波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

         波紋   第96回

2009-05-29 09:15:51 | Weblog
彼の話したくない様子で、余計なことを聞いてしまったと思ったが気を悪くしたような様子は無かった。暫く間があったが、思い出すように話し始めた。
「学生時代に、妙に話の合う友達だったんだ。だから好きだから、可愛いからと言う感じじゃあなくて、話していて、楽しかったし、理解しあえるなということで付き合ったんだ。才能のある人で、何でも新しいものに取り組んでいたよ。
それから、自然に結婚に進み子供も出来た。自分がサラリーマンだったので、彼女も好きな趣味を生かして、生活していたんだが、会社を辞めて、ここへ住むようになって、少しづつ二人の間に考え方の相違が出てきたんだ。
やはり、男は仕事があり、お互い自立していることが安定を求める女性にとって
落ち着くのだろうけど、何もなくなると負担に感じるのだろう。一人で仕事をしたいと言い出したんだ。私はその時始めて、自分の置かれている立場が分り、愕然としたんだが、もう遅かった。ここの環境も合わなかったのかもしれない。
冬の寒さ、厳しさは到底想像のつかないもので何をするにも不便が伴う。彼女にはそれもあったのではないかと思う。だから喧嘩別れでもないし、嫌いあって別れたわけでもない。まあ、別居みたいなものなのかもしれない。
でも、こうして一人になってみると、やはり一抹の未練というか、寂しさはあるね。」其処まで話すと、彼は熱い酒をぐっと飲み干した。今の彼を慰めるのはこの酒なのだろう。彼には何をするにも、何を考えるにも酒が必要なのだ。
人間として生きていくうえに、毎日のように揺れ動く心と気持ちをコントロールしながら支えていく、潤滑油としてどうしても欠かせないのだろう。
「今は、落ち着いてマイペースの生活が出来るようになったけど、暫くは落ち着かなかったよ。」まだ還暦を過ぎたばかりの、彼には老いてしまうには早すぎる年であり、見ていても、物足りなさを感じさせて同情をおぼえたが、あえて何も言わずにいた。大分、ナベも煮詰まってきた。最後に残しておいたうどんを入れて、味をつけて食べることにする。いろいろな具で出てきた味がしみこんでおいしそうである。気の置けない二人の時間は、その場の雰囲気に合った、空気のように静かに漂っていた。いつもこんな時間の中で暮らして生きたい、不図そんな思いが小林の脳裏を掠めた時、彼が聞いてきた。「小林、お前もチョンガーだよな。かみさんはどうしたんだ。」「大分前に死んだんだ。」「そうだったのか。知らなかったよ。」
今度は小林がしゃべることになっていた。

          思いつくまま         

2009-05-27 11:28:28 | Weblog
毎日を平凡に過ごしていると、何も考えず、いつの間にか日が過ぎていき、時が過ぎるのは早いなあと言うことで終わってしまう。確かに私もずっとそんな感じで人生を過ごしてきた感じである。でも良く考えると僅か16時間ほどの時間とはいえ、(睡眠時間を8時間見込む)この時間の過ごし方次第では、その日の収穫(実り)は全然違うのではないだろうか。
そんなこと言ったって、予定があってその準備、内容、結果、と人それぞれ忙しく動き、仕事をこなし、用事を処理し、することを精一杯行うだけで余計なことを考えている暇なんて無いよ。と言われてしまうかもしれない。
どんな生活であれ、何をするにせよ考えようによっては一日と言う時間のキャンパスに自分なりの色を塗ることを少し入れることを考えると、その日のあり方ががらっと変わる気がするのである。偶々ではあるが、昨日は息子が訪ねてきた。
二人だけで3時間ほど話をしたのだが、その時間の中で、何度か、心を揺り動かされる瞬間を感じたのである。この瞬間は何にも変えられぬほどに楽しいのである。
そして、この揺れ動きが多ければ多いいほど、人生の色合い、味わいが濃くなってくる。午後から病気で寝ている兄に宛てて、簡単な手紙を書いてみる。
その時、どんなことを書いてあげるば、元気が出るだろうか、どんなことを書けば、励ましになるだろうかとあれこれ考える。それは相手の身になって、自分が寝ている気持ちになって、考えてみる。そして、これを読んだら少しは明るく、気持ちが晴れるだろうか、と想像する。そんな時間を過ごすことも楽しい。
食事の時間も、ただ食べるのではなく、食膳に並んだ一つ一つのものがどんな理由で、どのような経緯で出来てきたかを考えると、そこには「まずい」とか、「おいしくない」と言うことよりも、ありがたいなあという思いで一杯になるはずである。何によらず、ただ時間を刹那的に過ごして終わってしまうだけでは人生が
もったいないと言うことである。こんなことを言うと「それはあなたが単に年をとっただけだよ。今自分たちはそんな事を考えている暇は無いんだ。」と言われてしまうかもしれない。でも、5分でも10分でも、その日の時間の中で、心に留まる僅かな感動を見つける事が出来たら、(必ずあるのだ。それに気づかないだけだ。)どんなに、その日を喜び、又感謝することが出来るだろうと思う。
私たちは物質的に豊かになると同じ速度で心が貧しくなっている気がする。
だから、何とか、豊かな心を取り戻したいと思うのである。

波紋     第95回

2009-05-25 09:04:25 | Weblog
翌日は、よくはれた天気であった。車で登っていくと標高1000メートルを越す辺りから空気が変わる感じがする。窓からの冷気も一段と冷たく感じる。
そして、暫く行くとやや平らな見晴らしの良いところに出る。そこにはレストハウスがあり、休憩所になっている。おみやげ物も並び楽しませてくれる。
裏に廻ると牧場があり、牛や羊その他の動物が放し飼いのようになっていて、散策が出来るようになっている。山頂までには更に上ることになるが、このままではこれ以上登ることは危険な感じがした。木々は紅葉がすっかり進み、見事な景色であった。普段都会の喧騒の中で生活していると、全く想像できない場所であり、
空気である。何か汚れたものがすべて洗い流されたような新鮮なものを感じ、気持ちも新たにされた思いだった。
存分に八ヶ岳の良さを満喫し、二人は下山に向かった。道路沿いには観光客向けの様々な店が並び、楽しませてくれる。中でも「手作りハム工房」の看板の店は
若者が大勢集まっており、にぎわっていた。
そして、昼食のために入った「ほうとうの店」は始めて口にするもので、珍しいことと、その食感を楽しむ事が出来た。普段はめったに食べないかぼちゃの旨みが珍しかった。近くにある美術館、工芸館などを見物し、二人は昨日の「温泉」へ向かった。相変わらず、閑散として客は少なく、のんびり湯を楽しむ事が出来た。
のぼせない程度に湯から上がると、宿に戻り、ケータリングで「鍋物」ようの食材を頼む。酒はまだ昨日のが残っており、充分である。
やがて、二人は魚を中心にした「海鮮なべ」をつつき始めた。彼は例によってちびちび飲み始める。この時間は昨日と全く同じであった。
「きょうはどうもありがとう。おかげで生まれて始めての経験をすることが出来たよ。都会にいるとなかなか思っていても出来ないことでね。何か下界を見下ろしている天上にいるような気持ちになれたよ。」小林は正直に言った。
「ずっとここに住んでいると、あまり変わった感じはしないが、たまに山を下りて
来ると、ここの独特の雰囲気が感じられて、良さが分るよ。今はもう都会には住めないね。」彼もそんな思いのようであった。
鍋から上がる湯気、物音一つしない部屋、考えようによっては、淋しくていられないような静けさが妙に落ち着かせてくれている。
「君、結婚はどうしたの。」唐突だったが、小林は気になっていたことを聞いてみた。「うん、したよ。」ぽつんと淋しそうに返事をした。

        波紋   第94回

2009-05-22 09:48:14 | Weblog
夜になると、さすがに冷えてきて寒さを感じるようになるが、酒と、バーべキュウの火のおかげで、程よい感じである。周りは深閑として物音一つしない別世界である。こんな所があるのだ。こういうところで生活していると、世間の雑音が入らず、自分の世界で暮らせるなあと想像してみた。「ところで、君は大きくなったら何ををしたいと思っていたんだ。」突然、逆に聞かれて小林は現実に戻り、そして遠くを見る思いで、昔を辿っていた。そうだ、あの頃は無邪気だった。親の躾けの厳しさを除けば、何の文句の無い生活だった。中学から高校へ進み、特別な進学の意欲もなかったので、勉強もさほどに苦痛ではなかった。
ひょっとしたことで新聞部の部活に首を突っ込んで、夢中になっていた。何となく、インタービューをしたり、記事を書いたりすることに憧れ、その目立った行動が自分にあっている気がしていたのだが、先輩の下働きで広告取りで走らされていた。そんな時、漠然と自分は将来「新聞記者」になりたい。そんな思いが芽生えていたような気がする。しかし、冷静に考えているうちにこれほど、厳しい仕事は無いのではないか、まず、時間の観念が無い、つまり、夜、昼の生活が保障されない、夜討ち、朝駆けが原則であれば当然であろう。そうなればよほど頑健な身体能力が無ければならない。自分の身体では到底無理だと分ってきた。
最初から無理であれば考え直すしかない。「新聞記者」と言う言葉が口まで出かかったが、言葉にならなかった。「何になりたかったのかなあ。」と再び、記憶を辿る昔に戻っていた。間が空きそうに感じて「君はどうだったの。」「うん、とにかく世界へ出たい。どこでも良い。海外へ出れればなんでもする。そう思っていたので、手っ取り早く、貿易関係の仕事かなと思って商社への志望をしたよ。」
「で、どうだった。」「何とか、入社は出来たんだが、事、志と違ってね。自分が考えているようにならないのさ。社内の競争も激しくて、成績を気にして結構摩擦が起きるんだ。そのうちそんな環境が嫌になってね。辞めちゃったよ。」
話を聞きながら、誰しもそんな過程を経ながら成長し、大人になっていくんだろうな。自分の思い通りなることは一部のリッチな人以外には無理なことだし、そうなることが必ずしも幸せにはつながらないのだろうと、聞きながら考えていた。
食事も終わり、彼は満足そうに酒の感触を確かめていた。「明日は、この辺の探索に出かけてみよう。今日はゆっくり休んでくれ。明日起こしに来るよ」
彼は機嫌よく帰って行った。

           思いつくまま

2009-05-20 11:22:26 | Weblog
日本では毎年約3万人以上の人たちが自殺をしているということが新聞に出ている。このような現象は日本だけに限られるのか、外国でも同じような傾向があるのか、気になるところでもあるが、このことをどう考えるか。
自分には関係の無い話だとするか、他人事であるとして無関心で済ませてしまうことで良いものか、そんなことが気になっていた。そして次のような話を聞く機会があった。マザーテレサの本に「ある老人ホームの施設を訪問した時の様子で、其処にいた老人達が全員で、いつも玄関の扉を気にしてそちらを向いていたというのです。その姿は何時自分を訪ねて誰かが来てくれるか無意識に待ちつづけている姿でもあったのだ。」と書いていた。人間は最後に望むもの、それは物質ではなく、人間の持つ真心であり、愛情であることを表している姿でもある事が分かると言うのです。自殺者は(30代の増加が目立つ)何が原因なのか、その事情は一人一人違うであろう。原因の一端が仮に分ったとしても、それでどうなるものではないかもしれない。しかし、もし自分がその隣人であり、交わりを持つ一人であったら、
少しでも慰めを得られる言葉を交わせることが出来たらとも思うものである。
現代はそんな意味で年々、心の通う言葉が聞けなくなっている気がする。お金のかかること、自分に利の無いことにあまりにも無関心でありすぎる現状を自分なりに反省したいと思う。
新型インフルエンザが日本でも増えて影響がでている。今のところ、関西地方が中心になっているが、これ以上拡大しないことを願うのみである。
アジアではこのために観光客への影響が出始め、景気にもマイナス要因になることを心配する傾向もある。私の経験でもサアーズ風邪の時に中国へ行ったことがあるが、飛行機ががらがらで空いていたことを覚えている。こんなところへも影響がでるのだとつくづく思ったことだ。
それにしても、明るいニュースが無く、淋しい限りだが、そんな中で大相撲が
いよいよ終盤戦になっている。若者が熱戦をつづけているが、その成長をこうして
目の当たりできることはとても楽しいものである。
壁にぶつかりながら、あきらめず、成長して立派な成績を残してもらいたいものである。

       波紋    第93回

2009-05-18 09:33:53 | Weblog
八王子を過ぎて列車は山へ向かう、そしてトンネルを抜け大月に来ると様子がすっかり変わる。勝沼、甲府を通ると、孫が生まれて間もなく家族で桃を楽しみに来たことを思い出した。その孫もはや中学生であり、今更ながら時間の経緯を知らされた思いだった。やがて小淵沢駅に到着する。改札をでると懐かしい顔に出会い、ホッとする。
迎えの車で30分ほど、山を登る。この辺でも、鹿やウサギが日中でも歩いているそうで、野趣に富んでいる。東京から比べると、別世界である。
木々の中にペンションが立ち並び、それぞれの趣を備えている。説明によると、
作家の阿部譲二氏のペンションがあり、夏には見かけることもあるとの事であった。程なく予約してあったペンションに着く。
このブロックに天然の温泉がわいている所があり、そこへ案内される。シーズンオフとあって、客は少なく空いていた。のんびりと湯に浸かり、何も考えず、ぼんやりすることの時間は貴重であった。
二人だけの夕食が始まる。土産に持ってきた日本酒を彼は嬉しそうに飲み始める。
ケイタリングで運ばれてくる食材で何でも食べられ、便利であった。
まだ、そんなに寒くないので、庭に出て、焼肉のバイキングを始めた。
野菜を豊富に焼き、少しづつ食べる。話は自然に昔に帰っていく。
「君の小さい頃は、どんな思い出がある。」彼の伯父が寺の住職をしていて、暫く世話になっていたことを聞いていたので、聞いてみた。「あまり、特別なことはないけど、何でも好きなことをしていた気がする。特別うるさく言われることも無かったし、自由だったよ。」小林は聞きながら、自分の小さい頃を思っていた。
何によらず、親の言うことを第一に聞くことを守らされていたので、何をするにも自由が無かったような気がするし、戦後の物不足の時でもあったので、欲しいものも自由にはならなかった。彼の時代は、少し年代も離れていたので、背景が違っていることもあり、考え方も違っていてもおかしくない。
「君、確かお経を読めるよね。」私は彼が酔うと、ぶつぶつお経を読んでいたのも覚えていた。「少しね。いつの間にか覚えちゃったよ。」
「自分は親がクリスチャンだったので、小さい時から教会へ行ってたし、おいのりを覚えて、祈っていたね。」。二人は全く違う宗教を身に着けていたのだが、信仰というところでは共通したものを感じていた。
「大人になったら、何かやりたいことがあったかい。」「あったよ。とにかく、何をやってもいいから、日本を離れて、世界へ飛び出してみたかったね。」「そうか。それはすごいね。」話に少し、調子が出てきたようである。

         波紋     第92回    

2009-05-15 10:19:02 | Weblog
その年も終わる頃、小林は一人の友人を訪ねることを思いついた。彼は八ヶ岳のふもとで一人で暮らしている。ある意味世間離れをした仙人のような生活であるが、彼は平気であった。地元の教育文化関係の仕事を受けてボランテアのようなことをしているらしい。サラリーマン時代に取引先の一人として知り合ったのだが、特別な接点があったわけではないのにうまの合うところがあった。
ただ、大酒飲みで時間が来ると、酒を飲み始めるので、多少腰の引ける思いはあったが、何故かうまが合って、付き合っていた。
人間的に何か惹かれるものがあったことと、まだ定年前にも拘らず、さっさっと退職して山へこもってしまったことで、気になっていたのである。
まだ、現役の頃、彼の力を借りて、中国へ技術指導に行ったことがあったが、そのときも快く引き受けてくれて二人で出かけたことがある。
確か、サアーズ風邪の発生した年でまして中国は止めたほうが良いと同行者の中には止めた人もいたが、二人はお構いなしで、出かけたものである。
おかげで、機内はがらがらでサービスが良かったことを覚えている。
そんなことがあってから、お互い接点も無く、そのまますぎていた。こうして時間がたち、身の回りのことが見えてくると、何故か、彼のことが思い出され、一度ゆっくり話をしたくなった。八ヶ岳と言うと生活にはいささか不便なところであり、夏はともかく、冬はかなり厳しいと想像されるのだが、彼が何故そんなところへ行ったのか、不思議であった。
人間関係に疲れたのか、前からの憧れとして考えていたのか、購入条件が良かったのか、不思議な気もするが、彼らしいと言えば、そんな気もしていた。
地図の上か、観光案内でしか知らないところであり、行ったことも無いところで少々心細かったが、電話をすると、「いつでもいらっしゃい」気軽な返事である。
夏も過ぎてすこし、時期が遅いと思ったが、思い立ったら吉日で出かけることに
した。オフシーズンとあって、ペンションも空きがあり、格安で借りられるとの事だった。
新宿から急行「あずさ」に乗る。昔は仕事でこの中央線は良く利用したものである。しかし、今回は特別な気分である。周りの景色も新鮮であり、変わって見える。当時は何を見ても、仕事がダブっていて、何を見ても上の空で、仕事のことを考えていて、何も見たかもわからないものだった。
今は車窓から見える建物や木々の一つ、一つに意味と、想像が加わり、いろいろ考えて、楽しむ事が出来る。出来れば、ちょっと下車して立ち寄ってみたいようなものを見つけたりすることもある。

思いつくまま

2009-05-13 10:00:53 | Weblog
今週の日曜日は「母の日」を迎えた。教会ではこの日を特別に覚えて礼拝の後、特別なプログラムを組む。その一つに紙芝居があるが、それによると、母の日は今から100年ぐらい前にアメリカで始まったとある。(日本でも90年ぐらい前から行っている。)一人の夫人が母を偲んで記念として始めたことが、時の大統領が5月の第二日曜日に正式に決めたことによる。いかにもキリスト教の国らしい発想である。しかし、母を一年に一回特別に感謝する日を設けることに反対する人はいないだろう。むしろあまり意味の無い祭日よりは意義があるかもしれないと思うほどだ。そんな事を思っているうちに亡くなった母を思い出していた。
私の思い出としては母は一言で「厳しい人」と言う印象が強かった。何事によらず、親の言うことを守らせる事が第一で、あまりやさしかったと言うことが無かった(気がつかなかったのかもしれない)様な気がする。晩年は病気をして苦しんでいたが、充分な事が出来なかったことを残念に思う。
現代の子供の母への印象はどんなものだろうか。一般には父親より、母親のほうが「怖い」と言う印象があるようで、これは昔から変わらないのかもしれない。
ただし、その怖さもいろいろで、一過性であることが多い。母のほうも躾と称しながら、自分の感情の赴くままに大きい声を出すことが多い場合が多く、何となくバランスが取れているのかもしれない。
そして、強調すべきは母親の「強さ、」「たくましさ」であろうか。どんな場面、どんな状況に置かれてもくじけることのない強さを、逆境になるほど発揮できるということである。亡くなった父の場合もそうであった。母は父のくじけそうになる心を励まし、支え、力づけていたことを今でも強く覚えている。
カーネーションの花が代表されているが、これはその時の婦人の母が大好きな花だったということで特別な意味は無いようだが、今ではこの花で無くてはいけないようになってしまった。しかし、これはそれぞれのお母さんが一番好きな花で良いわけで、「ユリ」でも、「バラ」でも何でも良いことにすれば更に意味が深くなり楽しめると思うが、どんなものだろうか。
いずれにしても、一日だけでも、親を大切にしましょうと言う日があって、親に感謝する日を過ごすことは意義あることと、つくづく思った次第である。

波紋   第91回

2009-05-11 09:06:38 | Weblog
ある日、小林は中山を訪ねた。中山は今は息子さんと自営業を営み、独立独歩で暮らしている。少しこわもてでもあるが、それが自分の意志を貫く良さにつながって成功している。「やあ、暫く、元気で頑張ってるようで何よりだね。景気はどうかね。」「悪いよ。」独特の歯に衣を着せぬ言いっぷりはいつもと変わらない。
「何といっても荷動きが悪いから、商売にならんよ。」彼の仕事は道路関係とか、
公共施設関係が多いと聞いていた。「やっぱり、君の業種も同じか」「全体に
金の回りが悪いから、影響を受けることになるね。」
「それはしょうがないと思うけど、何時まで続くんだろうね。」「そりゃあ、俺にもわからないよ。何時か、よくなるんだろうから、それまで待つしかないね。」
あっけらかんとしたその物言いに小林も取り付くしまも無かった。
「ところで、松山の奥さん、その後どうしてる。」小林は何気なく本題に触れた。
「暫く、会ってもいないし、連絡も無いから変わりは無いと思うよ。」
「そうか、いや、前に君から奥さんのことで相談があって、自分なりに少し動いてみたんだ。」「そうだったね。で何か分った。」
「いや、特別なことはなかったんだけど、何人かの人に話が聞けたし、周辺の様子も分ったんで、報告方々来たんだよ。」「いやあ、それはありがとう。」
小林は今までの話を簡単に話した。中山は黙って聞いていたが、「結局は人の善意を信用するしかないんだね。それにしても彼は不幸だったよ」と深くため息をついた。「これで終わりにしよう。」小林はそう言うと立ち上がった。
ここ暫く、松山のことでずっと、気が晴れなかったがこれで一段落を付けた思いでもあった。人は様々な生き様をして死んでいく。自分もまたその一人である。
どんな様子で死ぬことが良いという定義は無い。人それぞれに備わったものであることを知った。そして、その人に関わる人が又それぞれの思いでそれを迎え、味わうのである。そして何時の日か思い出となって、残るのである。
自分の心の旅が一段落したような気持ちでもあった。これからは自分の残された
日々を大切に生きることが自分に課せられた務めであることも実感として感じるようになった。
そのために、大事なことは何か。それは自分に無かったものを見つけ、自分のものにしていくことだ。そのためにできるだけいろんなものを読むことも大切だ。
心を落ち着けて、其処にあるものを見つけて、自分の中で咀嚼していこう。
そうすることで自分自身を豊かなものにしよう。小林は勇気がわいてきた。

波紋    第90回

2009-05-08 10:00:19 | Weblog
少し迷ったが、本当のことを言うことにした。
「ママさん、松山と言うお客さんのこと覚えている。」「えー、知ってるわよ。最近見えないけど」「彼が、亡くなったんだよ。」「そんな、とても元気だったじゃないの。」「それが急病でね。私は彼の友人で、この店のことも彼から聞いていたので、今日墓参りの後、立ち寄ったのですよ。」「そうだったんですか。分らないものね。この間まで元気でここでおいしそうに飲んでいたのに。不思議な気がするわ。」「ママさん、彼の供養だと思って一杯飲んでくれませんか。」小林はビールを開けてコップに注いだ。そして二人は黙って乾杯をした。
暫くそのまま沈黙が続いた。お客が2、3人入ってきて、ママも忙しくなってきた。小林は水のように薄くなっているウーロン杯を少しづつ飲みながら、ぼんやりと自分の歩いてきた道を考えていた。
人間の一生って何だろう。良く本には自分のしたいことを一生かけて燃えつくし、したいことをすることが一番良いと読んだ事がある。だけど誰もがそんな人生を過ごすことは出来ないだろう。松山はその途中半ばでの終局だった。
だとすれば、どうあればよいのだろう。全部を燃えつかすのではなく、いくらかの部分を自制して、し残してそれなりの満足をしながらそれなりの悔しさとを感じながら死ぬのが良いのかもしれない。やりたいこと、こうなればよかったと思うこと
将来自分はこうありたいと思ったこと、自分の人生をそのように他に移し変えて考えてきたのだが、今はそんな思いはなくなってきた。
私は私で、これで良しと思うことが大事だと言うことだ。そして与えられた今の条件を最大限に活用して、それを受け止め、あらゆる角度から文字通り、満足できる状態で生きることが大切だと思わなくてはならないんだ。
小林はいつの間にか自分の世界に入っていた。「これおいしいわよ。食べてみて、今日作ってきたの。」突然ママの大きな声で我に返った。
そこには暖かい、野菜の煮物が置かれていた。二杯目のウーロン杯で、少し酔いの廻った気がして、食べるものはとてもおいしい。そろそろ限界を覚え、「お勘定お願いします。よろしく。」店を出ると、涼しい風が気持ちよかった。
ホームに立って電車を待つ。そんないつもと変わらない風景が今日は新鮮に見えた。この時間、この時をどのように受け止め、どのように感じるかで人生は変わる。其処に何かの風情を感じる時無味なものから、意味のあるものに変わる。
それが大事なんだ。