波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

     白百合を愛した男    第64回  

2011-01-31 11:05:19 | Weblog
東京営業所を任されていたのは美継の息子であった。それまでは営業所の看板を代理店に預けて依頼していたが、仕事が繁多になってきたことと、他人任せでの不信があったのだ。とはいえ岡山からすぐ人を出す事は出来ないし都会での生活で仕事を任せることも人材と時間が不足であった。そんなことから東京で既に仕事をしていた彼に依頼してまかせたのだが、充分な訓練(本社工場での実習ほか)が出来ているわけではなく、ただ関係者の身内と言うことで頼んだのであった。この辺にも地場企業の限界が見えていた。
そんな経緯でスタートしたので営業所の規律も規則もルーズな面もあり、充分ではなかった。スタッフも現地の東京で集められ充分な審査があったわけではないし、むしろ当時の人で不足の中ではお願いして来てもらった感じでもあった。何しろ日ごとに販売が伸びて
それにつれて得意先が増え、その営業管理は繁多になり多忙を極めつつあったので贅沢はいえなかったし、とりあえずは売り上げとそれに伴う債権の確保が第一であり、そのほかのことは目を瞑るしかない状態であった。何しろ全社の約半分の収益がまかなわれるようになっていた。従ってその経費についても本社からの監査はなく、言ってみれば営業所の自主申告を丸呑みした形で承認されていた。
幸い、彼の素行は父の威光もあり特別目立つほどの事はなかった。酒が飲めないこともあり、遊びも知らずむしろ厳格な家庭での教育が影響していて心配は無かった。
経費の主体は事務所の家賃を中心にそれに伴う管理費、交通費、旅費を含む営業経費が主であったが、そのうちに交際接待費も含まれている。
所長は部下から上がってくる接待費には注意して処理をしていたが、その範囲も心配のするほどの額ではなかった。しかし新しい社長を迎え、東京に親会社の本社が出来てから
少し様子が変わってきた。それは親会社の本部に岡山の関係会社としての管理をする管理部門があり、その責任者からの要請事項が次第に増えてきたことであった。
始めは定期的な業務報告を聞く程度であったが、人間関係が深まり、共に食事をしたりするようになってくると、仕事以外の話が主になってきたのだ。何しろ相手は上場会社のお偉いさんであり、すべてに生活基準が違う。食べることも遊ぶことも田舎のレベルではなかった。そんな機会が増えてくるに従って東京営業所の仕事はこのお偉いさんの御守のような事が、とても大きな用務として占めるようになってきたのである。

     白百合を愛した男   第63回

2011-01-28 10:29:12 | Weblog
調査から帰国すると真っ先に手をつけたのは人事であった。この計画の中心になって
すべてを任せられる男を決めること、これが尤も大事であった。社長の頭には既に帰国途中の飛行機の中でその候補が上がっていた。地元の本社のプロパーにはまずいないことは分っていた。建設をするための図面を始め、その資材そしてそれに伴う工事を無駄なく又
抜かりなく進められる頭脳と胆力が必要であった。親会社の人材スタッフにはその目的に見合う人材がいた。社長の見る目に狂いは無かった。I氏はその職場では全く目立たぬ人間であった。むしろ「昼行灯」に近い存在であったかもしれない。管理職ではあったが
むしろ偏屈人間として取り扱われていた。「こんど、うちの会社でシンガポールへ海外工場進出を決めたんだ。君にこの計画の責任者として預けたいと思う。しっかり頼むよ」
そう言われた時もI氏の反応は鈍かった。「そうですか。私みたいな人間でも良いのですか」と言っただけである。そして、更にもう一人の幹部を指名した。
Y氏である。彼はアフリカのニジェールでの海外勤務経験があることを知っていた。彼もまた変人に近い。ましてI氏とは一面識も無い。こんな二人を指名したのである。
そしてI氏にはもう一つ人間的な特徴を持っていた。大の酒好きであったことだ。
仕事が終われば、何でも良いアルコールの魔力に取り付かれたように浴びるのである。
その飲みっぷりは限度がないほどで、酔いつぶれた時が終了だったのか。そんな彼であったから、夜になると人が変わったように見えるときがあった。決して人に乱暴をするというのではなかったが、昼間接している姿からは、イメージが変わっていることは否めなかった。Y氏はその経験から現地の人との接し方、話も出来るし、I氏を補佐するには充分な能力を秘めていた。シンガポールは一周しても車でほぼ一時間程度の半島であるが、イギリスが統治した歴史があり、そのレベルは先進国に劣らない国としての整備がなされていた。一つの大都会の中にすっぽりと入った感じである。多くの人を必要とせず、自動化された原料工場を建てるには充分な土地と人を集められることは間違いなかったのだ。
日本での準備がこうして始まったのである。現地で調達できない機械、設備を工期を決めて用意することから、建設部隊の主要人員のチーム構成、それらは着々と進められた。
いよいよ本格的なスタートとなった。

     思いつくままに

2011-01-26 11:00:40 | Weblog
かみさんを天国へ送ってもう20年が経つ。忘れるとも無く忘れているのだが、時々思い出して心が痛む時がある。それはもう少しかみさんの話を聞いて、協力してやることが出来なかったかと思うことである。無口で我慢強い女である事を良いことに仕事にかこつけて殆ど話を聞くことも無く過ごしているうちに不治の病に倒れそのままになってしまったことは言い訳の出来ない重い重荷を背負って歩く結果になったことは免れない。
後で聞いたことだが、時々どうしてもつらい時は近くに住んでいた義兄に来てもらい、愚痴を聞いてもらいながら泣いていたと聞かされては尚更のことであった。
そして改めて男として女をどのくらい分っているのかと考えてみると、何もわかっていないことを知り、愕然とするのである。元来男と女では肉体的な構造からも分るように
全く違うわけだが、同じ人間としてすべてに同じだと思うことが多く、まして事の良し悪しを含めその理解も同じだとしていたのだが、実際には一つ一つのことを思うにしても
考えるにしてもどうしたいかと言うことも違うのだと言うことを自覚することは無かった気がする。「私がこう思い、こう考えるのだから、当然彼女もこう思い、こう考えるだろう」という事だった。しかし、突然女に何か言われて愕然となり、批判され驚くことになる。つまり男は女の事は考えてこなかったのである。だから何を考え、どうしたいかなどと言うことは分らないわけである。その裏には女は男の言うとおりに考え、従うものだと言う潜在的な考えとおごりがあったからかもしれない。
そうなれば女から反論されてもそれは男としては自業自得のことかもしれない。
男性中心の社会通念からそれが習慣となり、男は女のことを考えることをしないで過ごして来てしまったのである。
しかし今では男は女の一挙手一投足を常に見て女の気持ちを考え、理解する時代になった。これからは男と女が理解する時代なのかもしれないが、本当に理解しあえることは不可能なのかもしれない。それは生理の根源的な点があるからでもあるし、それでこそ
二人はお互いに惹かれあうのでもあるのだから、それで良いのだが、これからは
良く話し合い、お互いに意見を戦わし、其処からお互いの幸せを見つけるべきであろうと思う。20年たって、やっとこんなことに気が付くとは遅すぎるのであるが、
せめて反省を込めて、これからの余生を人間を正しく見つめて生きたいと思う次第である。

     白百合を愛した男    第62回

2011-01-24 12:35:31 | Weblog
数日後の朝礼において、社長から力強いメッセージが発表になった。「いよいよ当社も
創業以来はじめての海外進出をすることになった。このことは皆さんの努力の結果でもあり、本当に喜ばしいことであると思います。これからも日本のこの工場を中心に世界へ発展させることが出来るよう頑張りましょう。」各工場でそれぞれに説明があり、会社全体
の意欲を高揚させる事ができたのである。
不安や疑問を持っていたものも今やその勢いの中に呑み込まれ全体が勇気付けられ、励みになって全く雰囲気が変わっていた。
一週間後、社長と専務は工場設立のための調査に出発した。既に日系の各企業は台湾を始めとしてアジアの各国に進出していたので、その情報を頼りにして今回の訪問国をタイ、マレーシア、インドネシア、シンガポールとしていた。取引先となる企業があることと準備のための調査がし易いためであった。二人の行く先々では様々な情報が入り、こちらの条件と照らし合わせながら調査は進んだ。それぞれの国の特徴があり、長所、欠点が次第に分ってきた。台湾を除けばタイが一番日系企業が多く出ているところであり、条件が良かったが、既に飽和状態でこれからの進出はやや悪いことが分った。インドネシアはバタン島に数社の日本企業が見られたが全体にはインフラが悪く、該当にはならなかった。
残るはマレーシアとシンガポールでどちらもほぼ同様に可能性の高いことが分った。
シンガポールはアジアではすべてに高い水準で整っている。その内容は日本と変わらないレベルで何の問題も無いことが分ったが、そのための投資金額も他の国と比べて数段高くつくこともわかった。マレーシアの方がその点有利と見られたが、社長は本社の支援もあることで長期的に見て、問題発生が無さそうなシンガポールに心が動いていた。
工場で働くレーバーもそんなに多くいらないことも楽であったのと、インフラを始め
日本との交流、手続きすべてが整っていたからである。
「社長、最低でも10億はかかりますよ」専務はため息をつきながら心配そうに社長の顔を見ている。「確かに金はかかる。だがな、長い目で見て考えると、そんなに変わらなくなるかもしれない。インフラや制度の整っていない国は後で、いろいろな問題が出てくるものだ。私の経験からもそれは言えるよ。」南米での苦い経験は社長の頭にははっきりと
残っていた。あの時は予期せぬ問題に次から次へと悩まされて苦しんだものだった。
そのことは決して忘れられないし、無駄にすることは出来ない。

     白百合を愛した男     第61回

2011-01-21 10:34:43 | Weblog
岡山へ帰り、翌朝いつものように会社へ出ると、顔を見るなり専務が社長を呼びとめ
部屋へ入った。「いやーお留守に困ったことが起きてしまいました。先日反対意見を述べたあの役員が私のところへ辞表を持ってきたんですよ。大分興奮していましてね。労働組合の幹部なんかにも話したらしく、自分が会社を辞めれば組合員を始め多くの人間も辞めることになるぞと脅かされましてね。何でも海外に会社が出来ると、日本は縮小して今の人員の合理化が始まることも心配したらしいです。今日も会社へは来ていません。」
黙って聞いていた社長は「分った。しばらく考えさせてくれ」と言うと、その辞表を手に社長室へ入った。何となく事務所の空気がいつもと違い、凍りついたような冷たさが漂っていた。誰も口を利くものも無く時間が過ぎていた。
午後になると呼び出しを受けたのであろうか、その当人が会社へ出てきた。そして黙って社長室に入っていった。
「M君、辞表は見せてもらったけど、詳しい君の気持ちを聞きたいと思ってね。悪いけど出てきてもらったんだ。お互いに思い違いや勘違いがあるといけないので、ここで今回の問題を話し合いたいと思ってね。」
「特別に改めて話すことはありません。私は海外進出はどんな理由であれ、反対であり
もしどうしても会社としてそれを実行するのであれば私の意に沿わないことであり、仕事を続けていくことができないと言うことです。」
「君が心配しているような人の問題とか、縮小とか、そんなことは一切考えていないし、いうなれば、発展的拡大と言うことだがね。」
「そんなわけにはいかないでしょう。計画通りにいかなければ海外を生かすために日本を犠牲にすることもあるでしょうし、仕事も営業がいう通りには入ってくるとは限りませんからね。」
「その辺は将来の事だから断言できないが、日本を犠牲にする気は全くないから心配しないで欲しい。そんなわけだからこの辞表は撤回してもらいたいと思うよ。」
「いや、この計画がどうなるか良く分るまで私の考えも変わりませんからそのままお受け取りください。」
話は平行線を辿り、合意することは無かった。その日はそのまますぎて終わったが。
この計画に関する会議はその後、数日して再度行われることになった。
正式に海外進出計画は決定し、辞表はそのまま受理された。彼の言うほかの従業員が追随して辞めると言われていたが、何事もなかったように変わることは無かった。

     思いつくままに

2011-01-19 10:09:57 | Weblog
聞くとも無く聞いていると、よくこんな話を聞くことがある。
「嫌になっちゃうわ。私もうこんな年になったの。日が経つのが早くて年ばかりとっていくみたいで嫌だわ」「そうなのよ。何にもしていないうちにあっという間に日が過ぎて
今日何をしたかしらなんて思うことがあるわ」
しかし、考えてみると、時々刻々時間は人すべてに平等に時を刻みすぎているのであって、人によって早くしたり、遅くしているわけではない。それなのに人は何故、それを
早く思ったり、時に遅く思ったりするのだろう。そんなことを不図思った。
考えてみると、時が速く過ぎているなと思っているときは、人は何かに夢中になって何かをしている時なのである。それは当然夢中になるほどなのだから不快なことではないはずである。例えば、TVを見ていても、ゲームをしていても、おしゃべりをしていても、それはある意味楽しい時間であることが多い。
逆に時間が遅いと思うときとはどんな時であろうか。あまり好きではない授業であったり、退屈な会議であったりの時は、「早く終わんないかな。いつまでやるんだろう。」と言う思いで時間が過ぎるのが遅く感じることだろう。もっと極端にいうなら刑務所で刑期を過ごしている人たちは、一日がどれほど長く感じることだろうか。早く刑期を終えて社会復帰を願う気持ちでいるために、早くその時間が過ぎることを何時も思っていることだろうと思う。そんなことを考えると人が毎日を早く感じると言うことは、言い換えれば、生活をある程度、エンジョイして、快適に過ごしている証拠であり、時間が遅く感じるのは不快な時間を持っていることになるのではないだろうか。
そんなことは当たり前で、分っていると思われるかもしれないが、意外とそれを無意識に毎日を過ごしているから、そういいながら毎日に不満が出てくるし、嫌になってしまうことが多いのではないかと思う。
早く過ぎてしまうことの幸せを覚えつつ、其処に感謝の恵みを感じてその時間を大切にする気持ちをもてば、その時間はより有効に又新たな幸せな時間になるのではないだろうか。今年もまだ始まったばかりである。毎日の時間の考え方を変えて「今を生きる」
「一日一生」を考えながら過ごすことで生きていくことを考えてみたい。

     白百合を愛した男    第60回 

2011-01-17 13:05:50 | Weblog
大きな身体を丸めるようにして坐っている役員と小さな身体に背筋をきちんと伸ばした社長の体勢は対照的であり、都会で生活している軟弱さと田舎での質素な生活をそのまま表しているように見えた。秘書の女性が顔を出し、「飲み物は何にしましょうか」と聞いてくる。そして暫くすると手拭と高級な日本茶がテーブルの上におかれた。「どうぞごゆっくり」と出て行くと、其処には都会の喧騒を忘れさせる静寂さがあった。
「ところで、場所は決まっているのかね。一度海外へ遊びに行きたいと思っているので
楽しみにしているんだよ。」役員は仕事のことには関心がないようで海外旅行を考えている風である。「まだ決まっていません。これから調査に行きたいと思っているのです。候補としてはマレーシア、シンガポール、インドネシア、タイなどを考えていますが、現地を見てみないとなんとも言えません。私どものお客さんはタイ、マレーシアへ出ている所が多いのですが、もう結構タイトになっているという噂になっているので、分りません。
人の問題、インフラの問題などいろいろ条件もあり、その条件が満足できるところであることが大事なので、決めるのに時間がかかりそうです。」
「分った。いずれにせよ。決まったらすぐ連絡してくれ。ところで、大事な資金のことだが、どのくらいを見込んでいるんだね。まあ、私の出来る範囲で支援したいと思っているから、遠慮なく言ってみたまえ。」「ありがとうございます。何分地方の小さな会社なので、今回の海外進出についての投資資金については一番頭の痛いところです。地元の財務の役員がそのことで、今回の計画に反対をしていまして先日の会議でも決めることが出来なかったのですが、この件はぜひとも本社のご協力をお願いしたいと思っています。
今考えている製造規模で試算すると、最低でも10億円を要するかと思います。後は現地での税金や、規定の法律なりで、変わってくることもあり未知の問題が多いので、これ以上は現時点では申し上げられません。」「そうか。まあ、その程度ならあまり問題にもならないだろう。わが社が海外へ出たときの投資金額はそんなものではすまないケースが多いのでね。私から下話をして内諾を取り、スムーズに承認が出るようにしておくから、君の方はしっかり準備と計画を練って進めるようにしなさい。」「ありがとうございす。よろしくお願いします。」二人の話は当に暗黙に近いものであり、公式なものは何も無かったが、既に既成事実があるかのような話になっていた。

     白百合を愛した男    第59回

2011-01-14 10:26:47 | Weblog
社長の出社は早い。8時の始業なのだが7時過ぎには来ている。人には朝型と夜型とあるが、若い人たちに朝の早いのは苦痛で、社長の出には少し閉口している。体操と朝礼が終わると工場視察もそこそこに降りてきて、専務を呼び込み社長室で話し始めた。
「昨日は簡単に合意に達し、行動に移せると思っていたのだが、あんな意見が出るとは思わなかったよ。君はどう思ったかね。」「私も少し意外でした。元来自己主張ははっきりする人ですから、意見はあると思っていましたが、あそこまで反対するとは思っていませんでした。」「恐らく、あそこまで言い切ったのだから、これからも妥協は無いだろうし、この計画には賛成はしないだろう。そうすると、このまま押し切るか、継続審議として先送りにするかということになるが、」「社長はどうしようとお考えなんですか。」
「はっきり言ってこの計画はすぐGOをかけたいと思っている。リスクは承知の上だ。
本社も説明にもよるが、協力してくれると思う。」親会社の関係会社は20社以上あるが、その中で海外進出は少ない。社長とすればこの会社へ着任し、その成果をこんな形でアピール出来るのは絶好のチャンスである。それは本社評価を高めることにもなり、地位保全にも繋がるのだ。「しばらく冷却期間を置くと言うことで社内は説明して、時間を貰って東京へ行って下話をして来ようと思っている。」「それは是非お願いします。私もお供したいのですが、今はまだ早いかと思うので、色々調査をしておきます。お帰りになったら、社内決議をしてスタートしましょう。」二人の意見はまとまった。
翌日、社長は出張として、東京へ向かった。親会社のある八重洲の本社には彼にすれば長年住み慣れたところでもあり、懐かしくもあった。今回の用件は彼にとっては晴れがましかった。胸を張って話せることであることが嬉しかったのだ。
「どうだい、岡山の生活は、君は岡山の暮らしは始めてだったかね」関連会社担当の役員との差し向かいの昼食の場である。個室でのうな重は彼の好みを承知のメニューでもあった。乾杯としたビールで少し高潮した頬にうなぎの香ばしい香りは強かった。
田舎の料理で暮らしている彼にとって、この高級な食事はやはり大きな羨望でもあった。
食後のコーヒーを飲んでから、二人は本社の奥深い役員応接室に入った
そこは厚い絨毯の敷かれた静かな部屋であり、誰も来ることは無かった。彼は何時かこの本社へ帰る事を心に固く決心していたのだ。

     思いつくままに

2011-01-12 10:51:00 | Weblog
お正月も10日を過ぎると、その気分がなくなってしまうのだが、まだ松の内なので
お正月の句をご披露したい。と言っても私の作ではない。ただこの句を読んでいて
とても共鳴する所があったからだ。「新年や、年甲斐のなき人になる」
若いときには、何も思わずに過ごす新年も60歳を過ぎる頃から、それぞれがこんなことを思うのではないだろうか。年甲斐もなきと言う語句に意味が込められていて、各人が自由に思えばよいのだが、直感的には肉体的にも精神的にも、何となく衰えを覚え、マイナスイメージを思い描くのだが、この作者はむしろプラス思考として捉えている。例えば
「年甲斐も無くお元気ですね」と少し皮肉混じりに言ったり、「年甲斐も無くお綺麗ですね」とか、「年甲斐も無く飛びますね。」とか言う場合もあるかもしれない。
しかし、私が共鳴したのは、毎年新年を迎えどうしても避けられない病気であるとか、死への考えの中で、ここまでの人生の中で掴み得たもの、また反省を込めて顧みたものを
含めて、これからの人生の中で、今までに持ち得なかったものを見つけることが出来るかを示していると思ったからだ。生かされている限り、年甲斐も無くと言われようと、何と言われようと、模索しながら生きていかなければと考えるからである。
さて、新聞情報を見ていると今年の景気の予測であるとか、今年の世界の動向とか様々な評論が見られる。当るも八卦、当らぬも八卦だがやはり今年の動きがどうなるのかは興味のあるところであろうか。その中で関心を引いたのはここ数年力をつけてきた中国の動きであろうか。自動車の販売総数、年間輸出額世界一の実績はその国力を人口だけではなく思わせるが、やはりその動きが日本への影響を与えることは間違いないのではないかと
思われる。「官と民の対立激化、政治改革、国際社会との摩擦」などが考えられるが、
オリンピック、万博の終わったこの国の動向には目が離せない。
目を我が家の庭に転じると、猫の額の庭にも春を思わせるものが目に入る。
去年の秋、植えた水仙、チューリップの球根が元気に芽を出している。又イチゴのプランターにも白い花が咲いているのが見えて嬉しくなる。梅ノ木も真っ赤なつぼみを膨らませ
春を待っている。「冬来たりなば、春遠からじ」と言われるように、この寒さの中を
辛抱しながら春を待っている草花を思いながら、この寒さを忍ぶこの頃である。

     白百合を愛した男     第58回

2011-01-10 18:08:48 | Weblog
会議は順調に進んでいた。出席していた管理職、役員の殆どは本社勤務のものが多く
情報の入手に疎く、出先の動きを知っているものは少なかった。まして客先での話など知りようも無いわけである。社長も自分の見解を述べて、決断する段階になりかけた頃、
一人の役員がおもむろに立ち上がった。「私はお話を聞いていて、まだやや時期尚早だと思います。確かに今は製造能力も限界に近く、これ以上は無理かもしれません。
しかし、このまま続くと言う補償はありません。何時か受注も減少する時が来ると思われます。弁柄事業を長年やってきて、その例は何回も経験しています。このフエライトだけがずっと好調を続けるとは思われません。何れ波もくると思います。事実この業界の他のメーカーはこの時期何処も進出の話はありません。同じ業界で当社だけが進出することは
先手必勝かもしれませんが、もう少し調査をし、裏づけを取ってからでも遅くは無いのではないでしょうか。」財務担当だけにその言葉には説得力もあり、少し浮かれ加減であった他の人たちもこの話を聞くと、冷めたように顔を見合わせ頷くものもいた。
「その点について、東京、大阪の所長の意見はどうなんだ。自信はあるのか。」社長はその矛先を振ってきた。「責任持っていえるかといわれれば、自信があるわけではありません。しかし、この流れは暫く続くことは間違いありません。後は当社が全員で、この計画を推し進めるべく、努力するしかないのです。全員がこの計画に責任を持ち、その持ち場持ち場で責任を持たなければ成功しないでしょう。一人でも足を引っ張るものが出れば、この計画はそれだけ力を失うことになります。」営業も必死であった。確かに事にはタイミングがある。タイミングを失うと成功するものも失敗へとつながることもあるのだ。
しかし、投資金額も今の国内の工場拡大とは桁の違う大きさであり、その影響は大であり、その資金計画も当社だけでは到底できるものではなかった。反対した役員は恐らく資金調達を頭に浮かべ躊躇したのであろうか。
「みんなの考えも大体分ったが、今日は結論を出すのを差し控えたい。私自身も再度検討する。近日中に再度集まってもらい、この計画についての方針を決めたいと思う。」
社長もここは一歩下がった形で譲歩した。
一気に決めたかっただろう気持ちが見えていたが、反対者がいたのでは強行することははばかれた。会議の後は何となく消化不良の雰囲気が漂っていた。