確かに何かしら記憶に残ることがある。私の記憶に残っているもので一番印象に残っているのは会社の現役時代のエピソードである。まるでまだ現役で仕事をしている姿であれこれと指図をしていたり、意見を言ったりしている。そしてふと今の自分に気づきもう終わったことだと思うことがしばしばある。やはり頭脳のどこかにそのときのことが残っているのかもしれない。
そして記憶に残る夢は家族のことである。両親をはじめ妻のことが夢の中に出てくる。そのときも時分が家族と一緒に暮らしており、何かと交わりを持っている様子がでてくる。
妻が出てくる機会はわずかだが、でも何度か出てきた記憶がある。そんな時、目覚めたときにもっとやさしく気遣いをしてあげればよかったと公開の思いが残る。
眠るときは今日一日のことをあれこれと思い起こしながら眠るのだが、夢に出てくるシーンはそのつど変わっている。きっとそのときの状況でわずかな記憶がよみがえるのかもしれない。
先日岡山の友人の見舞いをして帰った。脳死の状態で本人の記憶にどこまで作用するかはまったくわからず、無我夢中で手を握り、さすり、ほほをなで力を入れて握手をしたのだが、
その反応がよく出るか、悪く出るかに不安があった。
すると先日夜突然、有人の奥さんから電話があった。私が帰った後、何度か介護で見舞いに行ったが、私が行く前よりも目を開けて様子を見る回数が増え、手の震えも収まってきて変わってきたとの事であった。そのことがよい兆候なのか、悪い兆候なのかはわからない。できることなら
目を開けて家族と交わりが何らかの形でできるようになってほしいと願うのだが、
果たして同なのだろうか。しかし人間の生命力は計り知れないものがある。
それは人間を超えた力が働くからともいえるのではないだろうか。そんな力を信じて祈るばかりである。

思いつくままに   「人の情け」

2017-06-23 10:03:24 | Weblog
人生には一生のうちにさまざまな経験をする。それは自分の思いもかけないこともあり、予想もできないこと望んでいないこと、などである。しかし人はそれを甘んじて受けてその一つ一つを耐えていかなくてはならない。その実態はどんなに権威、権力のある人であっても経済的に恵まれている人であっても同じである。そしてそれぞれの人生の一生を終わるのである。
華々しく人々にもてはやされていてもいつか終わりが来るであろうし、どんなに賞賛を浴びることがあっても終わりは同じである。むしろ人々の賞賛が大きいほど終わりの人生がオアしまれることになるかもしれない。そういう意味では人知れず静かに家族だけに(家族もいない場合もある)囲まれて終わることもあるだろう。最近ではその家族にも見放されている人も多い。
先日あるレスロランでぽつんと一人で冷たいものを食べている老人がいた。そばには誰もいない。
「今日は頭が痛くて気分が悪い。このまま死ぬのかとも思う、」といいながら67歳になる長男の愚痴に始まってばあさんの態度に我慢がならないとぐちをこぼし、子供は4人いるが何の役にも立たず、いやされたことはない」聞いている愚痴ばかりで家に帰る気にもならないらしい。
聞くと93歳だという。人事ならず聞くともなく聞いていたが、今はこんな老人が多いのだろうか。
そんな中にあって自分を省みる。決して人に褒められることではないが、その日も親子三人で台湾のお客さんと懇談をする機会を得た。新しい人間関係が生まれるかもしれないなかで楽しい夕食を囲みお互いに心を開いて話しができることの幸せを得ることができた。
それが何につながり、何が生まれるかはわからない。
しかしその瞬間だけでも幸せを感じ暖かい心の心の交換ができただけでもその時間は変えがたい平安なものであった。人生はその一瞬、一瞬をこのような平安の時間として生きていくことが大切なのだと改めて知らされた時間であった。

足跡   「山陽路をゆく」

2017-06-20 09:26:12 | Weblog
先日の日曜日を利用して数年ぶりに故郷の岡山を訪ねた。しかし目的は物見遊山ではなく明日をも知れぬ病のうちにあるゆうじんのみまいであった。私にとって40年以上の友人であり、仕事上では信頼関係の上で長年協力し合った中であった。
1月に転倒してそれが致命傷になり、脳死状態が続いているという。私はなんとしても見舞いをするとともに共に助け合い励ましあった友を励まし、できればもう一度語り合うときを持ちたいと願って出かけたのである。
真新しいできたばかりの新しい清潔な病院の個室で彼はいた。最初は寝て板のように目をとじていたが、手をさすり語りかけているうちにその目はかすかに開き始めた。そして体をさすりなでているうちにその目は次第に開かれ(片目だが)大きくなり、開かれた半開きの口は
上下に動き出し呼吸音のような(何か声のような)音が聞こえるようになった。動かない手を震わせ、しきりに声を上げている。
それはまるで私の声が聞こえてそれに対して何かを訴えるようにそして語りかけるように聞こえる。私は家族の方に「何か興奮させて病人には悪い影響はないのでしょうか」と心配したが、「たぶん本人には何かが聞こえているのでしょう。声にはならず、離す能力もないでしょうが、何かが反応しているのでしょう。大丈夫です」といってくださった。彼の手は握ると暖かくさするほどにその肌は地から強く感じるほどで、できることなら手を握り返してもらいたいとそこまでの力はなかった。
彼がどこまで認知できた川からない。しかしはじめの寝ている状態から、声を阿賀まるで何かを訴えるようなしぐさを見て、間を空けている状態を確認できたことは「彼が生きている」それはいつか再生することもあるという予感すら思わせるものもあった。
外国では何十年もの眠りの状態から組成すること症例を何度か見たことがあるが、彼もまた何かのきっかけで脳神経が蘇生し、家族との交わりをもう一度できることを願わずに入られなかった。
帰途、西大寺駅から赤穂鉄道にて単線の田舎路をゆられてみた。途中「長船」の名答で知られる鉄の発祥地であったり、おあだやかな瀬戸の海をながることのできる「日生港」を眺めながら、おそらくこんなたびは二度できないであろうと思いながら電車に揺られて姫路へと向かった。
姫路では台湾からはるばるはじめて訪日した来客を向上へ案内して、ひめっ上を垣間見ることができた。
漆喰作りの美しい城は日本でも個々だけではないかと思われ、その美しさは「白鷺城」と呼ばれるにふさわしいものであった。
暑い中では会ったが、たくさんの外国人が訪れていてにぎわっていた。
二日間の短い駆け足のたびであったが、無事に健康でその任務を果たせたことを感謝すると共に、またとない経験をすることができたことを感謝したい。

思いつくままに     「一日の悩み」

2017-06-15 09:16:58 | Weblog
人は毎日生活を続けているがその内容はひとそれぞれに違うし、同じことをしていることはない。そしてその内容によって必ず悩みや問題も発生し人それぞれにその問題に取り組み、苦しみ悩む人や感情を高ぶらせ、いらいらする人、人間関係を壊す人、またその問題解決のために走り回り、解決に頭を使い体を使い、お金を使い、疲れるのである。
このような毎日を人はそれぞれ繰り返しているのだが、考えてみると人生とは考えようによっては楽ではないといえる
そんななかで、いったい人はどのように生きるべきか、どのように生きているのか、その取り組み方もまたそれぞれであろう。
私のような老人がひとりで生活していても、悩みはないかといえばそんなことはないのであって、人並みにあれこれと悩むことはある。
しかしこれらの問題を解決する力も能力も、体力もない。むしろ自分の体を何とか、一日どのようによい状態で保てるかを考えるのが精一杯でもある。そのような毎日にあってどんな解決策があるだろうか。この問題は生きているすべての人が抱えていると思っても過言ではないと思う。その内容は健康問題に始まって、家族問題、経済問題、人間関係問題、さまざまあってその内容も違う。
よく新聞で「人生相談」の記事があったり、表面には出ないが「いのちの電話」でのやり取りなどこの問題に類することは、数え切れない。
そればかりか、政治の世界や社会問題は世界を通じて数え切れないであろう。
しかし、ここでよく考えてみよう。一人の人間が一人で考え(あるいは何人かで話し合ったとしても)混本的な解決につながることはほとんどないのである。表面的にはあるいは時間の経過とともに問題は風化して消えていくが、それで解決したわけでも終わったわけでもない。問題は依然として継続しているし、仮に消えたかのように見えても、また新しい問題が発生してくるものである。
それは人間にストレスを起こし、病気を増大させ、苦しめることになる。私もここ数年そんな影響を受けて体に変調がおこり、苦しんできた。しかし、それはあることを通じて次第に小さくその日のうちに消火することを覚えるようになった。
それは「自分で解決しようとかんがえない。」「もともとじぶんではどうにもならない」というかんがえで「すべてをある大きな御手のうちにゆだねる」自分で考えられる限りのことをし終えたら、後は「すべてをゆだねる」
それは人間でできることの限界と自分の能力を過信しないことにある。
若いときから自信過剰の人生だったことへの反省もある。これからは「ゆだねる」人生へと浄化して生きて生きたいと考えている。
本来全能でもなく、罪びとであることを自覚して,,,,,

足跡   「門前の小僧習わぬ経を読む」

2017-06-12 10:05:56 | Weblog
むかしこんな諺を聞いたことがある。その時は特別な思いはなかったが、この諺が解釈の仕方によっては深い意味をもつものとおもいはじめている。それはわからないことをわからないこととしてそのままにしないで、それに取り組みわからないままに理解しようとしているうちにそれなりに理解をしてその意味と大切な教えを知ることができるということである。
人間は意外と興味のあるもの、好きなもの、したいことは真剣に取り組むがそれ以外のことにはあまり興味を示さないし、そのことで知らなければならないこと、知っておけば役に立つことを知らないままにあるいは素人しないままに人生を味気ないものにして終わらせていることがあることを考えなければならないと思う。私は若いころから遊びはできることは何でも取り組んできたつもりである。中でも「歌、(カラオケ)ゴルフ、麻雀、酒(飲めなかったが、それに類する遊び酒場のようなところでの会話)などである。
ただひとつ囲碁だけは、興味と関心がありながら機会がなく、覚えることもなく年をとってしまったが、興味が残っていた。そんなわけで80になってTVゲームで見よう見まねではじめたのだが、少しつづこんなものかとわかるようになった。今では難しい定石とかルールもわからないことが多いが毎日ゲームで一日午前、午後対局している。「いわゆるも全の小僧ならぬ門前の爺」になったしだいである。
すると経を読むように少しつつ約束事や勝負の勘のようなものができて楽しくなる。楽しくなると一歩つつ足を前に進めることができる。
囲碁は語存知のように奥が深く将棋や麻雀と違った「読みの深さ」を感じるものがある。
ましてその戦略は人生の上にも生かされるような思いさえするような気がしている。まだ何もわからずに打っているが、布石の楽しさは少しつつわかってきたきがしている。
何にも変えがたく静かに「平安」な気分を持ちえることがうれしい。勝負もさることながら400近い布石の変化とその影響で戦況ががらりと変わるその影響のすごさも興味深い。「小僧」は小僧のままで楽しみたいと思っている。

思いつくままに    「人間の弱さ」

2017-06-08 09:38:19 | Weblog
この世における人間の存在がどれほどのものか、それは大統領であれ総理大臣であれ絶対ではないようだ。基本的には人間としての限界があるしまして一人ではできることはいくら権力があり、権限があったとしてもそれは限界があり、絶対とはいえないものである。
それが典型的に明確にされるのは肉体的に病が生じたときであろう。健康体であればいざ知らずどんなに日ごろ強いことを言っていても病魔に襲われたときはひとたまりもなく、それらは何の力も発揮できなくなる。
それほど弱くもろいものであることを常に知っておくべきであろう。しかし不思議なことに人間は健康体で現役で動いているときはすべてを牛耳ることができるがごとくに振舞っているように見える。
最近の物事の動きを見ていると「世界は自分がうごかしている」かのごとく見えることもあるが、果たしてどこまで同なのだろうか。
そんなことを考えていると、かつて「バベルの塔」を築き天と地とを制覇しようとした古代の人々のことを思い出すが、人間はいつもそんな思いを持っているものかもしれない。
しかしどんな人も高齢とともに力を失い、自力でできていたことができなくなり、まして病魔に襲われればひとたまりもなく世間からは消えることになる。所詮そのような存在であることを知らされる。
だとすれば常にその原点を忘れずに生きることが人間として最も大事なことであり、その原点を貴店として「謙虚」の上に立って、この世に生きることを忘れてはいけないのだろう。
肉体的にも「マッチョ」自慢する人も多くいるが、肉体もまた自らのものではない。神から授かった大きな賜物として考えるべきだろう。
だとすればそれは「預かり物」である。それは自分的に自慢するものでは七区、(自分で鍛えたものだとしても)店からのある借り物として大切に扱うべきものであろう。そしてそれを有効に生かすことを考えるべきであろう。
その考えが基本にあれば「覚せい剤」もありえないし、アルコールも適正に使用することもできるであろう。
すべてが自分のものと勘違いするところに、すべての歯車の狂いが生じることを知るべきであろう。
「人間の弱さ」を常に自覚して生きることが以下に大事であるか。それは年齢とともに知らされるのである。

足跡    「面従腹背」

2017-06-05 09:08:14 | Weblog
新聞では毎日のように世界で事件が起きている。日本だけでも日々TVの話題に欠かせないほどに事件が起きている。その中である官僚だった人が「私は職についている間面従腹背を貫いていました」と告白しているのを聞いた。私はこの言葉を聴いたときに私自身のサラリーマン時代を思い出し、自分も少なからずやむを得ず「面従腹背」をせざるを得なかったことを告白せざるを得ないとともに人間の弱さ、醜さをこれほどに思い知らされることはないと思い知ったことである。
インドの神々の中に「阿修羅象の神」というのがある。何度か写真や本で見たことがあるが、立像の顔面があちことに林立しそれがすべてに同様の強さの中に立っているのである。前面にその顔面がその立像を形成しているのだ。この姿こそ人間のあり姿を現している典型的な姿であろうと恐ろしくなる。神は「人間は罪なる存在」との原点に立って神の許しとざんげによる悔い改めを求めるが、まさに個々に人間の原点があることを思い知らされる。
つまり面従腹背は人が自らの意思とは別に生きるために心ならずも強いられて上に従い、誤りを犯していることを強いられることを現している姿でもあるのだ。悲しいが是が現実である。しかしその反面、この行動が必要な場合もある。やむを得ず、心ならずも奏せざるを得ないこともあることも知らなければならない。
私自身も色々な場面で忸怩とすることが多々あったことを反省とともに苦い思い出として残っているし、また自分の好奇心や欲望の勢いで行動したことを知っている。
すべてに「清く正しく」とはいかないまでもできるだけ自分の信念に基づいていきたいものと望んでいる。「長いものに巻かれろ」式の
人生ではあまりにもさびしいではないか。できれば自分の信念を貫きつつ、人間関係をかわさず、長して生きることを考えたいものである。
今こうして平安の中に置かれ日々生活しているとそんな時期に生きていたころの自分が何を考えて生きていたのか、まさに自分の思うままに動き、何も深く考えず言われたままの行動であったことに大きな犠牲を多くの人に強いてきたことをいまさらのように思い出されて
悔やむのみである。

思いつくままに   「万事塞翁が馬」

2017-06-02 09:46:21 | Weblog
人生はその人に与えられる尊い宝のような機がする。しかし人はそれを宝とは思わない。むしろ苦しみと考えている人が多いことだろう。(もちろん中には最高の人生を優雅に過ごしている人もいるのだが)しかし生きている以上は必ず「死」を迎えることになるし、その迎え方によっては苦しみ方も違ってくる。今私の無二の友人が生死の境を生きている。ぜひ最後の挨拶をしたいと願って予定を組んでいるが、その別れは突然であるし別れの言葉も交わせないことが残念である。事ほど左様に人生は厳しい世界ともいえる。
そんな中にあって、どのように生きて、どのようにすごすことが大切かはそれぞれに与えられた課題である。もちろん与えられた課題の答えは模範解答としてあるわけではない。模範解答集があるわけでもない。試験問題を抱えたようにそれぞれが答えを考え、答えを出す。しかしその答えが正しいとは限らない。つまりその人の裁量においておこなわれるのである。しかしそれは間違っているか、正しかったかは自分が決めることはできない。いつか誰かがその答えを教えてくれるのである。だから人はそれぞれにその分にあった生きかたをするのである。そこに人生の不思議さと運命が見えてくるのだとおもう。
このことわざでは中国のある老人の例でもっていた馬がその人にさまざまな運命をもたらすことをもじって人生とは「悪いこともあるが、よいことに変わることもある。だからあきらめずに自分の行く道をあきらめずに歩きなさい」と教えている。
どんな生活をしていても、それはさほどのことではない。それは年齢を重ねるほどにわかってくる。どんなに華美なことでもどんなに贅沢なものを見てもその価値に羨望はわかない。むしろ日々が平安に心を乱さないで悩まないで終わること(それは死へとつながることでもあるが)を願うのみである。生かされている間は課せられた役目をしっかりと果たしていくことが大事なのであろう。