波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

   パンドラ事務所   第六話  その6

2014-02-28 10:23:13 | Weblog
「私は彼のことが忘れられないというか、いつも彼の事ばかり考えるようになっていました。
大学へ行くと言っていたけど、どうしているのか。そして何よりも私の事をどう思っているのか。会って話をしたい。そのことばかりが頭を離れなくなっていたのです。」彼女は話しながら
そっと目頭を拭いている。青山はその話を黙って聞きながら純真で素直な女心をそのまま受け入れて聞いていた。大人になっていく成長期で経験を重ねる。その第一に出会うのは「男女の愛」
かもしれない。初めて経験するこの男性への思慕、そしてそれをどうしたら良いか分からないままに悩み、そこから抜け出せなくなる。話を聞きながら羨ましくもあり、微笑ましくもあった。
青山は遠い昔に自分もそんな時がかすかにではあったがあった事を思い出していた。
東京から疎開していじめにあった時、同じ疎開っことしていた同級生の女の子に慰められたときに、この女の子といつも一緒にいたい、話をしたいと思い続けていた。
「彼は今どうしているんですか。何をしているんでしょうか。」急に現実に引き戻されて青山は少し慌てていた。「彼は今千葉の某大学の医学部で勉強をつづけながらインターンの仕事をしながら頑張っていますよ」「そうなんですか。今日どうして会いに来てくれなかったのでしょうか
」「いやーそれなんですがね。今日はどうしても手の離せない仕事があって、これなくなったらしいんですよ。それで私が代役を頼まれましてね。」「じゃあ、彼の都合の良い日なら会えるんですね。」「いや、それがなかなか都合がつかないみたいで、しばらく時間を欲しいと言っているんですよ。」出来れば、婉曲に傷つかないようにあきらめさせねばならない。然しこの場面ではどう言ってみたところで、納得することにはならないことは分かっていた。
「私はどうしても彼に会って話を聞かないと帰れません。会ってもらえるまで友達の家に泊まらせてもらって待ちます。」ときっぱりと言い切る。
青山はその言葉を決して無茶だとは思わなかった。そうだろう、そうでなければおかしい。
純粋な恋ほど一途なものであり、そうでなければいけないとそう思っていたからだ。だがしかし
それでは片山の望んでいることに反して彼に又余計な負担をかけてしまうことになる。
「君の気持ちは分かった。だけど彼の気持ちも考えてどうすればよいか考えてみよう。」半ば
彼女の気持ちを尊重しながら時間をかけてそのかたくなな気持ちを解きほぐすしかないと性急な結論を急がないことにした。

思い付くままに   「台湾訪問」 その1

2014-02-25 09:25:48 | Weblog
思いがけない雪が週末に続き天気が心配されたが出発の日は快晴に恵まれて息子の車に便乗して成田に向かう。高速道路では旅の興趣がそがれるので、敢えてのんびりと一般道を走ることンした。成田に近づくと有名な印旛沼が見えてくる。そこへ「甚平大橋」を名づけられた橋がある。
その橋のたもとに有名な「うなぎ」を食べさせる店があると聞いていたので、少し早いが立ち寄ることにした。その店はうっかりすると通り過ぎてしまうほどの目立たない店で看板も申し訳程度のものであり、暖簾も出ていない。時間はまだ11時を過ぎたばかりであったが、すでに先客がいて営業中だとのことで入る。何でも12時を回るころには駐車場は満車となり、番号札での順番待ちで1時間半ぐらいになるというからすさまじい人気である。中はあまり立派とは言えないテーブルがあるが、20名も入れば身動きが取れないほど広くない。この店の周囲には同じような店が道路を挟んで並んでいるが、ほとんど車が止まっていないのが不思議なくらいである。
「うな重と肝吸い」で2000円程度だからさほど高くはない。それで何故ここに人が集中するのか
その謎を考えながら食事を終えた。確かに満足感は十分感じることが出来た。然し特別変わったことはない。強いて言えば「米」の味と「たれ」の味に特徴がある気がした。他と比較をしていないので、何とも言えないが食後の充足感と満足感は十分味わえた。ここにひかれているのかもしれない。いずれにしても日本を離れる前にしばらくぶりに食べた「うなぎ」に何となく幸先の良いものを感じていた。
第二ターミナルのロビーは閑散としていてフードコートものんびりと歩ける。時間があったので
(今回は社用だが観光を主としていた)食べ物の店や土産物の店を丹念に覗いてみたが、年々陳列されているものも変わっていて、見ているだけで楽しい。
しかし食べ物の店で「うなぎ」を出している店がなかった。土産に真空パックのものは置いてあったが、メニューになかったので食べてきたことに改めて満足していた。
先日の雪被害ではこのロビーの1階から4階まで約一万人の人が足止めを食い、一夜を明かしたと聞いていたので、さぞかし混雑したであろうと察していた。(息子のその被害者の一人だった)キャセイ航空の台北経由香港行きはこうして定時にフライとしたのである。

   パンドラ事務所  第六話   その5

2014-02-22 11:41:16 | Weblog
コース料理を頼むと取りあえずビールを1本頼む。青山は飲めないが初めての彼女との食事で
少しでもリラックスさせ、落ち着かせたい思いがあった。
「乾杯」と形だけグラスを合わせて
一口飲む。彼女は美味しそうにぐっと一気にそれを飲み干した。そして恥ずかしそうにこちらを見ている。料理が少しずつ運ばれてくる。
彼女は一つ一つを味わいながら時々「おいしい、初めてこんなにおいしいもの食べるんだけど
どうすればこんな味が出来るのかしら。」と時々考え込んでいる。料理には興味があるらしい。もくもくと食べている間はあまりしゃべらなかったが、デザートが出てお茶を飲み干すと静かに話し始めた。「片山さんとは同じ高校で出会いました。家は少し離れていましたが、授業が終わると同じクラブ活動で一緒に過ごす時間が多くなったのです。新聞部という事で学校新聞の編集の仕事を受け持ったのです。記事を書いたり、商店街へ出かけて広告を取ってきたり、結構二人でいる時間がありました。」テーブルの上だけを照らしている少し薄暗い照明は彼女の顔を薄ぼんやりと浮き立たせていた。やっと少し落ち着いて彼女を観察する余裕が出てきて見ていると
中々の美人である。田舎から出てきたにしては素朴な美しさを備えている。体つきは少し肉体的に豊満な感じでその容貌も誰かを想像させた。青山は話を半分に聞きながら「誰かに似ているなあ」勝手な想像をしていた。そしてある女優さんを思い出していた。「そうだ昔、春川ますみ」と言う女優さんがいたけどあの人の感じかなと見直していた。そしてこんな女性と付き合うのもいいもんだなあと片山から頼まれていたことを忘れて見とれていた。
「でも高校を卒業するときになって、急に片山さんから東京へ出ることを知らされたのです。
初めは何にも感じていなかったのに、その言葉を聞いたとたんに自分が片山さんにひかれていたことをはっきりと感じていました。日ごろそんな様子を見せたことはないし、無口でいる彼なので分からなかったけど、そのことがむしろ男らしく思えて一緒にいたいと強く思っていたのです。だから彼が何を言ってもついていくつもりが出来ていたのです。
でも彼はただ東京へ行くと言うだけで、一緒に行こうというわけでもなく、私も行ける状況ではなかったのです。卒業するといつの間にか彼は大島にはいませんでしたし、その後の事は全く分からないままでした。」

   思い付くままに   「久しぶりの訪台」

2014-02-18 08:08:34 | Weblog
日頃は特別な用事でもなければ出かけることはないのだが、今回は4年ぶりに台湾を訪ねることになった。台湾は私の人生にとっては大きな足跡を残した場所でもある。それは訪問の回数だけではなく、仕事の上でも「始めであり終わりでもある」と言う意味もあった。
昭和48年と言えば今から約40年前になるが、初めて日本を離れて渡台、定年を迎えて仕事を離れてこれでもう行くことはないと思っていたが息子が仕事を継いだ形になって新しい交わりがはじまり、それが今回の行くきっかけとなったのである。
先方の会社も創立40年を過ぎ、新組織になっているが、董事長は当初から変わっていない。私も年齢を重ねたが、彼も同じ年齢とあってお互いにこの際会うことになった。
彼は台湾人でありながら酒を嗜まず、敬虔なクリスチャンでもある。そんなこともあって今回は元気なうちに再会しようとなったのである。
出発を前にしてあれこれ思いを巡らせている内に、あることを思いついた当時はビジネス中心の時間を過ごし昼夜を問わず接待や業務に専念して観光はおろか、市中の名所など知る由もなかった。最近TVなどで台北の市内を盛んに紹介している映像を見ていると私の知らない食べ物や
名所がたくさんできていることを知った。(当時は新幹線も地下鉄もなかった)
中国人の観光客も規制緩和に伴っても連日大挙して訪れていると聞いている。
そこで今回は出来るだけ空いている時間を利用して地元の下町や古い街並みを散策して地元の
人たちが利用している屋台の食べ物や生活物資を少し丹念に探索してみたいと思っている。
土産物もありきたりのからすみ、月餅などではなく、普通の人たちが日ごろ親しんでいるものを物色して味わってみたいと思う。
台北駅のフードコートや永康街は小さいけれど昔の儘の面影を残して賑わっているようだ。
そこで大好きなビーフン、ネギもち、ルーローハン、そしてスイーツにスムージーを食べたら
本当の意味で台湾へ来たという思いになれるかもしれないと思うと行く前から久しぶりに心がわくわくしてくる。
将来は中国との関係も政治的な影響を受けて台湾も変化していくことだろう。そして本来のものも変化していくかもしれない。それも時の流れとして受け止めていくのだが、せめて今回は
歴史的に培われ築いてきた台湾の風土を少しでも垣間見ることが出来ればと願っている。
それは私の青春の一ページが残されていると思うからであり、それを大事にしたいと思うからでもある。

   パンドラ事務所   第六話  その4

2014-02-14 13:11:18 | Weblog
数日後片山から「彼女から渋谷のハチ公銅像前で会いたいと言ってきた」知らせてきた。青山は
「私の事はは説明してあるの」「いや、ただ分かったとしか言ってないので良く説明してください。よろしくお願いします。」到頭乗りかかった船に乗ってしまった変な気持であったが、引き受けた以上嫌とは言えず「分かったよ。行ってくるよ」と電話を切った。
生憎の雨で気が重かったが、反面どんな女性が来るのかいう好奇心もあった。自分の事ではないのに何となく興奮している。久しぶりの渋谷である。若い時は話の種と思い、何度か行ってみたことがある。道玄坂や繁華街はやはり独特の雰囲気があるが、目的もない散策は何も得ることもなく、ただ人ごみがうっとうしいだけだった。
駅前は昔と変わらず、交番前には人だかりがしていてハチ公は相変わらず首を少し傾けて今も
主人を待ちかねている様子はいじらしい。そのへんをぶらぶらしていると夕方とあって何組かの男女の待ち合わせの姿も見ることになる。もうそろそろかなと注意しているとそれらしい女性が
傘を肩に立っていた。「失礼ですけど木村さんでしょうか」と聞いてい見る。女性は驚いたようにこちらを向くと少し警戒するように「はい、そうですけどどちらさまですか」と聞かれる。
「私は青山と言うもので怪しいものではありません。実は片山さんから頼まれて代理で来ることになったんです。」と名乗った。彼女は青山の様子を暫く観察したようだが、「片山さんは来ないんですか。」と言う。「彼は今日どうしても外せない用事があるようで私に代わってほしいと頼まれましてね。よかったら少し時間をもらって食事でもしながら話をしたいと思っているんですけど」片山が来ないと分かった時点で急にテンションが下がって見えたが、食事の話を聞いたときに少し表情が柔らかくなった。「分かりました。私も話を聞いてもらいたいので、」という
スクランブル交差点を渡り、道玄坂を少し上りかけたところに少し落ち着いた和食屋がみえてきた。暖簾には「嵯峨野」と書いてある。
少し高級なところそうだから、ここなら少し静かに話が出来るかもしれないとためらわずに入った。客はほとんどいなくてテーブルが並んでいる。照明を少し落としてあり、何となく
静かな雰囲気が漂っている。青山は慣れた足取りで一番奥のテーブルへ行くと彼女を座らせた。
「さあ、ここでゆっくり食事をしましょう。そして明るく声をかけた。

   思い付くままに  「弱さが力になる。」

2014-02-11 10:57:01 | Weblog
一年を通じて必ず一回は経験することに「冠婚葬祭」の行事がある。しかしここ10年ぐらいを振り返ると冠婚は数年に一回ぐらいで、葬祭の方は必ず一回はある。先日ある人と話していたら、「先週は一週間で3回の葬儀に出かけた」と言っていたが、これは特別だが年齢もあるが、総じてこんな傾向であるかと思う。私も1月にはある葬儀に出席し、火葬の収骨までいたが、その時間待ちの間で遺族の人たちや親族その他の関係者と時間を共にした。その時聞くことが出来た
各々のお話はとても貴重なものであった。
故人の父親としての姿を子供たちが赤裸々に語っていたが、その内容は外部の人から見える印象とは大きく異なるものである。当然であるが人間としての色々な面が表れていることが分かる。
それは良いことばかりではないであろう。人間に完全はない。むしろ欠けていることが多いからこそ人間なのかもしれない。
しかしその「欠け」がそのまま欠点という事にはならない。むしろ才能に長け、全てに自信を持ち権力を持っていることが、その人間を舞い上がらせてしまうこともある。すると往々にして
何らかの失敗をするか、人を傷つける「落とし穴」に落ちることもある。
各々が持ち合わせている「欠け」はその人が不図気づかないうちに思い上がって自分の立場を忘れ舞い上がる錯覚に落ちるときの一つの大きな「とげ」のようなものと考えられないだろうか。
昔からそんな意味では、自分の肉体上の欠陥であれ、何であれその欠陥を欠陥とせず「力」として成功した作家であれ芸術家であれ多いことでわかる。
それは有名無名を問わず、各々が自らを省みなければいけないことだろう。
私も自分自身を振り返ると今まで見えなかった「欠け」の多かったことに気付き唖然とさせられている。そして今までに多くの人の心を傷つけ迷惑をかけてきたことを後悔すると同時に申し訳ないと思わされている。
そして残された時間の中でそんな「弱さを力」として何が出来るかを考えている。
人々の交わりの中でできる事、それは家族であれ、誰であれ、まず「謙虚さ」だあろうか。
自分ができる事は何もないと知った時、初めてその事に気づくのだがその姿勢を忘れずに
何事も行動したいと思うし、そこから何事も生まれてくるのだと思うことを心に銘じたいと思っている。

   パンドラ事務所  第六話  その3

2014-02-07 09:48:22 | Weblog
「そりゃあ嬉しいじゃないか。わざわざ来てくれるなんて」と軽く言うと片山は顔をしかめて「青山さん、無責任にそんなこと言わないで下さいよ、こっちにだって都合と言うものがあるんですから」「えっつ、そうなの、何か都合でも悪いことでもあるのかい。」と皮肉っぽく言うと「別に悪いことをしているわけじゃあないですよ。ただ、今は昔と違って女と関わっているほどの余裕がないんですよ。それに彼女とは島にいるときだけの付き合いでもう終わったと思っていたんです。」「そうか、君の気持ちは分かったよ。だったらそれはそれで彼女にあって直接はっきり話せばよいじゃないか。」「そうすることが出来るならわざわざ青山さんに相談に来ませんよ。それが出来ないからどうしたら良いか教えてもらいに来たんじゃないですか。」今どきの若者は人にものを頼むときでもあまり礼儀を弁えていないようだ。まるで当たり前のように口をとがらせている。
しばらく沈黙が流れた。青山は面倒なことに首を突っ込む気はなかった。
下手に同情したり、理解を示すと自分に降りかかってくるリスクを感じていた。
「出来れば会わないではっきり断りたいんですよ。だけど彼女、友達の家を頼って出てきて、東京へ着いたら、ここへ来るつもりらしいのでそれを止めるのは難しいんです。だから青山さんが私の代わりに会って話をして頂けないですか。」
やっぱりそうか。恐れていたことが起きていてそれを覚悟しなければならないことを話を聞きながら感じていた。そして思い口を開いた。
「片山さん、あなたも立派な大人だし社会人だ。逃げたりしないで正面から会って正直に自分の考えを話すべきだと思うよ」と一応正論と思われることを口にした。
「分かってますよそれは、私だってそうしたいです。でも会ってしまうと彼女の言い分に負けて自分がどうなるか自信がないんです。そして自分の考えていることと違ってしまうと後で後悔することになってしまうのではと心配で自信がないんです。お願いします。青山さん私の代わりに彼女にあって話してもらえませんか。」そんな片山の赤裸々の話を聞きながら青山は不図自分の若かった時のことを思い出していた。
そうだ。自分もそんな時があった。結婚を考えていた時に自分の考えを通すことが出来ないで、
親の言うとおりに自分の気持ちを抑えてしまい、何かそぐわない結婚をしてしまったような
気がしていたことを何となく思い出していた。

   思い付くままに   「得る事.与える事」

2014-02-04 10:09:21 | Weblog
私の住んでいるアパートの隣がジジババトリオの婆さんの住まいだ。そこから週に何度か電話が入る。「今何をしているの。爺が来たわよ。よかったら顔だして」「分かった、片付けしたらすぐ行くよ」こうして三人が婆さんの居間に集まり、僅かな時間を交わりの時とする。
何の話があるわけではないが、その時間はかけがいのない時間となり、笑いとストレス解消の時間となる。一時間もすると爺二人は「そろそろ引き上げるか」と腰をあげかけると婆が「今日は魚屋さんが来る日で珍しくアラを買ったので、それを使って大根を煮付けたんだよ。おいしいだしが出ているから、持って行って食べな。今鍋に入れてやっから」そう言うと各々に魚と大根の煮つけを持たせてくれる。「ありがとう。今晩はこれでご夕飯だ。ご馳走様」三人は別れて帰る。そこには何の計算も打算もない。
しかし、元来人間はこの世での生活においては無意識のうちに「得る事」と「与える事」を感じながら行動するし、それがまた自然でもある。言い換えれば人は何であれ「与えられる」ことに
喜びを覚えるものだと思う。然し逆に「与えること」と言う意識はどうだろうか。
僅かなものでも事でも意外に行動には移せないものである。よく高齢者の部屋にもう使わない
又は必要としないもので溢れている光景が見られるが、不要なのに捨てられない、処理できないという事と似ている気がする。
婆の行動を見ているとそこには何のわだかまりも無理もない。ましてそれで見返りの計算などみじんもない。まるで家族が少ない食べ物を分け合って食べる食卓の風景である。
そしてその事を喜び分かち合えることを楽しんでいる事があふれているだけである。
良く若いもの同士で見る「シエアーする」と言う光景があるが、こんな事だろうかと思える。
そんな婆の姿から「得る事」よりも「与える事」の大切さと尊さを学んだ気がしていた。そして
その夜、鍋をつつきながら婆のぬくもりを感じていた。
数日後、私は用事で出かけた帰り道、まっすぐスーパーへ立ち寄る。「今日は婆の好きな
牛乳と菓子パンを買って帰ろう。」少し荷物になるが、受け取るときのうれしそうなあの笑顔がたまらない。そう思いながら歩き出すのだった。