11月も終わりが近づくとやはり少し雰囲気が違ってくる気がしている。朝晩の気温も20度を切り、何となく冬を迎える趣であり、寝具もいつの間にか冬用の布団、少し暖かめの毛布と冬支度になっている。教会ではクリスマスコーラスの練習が始まり、大掃除をしてクリスマスを迎える準備が始まる。日中の部屋は暖房の温度がないと淋しく感じて切ることができない。そんな日々を過ごすようになって毎年この時期に受け取るのは年賀状の不義理の挨拶状だ。普段交流のない友人、知人、遠い親戚などからの死亡を兼ねた挨拶状を受け取るのもこの時期である。
どうしてるかなと時々思い出していながらご無沙汰していると、いつの間にかなくなって久しいことを知らされて「もう会えないのか?」と嘗ての生前を思い起こして懐かしむのもこの時期である。そして生前の交わりを懐かしみながら昔の思い出の数々をたどるのもこの時期といえるかもしれない。すべては自然である。また身近の家族の者にも年を取り病気であったり、入院であったり、手術であったり、様々な出来事がおきている。そんな日々の中で今年も暮れようとしているのだが、年末を控えてそろそろ今年を振り返ってみる時期でもある。
今年もいろいろな出来事や思い出ができた気がする。二度と帰らない日々を懐かしみながら反省を込めて次回は振り返ってみたい。それにしても今年もありがたいことに体調は順調に保つことができて今日まで元気であることは何にも代えてありがたく感謝である。
考えてみると特別なことをしたわけではないが、むしろそのことがよかったのかもしれないが、日々祈りの中で守られてきたことをうれしく思っている。そしてまた今まで気づかなかったことを幾つか啓示のように知らされて新しい生き方を示されていることに驚かされている。
人間は不思議なもので、心の持ち方や覚悟、習慣を変えることや、考え方の違いで生活も心も願いも変えることができることを知らだされている。
この思いを大事にしたいと願っている。
どうしてるかなと時々思い出していながらご無沙汰していると、いつの間にかなくなって久しいことを知らされて「もう会えないのか?」と嘗ての生前を思い起こして懐かしむのもこの時期である。そして生前の交わりを懐かしみながら昔の思い出の数々をたどるのもこの時期といえるかもしれない。すべては自然である。また身近の家族の者にも年を取り病気であったり、入院であったり、手術であったり、様々な出来事がおきている。そんな日々の中で今年も暮れようとしているのだが、年末を控えてそろそろ今年を振り返ってみる時期でもある。
今年もいろいろな出来事や思い出ができた気がする。二度と帰らない日々を懐かしみながら反省を込めて次回は振り返ってみたい。それにしても今年もありがたいことに体調は順調に保つことができて今日まで元気であることは何にも代えてありがたく感謝である。
考えてみると特別なことをしたわけではないが、むしろそのことがよかったのかもしれないが、日々祈りの中で守られてきたことをうれしく思っている。そしてまた今まで気づかなかったことを幾つか啓示のように知らされて新しい生き方を示されていることに驚かされている。
人間は不思議なもので、心の持ち方や覚悟、習慣を変えることや、考え方の違いで生活も心も願いも変えることができることを知らだされている。
この思いを大事にしたいと願っている。