疎開先は埼玉の田舎の寺であった。男子だけ30人ぐらいでその付近に分散していた。
成長期でお腹の空く年頃で、毎日がひもじい日であった。勉強は週に一回のその村にある学校を借りての学習がやっとで、殆ど手につくほどの事はなかった。そんな中での楽しみは月に一回の父兄面談だった。この日はそれぞれの親が子供の好きな食べ物を不自由な中から準備して持ってきて食べさせることが出来た。美継も母親と一緒に好物のおすしや甘いものをとサツマイモで作ったあんこの団子を食べさせた。寺の本堂のあちこちで笑い声が聞こえ、楽しそうな会話が聞こえてくる。そんな半日が苦しいひもじさや毎日の空襲の恐さやつらさを忘れさせて元気が出てくるのだった。三男の弟も兄の様子を見ながら、喜んで飛び回り田舎が珍しそうであった。あっという間の時間が過ぎ親子の別れになる。淋しそうに見送る子供たち、「元気でいるんだぞ」と励ましの声をかける親達、そして又もとの生活に戻るのだった。そんな中中学を卒業した長男は、自力で東京物理学校を受験し、合格していた。
美継はそんな子供の姿を頼もしく見ていた。小学校の時はやんちゃで勉強嫌いでわがままだった子供がこのように成長していくのを見ることは想像もしていなかった。
それは男子としての、人間としての成長を見る思いであり、自分の力ではないものを感じていた。戦争はいよいよ激しさを増し、毎日が落ち着かない日になっていた。
ある日、美継は決心をした。このままでは必ず、この東京は戦火の海になるであろう。そうなれば家はおろか、家具は全て灰燼と帰すことになる。今のうちに何とか出来るならばしておかねばということであった。岡山の山内氏に相談すると、喜んで引き受けるから、いざとなったら、岡山の本社へ帰ってくるようにと承諾を得る事が出来た。
それから、運べる範囲の衣類を始め、家具などの必要品を荷作りして、出来るだけ搬送したのだ。長男はこのままでは、自分も兵役に付かなければならないと覚悟をしていた。
そうなれば自分で一番やりたいことをしたいと、自分の考えを固め「海軍経理学校」を目指し、直ちに編入した。前の学校は僅か一年の在籍だった。こうして日本全体が世界を相手にして大きな渦の中に巻き込まれ、東京もその中心におかれ、毎日がその空襲の嵐の中に置かれるようになっていったのである。
成長期でお腹の空く年頃で、毎日がひもじい日であった。勉強は週に一回のその村にある学校を借りての学習がやっとで、殆ど手につくほどの事はなかった。そんな中での楽しみは月に一回の父兄面談だった。この日はそれぞれの親が子供の好きな食べ物を不自由な中から準備して持ってきて食べさせることが出来た。美継も母親と一緒に好物のおすしや甘いものをとサツマイモで作ったあんこの団子を食べさせた。寺の本堂のあちこちで笑い声が聞こえ、楽しそうな会話が聞こえてくる。そんな半日が苦しいひもじさや毎日の空襲の恐さやつらさを忘れさせて元気が出てくるのだった。三男の弟も兄の様子を見ながら、喜んで飛び回り田舎が珍しそうであった。あっという間の時間が過ぎ親子の別れになる。淋しそうに見送る子供たち、「元気でいるんだぞ」と励ましの声をかける親達、そして又もとの生活に戻るのだった。そんな中中学を卒業した長男は、自力で東京物理学校を受験し、合格していた。
美継はそんな子供の姿を頼もしく見ていた。小学校の時はやんちゃで勉強嫌いでわがままだった子供がこのように成長していくのを見ることは想像もしていなかった。
それは男子としての、人間としての成長を見る思いであり、自分の力ではないものを感じていた。戦争はいよいよ激しさを増し、毎日が落ち着かない日になっていた。
ある日、美継は決心をした。このままでは必ず、この東京は戦火の海になるであろう。そうなれば家はおろか、家具は全て灰燼と帰すことになる。今のうちに何とか出来るならばしておかねばということであった。岡山の山内氏に相談すると、喜んで引き受けるから、いざとなったら、岡山の本社へ帰ってくるようにと承諾を得る事が出来た。
それから、運べる範囲の衣類を始め、家具などの必要品を荷作りして、出来るだけ搬送したのだ。長男はこのままでは、自分も兵役に付かなければならないと覚悟をしていた。
そうなれば自分で一番やりたいことをしたいと、自分の考えを固め「海軍経理学校」を目指し、直ちに編入した。前の学校は僅か一年の在籍だった。こうして日本全体が世界を相手にして大きな渦の中に巻き込まれ、東京もその中心におかれ、毎日がその空襲の嵐の中に置かれるようになっていったのである。