波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

   パンドラ事務所   第七話  その2

2014-03-28 10:08:17 | Weblog
「恥ずかしい話なんだけど突然カミさんから離婚してほしいと言われているんだ。」昔は離婚話などまず聞くことはなかった。それは長い間日本では男尊女卑の思想があり、妻は夫に従うものと言う道徳観が強かったこと、女性に生活力がなかったこと子供を育てるという役目などがあった。21世紀になり、全くこの考えは一変した。女性は本来の強さ(生活力)を取り戻し逞しくなった。加えて男性は昔の強さを失いつつある。真逆の力関係ともいえる。
「今はあんまり珍しい話でもないようだけど今頃になってそんな話でもないだろうに」 
「そうなんだよ。俺もそう思ってどうして今頃そんな事を言い出すんだと聞いてみたんだ。」
彼には一人娘がいた。青山もかつてその娘さんにあったことがあった。小学生だったが、背が高く、足の長い子だったことを思い出す。「私、この子をバレリーナにしたいの」と奥さんが自慢げに言ったいた。その娘も嫁に行って今はいないらしい。二人だけの年金暮らしのはずだ。
「もう悪いこともできる年齢でもないだろうに」と半ば冷やかし半分に言うと「いや、それなんだよ。」と言いつつ思いがけない話が出てきた。「何があったんだよ」「お前も知ってるだろ、
会社にいた時、酔っ払って会社の女の子に連れ出してそのままホテルへ泊った一件」銀座付近を徘徊して飲み歩いていた頃、彼はある時、話し相手に事務の女の子を食事をご馳走するとか言って連れ出し、飲んでいたらしい。勢いからそのままベッドインしてしまったことが後で会社にもばれて、後に本社から工場へ左遷となった。そのことが当然カミさんにもばれていた。
青山もその時、付き合いから奥さんから相談を受けて話を聞いていたが、とにかく「子供の事を考えて」と諌めて収めた記憶があった。
「今頃になって持ち出されてね。実家へ帰って母親の婆さんの面倒を見て暮らすっていうんだ。分からないでもないんだが、離婚してまでと考えないで、今のままでもできるんだからと思うんだけどすっきりしたいと言って聞かないんでね。」
生臭い話ではなさそうだが、年齢的にも将来を見据えて納得のいく形で将来を迎えたいとでもいう事らしい。
人間それぞれ考え方もあるし、その人の人生だから強制もできないが、わざわざそこまで考えなくても円満に我慢できないものかと青山も厄介なことが起きたと気が重かった。

思い付くままに   「父と子」 その2

2014-03-25 09:14:10 | Weblog
人と言うものは不思議なもので本能的に「自分中心」にものを考え行動するようだ。
そしてその人の行動は「自分の力」で全てが出来るという「錯覚」する。するとその人の考える事、すること、話すことは全部自分にしかできないこととなり、これが正しいこととなる。
それは相手の事をあまり考えに入れていない結果になる。そしてそのことから相手との
コミュニケーションは崩れ、次第に相手との間に距離が出来ていることに気が付かないことになる。するといざ大事な事を話さなければならないときに本音で心と心を通わすという事は出来なくなっていることに気が付く。
(例2)父はある会社のサラリーマンであったが、ある時内示で南米へ出向することを命じられた。その時息子は5歳になったばかり、娘は10歳で少し物事が分かりかけていたが、父は幼い息子と離れることにいささかの不安と寂しさがあったが、不毛の土地へ連れて行くことも出来なかった。南米ともなると休日があっても簡単には帰国もままならない(航空時間約30時間)
一年に一回程度の帰国しか出来なかった。幼い息子にとっても父親とのブランクは大きな影響を与えたようだ。帰国した時に父親が息子に声をかけると、息子は母親に「あの小父さん、何時帰るの」とけげんな顔をして聞いたというのだ。そして10数年が過ぎて帰国することになったが二人の間には埋めることのできない溝が出来ていたのである。
帰国してからも地方への転勤があり、家庭からの生活には遠い日々が続いた。息子は成長して就職していたが、通勤途中で交通事故に会い、身体障碍者となる。父親の定年と共にやっと二人の同居生活が出来るようになったが、全く会話のない別居同様の日々になっていた。
父はその後肺がんを患い死亡することになる。私は父親と親しかったこともあり、息子さんにも見舞いやお会いする機会はあったが、二人の関係を修復することに役立つことは出来なかった。
父親に息子に対する愛情がなかったわけではない。むしろ逆に一層の愛情を持った事だろうと思う。どんなに息子を抱きしめ愛情を注ぎたかったことだろうと思ってその気持ちを察して余りあるものがあった。
父はある意味「昔人間」であったかもしれない。心を開いて語り合うことが出来なかったのかもしれない。しかし彼は最後まで武士的な姿勢を崩さず、信念を貫きあるがままの愛情で報いたのだ。ここにも人間ドラマの1ページがあった。

パンドラ事務所   第七話   その1

2014-03-21 10:12:14 | Weblog
人生は表面では平穏に見えるし波紋も起きていない水面を見ているようだ。しかしその水面の下では想像もつかない波の揺れと大きな動きが常に働いていることを想像させる
青山は一人で暮らしているが、彼にも二人の子供がいる。それぞれ成長して家庭を持ち子供もいるが、ここでも毎日のように問題は起きていることだろう。しかし彼の耳に入ることは殆どない。会って話す機会があっても彼の方から特別に聞くこともない。「変わりないか」の一言で終わる。それ以上は立ち入らないし、気にかけないこととしている。それは傍観者でいるとか、無責任に自分には関係ないとすることではない。強いて言えばそれは自分が差配することではないし、大きな神の力に「委ねる」と言う思いである。各々が自己責任をしっかり果たしてくれることを願っての思いがそこにはあるのだ。
秋葉原の事務所での日々もそんな人には言えない、あるいは頼めないことの「悩み事相談所」のようなことが多い。話を聞いていくらかその役割を果たすことが出来れば安心感や不安感から逃れることが出来ることを願って訪ねてくる。そしてそれがいくらか役に立つと僅かなお礼を込めた報酬を受けることになるが、青山の方から請求したことはない。
彼にすれば話を聞き、その悩みや不安が少しでも減らすことが出来れば、自分も嬉しいし、それでよかったのである。その日もいつものように誰も来ない事務所での一日を過ごしていた。
すると、かつての友人であり同業の友達が訪ねてきた。若かりし頃二人は同業という事もあって交流があり、時間外になると情報交換と言う名目で、良く「飲み会」的に銀座近辺を徘徊していたのだ。現在はお互いに定年を過ぎているが、そんな共有できる思いが残っていてこうして
年に何回か会っている。
「元気しているか。」「まあまあだな」「それなら上等だよ、酒は」「辞められないなあ。」「やっぱりなあ。」「死ぬまで飲むか。」「そういうことになるか」片言的な会話がだらだらと続く。二人は黙って事務所を出ると近くの喫茶店に行き、それぞれ勝手に好きな飲み物をとり、
黙って飲み始める。特別な用事があるわけではない。唯顔を見合わせ確認できれば安心するという感じである。その日もコーヒーを飲んだら、何事もなく二人は分かれるつもりであった。
「青山、お前毎日暇なんだろう、ちょっと今日は俺の話聞いてくれよ。」
「何だよ。改まってお前らしくもない。何でも聞いてやるから話があるなら話せよ」

    思い付くままに   「父と子」  その1  

2014-03-18 09:23:12 | Weblog
この年になると自分を振り返ることが多くなり、昔を思い出してしまうことが多いのは仕方がないのだろうか。そしてその中には後悔と失敗の人生の大半だったことを思わざるを得ない。
然し、現在こうして健康に恵まれ家族に見守られ、数は少なくなってはいるが、何人かの友人知人と交わりをつづけながら生かされていることを嬉しく感謝のほかはない。
そんな中で後悔や失敗の原因がどこにあって、なにに気づいていればよかったのか、そんなことを考えさせられるのだ。それは自分自身の半生と共にこれから同じように人生を歩いていく若い人たちの警鐘と参考になればとささやかな責任を感じるからだ。
取り分け自分の分身ともいえる息子の事を考えるとき、自分と同じDNАを持つこともあり、同じ失敗をさせたくないという思いと出来れば少しでも私より良い人生を歩んでもらいたいと思う親心でもある。
そんなことを考えると結局は自分の失敗や過ちを告白し、認めざるを得ないことになりそれは恥ずかしく、言いにくいことになるがそれを認めなくてはならない。「子は親の後姿を見て育つ」の例えにあるようにそんな事は今更あらためて言わなくても全部知っていることかもしれないし、それを見ながら「反面教師」としているのかもしれない。
親もまた子供の事を少なからず知っていて自分に似ていることや自分にはないような弱いところもある。つまり親と子はそれぞれ長所、欠点を知っていることになる。とすればその事実を素直に暗黙の裡に認め合い、その上でそれをお互いに補い合いながらより良い道を歩けばよいのだと思うのだが、現実にそんなことが出来るのだろうか。(理屈の上では当たり前の事であり、分かっていることかもしれない。)
そんな事を考えていると世の中には様々な人間模様が繰り広げられているようで、私の耳にもそんな話が入ってくる。
例①親子で立派な事業家として仕事をしている。父の会社を子が継承し従事しているが、果たしてこの二人の間には共通の絆が結ばれているのだろうか。父は長い間の苦労と疲労で肉体的にも精神的にも限界が近づいている。背中には自社の負債も背負っている。
息子はある時期、そんな父を見ながら自分の道を歩きたく紹介された中国の仕事に専念し成功を収めた。ここまでは問題ない。そして帰国して父との仕事を新たに始めたわけであるが、この間の時間にどれだけの共通理解が出来ているのだろうか。ここに問題が生じている気がしている。
果たしてこの二人が同じ状況把握とこれからの打開策をどう話し合っていくのか。この事が何となく気になるところだ。

パンドラ事務所    第六話  その8

2014-03-14 10:31:37 | Weblog
女心と言うか、本能と言うか、その嫉妬心にも似た言葉に青山は女心を察した。「本人との付き合いはあまりないし、プライベートな話はしたことがないので分からないけど、彼には今そんな余裕も時間もなさそうだよ。」と当たり障りのない答え方をした。
「あの人、無口でそんなに女の人に話をする人ではないけど、女の人がほっとかないところもあるから」「そうかもしれないね。中々のイケメンだからなあ」と青山も相槌を打つ。その言葉で彼女の気持ちは一層高まってしまったかもしれない。
「だけど、あなたからの話で彼もあなたの気持ちは分かったと思うし、彼も考えているだろうと思うよ。今までのことも分かっていることだし」と彼女の気持ちになってフオローする。
グラスを何杯か重ねている内に、大分気持ちがほぐれてきたのか、最初の緊張感もなくなり本音が出てくるようになっていた。
「女の人に年の事を聞くのは禁句だから聞かないけど、まだ若いんだ。焦らないでこれからの事を考えたらどうかね。」遠まわしに話し始めた。「何かやりたいこともあるだろう。これからどんなことをしたいと思っているの」話をはぐらかされたように彼女も「私、東京で書籍関係の仕事をしたいと思っているの。新聞部にいた時、何か書いたり調べたりするのが好きだったから」
「それは面白そうだね。どこかその道の会社へ入って仕事が出来るといいね。」
「青山さん、どこか紹介していただけるところないかしら」急に振られて動揺しとっさに返事もできないでいると「わたし、どうしても東京で頑張るつもり」と言うと口をぐっと噛みしめている。「そうだね。片山君の事は焦らないで、しばらく時間をかけて考えたほうが良いと思うよ」
と本音に沿う話につないでみた。「でもあきらめないわ。片山さんはきっと私の事を考えていると思うし、私も忘れられないの」とまたむきになる。
ほんのりを紅をさしたような顔をみていると、女性独特の色気のようなものも感じてくる。
青山は不遜と思いつつも、彼女と一緒にこんな時間を過ごしていることに時間を忘れそうになっていた。
「さあ、そろそろお開きにしようか。時間も遅くなると色々と心配になるし帰るとしようか。
そんな訳で片山君の事は暫くこのままにしてお互いに自分の事を考えることにしようよ」
その言葉で彼女も立ち上がった。そして渋谷の駅で別れた。

   思い付くままに   「台湾訪問」  その3

2014-03-11 09:18:15 | Weblog
台湾のガイドブックには必ず出ている場所が「永康街」らしい。翌日近くの喫茶店(イカリ)
で朝食を済ませて、早速散策へ出かけることにしていたが、まだあいにくの雨である。
台北駅から地下鉄で二駅で到着。この一角が古くからある台北独特の食堂街であるらしい。
私は来るたびに食べていた朝粥を一つの目的にしてたので、何とか見つけたいと思って傘を差しながら、メインと思われる通りを一軒一軒歩いたが、朝粥を見つけることが出来なかった。
やっと見つけた看板のメニューに入ろうとしたら、今は作っていないと言われてしまった。
昔はどこかしこにあった気がしたのだが、今の時代に合わないのか、食生活が変わったのか、
昔を知る者にはさびしい限りだ。この永康街で何と言っても有名なのは「スムージー」である。
この真冬に合わないかもそれないが、欠かせない。何種類かがあるが、「マンゴー」と「いちご」を注文する。大きな器にかき氷のさらに細かくしたような雪のような氷の周りに果物のピースが一杯に置かれていてその上にアイスクリームが乗っているだけのものであるが。これが
どんぶり一杯ほどの量で出てくる。雨とあって客は少なかったが、何と日本人ばかりで珍しそうに食べている。「ルーローハン」も捨てがたい。どんぶりのライスの上に柔らかめの肉片の塊が乗っているだけであるが、その味付けが日本のしょうゆ味でマッチしている。何より食べやすく
満足感がある。(牛丼に似ているが、味がさっぱりして食べやすい)
それに「スーラーメン」も捨てがたい。
その他に道端で立ったまま食べる「ネギもち」「にらぎょうざ」など時間があればゆっくり一つ一つを賞味したいところだ。
夕方40年来の友人であり、現在も取引先の董事長である会社を訪問し、暑い握手と抱擁に歓迎され迎えられる。暫くの会談の後、10名が円卓を囲んでの広東料理のフルコースをご馳走になる。こうして短い二日間があったという間に終わった。
帰りの新幹線からはすっかり雨の上がった台北の町がきれいに見える。きれいと言えば新幹線でアルコールを楽しむ人が台湾ではないらしい。そのせいか、何となく清潔に見える。(食事はするらしい)到頭朝粥を食べないまま帰国することになるとあきらめていた時、空港のフードコートで一軒の食堂でヨット見つけることが出来た。最後の最後にやっと目的を果たすことが出来たことも今回の渡航が成功のあかしかなと嬉しかった。

   パンドラ事務所    第六話   その7

2014-03-07 09:42:07 | Weblog
食事が終われば何時までもここにいるわけにはいかない。取りあえず、ここを出ることにした。
外へ出ると相変わらず小雨が降っている。彼女がもし自分の好きな女性であったら、こんな時
に相合い傘で歩くのも乙なものだろうなあと想像してみたが、今はそんな余裕もない。さて
どうしたものかと駅の方へ坂を下りてゆく。途中、道の両側の道を横に曲がると、飲み屋がずらりと並んでいるのが見えるが、知らない店に入るほどの勇気はなかった。
駅に近いメイン通りで出ると近くにシテイホテルがあるのが見えた。ホテルならラウンジもあるだろうと思い、青山は向かっていた。フロントの横にはレストランがあり、その奥にちょっと洒落たラウンジがあるのを見ると青山はまっすぐそこへ向かった。彼女も黙ってついてくる。
テーブルへ案内されて落ち着くと「何を飲む。何でも好きなものを飲もうよ」と勧める。
ウエーターが来て「カクテルを頂くわ」「じゃあ、私はカンパリにしようかな」と頼むと「カンパリはそーだーですか。ウオーターですか」と言われ「ソーダーで」と頼む。青山は若い時から、こんな時その場の雰囲気を壊さないように飲めないながら工夫してカンパリを少し筒飲むことで時間を過ごすことを覚えていた。
彼女はきょろきょろとあたりを見回しながら少し落ち着かない様子である。飲み物が来ると
黙ってグラスを上げて合わせると二人は静かに飲み始めた。
ドラマなんかで良く出てくるシーンである。ドラマだとこの後二人は手を取り合って予約されている部屋へ入っていくという事になるが、ここではドラマのようにはいかない。
「久しぶりに飲んだので、とてもおいしいわ」彼女の表情がさっきより落ち着いている。
「じゃあ、もう一杯飲んだらいいよ。大丈夫だろ」「えー、じゃあも一杯頂こうかしら」
青山は自分のグラスをちびちびと舐めるように飲みながら、彼女の姿を観察していた。カンパリは少し苦みがあるが、これが木の実のリキュールの特徴で胃腸にも良いのだと先輩に言われていたことを思い出していた。そしてこれからの話をするには、ここが適当な場所であったことにほっとしていたのである。
「あの人に好きな女の人が出来たんじゃないかしら」急に独り言のように言い出した。
青山は慌てていた。まさかそんなことを急に言い出すとは思っていなかった。

思い付くままに   「台湾訪問」その2

2014-03-04 16:17:31 | Weblog
何回も来て知っているはずなのに桃園の国際空港が今回とても新鮮で近代的な空港に感じた。
中国大陸からの観光客も規制緩和と共に連日のように訪れているが、別の松山空港にしてあることで混雑もなく、整然としている。(毎月2000人の訪台)
ホテルも観光地も賑わっているとのこと。台北市内には迎えの車かバスでいつも行っていたが、その度に高速道路の渋滞に巻き込まれ市内近くになると交通渋滞に巻き込まれ、僅か40キロほどの距離が時間が読めないことがよくあったのがが、今回は新幹線の開通と共にすっかり変わり、空港から桃園駅まで専属のリムジンバスがピストン往復をして、駅へ着くと20分おきぐらいの新幹線に接続、台北駅までの所要は20分と正確である。
近代的に改装された台北駅にはショッピング街とフードコートが備わっていて時間を利用しながら楽しめるのも嬉しい。雨が降っていて台北でも珍しく温度の低い(10度C)日であったが、
アーケード伝いにホテルへ到着、無事チエックインを済ませる。
まだ寝るには少し早いとあって、早速台北駅のフードコート散策に出かける。夜市ほどのにぎわいはないが、主要な店が揃っている。店によっては朝早いとあって締め始めているところもあったがが(PM9時)まだ営業している店がたくさんあり、その店を一軒一軒覗きながら歩く。
今回はこれらの店を出来るだけ探索し、出来れば試食しながら本当の台湾の味を極めたいと考えていたこともあって、そのメニューが楽しくどんな料理かと興味がわいた。
そしてその中から「ルーローメン」を見つける。「スープの中に大きなトマトの切り身が浮いていて少し酸味の利いた味の中に麺がある。その調和が疲れた体にぴったりで心地よく食べれた。
そしてコンビニで簡単な果物を買ってホテルへ帰り、着替えてゆっくりと入浴して一日を無事終わることが出来た。
何もかもが新鮮で清潔でになっていて安全である。(水だけはミネラルのみ使用)昔(今から40年前)を知る者にとっては昔日の感であり、仕事を離れた今回の訪台は、本当に心を癒される思いである。当時は仕事を中心に行く場所、会う人、そして食事も接待か慰労を兼ねたもので
別世界を見ていた。林新北路を中心にした飲み屋街(銀座)ばかりを徘徊していたので、本当の台北の姿を見ていなかったのだが、今回はその時間が与えられたことはとても貴重であり、嬉しいこともあった。