波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

           オヨナさんと私   第96回

2010-05-31 09:53:08 | Weblog
時間の過ぎるのが早く感じるようになった。そして何をしていても彼女の事が頭を離れず、何時も心のどこかに存在していた。電話がかかるとすぐ彼女からだと思い、心が躍る。
だから違っていると、急に力が抜けるような感じがしていた。彼女の訪問は次第に増えてきて食事や買い物をする機会も増えてきた。それは自然な流れであり、どちらが誘うものでもなければ頼むものでもなかった。こうしてその年の春が過ぎ、夏をすごし、秋が来た。
「ヨナさん、寒くならないうちに行きましょう。福島の冬は寒いわ。今ならちょうど紅葉が始まる頃で一番良い時よ。」上野から新幹線でもすぐである。静かなたたずまいの駅を降りるとバスで土湯温泉行きのバスに乗る。吾妻小富士を望む山際に湧き出る温泉地である。
あまり目立たない小さな宿に入る。少し熱く感じるほどの温泉は気持ちよく、出てからもふつふつと汗が出てくる。出された夕食を前に二人はビールで乾杯をする。無言の中に暖かいものが通う。すっかり無口になった二人だったがその時間は代えがたい幸せな時間だった。
「来年になったら、台湾へ二人で行かないか。私の生まれ故郷だから君を一度連れて行きたいよ。もう私の家族は誰もいないけど、私が小さい時育ったところだから、君にも是非見てもらっておきたいんだ。行ってくれるよね。」「私、まだ日本から出たこと無いの。一度海外の国を見たいと思っていたわ。お願い。連れて行って」「うん、そして出来れば二人だけでささやかな式をして結婚しよう。」ヨナさんは強い気持ちで言った。一瞬、時間が止まったかのように彼女の身体が固まった。だがそれは僅かの時間であっただろう。何時の間にか二人は肩を寄せ合っていた。肩に廻した手が彼女を引き寄せるとそのまま身体がヨナさんのほうへ寄りかかり、その手は何時しか彼女の顔を引き寄せ、二人は唇を重ねていた。
そっと、優しく静かに何時までも重ねられたままになっていた。
翌日、再びバスに乗って山を一回りして市内へ帰ってきた。彼女の育った町を歩き、買い物をしたり、コーヒーを飲んだりして時間を過ごした。
二人はこれからの生活を如何するかを真剣に話し合っていた。彼女は当面仕事を続け、ヨナさんも学習塾を充実させてしっかり確立させることを考えていた。しかし、それは自分たちのためと言うことよりも、自分たちの生活を改めて新しくスタートさせることであった。
より良く人生を過ごすために二人で如何することが良いことか、そのことを話し合ってきたのだ。

オヨナさんと私   第95回

2010-05-28 09:21:17 | Weblog
彼女との時間は何時も楽しい。オヨナさんの生活も少しづつ変化が出てきた。今までは
自分だけのことを考えた時間だったが、これからは彼女との時間をどのように過ごしていくか、そしてそれが二人の歩く道につながるのではないかと思いえるようになってきたからだ。いつからか、どのようにしてか、そんなことは分らない。成り行きであり、自然の流れの中でしかない。でも何か将来に大きな希望と夢が生まれてきた思いでいる。
「今までいろいろな人と交わりを持ってきたと思うけど、嫌なこともたくさんあったと思うけど、」「そうね。一番悲しいことは相手の人のことを思って話していることが、理解してもらえないことね。でもそれも私が悪いこともあると思っているの。充分理解しているつもりでも、分っていないこともあるし、その人の立場で賛成できないこともあるから、あえて
厳しいことを言うときもあるわ。そうするとやはり分ってくれないと心が通わないことになってしまって気まずい思いに終わる事が良くあるの。」「人って良く考えると、本当に弱く、悲しい存在だと思うよ。そして何が大切かって考えるんだ。」ヨナさんの真剣な様子に彼女は少し緊張が走った。「結局、人間に一番大切なことは愛だと思うんだ。」その言葉は
力強く、自信に満ちていた。「だけどこの愛という言葉で言われるこの事がとても難しくて本当の意味を理解することが出来ない。だからそれはすぐこわれて、愛が憎しみに変わることが多い。そんな例はたくさんある。じゃあ、本当の愛とは何で、どんなことをいうのだろう。親が子供に対する愛、男が女に注ぐ愛、愛はいろいろな形で存在しているが、何かの拍子で簡単にこわれてしまうものが多い。それも愛かもしれないが、所詮は自分にとっての愛であって、本当の愛ではない。だから自分にとってよくならない愛は形を変えてしまうことになる。そんな気がするよ。」そこで何かを考え、思い描くように黙った。
「ヨナさん、今度私と福島へ行ってみない。私、案内するわ。良い温泉がたくさんあるの。」嬉しかった。自分から誘って行きたいと思っていたが、なかなか言い出せなかったことを彼女から誘われたのだ。「ありがとう。僕からも言おうと思っていたんだ。」
「いつでも良いよ。君の都合のよいときに早速計画しようね。」何もいわなくても二人の心に通うものが出来ていた。そんな二人を暖かく包むように夕焼けが照らしていた。

          思いつくままに      

2010-05-26 09:42:22 | Weblog
このところ暑くなったり、少し涼しくなったりで体調を整えるのに気を使う日が続いているのだが、今週は第二回の老人会に出る機会があった。3月の時は初めてで少し戸惑いもあったが、今回はどんなメンバーの人が集まり、どんな話をするのか少し関心を持って出てみた。男性4名、女性が14名で圧倒的にばあ様が多いのは仕方が無いとしよう。
年齢は最高が93歳で以下平均年齢が80歳をくだらないのは会の名に相応しいといえようか。会は昼食のお弁当に飲み物が置かれていて、会長の乾杯の音頭で始まる。後は勝手に飲みたい人はアルコールであれ、ジュースであれ自由に飲み、勝手に食べ好きなことを話せばよいのである。同じ町内の一箇所に集まるのがやっとと言う人たちがきて、普段は一人で暮らしている人たちなので、ここでは好きなことを話せるのが楽しみといったところだ。
ばあ様は主にテーブルに出ている食べ物を話題にして話していたようだが、あまり興味が持てず、僅かの男性の話を聞いていると、一人は午前中にプールへ行き3000メートルほど泳ぐことを日課としているという。(75歳)午後は割り箸筆で墨絵を楽しむと言う優雅な生活だとかくしゃくとして話していた。もう一人のじい様は若いときは渓流つりを楽しんでいたが、身体をこわし(直腸がんの手術)、今はデイケアで週二回のリハビリが楽しみだとか、時間の合間に若い頃(約10年から15年ぐらい前)に会で行った旅行のビデオを映してその時の思い出を語り合う時間を持っている。そんななんでもない時間だが、みんな楽しそうに時間の過ぎるのを忘れて話していた。2時間を過ぎる頃、そろそろ良いかと暇をつ出る。このころになると、三三五五帰り始める人が出てくる。
残り少ない人生をこうして肩寄せ合って集まり、楽しい時間を持ちたいと思う人が集まり、
世話をする人がいて、喜んで来る人がいる。そして余生を過ごしているのだ。
そこにはもう人生を達感したもので、何のわだかまりの無い時間であった。私にはまだその境地になるには時間が必要かと正直思いつつ、この地に住むものの一人としてこうした交わりを持つことも大事かと考えたものである。
若いときはどんな夢のある人生であったのだろうかと、一人一人の顔を見ながら想像しながら話を聞いていたものである。
我が家の庭が更に一段と賑やかになり、朝顔、風船かずら、ほうずきの苗が植えられた。
きゅうりは実が5本ほどつけ、既に長さが15センチほどに成長している。
間もなく収穫期を迎えそうだ。

オヨナさんと私  第94回

2010-05-24 08:59:40 | Weblog
話を聞いているうちにいつか福島へ行ってみたいと思い始めた。出来れば彼女と一緒に行ければよいのだが、そんな日が来るのだろうか。ヨナさんは話を聞くとも無く聞きながら、いつしか自分の世界に入っていた。今までの人生を振り返りながら、これからのことを考え始めていたのだ。何とはなしに自分は一人だと思い込んでいたが、こうして彼女と話しているうちに、これからの人生が二人でやっていけるのではないかと思い始めていたのだ。
どうなるのか、先のことは全く分らない。ただ何となく、彼女と人生を歩くことが自然なのではないかと思い始めたのだ。しかし、こうして話しているときと、一緒に生活が始まる時とでは全てが変わる。それは現実の問題として直面し、逃げるわけには行かないのだ。
その覚悟が本当にできるのだろうか。一緒になってはじめてみせる裸の自分の姿は当事者も自覚できないのだが、その覚悟は出来ているのだろうか。「変なこと聞くけど、君は今までに人と争ったり、怒ったり、人を憎んだりしたことある。」突然の問いにきょとんとした表情を見せたが、やおらゆっくりと「そりゃあ、あるわよ。友達との間でとか、親子でとか、意見の食い違いだったり、考え違いだったり、早合点だったり、良く喧嘩みたいなことはしてきたわ。でも私の場合、あんまり長く続かないの。そのときは熱くなるんだけど少し経つと自分自身が惨めで淋しくなるの、だって親しくしていた人をなくしたみたいになって話が出来なくなることでしょ。そんなこと我慢できないわ。」
「確かに怒りは本来の自分の気持ちとは違うもので、一時的な感情に支配されているんだろうね。きっと一時的に自分の心に悪魔のようなものが入ってきて、自分が気がつかないままにその力で影響を受けて行動してしまうんだと思う。そしてそれは結果として、滅びにつながるか、場合によっては暴力になる事だってあるんだ。自分の気持ちとは全く異なる自分の
姿に驚いてしまうんだ。しかしこのことから全く離れることも出来ない。必ず、いろいろな場面でこの悪魔の差配に負けてしまうことになる。だから注意していないといけない。
つまり自分の心に入ってくる悪い心と戦う用意がいることになる。」オヨナさんは話しながら自分自身に言い聞かせていたのだ。「人間って弱い存在だよ。場面場面で気持ちがころころ変わるし、無意識に人を傷つけることなんてしょっちゅうだよ。」
「そうね。みんな良い人なのにどうして争いが無くならないのかしら。」

オヨナさんと私  第93回

2010-05-21 09:59:40 | Weblog
「こんな話を聞いたことがあるけど」とヨナさんは話し始めた。いつものように彼女が訪ねてきた午後のことである。「ある人がこの薬を飲むと、無いものがあるように信じられるようになるよ、例えばお金がないならあるように、好きな女性がいなければ、いるように思えるし、たった一つのことだけど無いものがあるように信じられるようになるんだ。その話を聞いた人が、その話を聞いて一度その薬を飲んでみたいものだとして、飲んでみたが、一向にその効果が出てこない。そこで薬を貰った人に聞くと、ちゃんと飲んだのかと聞かれ、ちゃんと飲みましたと答えると、お前はありもしない薬をあると信じたから飲んだのだろうが
といって立ち去ったという。」「なんだか分ったような、分らない話ね。」と怪訝そうな顔をしている。「そうなんだ、私もこの話を聞きながらこの話は何をいおうとしているのか考えてみたよ。色々考えられないことも無いが、一つには世の中のことは考えようで、良くも悪くもなる事がある。だからあまりくよくよしないでいきなさいと言う事かなと思ったんだけど」「確かにそれは言えるかもしれないわ。私もこれまで色々と夢もあったし、希望もあったけど、どれも実現したとはいえなかったの。一時は落ち込んで田舎へ帰ろうと思ったけど、何か自分にできることがあるような気がして、考え直したの。そして今看護士の資格を取る勉強をしているの。そしたら何か急に勇気がわいてきて、元気が出てきたわ。考え方で変わるのね。それに……」とそこで急に口をつぐんだ。それが何を言おうとしていたのか、
「田舎はどこなの。」「福島なの。ずっと其処で育ったんだけど勉強したくて東京へ出てきたの。」「福島って、行ったことは無いけど、一口で言うとどんなところだろう。」
「私の育った市内は山に囲まれた静かな盆地だわ。市内の真ん中を阿武隈川が流れて、吾妻連峰が見えてるの。其処は休火山帯で山に沿ってたくさん温泉があるの。それぞれ特徴があって、温泉めぐりも楽しいのよ。」「うーん、何となくイメージが湧いてきたな。」「春が過ぎる頃になると、梨畑に真っ白な花が咲くの。可愛い小さな花だけどそれが咲き始めると交配の作業が始まり、夏になると美味しい梨が食べられるの。」話は尽きそうも無い。彼女の頭に小さい頃の思い出が急によみがえり、それがいっぺんにあふれてきたようだ。
ヨナさんは暫く黙って、聞くことにした。

               思いつくままに

2010-05-19 10:22:36 | Weblog
一年を通じて行事を考えると、冠婚葬祭の行事が何回かある。若いときは結婚式の招待が
数回あり、葬式は一回か二回というところだったような気がする。ところがこの数年を見ると、結婚式は何年かに一度、葬式は年に二回以上と言う傾向である。勿論私自身の年齢によることが大きいのだが、結婚式自体も減っているような気がしていたら、この頃の若い人の結婚年齢が高くなっていることと、結婚願望が極端に減っていることが分った。
驚いたことに30歳から34歳の未婚率が(昭和50年ごろ)14㌫だったのが、平成になって(17年)47㌫ということで、10人中5人は結婚していない。女性になるとその傾向はもっと強く、30歳までに結婚すると言う人は10人中4人ぐらいしかいないということらしい。何時の間にこんなに変わってしまったのか、「理想の人との出会いが無い。」
「長時間労働をしていて、相手を見つける時間など無い」などということらしいが、この30年ぐらいの間にすかっかりかわっていて、これでは結婚式の招待も減るわけだし、まして小子化への影響も当然ながら出てくるわけである。
更に「パラサイトシングル」なる人種も出てきて成人しても同居する親の経済力に頼って
未婚のままでいる人たちも出てきたという。
確かに雇用不安もあるし、所得不安もあることだろう。年収もここ十年で200万円ぐらい減収になっていると言う統計もあるらしい。
こうなると闇雲に適齢期だからと「結婚しろ」と掛け声をかけるのもはばかれるし、その責任について問われれば、答えようも無い。かくして小子化は進むばかりと言うことなのかもしれない。しかし、人生は計算だけで成り立っているとも思えない。
この世に生きて一人前の成人として成長した暁には、よき伴侶を見つけて結婚することは人生の目的であるとし、子孫を繋ぐことも大事なつとめだと考えるべきだと思いたい。
打算と、理想が混在すると、大事を見失うことも大きいことを持って瞑すべしだと考えたい。
話は変わるが、我が家の野菜はトマトが花をつけ、きゅうりは数本実をつけている。
どうやらこのまま行けば今年は収穫が見込める気配濃厚である。毎日の水遣りは欠かせないが、声かけも大事としている。

オヨナさんと私   第92回

2010-05-17 09:52:08 | Weblog
時間の過ぎるのは早かった。二人は静かではあったが熱い時間のなかに在った。「あら、もうこんな時間だわ。今日はこの帽子をかぶったあなたを見たくて来たの。素敵だったわ。」「君、もし、この後もう少し時間が取れるなら、お願いがあるんだけど、」「何か、私にできること」「そうなんだ。今晩の夕飯の支度をしていないんだ。出来れば、何か作って一緒に食べられると嬉しいんだが」びっくりしたような表情を見せたが、「たいした事は出来ないけど、いいわよ。」「やあ、嬉しいな。じゃあ僕、買い物にいってくるよ」
思いがけない展開になった。間もなく、あったかいご飯に味噌汁、野菜の煮物、おしたしが添えられている。食前酒で飲んだ梅酒で二人は赤くなった顔をほてらせて食事を終わった。庭に面した廊下に出てヨナさん特製のウーロン茶を飲みながら、休息をとる。
「さっき、人は一人で暮らすのは良くないって、言ってたけど、どうしてなの。一人でもいいと思うけど、」彼女は自分の生き方に何か疑問を持ったかのように話し始めた。
「確かに一人で生きていても悪いことではないし、どうしても結婚できない人もいるし、様々だと思う。神様はきっと、男と女は一緒に暮らすことで子孫を増やしなさいと言いたかったんだと思う。生めよ,ふやせよ地に満てよという言葉があるよ。」
「そうね、女性としては子供を持つことには何かあこがれのようなものを感じるわ。私も子供は大好きだし、自分に子供がいたらって、不図思うことがあるわ。」
あまり遅くならないようにとヨナさんは最寄の駅まで彼女を送っていった。帰りの道は何かほっとしたような、それでいて何かあったかいものが、心に一杯詰まったような不思議な思いを抱きながら帰った。それはヨナさんのこれからに何かが生まれるような兆しでもあった。何日か過ぎた頃、ヨナさんは出かける用事が出来た。早速彼女から貰ったプロムナードを手に取る。鏡の前でポーズを取って見る。少し気恥ずかしいが悪くない。少し気取った気持ちで出かけた。子供たちと年に数回の外出日である。待ち合わせの場所へ急ぐ。
マイクロバスが用意されていて、子供たちが騒いでいる。ヨナさんの姿を見つけると一段と声が大きくなる。子供たちはリュックに水筒、そしてスケッチ用の道具が用意されている。
「アンデルセン公園」と書かれた公園へ到着、ここで自由解散となる。
子供たちは思い思いに走り出す。広く、色々な設備の整った公園は安全で楽しい。
ヨナさんもゆっくりと歩き始めた。

           オヨナさんと私  第91回     

2010-05-14 09:35:39 | Weblog
それから暫くの日が過ぎていた。ヨナさんは子供たちと一緒の生活に戻り、彼女もまた仕事を続けていた。そしてベレー帽での散歩、スケッチも変わらなかった。一人でいることに不足は無く、それなりに楽しむ事が出来てはいるが、そんな毎日であっても以前と違うのは、一日の内で何も考えられない時、そっと彼女の姿が浮かぶことだった。彼女、如何しているかな、そのうち会って話がして見たい。そんな時間を持つことが自分の心を慰めてくれるような気がするのだった。そんな気持ちが届いたのだろうか。彼女からの電話だった。
「ちょっと、お会いしたいのですがお時間もらえますか。」「いつでもどうぞ。良かったら今度私の家へ来られませんか。」「伺っても良いのですか。」彼女を招待するのは始めてであったが、自然にそんな思いがあった。「汚いところですがお出でください。」
その日は彼女の仕事の休みの祭日だった。小さなハンドバッグと包みを持った彼女の姿はこの前と違って、改めて新鮮だった。それは贅沢とか、高級とかというのと違い、その人にフィットされた自然な美しさだった。部屋へ通され、ヨナさんはテーブルにお茶を出した。
色々迷ったが、今日の銘柄はレモンバーベナだった。甘い香りが漂い、部屋一杯に広がった。「素敵な香りね。久し振りで飲むわ。ヨナさん帽子お好きだわよね。この間、買い物に行って、珍しいものを見つけたの、日本ではあまり見かけない帽子なんだけど、ヨナさんには似合うと思って買って来たの。ちょっと被ってみて」と包みからだすと、それを渡した。
それはヨナさんが何時も被っているベレー帽に似ている。「いい色のベレーですね。私はこれが好きで色々持っているんです。」と言うと、「ベレーじゃないんです。」という。
「じゃーハンチング」「ハンチングでもないんです。」「へえ、珍しいですね。何ていうんですか。」「其処にはプロムナードって書いてありましたけど。」
つばの辺りはハンチングと同じだが、全体ではベレーに似ている。ただ、後ろのほうは丸く曲線になっていて、硬い。つまりつぶれないようになっている。帽子全体に丸みがあってこれを深めに被って公園等を散歩するのにはぴったりだ。それはこの帽子の名前にぴったりなわけである。「私も始めてみるものでしたけど、このを見たときにすぐあなたの姿が浮かびました。それで衝動買いです。」「高かったでしょう。」「後で値札を見て、私もびっくりしたんですけど、」といって、二人は笑った。フランス製でフランスではこれを被って散歩する人を多く見かけるのだそうだ。プロムナード(散歩)はぴったりの雰囲気をかもし出す。

思いつくままに

2010-05-12 10:06:46 | Weblog
先日、ゴルフのトーナメントの試合で自分に科せられたぺナルテイーに抗議してプレーを中止した記事が報じられた。いろいろな事情も考えられるが、規則は規則として守ることを教えられたと思うし、このことから多くの若者も考えるところがあったと思う。
しかし、世の中には自分に身に覚えの無いこととか、勘違いであったり、誤解であったりして、真実とは別にその責任をかぶると言う例もたくさんあるはずだ。そしてそれらの問題が起こるたびに、その当事者が傷つくことは当然ながら、それだけではなく裁判沙汰にまでなることもある。しかしその根っこのところにあるものは本当に小さな誤解かもしれない。
もし、そのことで自分が犠牲になって、いや反省して自分だったらそれを認めても良いと思う気持ちがあって済ませる事が出来たら大きな問題にならないで済んだかもしれないこともあるかもしれない。しかし実際問題として自分の責任として認めることは、あまり無いように思う。むしろ自分の責任であっても(全部でないにしても)自分の責任ではないと回避することの例を聞くことが多い。問題が発生し、その原因を調べていくうちにその問題の実態が明らかになり、原因が分る。しかし、それを認めないためにその問題は解決せず、最後にはうやむやに終わる事の多い。それは問題の解決にはならないばかりか、又再発することにつながる。世の中のトラブルやいや思いをする問題が起きるたびに思うことは、人がそれぞれの立場にあって、常に自分がその責任を背負うと言う気持ちを少しでも持っていることが出来れば、事は大分変わってくることを思わざるを得ない。
人気の無いところを通っていた人が、暴徒に襲われ傷を負わされた。其処を通りかかった
かなり裕福な紳士はチラッとその人を見たが、そのまま通り過ぎた。又別な男女が通り、
その姿を見たが、「たいしたことなさそうだわ」とそのまま通り過ぎていった。
そして、最後にゴミ集めをしていたホームレスの男がそれを見た。彼はすぐその人を自分のテントに連れて行き、出来る範囲の手当てをして、救急車を呼んで助けた。
どの人も同じ人を見て、これだけの違いがでてくる。自分がどの人間に当るのかを考える時、どんな思いをすることだろう。人はすべからく謙虚であり、自分自身を顧みる気持ちを忘れないことが大切であることを教えられるのである。
4月の末に植えた野菜が順調に成長している。トマトが花をつけて今年は初めて収穫を期待させてくれている。毎日の楽しみである。

オヨナさんと私   第90回

2010-05-10 10:41:04 | Weblog
彼女といる時間が、回を重ねるごとに、楽しく喜びを感じるようになっていた。それは若いときのときめきにも似たものではなく、静かな水面を漂う漣のような静かなそして止まることの無い、躍動のようなものであった。どんな話をしていても、それは自分にとって何か身に付き、プラスになるようなそれでいてそれが負担になるようなものでもなく、暖かいものであった。「さっき、探し物の話をしたけどあなたの探し物は見つかったの。」「見つかりそうになったことはあったの。でも、見つかったと思ってもそれが本当に自分が探していたものとは違うことがわかってまた探すことになってしまったわ。」「私もそんなことがあったかなあ。」ヨナさんも自分の過去を振り返りながら話し始めた「この人と人生を歩くと感じ始めてその人とのお付き合いを始めると、いろいろなことが見えてくる。そしてその責任を覚え、自分がどれだけその責任を負えるかを考えると、不安が出てくる。そして人間的な我儘を垣間見るようになる。人にはそれぞれ感情があり、欲望がある。それらは神の目から見れば罪とされるが人間には神になれない罪の世界に生きている。そしてお互いにそれがぶつかり、お互いに傷つくことになる。すると今まで許しあい、理解しあって出来ていたことが許せなくなったり、理解できなくなってくる。愛であったものが、本当は愛ではなかったと気がつくことになる。それは不思議なほどで、手のひらを返すほどに変わる。私はそんな人間の罪の姿をたくさん見すぎたのかもしれない。人と人とが人生を共有して自己責任として共に歩くと言うことには大きな勇気と愛とが無ければならないのだが、そのことを充分弁えないままに結婚を決意するとそれは破綻につながることになるか、あきらめにしかならない。その事はこの世の中で多く見られることだ。私はそんな中で、自分が次第に臆病なっていくのを覚えざるを得なかったんですよ。」二人を取り囲んでいるたくさんの花は二人を祝福するように見えたが、二人の心は冷静であった。静かに流れる時の中で、何かを求めあり、何かを探しあい見つけようと努力している姿でもあった。
「結局、人間はひとりで生きるしかないのでしょうか。」と又彼女がぽつんと淋しげに行った。「そんなことはありませんよ。」ヨナさんは強い言葉で自信を持って答えていた。
「それではあまりにも淋しすぎる。神も一人で生きることは良くないと教えていますよ。」