波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

   音楽スタジオウーソーズ   第17回

2014-09-29 10:41:46 | Weblog
宮下と名乗った女性がどこに住んでいて何をしている人かは何も分からなかった。コーラスの練習をしている時間とただ一度の食事会での短い時間だけではそれも仕方のない事なのだが、外処には二人の間に何か繋がった線が出来ているように考えられた。
面白いもので男性心理と女性心理の違いがここにもはっきりと出ていたのである。女性は
男性を見る目は一般的には特別な人を除いてはクールであり、仮に「タイプ」と思われる男性が現れたとしてもそんな素振りを見せることはない。むしろそんな時こそ返って関心がないような振る舞いをするほどだ。そこへくると男性は性格にもよるだろうが、気に入った女性を見つけると単純に熱くなる傾向がある。そして何とか早く自分の中に取り込もうとする。これは潜在的な本能によるものかもしれないが、それが二人の間に問題を起こし不幸になる場合も多い。ストーカーなどはその良い例かもしれない。
外処は宮下が示した好意は自分個人への好意と思い込んでいたし、自信もあった。若いときからその容姿の魅力で言い寄ってくる女性を何人も経験していたからである。
身長も平均よりは高く、少しつりあがる太い眉毛と毛深いマスクと見識の広い話しぶりは
女性にとって頼りがいのある男性として見られていたからだろう。
もう若くはない老年に差し掛かる年齢とはいえ自分への声かけは当然自分への関心だと
思っても少しも不自然ではなかったろう。
次の練習日の帰りにでも誘ってゆっくり身の上話でも話し合いたいと思いながら、練習を終わった。タイミングを図って声をかけようとしていたらそそくさとそんな素振りもなく
一人で帰ってしまった。お互い若くはないとは言っても中年である。「お茶でもどうですか」と言う暇もなく消えてしまった彼女に、外処はいささか期待はずれでもあり、がっかりと気落ちしてしまった。
そしてこのことが一層彼の気持ちを燃え立たせてしまったのである。そして次の機会画すぐやってきた。彼は彼女を見つけると「宮下さん、今日練習が終わったら二人でお茶しませんか」単刀直入だった。その気迫にいささか驚いたのか、「はい。分かりました。」と
返事があった。外処はそれを聞くとほっとしたように微笑んだ。

思いつくままに   「秋の気配」

2014-09-26 09:30:32 | Weblog
8月の末まで30度を越す暑い日が続き暑い夏を感じさせていたが9月を境に最高気温も30度を越す日が少なくおなり朝夕の気温もめっきり涼しさを感じさせ、慌てて長袖のシャツを箪笥から出していた。いつの間にか秋になっていたのである。
若いころ何度かシンガポールを訪れたことがあったが、一年中変化のない30度近い気温で一日数回のスコールの雨でほっとしたことをおぼえているが、今更ながら日本の四季の
変化を思うと同時にこの四季の変化が与えてくれる環境と健康への影響をありがたいと思わざるを得ない。日本が世界でも有数の長寿国であることもむべなるかなと思うのだ。
そしてその四季折々の花々を鑑賞出来るのを当たり前のように思っているが、これとても
四季があればこそと思いたい。昨今日本を訪れる外国人が年々増加していると聞く。
今年はその数150万人を超えるかとも言われているが、治安、清潔他日本の特徴がある
基本にこの四季のもたらす美しさもあり、これらが無形の国益に貢献していることを考えさせられる。
そして個人的には身体的な影響から生活自体を変えてくれるのである。暑いときはまったく何も手につかず、何もする気が起きずぐったりとただただ耐えているだけの時間であったが涼しくなってくると自然に身体が動いてくる。特に雨上がりの朝など庭に下りて除草したり、夏物から秋物へ衣服や家具を整えたり、朝晩の掃除をしたり気づくといつの間にか身の回りがさっぱりとしてきている。考えることや動くことそして行うことの何となく一つ一つが充実しているのだ。何より日々の中で感じることはユダヤ人が大切にしている
言葉「シャローム」つまり平安を感じることが出来るのだ。それは与えられて受けるのではなく又願うことでもなく自分がこの思いを強く持つことであろうか。
それは言い換えればすべてを自分中心に考えないで、「赦す」思いを持つことが出来るかどうかということになる。それが愛を生むことになることを覚えたいと思っている。
あしたは近くの公園へ「彼岸花」を見に行きたいと計画している。
10月にはいればいよいよ「コスモス」の見物が出来る。食欲の秋、実りの秋、読書の秋、いよいよ秋本番である。

音楽スタジオウーソーズ   第16回

2014-09-22 10:51:06 | Weblog
外処は本社へ栄転となった。役員として迎えられる予定であったが、やはり学卒でない彼には社内の学閥抵抗があった。本人は不本意ではあったが日本の古い慣習と不文律は認めざるを得なかった。彼の能力を最も認めていた常務はそっと陰に彼を呼んで慰めの言葉をかけて慰めてくれたがこの慣習を打破することは出来なかった。本社勤務になり、大宮から東京への通勤になり時間とともにその生活になじんできた。
コーラス会にも毎週顔を出すことも出来るようになった。そしてあの印象に残っていた女性とも会うことも出来るようになっていた。そして二人で話が出来る機会を持つことを願うようになっていた。そんな時コーラスグループのリーダーから発表会の知らせがあった。同好会同士の合流である。そして発表終了後別席での会食が用意されるとの事だった。会食はバイキング方式で料理の並んでいるテーブルに立ち並んでいると「お取りしましょうか」と声をかけられた。誰かなと振り向くと件の彼女が微笑んで立っていた。
ぼんやり立っている外処を見つけて、見かねたのであろうか。「ありがとうございます。
慣れないもんでどうしようかと思っていました。」そう言いながら皿を出すと彼女は料理を順序良く盛り付けていく。「こんなものでどうかしら。お口にあえばよいんですけど」
と差し出した。あわてて受け取りながら「御一緒にどうですか」と誘うと彼女も連れがいないのか、「そうですか。では御一緒に」と席に着いた。
「アルコールはお飲みにならないのですか」「いや、嫌いではないんですけど身体が受け付けなくて飲めないんですよ」「それじゃあ他のものを」と飲み物を用意して進めながら
食事をした。やがて楽しい食事も済み帰る時間になった。
外へ出て静かなところで二人だけの時間をと思わないでもなかったが、最初からではと
「私外処といいます。これからもよろしく」と挨拶すると「私、宮下と言います」と
初めて名前を知った。
どこへ帰るのか、家がどこなのか聞くこともはばかれて二人はそこで分かれた。
「又来週お会いしましょう」それが精一杯だった。

思いつくままに  「敬老の日に思う」

2014-09-19 09:46:22 | Weblog
先日3連休があった。その中に「敬老の日」があり、すっかり忘れていたので、「ああ、そんな日があったなあ」とと気づかされた。確かに自分が若かったとき
高齢者に対して労わりと慰めそして尊敬の念を覚えたものだが自分がその当人になってみると「そんな日があるの」というのが率直な感想である。つまり数少ない長生きをした人
としての希少価値を認める思いであるが、65歳以上の人が全国で3296万人全体の役30%で100歳を超える人が5万人以上生存するようになった。他人事ではない。
自分自身もその一人であると思うともう特別扱いで祝って貰うことではなく、ごく自然であり、当然と思えるほどの時代になっているということである。
それほどに現代の老人は元気であり、長寿になっているのだ。然しその元気さは肉体面だけであろうか。ある町会の話を聞いていると元町会の役員だったOBが集まって現在の町会の運営について議論をしていた。つまり昔の運営のほうが正しく、現行では不満であると言うことらしい。さりとて自分たちで動くほどのエネルギーはなくそれは大半グチはなしであり、タメ口になっていた。つまり何も出来ないが、口だけは達者なのである。
ここで考えてみたい。それでいいのか、高齢者となり何もしないで年金で楽に暮らせる身になっていて、敬老と呼ばれる立場にありながらグチと楽をすることだけで暮らしいても良いのかと言うことである。例えば先ほどの町会の運営についてもただ批判とぐちで終わるのではなく、次の若い世代をどのように育てるかを考え自分たちの経験を参考に育成することは出来ないかを皆で考えてみることもあるのではないだろうか。
自分は体も動かないしエネルギーもない、自分だけで考えるのではなく、その立場に立って謙虚に自分の周りを見直して考えてみよう。まだ出来ることはあるはずである。
それを年寄りだからもう何もしなくても良いと勝手に決め付けて楽をしているだけではないだろうか。「言い訳」と無理をしないでという甘えの中に逃げているだけではないだろうか。それでは正直恥ずかしい気がする。
ここで提案がある。「敬老の日」を返上して「若者の日」としてこれからの日本を担う若者のために何が出来るかを考える日として老人たちが協力する日として、考えることができればと思ったりしている。

   音楽スとタジオウーソーズ    第15回

2014-09-15 11:33:42 | Weblog
外処は光一の結婚の話を聞いてほっとする気持ちと不安とが入り混じっていた。親として子供の結婚は責任の一つだと思ってはいたからだ。然しそうは考えるものの自分の仕事や自分の周囲の人間関係にとらわれて忘れることが多く、そうかといって具体的に何がしてやれるか母親のいない父親の感覚ではただ手を拱いているしかなかった。
しかし、結婚するよと言われれば「あーそうかい」ではすまない気持ちもあった。住まいの事、これからの仕事のこと生活のこと、嫁との同居のこと相談してお互いに理解しておく必要があった。当面は二人で共稼ぎでよいだろうが子供でも出来たり、将来このままでいいのだろうかとあれこれ心配もあった。
取りあえず身内だけのささやかな式を終えて同居が始まった。普段はお互いに顔を合わせることもないが、休日ともなれば顔をあわせることになる。すると言わなくてもいい事を言ってしまったり、余計なことを口にしたりするようになる。
一番気になっていたのは仕事である。店番みたいな仕事のままで食べていけるのか、将来を見据えて親として何か出来ることを考えてやら泣ければと考えていた。「光一ちょっと話があるんだが、」お互いの休みを見計らって声をかけた。ちょうど春子は休みを利用して実家の母親の様子を見に帰っていた。「お前このまま店番みたいな仕事でやっていけるのか」率直に聞いた。「そんなこと分からないよ。言われた事をやっているだけだから」
そんな生活感覚しか持ち合わせていないことは父親として分かっていたが、敢えて聞いてみたが思っていた通り何も考えていなかった。
「それじゃあ、明日から来なくていいって言われたらどうするんだ。もうお前一人ではないんだぞ。」「そうだけど,その時は春子と話すよ」「春子だってお前を頼りにしているんだろうから、お前がちゃんと考えを持っていなければ」と諭す。
「何かしたいことはないのか。」と突っ込むと「出来れば音楽関係のことが出来る店を
持ちたいと思っているんだ。」「たとえばどんなことだ。」「適当な場所で演奏を聞きながら飲み物を飲みながら音楽を楽しめるような店だよ」光一が珍しく自分の考えを熱心に話し始めた。初めて聞く息子の話を興味深く聞いていた。
そんなことを考えていたのか。父親として初めて親身になっていた。

  思いつくままに  「初めての相撲部屋訪問」

2014-09-12 11:37:58 | Weblog
秋場所がまもなく始まる。何かと話題も多く人気もここへ来て回復してきていることは何よりだと思う。私はとある縁である相撲部屋を始めて訪問する機会を得た。
国技館での桟敷での相撲見物は何度か経験したことがあったのだが、こんな機会は貴重で二度とないかと思い出掛けた。玄関前には大きな立て看板があるが普通の家屋に見える。
然し一歩中に入るとその真正面に「稽古場」があり、そこから気合の入った掛け声が聞こえてくる。案内されて土俵の真ん前の見物席に座ると土俵を囲んだ力士の熱気がそのまま
伝わってくる。土俵の回りいっぱいに力士が囲み入れ替わり立ち代り汗にまみれ砂にまみれてけいこの真っ最中であった。普段はTVでしか見ることの出来ない横綱が目の前で
息を切らしてすり足を繰り返している。吐く息、飛び散る汗、まさに手を伸ばせば届くほどのところである。その光景は真剣そのものであり、無駄口はもちろん咳一つ出来ないほどの厳粛さであった。稽古は順序が決まっているようで下位のものから上位のものへと暗黙のうちに進んでいる。最後は横綱が土俵に上がり、若い者に胸を貸し当たらせそのまま押し返す仕草を何回か繰り返していた。
親方とのお話の後二階の大広間に通された。そこには食事の支度が出来ていて私たちゲストもその御相伴に預かれる。メインのちゃんこ汁は初めて食べるのだが、期待通りでとてもおいしいものであった。さすがに伝統の味付けで肉と野菜を主で思っていたよりもあっさりしてとても食べやすく、消化もよさそうであった。
記念写真を撮り、二時間ほどでお暇をしたが、外へ出てみると稽古の終わった力士たちが食後の休憩を三三五五にとっているのが、見えた。
稽古であっても気が抜けない体をぶつけ合いの真剣勝負であるが、本場所になれば何があってもおかしくない勝負の世界である。中に包帯をまいた力士も見えたが、何より怪我を
しないことを願うばかりである。
日本の国技がこのようにして継承され伝統を守りながら行われている。そして日本でしか見ることの出来ない、楽しむことの出来ない相撲が人々を楽しませ喜ばせてくれていることを目の当たりに見ることが出来た貴重な時間であった。

音楽スタジオウーソーズ   第14回

2014-09-08 09:59:52 | Weblog
春子との出会いから光一の生活も変わって来たようだ。それは具体的に何と言えるほどの
ものでもなかったが、何となく元気そうだったししぐさのひとつひとつに意欲のようなものが感じられていたからである。相変わらずランチタイムの時間と週に一度程度のデートの時間を過ごしていたが、その中で二人には共有するものを生みだしていた。
ある日、二人は休みを取って車で郊外へとドライブに出かけた。今まで女性と出かける経験が殆どなかったので、どこへ行ったらよいのか、何をしたらよいのか見当もつかなかったが、全ては成り行き任せであった。途中でぽつんぽつんと話しかけてくる春子に相槌を打ちながら動いていたのだ。「光一さんは将来何をしたいの」春子の作ってくれた弁当を食べ終わってお茶を飲み始めたとき急に聞かれた。突然予期していなかったことを聞かれて、何も考えていなかった光一は戸惑って固まってしまった。そして沈黙が流れ黙っていると「ごめんなさい急にへんなことを聞いて、私いつか二人で一緒に暮らしていけると思ったものだから」と顔を赤らめながら春子は言った。
「いや、考えていないわけでもないんだが、まだ漠然としていて何をしたら良いかと思っているんだ。何しろ楽器から離れられないから音楽関係の仕事しか思いつかないんだけどね。」「そうなの。私音楽関係のことは良く分からないけど光一さんのお手伝いなら何でもするわ。」「そうか。何か良い仕事が見つかると良いね。そしたら結婚しよう。」
「うれしい」そんなことがあって光一はそれから結婚を前提に真剣に考え始めていた。
しかし、あのうるさい、やかましい親父が何というか、いつもは殆ど口も聞かない仲でもある。
そんな弱気な光一だったが結婚と言う目的が出来て急に強気になってきた。ある日仕事から帰ってきた父親に「俺、好きな人が出来たんだ。」と唐突にいった。
その日はコーラスの練習日で父も何時になく機嫌が良く、普段と違っていた。
光一の話を聞くときょとんとした驚いたように振り返り、「そうか、お前もそんな年になったのか、所帯でも持つか。」と何時になく鷹揚に笑った。よほど嬉しかったのかもしれない。光一はその年の暮れ結婚した。仕事は今までどおりの共働きだった。

   思いつくままに   「プール」

2014-09-05 09:43:28 | Weblog
トリオのじじが今年の春「初期の認知症」と診断されて半年になる。表面的には何も変わりなく見えるがその言動や行動を注意してみていると数年前の内容とは変わっていることが分かる。何事につけすべてに自信があり、知識とその見識に他の追随を許さないことが自慢であり、「売り」だったはずだが、それが殆ど見られなくなり口数も減り目の前のことだけに絞られているみたいである。
「おはよーさん」ある日裏庭からそのじじが顔を覗かせた。「珍しいですね。よくいらっっしゃいました。」と招くとあがってきて「最近倅とプールへ行っているんだ」と言い出した。忙しい仕事を持っている息子が父親の世話を考えて連れて行ったと見える。話を聞いているうちに何となく私を誘っているようなので「お供しましょう」と言うと嬉しそうだった。この近辺には幸いなことにプールが何箇所もあり、屋内屋外とその季節によって利用できるようになっている。私はジムのトレーニングをやめて数年が過ぎているので急に水泳と言われて果たして体がついていけるかと一瞬ためらったが、このじじが出来ると言っているのだから何とかなるだろうと行くことを約束した。
翌朝10時市民プールの空は晴れ、気温32度、水温30度のプールへつく。用心のため準備体操を念入りにして恐々プールに足を入れる。そして暫くそのままの状態で様子を見る。
水面に一陣の風が吹き、水面にさざなみが立つ。そしてそろそろと水中歩行を始めた。
25mを何度か往復しているうちに少しずつ自信がつき昔覚えた平泳ぎやクロールを泳いで見る。じじはどうしているかと横を見てみると50mを足をつかないでゆっくりゆっくりと完泳しているではないか。見事と言うか、その年齢(81才)としては立派なものである。あっという間に時間が過ぎていく。
何十年ぶりだろうか。こんな時間を持つことが出来るとは想像もしていなかったが、爽やかで気持ちの良い時間が与えられたことが本当に嬉しかったし、感謝であった。
じじの一言がなかったら、こんな時間はなかったかもしれないと思うと「持つべきものは友」と改めて知ることが出来た。
プールを出て帰りがけに食べたアイスクリームの味も忘れられない今年の夏の思い出となった。

音楽スタジオウーソーズ    第13回

2014-09-01 10:15:21 | Weblog
「コーラスタイム」は毎週土曜日の夕方からであった。外処はその日は仕事を早めに切り上げると部下に「今日はデートなんでね、早めに帰らせてもらうよ」と笑わせると事務所を出る。この日は何時になく浮き浮きした気分である。そしてこんな気分になるのは何年ぶりかと不思議になる。家に帰るとシャワーを浴びてさっぱりすると何年も着たこともない派手なポロシャツを出してみる。すべての行動が若返るのが不思議だった。
少し早い時間だと思いながら店に行くともう三々五々と人が集まってテーブルごとに思い思いに飲み物を飲みながら話している。誰も知った人がいない彼は一人でぽつんとしょさいなげに突っ立っていた。時間になるとステージにリーダーの人が立ち「時間になりました。皆さんお集まりください。」と声がかかる。すると助手が楽譜を配り始めた。
「それでは今日はこの曲を練習します。最初は自由に歌ってみてください。」それから
一時間ほどリーダーの指導を受けながら練習を続ける。はじめは恥ずかしい気持ちで声も大きく歌えなかったが、いつの間にか緊張も緩んできて歌に没頭している自分がいた。
「今日はこれぐらいにして終わります。皆さんお疲れ様でした。」と言われてわれに返った様な気になる。そして周りを見てみると大半が中年を過ぎた女性が多かった。
男性は全体の半分以下で少ないのはしょうがないのかなと思いながら、その女性グループを見ているうちに一人の女性に目が留まった。「似ている。」瞬間そう感じた。
死んだ妻の雰囲気をそのまま残している気がした。確かに少し若い気はするし、顔立ちも違うのだが、妻を思わせる雰囲気があった。急にどきどきした感じがして胸がときめいた。暫く忘れていた女性への憧れのようなものだった。
「不思か議だ。こんなに似ている人がいるのか」世の中には自分に似ている人間が3人ぐらいいるものだと聞いたことがあったが、確かにそんな人がいるのかもしれない。
その日は大きな声で歌った事で爽やかな気持ちになれたことと、不思議な女性にあったことで何となく複雑な思いもあった。
そして忘れるともなく忘れて仕事に励んでいた。コーラスは毎週とはいかず月に一度くらいで行っていた。