波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

足跡   「落穂ひろい」

2017-10-31 11:40:18 | Weblog
台風が去ってやっと本格的な秋が来た。日本は春夏秋冬と四季がある。何気なく過ごしているがこの四季がこれほど明確に感じ股その特色を味わえる国は世界でも珍しいのではないだろうか。特にその中でも春と秋は世界でも少なく、(熱いか寒いかのどちらかになる)特に日本の秋は世界でもあまり味わえない風情を感じさせて嬉しくなる。その秋を思わせるものにわたしは一つの絵画を思い出す。それはミレーの「落穂ひろい」だ。ミレーの生まれたフランスは農業国でわたしも仕事で一度だけ訪れたことがあるが、先入観としバチカン宮殿や美術館の印象が強く近代的な国のイメージがあったが、パリを離れるとすぐのどかな農村地帯が広がり、ブドウ畑が連なる丘をみることができる。この絵画はフランスの北部の貧しい農村のようすをかいたものとされているが、日本では見られない風景でもある。そしていかにも貧しい人々の本当の姿が秋の夕暮れとともにしみじみと胸に迫るものがあるので心に残っている。
秋は何となく心寂しいものを感じさせるところがある。今年もさまざまなことがあった、そして
色々な事件もあった。しかしその中にあって今日まで平安に人生を過ごすことが出来た子を静かに心に刻みながら自分が何を考え何をして、何を残すことが出来たかを考えさせるときでもある。私なりに考えてみても心に残る思いをもう一度改めてかみしめたとき、心を騒がせ不安を感じ、心配をしつつ、その時々に示される大きな導きの基におかれて、恵みのときをすごすことができた事をかみ締めることが出来る。秋は「収穫との時」ともいわれる。今年の一年を反省するとともに無事に過ごしえた日々を感謝して寒い冬を迎える準備をするときでもある。
台風も今年はおわることだろう。そして冬の寒いときをどのように大切に過ごすか静かに考えさせられるときでもある。

思い付くままに  「総選挙と言葉」

2017-10-27 09:02:43 | Weblog
過日国の運命を託す総選挙が行われた。国の運命を決めることはわたしたちの生活に大きな影響があり、その意義は重大であるがその責任を果たすことが出来なかったことをまずお断りしなければならない。高齢者に対sる何らかの方法(現地へ行かず郵送するとか)今後の問題であろうか。日本のこの選挙は日本だけでなく世界も注目している事で日本の世界への影響がこの選挙において決まる事で注目していた事だろうと思われる。
そんな中で日本は良識ある結果を出し新しい思いを持って歩き出したのである。
しかしこの選挙に伴って様々な問題があり、中でも新党が生まれ若い人を中心に古いしがらみをなくした新しい日本を目指して国政にあたる事を目指す人たちがあった。
その経緯の中でそのリーダーが言った言葉(排除する)のために、候補者を含め多くの人たちに様々な影響を与えると同時にその投票結果にも大きな影響があったことが報じられた。
そのほかにも国政に携わる多くの人たちの人の言動で世論を騒がされる事が多かった。
しかしこれらの事はその当事者だけの問題ではなく、わたしたちにも全く同じことが言えることを学びたい。日々の人間関係の中で何気なく話している言動の中で相手やその周辺の人たちへどのような影響を与えているか、もう一度考えてみよう。
わたしたちの話す事は、まず自分中心的な考えに基づいているし増して相手にどのような影響があるか、そして自分の意思がどの程度理解されているか考えて話しているか、
その理解、その伝わり方によってどのような影響があるか、考えてみた事があるだろうか。
自分の言葉で自分の意思を正しく伝える事は難しい事を考えてみよう。まして自分の言葉が
どれだけ伝わっているか、(殆ど理解されていないのでは?)
「物言えば唇さびし秋の暮れ」とあるように、話すときはまず相手の立場に(聴く立場の人)のことを考えながら話すことが大事だとつく図九巻が得させられた。

足跡        「分かちあることの大切さ」

2017-10-24 16:20:50 | Weblog
最近はこの歳になると結婚式の招待はない。(二年前くらい前までは一年に一回くらいあった)
こうしてみると身内も孫の時代まで長生きをしなければその機会はないということになる。
それまではこの世に生きているかどうか分からないが、運がよければきたいできるかもしれない。それはさておき結婚式は披露宴が華である。式がその一番大切な時間だが、大半は披露宴に思いがある。それはやはり当人たちの人生の門出であるとともに、その喜びを分かちあう最大の場面でもあるからだ。わたしは良く自ら進んで(頼まれもしないのに)謡曲(高砂)の一節を
謡って目立つ事をしていたが、今思い出しても赤面の至りで当人の祝いより自分の為に勝手に大切な時間を無駄にしていたと悔やんでいる。
今ならせめて参加している人の中でも一番長く大きく拍手をして最大の喜びを表したいと思っている。聖書には祝いのぶどう酒が飲みすぎて無くなったとき、水をぶどう酒に変えたという奇跡物狩りが出ているが、これはその喜びをみんなで分ち合う事の大事さ、その喜びを心から全員で祝う事の大切さを教えていると思う。
人は一人で暮らしていない。何らかの形で交わりの中にいる。だとすれば、喜びであれ、悲しみであれ一人で喜ぶのではなく、悲しみも交わりの中で分ち合って生きることが大切であろう。
もしそれが叶わぬときはその喜びも、悲しみも報われることが少ないし、寂しさはいつまでものこることになるだろう。喜びも悲しみも行く年月という映画があったことも思い出すが、人生は何事も交わりの分ち合いにこそ大切な事を教えてくれるものだという事を、改めて教えられている。

思い付くままに  「わたしと歌」

2017-10-20 11:27:52 | Weblog
今、住んでいるところは市内ではない。しかし少し散歩をかねて歩くとしゃれたランチを食べさせてくれる家庭料理の店がある。月に一度ほど行くのだが、食事、飲み物、デザートがついて千円ほどで住む。この店は午後二時になるとカラオケ専門になり、五時まで営業する。郊外ならではの商売かもしれない。(一時間580円と格安)
ある時遅い食事をしているとカラオケの時間になり、近所の老人たちが歌を歌いに集まっていた。90歳近くなる老人が健康をかねて歌を歌う事は良い事だと、しばらく忘れていた歌を思い出しながら聞いていた。わたしも会社時代は毎日のように夜になると歌っていた。当時は
何処の飲み屋でもまだ、流しのギター引きが回っていたし、銀座ではピアノがあり、弾き語りから客の希望の曲を弾いて歌わせていたものである。
営業マンとして自分も良く歌っていた事を思い出してそのころを懐かしく思い出しながら、もうしばらく歌う事はなくなったと懐かしく聞いていた。
するとやはり嫌いではないので、気持ちも軽く、当時のことを思い出し友人の顔を思い出し、
それぞれの得意の曲が思い出されて懐かしかった。
さすがに自分もというほどの元気もなく、外へ出たが、何となく暖かい思いを持つことが出来た。帰宅してパソコンをいじってユーチューブで聞いていたら、思わず聞きほれる歌にめぐり合った。「六本木ララバイ」古い歌でエド山口という人が作曲したものだが、初めて聞く古い局である。こんな歌が好きでよく歌ったものだと一人で口ずさみながら、心を癒していた。
お好きな人は一度聞いてみてください。

足跡      「新聞週間」

2017-10-17 15:01:01 | Weblog
今週は新聞週間という事で関係者はかなり力が入っているようであるが、あまり関係記事もなく
嘗ての盛り上がりは全くなくなっている。私が高校生のころ新聞部で広告取りほをしながら学校記事を書きたくて(結局新聞に載る事はなかったが)熱を上げていた50年前とはすっかり時代も変わってしまった。つまり時代とともに情報を伝えるものが近代的になり、文字だけでなく写真を含めて事実を現実の状態のまま動画で同時に伝えることが出来るようになった。
そのことによって情報は新聞の目的ではなく、その事実から得る事のできるあらゆる角度の今後の出来事や将来への影響、その持つ意義などがその焦点になっている。
その事は新聞の今までの役目から新しい存在意義を生み出しているのだが、読者はそれをどう受け止めているのだろうか。単に事実を事実として「あんなことがあった。」「こんなことがあった」と野次馬的にそれを受け流しているのだとすれば新聞はスマホになり、不要の長物としてしだいに減少の道をたどる事になる。
しかし新聞の役目は新しい時代とともに新しい役目を負ったのである。それは世界の動きできるだけ網羅してその日々起きつつある現実を正確に捉えながら、そこから起こりうる今後への影響をしっかりと見つめ、正しく分析しつつ、その影響から想定される事実をしっかり伝えつつ
その備えを伝える事こそ大事なのではないだろうか。
最近の新聞をみていると、やたらにむつ貸し表現をそのままにそれが一つのプライドであり、権威であるかのように書きたてている間が無きにしも非ずだが、読者への理解度も高齢化をふくめて一部の人にだけわかるのではなく、若者が興味持ち、老人でも理解できる語彙をもちいて伝えてもらいたいと希望したい。
外国の新聞は残念ながら語学力の不足から読む機会がないが察するに日本よりは容易な表現をしている矢に聞いている。
是非この機会に「新聞」ももう一度新しいスタイルで出直すことを検討してみてはいかがであろうかと進言する。

足跡    「自分の持分を与える」

2017-10-13 10:01:17 | Weblog
毎日朝起きて最初の日課は新聞に目を通す事である。まだぼんやりした頭で目を通すと少しづつ
頭が回転し始める。最初はコラムを読むのが良い。読みやすいし、分かりやすいし、短い。
それから徐々に中身に入るのだが、一番関心があるのは世界の状況を知らせる海外情報である。世界の何処でも何が起きているかがすぐ分かる事と、日本がおかれている状況がどうなるかを知るにも大きな要素でもある。そんな中で一番気になっているのは毎日のように知らされる
中近東の「難民」の問題である。小さな船にあふれるほど人が乗り、フランス、ドイツ、イギリスと各地へ逃れようと必死になっている人たちの姿を見ていると胸を痛める。彼らは必死である。何とかして安住の地へ逃れたいと救助船へ乗れなくて海へ放り出されても必死に泳いでいる姿が目に焼きついてはなれない。
人を救うという事は一時の言葉だけですむ事ではない。もしその場に私たちがいて、毎日の食事を共にするとしよう。自分は本当は二膳食べたいときに一膳しか与えられていないご飯を見ず知らずの人に半膳でも譲ることができるかという事なのである。
自分の持分を他人に与える事は日本では日常考えられない事かもしれない。しかし世界には
そのような日々を送っている人が大勢いることを考えつつ、自分のおかれた立場をいつも考えて
どれほど今おかれている状況に平安を感謝しなければならないと思っている。

      思い付くままに  「日本人の心」

2017-10-10 09:05:57 | Weblog
訪日外人の数が年々増えていることはとても喜ばしい。(2017年度は2千万人をはるかに超えている)世界から見れば小さい島国であり、東洋の端に位置することで気がつかないでいたが、昨今のネットの普及もありその存在がしられるようになった。近隣諸国が圧倒的に多いがヨーロッパやアメリカからも訪ねてくる人が増えている。その理由は様々だが、大きく誰でもが気づく事は「清潔である事」「治安の良い事」などである。つまり日本独特の文化に基づく歴史が作ってきたことであろう。日本も戦後の敗戦から数十年は汚く不衛生であり、ごみも産卵している時代が長かったが、日本人の本来の心がその結果を出してきたといえる。
しかし、最近の日本人をよく観察しているとその豊かさからくる、自分本位の考えやわがままが
顔を出し、少しづつそのよさが崩れつつあるよう泣きがしている。
訪日してくる外国人は日本人の良さを学んできているのだからその期待を裏切らないように大切にしたい。
アインシュタインは嘗て日本人を評して次のような言葉を残している。
「日本人が本来持っていた個人に必要な謙虚さと質素さ日本人の純粋で静かな心
 それらのすべてを純粋に保ってそれを忘れずにいてほしい。」
これからオリンピックを迎える準備が始まる。外観だけでなく、その根本である大切な
日本人の心をもう一度見直して大切にしたいものである。


思い付くままに 「心の知能指数」

2017-10-06 09:24:20 | Weblog
わたしたちは、頭の知能指数についてはいささか知っていて、時折口にすることもあり、また話題にすることもある。IQ指数は生まれながらのもので親から受け継がれる率が高いとされているので努力によってこれを高める事はそれなりの努力が要る事だろうが、高くてもそれをこの世においてその環境に応じて生かすことが出来なければ、指数に見合う結果は出ないこともあるのだろうか。しかし人間にはもう一つの「心の知能指数」があるようだ。
其れはEQ(emotionai inteligence quoticent)といわれている。最近ある国会議員が秘書に暴言を言ったということで問題になったり、そのほかにも高学歴者といわれる社会的には立派な人といわれる人の不祥事件が盛んに取り上げられたが、これらの原因はこのEQ指数によるものといわれている。具体的には①自分の感情を正確に知る。②自分の感情をコントロールできる。③自己を動機ずけられる④相手の感情を知ることが出来る。⑤社交能力がある。
などがあげられている。この指数が不足しているとIQが高いだけでは人間として破綻が起きることがあることが分かった。常識的には到底考えられない事件が起きて世間を騒がす事になるのはEQ指数が影響しているようだ。
他人事ではない。わたしたちももう一度自らを見直して周囲の人間関係において迷惑をかけたりその影響を与えていないかを顧みる必要がありそうだ。
人間は兎角自分は間違っていない。、間違っているのは相手であって自分ではないと自分中心に本能的に行動しがちである。しかし、まず自らを省みて行動する事を身に付けて生きることが大切である事をこの問題から学ぶことが出来たような気がしている。

足跡   「テレビドラマ」

2017-10-03 09:54:49 | Weblog
最近海外のTVドラマにはまっている。TVは毎日の日課の一つだがその中で海外のTVドラマがある。主にイギリスの刑事物が多いのだが、その中に「ニューとリックス」というのがある。
「退職デカ」と呼ばれる現役ではない刑事が数人集められ、上司から未解決事件を主に委託されてその解決にあたるというものだが、そのメンバーが嘗ての「七人の侍」を思わせる、その道のプロであり、記憶お宅と呼ばれるほど記憶の良いもの、どんな分野の情報でも集められる者、
そして全体の仕分けをきちんとしてまとめる者、そしてそこへじょせいならではの特長を生かしたリーダーがいるという設定である。イギリスの古き町並みを背景に所内の片隅に粗末なデスク一つで自分たちの責任を喜んで果たしている中でそれぞれの人生過程であるとか、過去の失敗だとかが出てくるのも共感を持たせてくれる。
最近日本でも高齢者が年々増大し中にはまだ現役で働いている人もいるが、自分のできる範囲でできる事をすることも良い事だと思う。
人事ながらわたしも息子と長い間同じ分野の仕事をしてきた経緯もあり、現在も定期的に相談に乗って話し合う事もある。将来は事務所にも勤務する事も計画されている。留守番程度の事しかできないが、何かできることに参加して「生きがい」を感じる事も悪くはないと思う
人生は何時終わるかそれぞれ違うのだが、それを知らないで生きている。いつか終わる人生で
その生き方を納得できる事、それは少しでも自分のため、家族のため、社会の為になることを
考えつつ過ごす事であろうとそれを願っている。