波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

パンドラ事務所    第六話    その2

2014-01-31 09:26:58 | Weblog
「くさや」はあまり知られてないかもしれないが関東では有名な珍味のひとつして知られている。青山も好物であるが、干物のため焼いて食べるときに出るの匂いが強烈な臭気を発するので
敬遠されることが多い。これは作るときにつける「くさや汁」による。
ある時、関西から来た知人と居酒屋でこれを肴に頼んで酒を飲んだ時にこの匂いに負けて暫く気分が悪かったことがあった。主に伊豆諸島で作られていることから、彼もそちらの出身なのかもしれないと思いながら「やあ、ご馳走様私の好物なのだが、ここでは近所に迷惑をかけるかもしれないと思ってね。でも折角だから頂くよ。どこかで焼いてもらって食べたいと思う。」と言って受け取った。初めての事ではあったが、家つながりと言うこともあり、そんなに違和感を感じない出会いであった。「じゃあ君はあちらの出身なの。」「えー大島から来ました。高校を出て
東京へ出てきました。」「それで今は何をしているの」「大学を出て某医大のインターンをしています。」「じゃあ、エリートだね。」と言うと少しはにかんでいる。「貧乏学生だからうだつがあがりませんよ」と正直に言う。青山はコーヒーを入れて進めた。おいしそうに飲んでいる。
「こんなにおいしいコーヒー初めてです。何しろ毎日インスタントしか飲んだことがないので」と言いながら香りをかぎながらゆっくり味わっている。その様子を見ながら「素敵な彼女もいて毎日が楽しいんじゃないの」と何気なくいうと「いやあ、実はその事なんですよ」と驚いている。年齢や、その風采から見て何となく女の話かなとあてずっぽうに言ってしまったのだが、まさか図星であったとは逆に驚いて「どうしたの」と切り出した。
「実は大島で高校時代に付き合っていた彼女がいたんです。特別な関係とかじゃなくて暇な時の話し相手に時々あって付き合っていたんですが、私が東京へ出ることになって自然に会うこともなくなって終わっていたんです。もちろん何の約束もしていませんし、向こうからも言われていません。二人で偶に出かけるくらいのものでした。だから私の事は知らないはずなのに誰に聞いたのか、調べたのか分かりませんが、突然手紙が来たんです。そこには私も東京へ行くことにしたので、ぜひ会いたいと書いてあったのです。」

   思い付くままに   「誕生日」

2014-01-28 10:17:30 | Weblog
1月は私の誕生月である。と言って特別な行事や予定が組まれたということではない。全く普段と変わらぬ一日を過ごしただけである。(娘、嫁、妹、姪からのお祝いメッセージあり)間もなく「傘寿」を迎えるということを含めて、今年の誕生日はいささか面わゆく
又、無事に傘寿を迎えられるtかと言うことも考えてしまう。
つまりこれから先の人生はどんなものだろうかと未踏の地へ足を踏み出すような思いもある。そうなると今までのようなのんべんだらりの生活ではなく、それなりの準備が必要なのではないか。(例えば高地登山)とはいうものの、そんなマニュアルがあるわけではないのだから自分の体と相談しながら工夫をしなければいけないのだろう。
肉体的な身体機能も同じようで同じではない。少しずつ衰えているはずだし、内臓機能も頭脳も同じであろう。まずは年齢に応じた体調をどう保持できるか。その為に何をしなければいけないか。(薬の準備のほかに)そして睡眠時間と食事のバランスにも気を配らなければならないだろう。そしてこれらを総合的に規則正しく守り、(ボケ防止)
気ままな時間をだらだらと続けないこと、メリハリをつけた時間を考えたいと思っている。その為に「考える時間」「物事を創り上げる時間」などを大切にしたいと思う。すべては自分の為であり、生かされている自分の務めだと考える。(自己満足と思われても)
それでよいとしなければならない。それが自分にとって大きな恵みであり、意義であると思えるからだ。
私には4人の孫がいる。その中に一人だけ1月生まれの子がいるのだが、小さい時は誕生会を揃って出来たのだが、中学生ともなるとそうもいかないでここ数年はそれぞれで行っていた。所が今回突然お呼びがかかり「一緒に誕生日をしたいから来てくれ」とあった。
友達や家族でやればよいものをと思いつつ、声がかかったのが嬉しくていそいそとケーキを手に孫の待つ家に行った。そしてささやかながら鍋を囲んだ夕食を共にすることが出来た。その交わりの時間は新鮮であり、貴重な時間であり、又成長しつつある姿を確認することが出来た大きな恵みの時間でもあった。
車での帰りはいささか疲労を覚えていたが、不思議に心は軽やかで明るく帰ることが出来た。人はお正月が区切りとすることが多いが、わたしは「誕生日」がその人の新しい出発の日であり、区切りのような気がしている。
「一日一生」を胸に今年も新たな思いで生かされて生きる思いである。

   パンドラ事務所   第六話   その1

2014-01-24 09:38:12 | Weblog
パンドラの箱はギリシャ神話に出てくるのだが、パンドラがお嫁に行くときに持たされたものである。日本で言えば乙姫様からもらった「玉手箱」のようなものかもしれない。それはどちらも同じように渡されたときに「開けてはいけない」と言われていたからである。
アダムとエバも神から「あの木の実は食べてはいけない」と言われていた事と同じだ。
むしろパンドラの神話もここからの出典かもしれない。
「開けてはいけない」「その木の実を食べてはいけない」との理由、それは全てこの世の人生での「罪」を象徴しているものであり、「箱」の中は「人生そのもの」であり、それは人間がもたらす、すべての罪「疫病、悲嘆、欠乏、犯罪等」はそこにあるからだ。
しかし、いつの世も人間はこの誘惑に負けてパンドラの箱を覗くことになる。そして
人間は各々生きている間中このために苦しむことになるのだと言われている。
青山の住んでいる浜町のアパートには何所帯かの家族が住んでいる。普段はそこにそんななに住人がいるかと思えるほどに静かであり、子供の騒ぐ声もほとんど聞くことはない。
お蔭で静かな一人暮らしを楽しめているのだが、さすがに両隣の人にはあいさつを交わしている。一人は若い青年で医学のインターンとか聞いたことがあり、片方は若い女性の
OLである。ひとり者同士だから偶には「お茶でも」と声をかけてもと思うが、不思議に
そんな気にもならないし、その気もない。と言って毛嫌いしているわけでもない。
そんなある日、事務所も休みとしてのんびり朝寝坊して裏の窓を開けて隅田川を眺めているとドアーをたたく音がした。インターホンで「どなたですか」と聞く。
よほどでない限り出ることはなく、誰が来ても適当にあしらって断ることにしていた。「
「朝からすみません。隣の片山です」と言う。「どうかしましたか」「いや、大したことじゃないんですけど、もしお暇ならお話をしたいことがありまして」
青山は一瞬、逡巡したが、若い息子ぐらいの青年である。突然で適当に言い訳して断っても良かったが、「どうぞ、お這入んなさい」とドアを開けた。
手に何か持っている。「これ、田舎の名物のくさやです。青山さん食べますか。」と言って差し出した。「くさやって、あのくさや」と思わず言ってしまったが、「珍味」とされて酒のつまみで有名だが、あまり誰でもは手を出さない。
焼くときに出る匂いが強烈であり、食べる前に辟易するからだ。

  思い付くままに   「タイタニック号」

2014-01-21 11:29:16 | Weblog
今から100年(1912)ほど前に処女航海に出た豪華客船が氷山に衝突し乗組員2000人の内1500人ほどが船体と共に犠牲になった。当時世界最大の海難事故といわれ、後に何度も映画化されている。私も何度かこの映画を見ているが、その時に多くの乗組員(900人)乗客(1200人)がどのような振る舞いをしたかということは100年を過ぎた今でも語り継がれているのです。その大半の人々がその最後を大変立派な態度で自分の命より他人の命を救おうとしたのですが、中には自分が助かろうとして人を突きのけようとした人もいたのです。その中で有名な話として出てくるのは、いよいよ船が助からないと決まった時、船の専属のオーケストラの面々が賛美歌の「主よみもとに」を演奏し続けて最期を共にしたことですが、この演奏を聞いて最期を迎えた人がこの演奏を聴きながらどれだけ救われたかと言うことが伝えられているのです。
信じられないようなこの事故において私は人間の死とその場面に直面した時の人間のあり姿を思わざるを得ません。(自分がその場にいたらどんな思いで死を迎えることが出来ただろうかと考える。)救命ボートによって救助され、その後の余生を過ごされた人も多くおられるのですが、その陰には自分を犠牲にした多くの犠牲者がいたのです。ジジババトリオの一人の爺様の奥さんは難病(膠原病)でなくなったと聞いていましたが、ある時
その看病日誌を読む機会がありました。その中に、いよいよ最後が近くなったとき娘さんが「ママが一番好きでいつも歌っていたテープを聞かせてあげようよ」と耳にイヤホーンをさしたのです。すると病で苦しんでいた病人の表情がやさしくなり、穏やかになったそうです。そしてそのテープを何度もリピートして聞いていたのですが、4回目が終わらないうちに目を閉じたとのことでした。峻厳なその瞬間をいかに平安の内に迎えることが出来るか、それは生への執着であったり諦めだったりするのではなく、この世における尊い時間に生かされた感謝と恵み、そしてその時をどれだけ大切に平安の内に迎えられるかであろうか。その為には普段から自分の力を誇示せず、謙虚であることに努め、その姿勢は
「受け身」であることだとつくづく思えている。
それが身についたときに自分自身を「変える」ことが出来るのだろうかと考えているのだが、!

パンドラ事務所   第五話   その10

2014-01-17 09:43:49 | Weblog
象はいつも群れを成して移動すると言われている。子連れの象もいて何頭かが
必ず一緒に草を求め水を求めて行動しているのだ。然し象にもそれぞれ死期がある。
その時を知るとその象は静かに群れを離れ仲間に気付かれないように一頭だけでその
死に場所を求めて消えていくと言われている。昔「象の背中」とう小説が映画化された。
その主人公は若くして癌を宣告されてホスピス生活に入り、最後は家族とそれぞれの別れをして死んでいく様子が描かれていた。
青山は亀戸の女性と電話で話しながら、この象の背中を思い出していた。大山夫人は今
恐らく一人で病と闘っていることだろう。家族もあり何より一番自分のことを心配してくれている主人がいながら、敢えて一人で旅立とうとしているのだ。それは群れを離れて
死に場所を求めていく象の姿と同じではないか。何とか探し出して大山へ知らせると同時に最後の別れをさせてあげたいという願いがあった。然しその思いもむなしかった。
どうすることもできないままに、日が過ぎて電話で彼女が死んだとの病院からの電話を受けることになった。「病院はどこですか。」今となっては何もできないが大山へ知らせなければならない。「千葉の房総にある某病院です」青山は順子と大山へ知らせた。
結局は自分がしたことが何の役にも立たなかった気がしたが、大山はすぐ病院へ行くことだろう。それしか出来なかったことが悔しかった。
人は何時かこの世との別れを迎える時を持つことになる。それはその人がどんな状態であっても同じであり、その交わりはそこで終わることになる。その時は人間としての尊い
峻厳な時でもある。
後日大山が青山の事務所を訪ねてきた。千葉の病院の帰りだと言う。
「お陰様で妻と最後の別れをすることが出来ました。ベッドに短い手紙が置いてあり、それには短い間だったけど自分と一緒に過ごせたことは嬉しかった。何もしてあげられなかったけどごめんなさい」と言う内容だったと言うと大粒の涙を流した。
青山も聞きながらもらい泣きをしながら、慰めの言葉もなかった。
「でもこうして、私の所へ帰ってくれました。これでこれから私も心安らかに仕事が
出来ます。ありがとうございました。」大山はそういうと小さな骨壺を胸に事務所を出て行った。大山を見送り、誰もいなくなった事務所で青山はぽつんと一人呟いていた。
「自分も同じように一人でこの世を去るかもしれないなあ」

思い付くままに   「今年は午年」

2014-01-14 11:25:06 | Weblog
中国の故事に「塞翁が馬」という話がある。塞翁と呼ばれる老人の持ち馬がある日逃げ出し近所の人々が気の毒に思って声をかけると「この事がどうして幸いにならないことがあろうか」と言った。やがてその馬がもう一頭の馬を連れてその老人の所へ帰ってきた?
すると老人は喜ぶかと思いきや「この事がどうして禍にならないと思うか」と言ったのである。この二頭の馬から良馬が生まれたのだが、その馬に乗ったその老人の息子が馬から落ちて大けがをして不具になってしまった。それを見た周囲の人は心配して声をかけたが、その時も「この事がどうして幸いにならないことがあろうか」と言った。やがてその地方で戦いが始まったが、その息子は不具のため戦いに参加せず助かったという。
この話が本当かどうかは別として、人生は自分で勝手に幸せとか、不幸とか決めつけるのではなく、良いと思われるときも浮かれず悪いことが重なると思えるときもあきらめずに
希望を持つことだと教えているのだと思う。
馬は元来人間とのかかわりが深く動物の中では人間にいちばん近い存在かもしれない。
然し馬にも機嫌のよい時と悪い時があるようで私は馬に餌をやりながら噛まれた経験があり、恐怖心がある。聞いた話では馬が耳を後ろへ立てている状態の時は注意したほうが良いと後で聞いたが、そんな状態だったのかもしれない。
新聞では盛んに東京オリンピックが開かれる2020年には日本がどうなっているかと言うことを興味深く様々な意見を載せている。いずれにしても外国からのお客様も年々増えて日本自体が世界へ色々な形で発信していることだろうと思う。
今年だけでも「消費税改正実施」が予定されているが、この事も決して悪いだけではないと思いたい。又、今は予測されない「水不足.電力不足」もないとは言えない。
しかしこれらも色々な知恵が働いて克服していくことになる。
良いと思われることも悪いと思われることも考え方、思い方で逆転することがある。
お互いにそのことを忘れないで、いざと言うときに備えて「塞翁が馬」の話を覚えておきたい気がする。そして馬は「手綱次第」で右にも左にも向くように私たちもしっかり
「手綱」をもって緩めず正しい道を闊歩したいものだと思っている。
既に新しい年は始まっている。一日を大切に一歩、一歩こつこつと歩いていきたいと思っている。

  パンドラ事務所   第五話  その9

2014-01-10 09:52:50 | Weblog
今頃は順子から大山へ話は伝わっているだろう。大山はその話を聞いて自分が何もしてやれないこと、傍に帰ってこないことへの寂しさ、そして病気の状況がどうなのか、あれこれと考えながらどれだけ悩んでいることだろう。そんなことを考えて青山も心を痛めていた。亀戸の女性にはその後も連絡を取りたかったが、あまり度々もどうかと憚りながら
先方から連絡が来ることを信じて待つことにした。大山のことも気になったがどうすることもできず、せめて順子の店へ行って大山を慰めることかなと思いつつ、酒の飲めない自分としては気おくれがして動けなかった。
そんな落ち着かない日を過ごしていた時、電話が入った。「彼女やっぱり入院していました。」「それはどこの病院なのでしょうか。」「それが病院を教えてくれないんです、迷惑をかけたくないことを気にしているようでした。」「病気の具合はどうなんでしょう。」「それもはっきり言わないんですよ。心配しないでいいからと言いながらすぐ退院できないようなことを言っていました。難病みたいです」「するとホスピスみたいなところなのかな。でもそれだけでも分かれば良かったです。又電話で話すことがあったら病院の場所を聞いておいてください。ご主人だけには知らせてやりたいので」「分かりました。出来るだけ聞き出してお知らせします。」青山は悪い予感が当たってしまったと又大山の顔を思い浮かべながらそれでもこれから何か分かることが出来るかもしれないと目の前が開かれた気がしていた。
自分が出来ること、それは自分を取り巻く人が少しでも心を休ませてくれればと願ってのことだ。場所が分かればすぐ大山に知らせて夫婦の本当の絆を取り戻してもらいたい、そしてあなたは一人ではないと彼女に知らせたい、そしてあなたの周りにはあなたの事を
思っている人がいるということを知らせてあげたい。それは自分の責任でもあると青山は感じていた。関東地方だけでもホスピス病院として指定されている病院があることは分かっていた。それを一つずつ調べていくことが出来ないことはないが、それは控えることにした。プライバシーの領域に影響することになるし、面倒なことが考えられる。
ここは落ち着いて電話を来るのを待とうと考え直し、落ち着くことにした。

思い付くままに   「新年2014」

2014-01-07 09:21:51 | Weblog
「今年も新しい年を健康で迎えることが出来た。」率直に素直にそう思いつつ新年を迎えられたことに喜びと感謝の思いを持つことが出来た。
顧みるに昨年(2013)は一言で今までになく「良い年であった」との印象が強い。
特筆すべきは「アベノミクス」で代表される新しい内閣のスタートであり閉塞感を変えたこと、そして後半の「東京オリンピック決定」であろう。この事は今年に引き継がれることになるのだが、今年も様々な予測できない出来事や変化も起きることであろうが、総合的に今年も日本全体が元気な形で推移していくことを信じている。
身近なことで考えても私自身の心境にも昨年から少し今までと違うものが芽生えていることを感じる。毎年年齢を重ねるごとに身体的な衰えに気づき、今までのような行動が出来なくなることや病気に対する不安を感じるようになっていた。そしてそれは究極的には「死」への迎え方にも繋がっていく。しかしそれらは全て自らの人生の根本的な考え方にあり、それは何を基本にして何を中心に基礎を築いていくかということにある。
まだ今年も始まったばかりであるが、そんなスタートラインについた気がしている。
2月には渡台訪問が予定されている。40年来の友人の取引先との会談だが、とても楽しみであるし、これが最後になるかもしれないとも思えるからだ。
5月には結婚式の招待をうけている。ジジババトリオの交わりも順調に定期的に継続しそうで、今年は出来れば只見の「トマト」を食べに行きたいと計画を立てている。
この毎回新しいアイデアによる交わりも大切であり味わい深い。
その他にも数少なくなった長い歴史を共にしてきた友人、知人との定期的な交わりも
今年の楽しみである。「隣人を愛せよ」とは聖書における象徴的な言葉であるが、まさに
自分を取り巻く隣人との人間関係を大切に過ごすことが、自分が生かされている役目でもあろうと思えるからだ。
正月恒例の家族の祝いで孫たちの成長をまじかに見ることが出来た。健全に成長している姿を確認できたことも幸せだった。
そして心構えを変えるだけでどんなに貧しくささやかな事でも自分自身を新しく変化させることが出来ることを確信できる。
後はどこまでこの「魂の成長」を継続させていくことが出来るかであろう。
「一日一生」は座右の銘とするところだが、大切に今年も生かされて生きたいと思っている。

パンドラ事務所   第五話   その8

2014-01-03 10:33:09 | Weblog
簡単に報告をまとめるとメモに書き留め大山へ連絡をと思ったが、昼間は仕事で迷惑をかけるし、夜大塚まで出かけるのも億劫だと頭をめぐらしている内に順子の顔が浮かんだ。
「またアメ横まで呼び出してみるのも悪くない、断られてもダメだし」と思いつつ携帯電話を取り出した。「どうだい、またアメ横まで出てこないか。昼飯ご馳走するよ。」と言うと「大山さんの調査、何か分かったのね。出かけるわ」別に他意はなかったが素直に応じた。今はもう移転して無くなっているが、秋葉原の交通博物館の周りには、肉の万世、
藪そば、神田まつやなど老舗の名店が揃っている。、
普段女っけのない青山にとって若くはないとは言ってもまだ銀座のホステス時代の香りを保っている順子と話が出来ることは貴重な時間とも言えたのである。
「大山さんも可哀想だわ、店で飲んでてももう一つ話が弾まないし、やっぱり奥さんのことを心配しているんじゃないかしら」「それはそうだろう。男はそうでなくても元来寂しがり屋なもんさ、強気な男ほどね。」「じゃあ青山さんもそうなの」「そりゃあ」と言いかけて「馬鹿言っちゃあいけないよ、こんな爺に誰が相手にするよ。何の役にも立たないものにさ」「そんな事ないわよ。青山さんだってまんざらじゃあないでしょう」とちら見している。
そんな話をしながら友人の一人を思い浮かべていた。月に一回、二人だけで昼食をとりながら四方山話や共通の昔話が出来る一人だが、やはり連れ合いを亡くし娘二人と暮らしているのだが、「青山、実は妙齢の女性との出会いがあってね、恥ずかしながら最近デイトが出来るようになったんだよ。と言って喜んで話していたことを思い出していた。
青山は「大山さんにあったら、中間報告と言うことで伝えてもらいたい」と言いながら
先日からの話を簡単に順子に説明した。そして「もう少し詳しいことが分かりそうなので
これからもう少し続けるけどまたまった話が出来るようになったら連絡するよ」と言って
店を出た。「私これから少し買いものして帰るわ」「じゃあね。」
帰りながら歩調が軽く感じたのは順子のお蔭かなとなんとなく華やいだ気分だった。
一体どうしているのだろう。一人で苦しんでいる大山のカミさんのことも何となく気になっていた。