波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

             オヨナさんと私   第70回

2010-02-26 09:49:48 | Weblog
暫く留守をしていた自宅へ帰ってきた。家の中は変わらず静かであり、いつものように掃除も出来ていて片付いていた。ほっとしていつものように庭を見ながらお茶を飲む。
さすがに庭は荒れていて草が生えて汚らしい。珍しく手袋とスコップを手にして庭に下りる。慣れない手つきで草を抜き始めた。植えておいた花もすっかり枯れて見る影も無い。
やはり家は留守にすると荒れてしまうことが分る。
旅は楽しく、また人との出会いもあり、得る事も多いがまた去るときの淋しさが残る。でも人は皆夫々同じであろうか。家族であれ、会社であれ、学校であれ夫々の場での交わりはあるが、行き着くところ最後は自分自身のところだ。「私はいったい何者なのか、私とは何なのか」
こう考えて自分に問いかけていくと、答えが出てこない。この答えは死ぬまで分らないままなのだろうか。考え方を変えて、もし何かを自分で作ったものだとすれば、それについては自分が何でも分るだろう。動かすことも、それが何が出来るかも、またそのものの良いことも悪いところも分っている。また如何することが正しくて、如何することが悪いことかも分るから間違うこともない。
だとすれば自分を創った作り主が分れば何か分るかもしれないことになる。
簡単に考えれば、それは「親」の存在であろう。両親から自分が生まれ、この世にあるとすれば確かにそうかもしれない。だから、ある一定の時間の中で育てられ、人間としての成長が見られる。しかし親の存在もまた、いろいろな形で限界がある。初めから親に助けられないこともあれば、そうであっても理想的には成長しないことが多い、ましていつかは居なくなる存在でもある。つまり親もまた人間であるからである。
そう考えると、自分の作り主はどこにいるのか、その作り主は自分が何であって、どう生きなさいと言うのか。そこにたどり着くことになる。自分の思うこと、考えていること、自分のしたいこと、すること、それが全てではない。それが全て正解ではない。
あえて言うなら、「これで良いのか。」が何時も頭にないといけないのかもしれない。
今までの自分があまりにも、自分中心の生き方であったことが分って来た様な気がする。
オヨナさんはきれいになった庭を改めて眺めながら、少し気持ちが静まるのを感じていた。これからは自分の作り主を忘れないで、生きてみたい。全てではないが、そのことを覚えながら人生を歩むことにしたい。

              思いつくまま   

2010-02-24 09:59:51 | Weblog
世の中には冒険家といわれる人が多くいるのだが、日本人の代表としてあげられるのは、
皆さんもご存知の「植村直己」氏であろうか。この人が日本の最高のアルピニストであり、
冒険家の元祖といわれているからである。その足跡はモンブラン、マッターホルン、ケニア
キリマンジャロ、アコンカグア、エレベストの五大陸最高峰を踏破したからである。
そして、彼はその後登山家から冒険家となり、犬橇単独12000kmの旅に成功し、更にマッターホルンの登頂を目指したが、途中命を絶ったといわれている。43歳であった。
つまり冒険家とは誰もした事がないことをすることにあるのだが、一つはっきり言えることは自分の興味と関心のないところへは進んでいくことは無い。つまり自分の興味と関心が
成功するたびに大きく、強くなり、更に困難な壁に挑戦していくことになる。
それはそれで立派なことであり、偉大なことだと思う。しかし、私たち人間が夫々そんな冒険をすることにはならない。しかし、よく考えてみると自分たちの生活はそのまま冒険に近い、否冒険そのものではないか。ただ、好むと好まざるとに限らず自分の目の前にある事を避けないで取り組んでいくことを免れないのだ。これこそある意味冒険なのである。何故なら毎日の生活は自分の興味と関心につながらなくてもそのことに挑戦しなければならない。
まして、その日のことは何時、いかに何が起きるか、どうなるのか、全く分らないわけである。そして一つ一つのことに取り組んでいくことで内側から自分自身が変革されていくこと。これはその人でしか得られない大切なことであり、これこそが本当の冒険と考えたい。
さて、2月も終わることになる。今年は二回の積雪を見たり、気温の動きも平年並みで推移していたような気がする。(予想では暖冬と聞いていてもう少し暖かいのかと思っていた。)自然の流れの不思議さは変わらず春を待つことになる。球音の響きが聞こえはじめ、
冬のオリンピックもたけなわとなり、周辺の動きが慌しく迫ってきている。間もなくすべてのものが躍動し始めるのだ。私も新しい住まいに転居を終わり、新しいスタートを切ることになる。環境が新しくなることで気持ちも変わり、心も新たになる思いだ。今年ほど3月を迎えることに思いが新たになったことも珍しい。日々新たにの言葉が改めて身に沁みるこの頃である。

  オヨナさんと私    第69回

2010-02-22 07:46:19 | Weblog
彼女は暫く黙ったままだった。どうしたのだろうかとオヨナさんはスケッチを続けながら考えていると、「彼がね、好きな人ができたよと言ったの。えっつと思ったけどもう若くはないし、あまり騒がないでいよう。そう思ったけど、この際自分の人生を考え直すときかなとも考えたの。でもなかなか決断が付かないのよ。ねえ、如何思う。?」
彼女を傷つけないで、新しい出発が出来る様にしてあげたい。でもどう言ってみても彼女の気持ちをそのままにしておくことは出来ない。つらいかもしれないけど、ここはきちんと言うべきことを言わなければならないか。彼女もどうしようもない自分の心にふんぎりをつけてもらいたくて、背中を押してもらいたくているのかもしれない。オヨナさんは冷静だった。「もう終わりにしようよ。そして長い間楽しい時間を持ててよかったと思うことだよ。前に進むために終わる事が大事だよ。」元々、結果的には略奪婚のようなものだった。
昔から、この場合子供がいるか、作るかして既成事実を持って一緒になることが多い。彼女はそれをあえてしなかった。男は子供がいるのと、いないのでは気持ちが違う。彼女は
あなたは彼が私のために別れたのだから、自分と別れることは無いと思っていたのだろう。
だけど現実的には目の前のことを見ようとしていなかっただけなのだ。
「当分は淋しいだろうし、つらいだろうと思う。でもこれはどうしても乗り越えなければならない事だよ。」彼女は黙っていた。もっとやさしいことを言ってくれると思いながら、やはりそういうことかとも思い、落ち込んでいく自分の気持ちを抑えているのかもしれない。
「ありがとう。私も分っているんだけど、踏ん切りがつかないでいたの。オヨナさんにそういってもらって気持ちも決まったわ。これからは大人の気持ちになって一人で歩いていくわ。オヨナさんこれから時々電話するから、お話聞かせてね。それできっと元気になれると思うわ。よろしくね。」一生懸命自分の気持ちを引き立てて話している彼女を見ながら、ここは自分も強くなって、憎まれても優しいことを言ってはいけないと我慢しながらスケッチを続けた。窓の外を眺めながら憂いを漂わせて坐っている彼女の姿が見事に浮かび上がってきた。「出来たよ。ありがとう。私もこれを見ながら君を思い出すことが出来る。元気を出して、これからも幸せになって欲しいね。」オヨナさんは満足だった。
ホテルのフロントまで彼女を見送り、其処で別れた、小さく手を振り、さっと駆けるように後ろを向き、歩き始めた。オヨナさんはそのまま暫く動くことが出来なかった。

            オヨナさんと私   第68回

2010-02-19 10:06:34 | Weblog
暫くレストランで話をしていたが、ヨナさんは不図「万理ちゃん、ちょっとホテルで休憩していかない」と言った。突然考えもしないことを言い出されて戸惑った様子だったが、彼女は「いいわ、ちょっと電話しておく。」と携帯電話を出した。ホテルは駅に隣接したところにあり、部屋は直ぐ取ることができた。二人は少しぎごちなく部屋へ入り、椅子に腰掛けた。「何か飲む。」と言ってお茶のペットボトルを置いた。
「いや、実はね。恥ずかしい話なんだけど、君の絵が書きたくなってね。スケッチなんだけど、少しゆっくり君の姿を書いておきたくなったんだ。」と言うと、スケッチブックと鉛筆を取り出した。「そういえば、ヨナさん学生の時から絵が上手だったわね。」
腰掛けて、窓の外を眺めている彼女の姿を見ながらヨナさんはゆっくりデッサンし始めた。「ヨナさん、私の話し聞いてくれる。さっき、私結婚してないといったけど、好きな人はいるのよ。その人とはもう20年ぐらいになるかしら。職場の人で同僚だったの。不思議ね。
好きになるときは周りの事は何にも見えなくなるの。だって、その人家庭が有ったんですもの。本当なら直ぐ止めるべきだったのに、そんなこと少しも考えなかったわ。ただその人だけしか見えなかったの。彼も私のことを愛してくれたのか、しばらくして、奥さんと別れたの、子供さんが一人いたけど一緒に家を出たんだわ。不倫だったのね。」
ヨナさんは話を聞きながら、黙ってデッサンを続けていた。「彼とは殆ど毎日のように会って食事したり、買い物したり、映画を見たり、楽しかったわ。結婚も考えないわけじゃなかったけど、私の妹が強く反対していたし、結婚はあまりこだわらなかったし、子供も作ろうとしなかったの。もう少し年をとりすぎていたので。」「そんなに好きでいたんなら、一緒に住むだけでも住めばよかったじゃないか。」と口を挟んだ。
「そうね。でも会って、二人で時間を一緒にしているだけで良かったの。どうしても一緒に住むという気にならないでずるずる来てしまったみたい。その内、もういい年になっていたわ。」自分が最初に女性に関心を持ち、淡い恋心のようなものを感じた彼女がそんな人生を過ごしていたとは想像できなかった。良い人を見つけて幸せな家庭を作っているとばかり思っていたのだが、世の中皮肉なものだ、何でこんな素敵な人が上手くいかないのか不公平だと思ったりしていた。

           思いつくまま

2010-02-17 10:53:38 | Weblog
「人間と言うものは、どうしても人に知らせることのできない心の一隅を持っています。
醜い考えがありますし、また秘密の考えがあります。またひそかな欲望がありますし、
恥がありますし、どうも他人に知らせる事の出来ない心の一隅がある。中略……」
もしも、誰かに「あなたは人に言えないどんな秘密がありますか。」と言われたとしたら
あなたはなんと答えることが出来るでしょう。否、決して何も語ることは出来ないでしょう。では死ぬまで自分の心にしまったままにしておくことになるのでしょうか。
しかし、人間は人にも言えず、親にも言えず、先生にも言えず、友達にも言えず、自分だけで悩み、また恥じている。そんな自分を如何思うだろうか。
そして忘れようとしても忘れられないままにこの秘密を抱えたまま人生を送ることになる。
しかし、それで良いのだろうかと自問自答することになる。
なかなか自分の中に全部しまっておくことが出来ないで、何らかの形で話してしまっていることが多い。しかし、話す相手であったり、話し方であったり、話す内容によって、状況はいろいろに変わり、影響をもたらす。場合によってはとんでもない事になって、収拾が付かなくなることもある。
相手に対して良かれと思っていることが、反対になることさえあるのである。この本の作者は「そこでしか人間は神に会うことができない」と結んでいる。
このことは生きていくために、大事なことだと思う。そして考えさせられることであった。
何時までも寒い日が続いている。そんな中で昨年秋に植えたチューリップの球根が何時の間にか芽を出し、ぐんぐんと大きくなっている。季節をしっかり掴んで時に合わせて大輪の花を咲かせてくれるに違いない。今年は暖冬で暖かい冬だろうと長期予報で聞いていたが、
昨年よりは寒い日が多いように思えるが春はもう近くまでやってきている。今中国のお正月とあって、世界的に中国のお客さんの「チャイナマネー」の話で持ちきりである。日本へもかなりの観光客による恩恵もあるが
功罪相半ばすることもあると聞いている。しかし、それにしてもその国力はここ数年の間で本当に現実的になり、力を示している。主に資源のあるところに注入されているが、このことが将来世界の間にどのような関係をもたらすのか、そのことが気になるところである。

            オヨナさんと私  第67回

2010-02-15 09:39:57 | Weblog
それは予想もつかなかった再会であった。まさか彼女に会えるなんて期待もしていなかった。ただ、岡山へ来て思い出して電話をしただけのことであった。本当に何十年ぶりに会うことが出来た幸運を思わざるを得なかった。
卒業以来のことで想像もつかなかったが、彼女は変わっていなかった。面長の品の良い、色の白さ、そして少し外又で歩く歩き方、確かに年齢を重ねただけに、姿に貫禄のような重さが感じられたが、それはむしろ彼女の知性を深めていた。
挨拶の後、二人はレストランへ入った。話すことはたくさんある気がしていたが、言葉にはあまりならなかった。簡単な食事をした後、お茶をしながらやっと落ち着きを取り戻す気持ちになっていた。「さっき食べたあの小さな魚、少し酸っぱかったけど、あれ何と言う魚なの」「あれ、ママカリっていうのよ。」「えっつ、ママカリ」「そう、瀬戸内海で取れる白身の魚でたくさん取れて、ここではこれを酢漬けにして食べるの。これをおかずにして食べると
あんまり美味しいので、ご飯がなくなって、隣の家に飯を借りに行くぐらいという所から付いた名前よ。」「へえー、それは始めて聞いたよ。少し骨っぽい感じはするけど、さっぱりしていて美味しかったよ」そんな話をしながら、遠い昔を思い出していた。彼女の人生は今日までの長い時間の中で、どんな変遷があったのだろうか。どんな人との出逢いがあり、今日まで生きてきたのだろうか。それは自分の人生をダブらせて考えさせられることでもあった。プライベートなことを詮索するのは失礼と思いながら、聞かないわけには行かなかった。「今、如何しているの。」「今の会社で仕事をしているわ。ずっと一人よ。母と妹がいたけど、母は死んで、妹は結婚しているわ」「そう、僕も一人だけど、」と呟くように言った。
「ヨナさん、どうして結婚しないの。」「やはり、色々制約もあるしね。条件も難しいよ。でも結局は縁がないのかな。」「それより君はどうだったの。」「私は一杯恋をしたわ。
いい人もたくさんいたわ、出逢いがあって、別れがあって、又出逢いがあって又別れてその繰り返し、そしてその出会いもだんだん少なくなってきたの。」そういうと、少し淋しそうな表情を見せた。「君はとてもきれいで、あの頃、僕は無性にあなたにあこがれていたんだけど……」「そうね、あの頃のヨナさんとても可愛かったわ、何か同級生なのにあまり子供っぽくて、とても友達の様には見えなくて、弟のようだったわね。」

オヨナさんと私   第66回

2010-02-12 09:51:33 | Weblog
翌日、オヨナさんはここ伊部に伝わる「古備前」の記念館を訪ねた。古くから岡山には中国地方の北からの良質の砂鉄を利用して刀が作られていた。「長船の名刀」と呼ばれるものがあったことを聞いたことがある。館内は人気が無く、静まり返った中に幾振りかの刀が陳列している。その一つ一つは見事なまでのそりであり、光を放ち見るものの心を突き刺すようである。好きな人にはたまらない光景であろうか。オヨナさんは見ているうちに何か吸い込まれるような、ある種不気味な気持ちになり、その場を離れて外へ出た。
岡山は自分にとって、第二の故郷であった。台湾を出て、日本へ来ることになった時、紹介を受けた人が岡山の人であり、始めての日本での生活が岡山であった。
そんなことで久しぶりに来た岡山は懐かしく色々な思い出がよぎって思い出されていた。
しかし、それらの大半は苦しかったこと、つらかったことであり、楽しかったことや嬉しかったことは殆どなかった。だからあまり思い出したくないことが多いのだが、その中で一つだけ残っていることがあった。高校生の時の同級生である。彼女は東京から疎開していて、友達が少なかった。日本語のあまり出来ない自分の面倒を他の誰よりも見てくれて、気がつくといつもそばにいて通訳のように教えてくれていた。都会育ちの色の白い面長の美しい姿が今でも目に浮かぶ。今思えば初恋のような、心をときめかせた最初の女性だった。
「そうだ、彼女のことを知りたい。元気でいるかな。確かこの地元の会社に就職していると聞いたが、まだいるだろうか。」急にそわそわと手帳を取り出して調べ始めていた。
「ダメでもしょうがない。一度電話して確かめてみよう。」勇気の要る決断だったが、受話器を取った。「そちらにこ児馬さんと言う方は居られませんか。」「児馬、何といわれますか。」「児馬万里子さんです。」「ちょっと、お待ち下さい。」少し間があった。
「児馬ですけど」懐かしい声、その声は昔と少しも変わらず、一気に何十年も前にタイムスリップしていた。「ヨナです。台湾のヨナです。」「えー。ヨナさん、本当に」そして声が消えた。「ヨナさんなの。懐かしいわ。今どこにいるの。」「岡山に来ました。」「岡山のどこなの。」「駅の中です。どこか分りません」「それじゃあ、改札口のところにいてください。じっとして動かないで、後10分もしたら着くから」彼女の声が弾んで聞こえた。

思いつくまま

2010-02-10 07:40:12 | Weblog
人は日々の生活の中で、何か事を為そうとするときに無意識に又は本能的に「エキスキューズ」することが多い。言い換えれば問題を自分のこととして背負うことを避けようとする。
そしてその度に「言い訳」をすることになる。事の是非を瞬間的に峻別して自分のこととするか、他の事とするかを判断してしまうのである。
しかしこのことを自分自身で冷静に考えてみよう。例えば「自分の部屋をきれいにしたい。」と考える。しかし自分ではしたくない。そして誰かが、何時かしてくれるだろうと考える。そしてそのままの状態が続く。何かをしたい。こうありたい等と自分の望み、欲望はどんどん膨らんでいくがそれだけである。そして其処には何も起きない。
そこで発想の転換をするのである。つまり三つの「~から」の実践である。
それは「ここから、今から、私から」であり、自分のところから始める。そして何時かするというのではなく、今からであり、誰かを待っているのではなく、自分から行動するのである。このことに気づけば自分がしなければいけないこと、自分が出来ることが見えてくる筈である。そのことがすべてを変えていく事になることを覚えたいと思う
2月の積雪は2年前にもあったことを思い出した。節分も終わり、立春を迎えた。今、中国を中心に東南アジアでは旧正月の中節を迎える準備で賑わっていることだろう。
日本の正月風景がすっかり冷めた傾向があるのに比べて、この旧正月の祝い事がまだまだ続いている事に意義を感じる。そしてこの行事が終わると春を迎えることになるのだが、本当に暖かい春を迎えることが出来るのだろうかと不安もある。
まだまだ景気の回復が見えないし、厳しい状態が続いている。世界における日本のポジションも水面下で静かに変化している。日本全体のGDPが下がっているが、それよりも国民一人当りのGDPが世界で二位を保っていたが、今や29位までランクダウンしていると聞いた。さすれば日本のこれからの日本の位置づけは今後どうなるのだろうか、そしてその事は私たちの生活にどのように影響してくるのかを考えさせられる。
この辺でこんな時だからこそ、政府も国民もふんどしを締めなおして、まず「ここから、今から、私から」を実践することを考えたいものです。
固かった梅のつぼみも、今週ぐらいから膨らみ始め、このあたりでも来週には梅の香りと花を満喫出来るのではないかと楽しみにしているこの頃です。

          オヨナさんと私    第65回    

2010-02-08 09:02:30 | Weblog
その夜、オヨナさんは夢を見ていた。そこは2DKのアパートの一室だった。二人の老夫婦が住んでいた。主人は夫人より若く少し年の離れた姉さん女房のようである。どうやら主人の趣味は釣りの様で仕事の無い時や休みの日は必ず釣竿を持って出かけてしまい、家にいた事がない。夫人はそんな主人の世話を甲斐甲斐しくしていて、帰ってくると汚れた衣類の洗濯は勿論のこと、放り出された道具の整理、釣ってきた魚の始末等すべてのことを黙々と整理している。疲れていても、自分の用事があっても口答えをしたり、それをしないわけにはいかない。何度か文句を言って反抗したことがあっても、その都度暴力沙汰になることもあり、怪我をすることもあった。何度か思い余って家を出ようと思ったこともあったようだが、思いとどまり数十年が過ぎていた。二人とも70歳近い年になり、身体も弱っていた。主人が大病をして手術をし、薬を飲みながらの生活であり、夫人も悪くなったひざをかばいながらの細々と手伝いの仕事もしている。
そんな二人に異変が起きた。あれほど我儘で自分の言うとおりに夫人を使い、動かしていた主人が「苦労をかけたので、北海道旅行に行こう」と言い出したのである。
そしてそれは程なく実現した。旅行から帰ってからもその態度は変わらず夫人の悪いひざのために高価な薬を見つけて買って来て飲むように進めたり、好きな釣りもほどほどになり、夫人の希望していた、靖国神社の参拝であったり、デパートの買い物などにも一緒に出かけるようになった。何が主人の心に芽生えたのか。それは誰にも分らないことだった。
二人を知る周囲の人たちには直ぐ分った。「昔とすっかり変わった」と驚くばかりである。夫人を知る友人の話しによると「本当に優しく気を使ってくれるようになった。何度別れようかと思ったことがあったが、辛抱して良かったとおもっている。一緒に暮らしていても、式を挙げるわけでもないし、籍にも入っていなかったけど、籍にも入りました。」と聞いている。夢から覚めたオヨナさんは人の心の真実の証しを見た思いであった。
こんなことがあるのだろうか。色々な夫婦の例があるが、ほとんどがこんな場合、破綻につながる例が多い。一度破れた関係はそのまま修復されることは少ない。しかし、こんなにも美しい結末になる実態を見ることは稀であった。
夫人の誠実な夫への献身が夫の厚い心の壁を打ち破ったのだろうか。貧しい中にもこんなにも美しい夫婦愛が出来て老後を助け合って生きていくことが出来るのであれば、今までの苦労が本当に報われて幸せが来ることだろう。

           オヨナさんと私   第64回

2010-02-05 09:52:06 | Weblog
何故だか、何時からかそんなことは良く分らないのです。でも出会ってから二年もたち自分よりずっと年下の彼のことが忘れられない。もちろん家庭もあり幸せに生活している。
そんな彼のことが忘れられなくて、何時も自分の中では何とか乗り越えていかなければと思いつつ、彼のことを思うとつらくなり、自然に涙が出てきてしまうのです。
そして暫くは自分の気持ちを処理できなくなってしまう。今はもう半年も会えなくて、本当はもう終わりかけているのですが、悩んでいます。「こんな事ってあるんですね。」と彼女は訴えるように話す。あたりは誰も訪れる人も無く、静かである。オヨナさんは歩きながら
話を聞き、彼女の顔をまじまじと見た。話が額面どおりだとして聞いて、確かに彼女にとっては大きな問題かもしれない。しかし、彼には何故か伝わってくるものが無かった。
何か其処に作られたもののようなものが感じられたからである。
人生の中では男であっても、女であっても、このような出会いはあり、心が動くことはしばしばあるだろう。しかし、一時の感情で動いて自分の大事なものを失ってはならないと思うし、まして築いてきた家庭の一人一人の心を傷つけることは許されないであろう。
「良い思い出が出来ましたね。そんな素敵な時間を持つことが出来ただけで幸せだったと思ってください。そして今を大切にしてください。」オヨナさんの気持ちには本当はもっと強く咎めたい思いもあったが、彼女の思いを大事にしたかった。そして裁くことが本意ではなく、自分ではないことも知っていた。彼女も暫くは心を痛め、傷つくだろうけど、その内時間と共に癒されていくことだろう。そのことを願ってのことだった。
其処から再びバスへ乗り、南に行くと瀬戸内海へ出る。そしてその途中に「伊部」と言う町があることを知っていた。そこは「備前焼」の産地として有名である。
何時か機会があればこの焼き物を本場で感じて見たいと思っていたので、この機会にと立ち寄ることにした。釉薬を一切使わないこと、地元の田を掘り起こして取り出した土と黒土を混ぜ合わせた鉄分を含んだものを原料として焼く。一見何の派手さも無いが、一つとして
同じ模様にならないことが特色であり、飽きがこないのも良いとされている。
明日はこの夢を堪能することが出来ると、少し興奮する思いでその夜をすごしていた。