東京営業所を任されていたのは美継の息子であった。それまでは営業所の看板を代理店に預けて依頼していたが、仕事が繁多になってきたことと、他人任せでの不信があったのだ。とはいえ岡山からすぐ人を出す事は出来ないし都会での生活で仕事を任せることも人材と時間が不足であった。そんなことから東京で既に仕事をしていた彼に依頼してまかせたのだが、充分な訓練(本社工場での実習ほか)が出来ているわけではなく、ただ関係者の身内と言うことで頼んだのであった。この辺にも地場企業の限界が見えていた。
そんな経緯でスタートしたので営業所の規律も規則もルーズな面もあり、充分ではなかった。スタッフも現地の東京で集められ充分な審査があったわけではないし、むしろ当時の人で不足の中ではお願いして来てもらった感じでもあった。何しろ日ごとに販売が伸びて
それにつれて得意先が増え、その営業管理は繁多になり多忙を極めつつあったので贅沢はいえなかったし、とりあえずは売り上げとそれに伴う債権の確保が第一であり、そのほかのことは目を瞑るしかない状態であった。何しろ全社の約半分の収益がまかなわれるようになっていた。従ってその経費についても本社からの監査はなく、言ってみれば営業所の自主申告を丸呑みした形で承認されていた。
幸い、彼の素行は父の威光もあり特別目立つほどの事はなかった。酒が飲めないこともあり、遊びも知らずむしろ厳格な家庭での教育が影響していて心配は無かった。
経費の主体は事務所の家賃を中心にそれに伴う管理費、交通費、旅費を含む営業経費が主であったが、そのうちに交際接待費も含まれている。
所長は部下から上がってくる接待費には注意して処理をしていたが、その範囲も心配のするほどの額ではなかった。しかし新しい社長を迎え、東京に親会社の本社が出来てから
少し様子が変わってきた。それは親会社の本部に岡山の関係会社としての管理をする管理部門があり、その責任者からの要請事項が次第に増えてきたことであった。
始めは定期的な業務報告を聞く程度であったが、人間関係が深まり、共に食事をしたりするようになってくると、仕事以外の話が主になってきたのだ。何しろ相手は上場会社のお偉いさんであり、すべてに生活基準が違う。食べることも遊ぶことも田舎のレベルではなかった。そんな機会が増えてくるに従って東京営業所の仕事はこのお偉いさんの御守のような事が、とても大きな用務として占めるようになってきたのである。
そんな経緯でスタートしたので営業所の規律も規則もルーズな面もあり、充分ではなかった。スタッフも現地の東京で集められ充分な審査があったわけではないし、むしろ当時の人で不足の中ではお願いして来てもらった感じでもあった。何しろ日ごとに販売が伸びて
それにつれて得意先が増え、その営業管理は繁多になり多忙を極めつつあったので贅沢はいえなかったし、とりあえずは売り上げとそれに伴う債権の確保が第一であり、そのほかのことは目を瞑るしかない状態であった。何しろ全社の約半分の収益がまかなわれるようになっていた。従ってその経費についても本社からの監査はなく、言ってみれば営業所の自主申告を丸呑みした形で承認されていた。
幸い、彼の素行は父の威光もあり特別目立つほどの事はなかった。酒が飲めないこともあり、遊びも知らずむしろ厳格な家庭での教育が影響していて心配は無かった。
経費の主体は事務所の家賃を中心にそれに伴う管理費、交通費、旅費を含む営業経費が主であったが、そのうちに交際接待費も含まれている。
所長は部下から上がってくる接待費には注意して処理をしていたが、その範囲も心配のするほどの額ではなかった。しかし新しい社長を迎え、東京に親会社の本社が出来てから
少し様子が変わってきた。それは親会社の本部に岡山の関係会社としての管理をする管理部門があり、その責任者からの要請事項が次第に増えてきたことであった。
始めは定期的な業務報告を聞く程度であったが、人間関係が深まり、共に食事をしたりするようになってくると、仕事以外の話が主になってきたのだ。何しろ相手は上場会社のお偉いさんであり、すべてに生活基準が違う。食べることも遊ぶことも田舎のレベルではなかった。そんな機会が増えてくるに従って東京営業所の仕事はこのお偉いさんの御守のような事が、とても大きな用務として占めるようになってきたのである。