波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

            オヨナさんと私   第14回

2009-07-31 09:00:42 | Weblog
オヨナさんが女性から声をかけられたり、強い関心をもたれたりするのは何故なのだろうか。私は少しやっかみ加減で気にした事がある。
それはどうやら主に外見から来る印象が大きいようだ。身長が日本人の平均からすると、少し高めであること(180cmぐらいであろうか)やや細くて、スリムであること、年齢は不明なのだが、そんなに若いというイメージは無く、(40歳前後か)そして何より強い魅力になっているのは、その容貌にあるような気がする。
つややかな黒い髪が長めに下がり、時折顔にかかるのを軽くなげあげるしぐさ、
男性には珍しい、長いまつげ、そして目は子供の目のように澄んでいる。大きくは無いが、少し憂いを含んだ、優しいまなざしは何かしらひきつけるものを感じる。
今日は、家の世話をしている橋本さんが来る日だった。
お昼近く、両手に一杯の荷物である。午前中はご主人の世話や片付けものがあるらしい。ご主人は「川釣り」では全国的にも名人と言われている人らしく、仕事の
休みになる日曜日は一年間、欠かさず、釣りに出かけているとのことだった。
「今日は、朝顔の鉢植えを持ってきたの。お庭において花を楽しみましょうね。
だけど、朝夕の水はしっかりお願いしますよ」「はい。分りました。」と生返事をしたが、あまり気乗りはしていなかった。生来のめんどくさがりやである。
ばたばたと仕事を始める、橋本さんに家の中が落ち着かなくなり、オヨナさんは
一冊の本を持って、黙って出かけてしまった。
いつもの「ラナイ」でのコーヒータイムである。ここは何といっても、彼にとっては憩いの場所であり、安息の時間が持てるところだからである。
いつも座る隅のテーブルで「いつもの」と声をかけて持ってきた本を読み始めた。
店には三人のウエートレスがいる。一人はバイトの若い学生で、後の二人は少し落ち着いた女性だった。主婦なのか、学生なのかは定かではない。
何れも、指導が良いのか、言葉使い、マナーが丁寧で気持ちが良い。
程なく、いつもの「ブルマン」を持って、テーブルに置こうとした瞬間だった。
何かがひっかっかたのか、躓いたのか、カップがテーブルの上で倒れ、コーヒーは
そのままこぼれてしまったのである。「あーあ」と声にならない声を上げたオヨナさん、そして、「ごめんなさい」と悲鳴を上げたウエートレスの声が同時であった。店には余り客もいなかったので、大きな騒動にはならなかったが、
その始末に暫くの時間がかかった。
やがて、二杯目のコーヒーを持って、「私、竹下と言います。本当にご迷惑をかけてすいませんでした」「いやあ、大丈夫です。おかげで美味しいコーヒーが二杯飲めるんですから」とオヨナさんは静かに笑いながら言った。

             思いつくまま

2009-07-29 10:00:37 | Weblog
衆議院の解散があった。今年の一番大きな「チエンジ」になるかもしれない。
しかし、ただ変わるだけではなく良くなって欲しいのだが、これは国民全員の責任であり、希望でもある。忘れていたら梅雨はいつの間にか明けていた。(ただし、関東地方)これから9月頃まで毎日30度を越す気温の中で過ごさなければならないが、健康管理が一層求められる時期でもある。
その中でも特に気をつけなければ成らないと思っているのは「睡眠」である。
「今日は少し疲れたな」と思ったときは時間に関係なく、少し早めに寝ることにしている。そして何も考えずしゃにむに眠ることを心がけるのだが、こうして眠れた時は翌日かなり体が回復していることが良く分る。当たり前の話だが、私は実感としてつくづくそう思うのである。
そんな睡眠の中で興味深いのは毎日のように見る「夢」である。
少し話は変わるが、「人間は全人格を意識することは出来ない。自分が意識していると思っていることは全人格の二割程度で後の八割は無意識のうちである。
だから自分では思いがけない夢を見たとしても、それもまた自分の人格から生まれた自分の夢なのだ」と言うことを何かの本で読んだことがある。
かねがね夢と自分の意識というものの関係が気になっていたが、この話で少し分るような気がしたのである。
例えば良く見る夢でゴルフの夢がある。「自分がプレーをするときが来ているのにその準備がなかなか出来ないで、支度に時間がかかり、いらいらしている。
また、サラリーマン時代の自分が仕事仲間とわいわい話をしている。何を話しているのか分らないが、まるで今でも自分がその仕事の中にいるかのような状態になっている。」これらは何回か同じような夢を見て覚えているのだが、これらもまた、
自分の人格の意識の一部として生まれたもので見たのだと思う。
このように自分で自分の全人格を意識することが出来ないことがわかると、やはり
人間は常に謙虚であり続け無かればならないと思わざるを得ない。
自分で自分が分っているようで自分のことは分っていないことが多いのだ。
まして、その言動については責任を持っているとはいえないことではなかろうか。
夏休みになり、子供たちの親はその世話で苦しんでいるのかもしれない。
毎年、この時期に不幸な子供たちのニュースを聞くことになるのだが、面倒くさがらないでしっかり親も管理してもらいたいと思う。

            オヨナさんと私    第12回

2009-07-27 10:18:33 | Weblog
「どうしたの、早く帰らないとお母さんが心配しているよ」もぞもぞと帰ろうとしないゆきえちゃんに声をかけた。「何か先生に話したいことでもあるの」すると
ゆきえちゃんは大きく頷いた。「お兄ちゃんが先生に聞きたいことがあるんだって、それで先生にそのことを聞いて来いって言われたの」「そうか、お兄ちゃんは何年生なの」「お兄ちゃんは大学生よ」「大学生か、分った。じゃあ帰ったらお兄ちゃんにいつでも良いからいらっしゃいとと言ってね。」「うん、先生ありがとう」そういうと、ゆきえちゃんは駆け出すように帰って行った。
オヨナさんは子供たちのいなくなった部屋を見回し片づけを始めた。
しかし、元来オヨナさんは掃除、洗濯、炊事、片付けは大の苦手であった。
ともすると、食事は食べないでいることも間々あるし、着替えも何日も同じものを着ていても気にならなかった。掃除も部屋のあちこちに埃の玉が見えていてもそれを取り上げようとすることは無かった。
「ものぐさ」と言うか、、「面倒くさがりや」なのか、それでいて、出掛ける時は結構おしゃれをして気取って用意をするのだが、
そんなオヨナさんを近所の町会の世話役が見かねて「オヨナさん、男が一人じゃ何かと不便でしょう。近所にとても世話好きで、仕事の出来る婦人がいるので、紹介しましょう。是非、お世話になったら良いですよ」と薦められた。その婦人は病気がちなご主人を介護しながら暮らしている人だったがとてもきれい好きで仕事の出来る人で評判が良かった。特に食事には人一倍注意を払って作るので、安心できた。婦人のいないときにも、あれこれ指示があり、それをきちんと守っていないと後で注意があり、オヨナさんもこれには少し参っているが、その真心を理解していたので二人は会うといつもニコニコと話し合うことが出来た。
数日後、いつものように「瞑想」を済ませたオヨナさんが音楽を聴きながら本を読んでいると、玄関から声が聞こえた。出てみると一人の青年が立っている。
「オヨナ先生ですか。」「はい、そうですけど」
「僕は幸恵の兄の松下です。先生にお聞きしたいことがあって伺いました。」
オヨナさんは部屋へ通すと、早速例のお茶を薦めた。
「いただきます」勢い良くぐっと一口飲んだ青年は急に顔をしかめた。
「大丈夫、だいじょうぶ、これは元気になるお茶だから」慌てて。説明したがそのお茶はその青年が帰るまで、そのままだった。

オヨナさんと私     第13回

2009-07-27 09:46:28 | Weblog
「先生、僕は今、大学3年なのですが、来年には進路を決めたいと思っています。だけど、いろいろ迷ってしまって困っています。」「そう。専攻は何を選んでいるの。」「高齢者福祉なのです。教育と福祉に関心があり、それを生かした仕事をしたいと考えました。それで会社を探して数社の就職できる会社が内定し、決まりかけているのですが、調べていくうちに給与や待遇の点で不安が出てきたのです。
それに両親が二人とも公務員で、親の薦めもあり、公務員も検討しているのですが、公務員の門はなかなか厳しく狭いので、簡単ではありません。それで今後どうしたらよいか、悩んでいるのです。」
オヨナさんはその青年の顔をまじまじと眺め、その若い純粋な目を見つめた。これから社会に出て行くこの青年を社会はどのように受け入れ、育もうとしているのか、今の日本の社会情勢を思うとき、あまりにもその受け入れ状態が整っていないことを思い、冷たい社会と言えるかもしれないと思ったのである。
確かに間もなく今の日本は65歳以上の人が人口の半分になると言うこの時代である。いかに福祉が大切であり、高齢者対策が重要であるかは異論を挟む余地は無い。公務員は国の借金で身分を保証されている所が大きい。
そんな意味ではその待遇の差はあまりにも大きいのである。と言ってこれを正論でもって説得することは出来ないのだ。
「君の言うとおりだよ。昔は学生が最初にあこがれたのは銀行を中心にした金融関係だったけど、今は公務員の希望が多いようだ。だけど、競争も激しく狭い門になってしまうね。でも本当はこれからのことを考えると福祉の仕事はとても大切だし、必要性も高くなることは間違いない。だから是非そちらへ進むことを期待したいけど、君の言うとおり、今の状態では不安も大きいからそのことも考えないといけないし、」ここまで離すと、オヨナさんは一息ついてお茶を飲み、口をつぐんだ。良くも悪くもこの決断でこの青年の人生が決まり、左右されるのだと思うとこうしなさい、ああしなさいと簡単には言えることではない。と言って、自分で決めることですとだけ言うのも無責任な気もした。
静かに目をつぶり、オヨナさんは話した。「厳しくて、難しいと思うけど、一度公務員の試験を受けてみることだね。そしてその上でもう一度いろいろな角度からその内定している会社を調査して、自分の希望に本当に沿うものかどうか、良く考えて、決めることだね。」それが精一杯の言葉だった。

             思いつくまま

2009-07-22 09:42:55 | Weblog
私の身近に一人のご婦人がいるのだが、その人の話で「上の孫の誕生日に何をしてやろうかと考えているんだけど、何が良いか分らなくて、毎日悩んでいるの」と相談を受けたことがある。聞いてみるとその誕生日は一ヶ月以上先の話で、私はまだ先の話だから、もう少し近くなってから考えたらいいんじゃないのと思うのだが、
その人にとっては、そうはいかないらしい。聞いていると、何によらず生活の行動に早い所がある。もう一人の人は新幹線で出かけるとき、定刻の2時間前には必ず着いているという人がいた。概して、このような人を「せっかち」と言うのか、そして、その反対に「のんびり」型の人もいるはずである。私も自分のことを考えると、年齢と共に、やはり「せっかち」型になりつつあるのかもしれないが、全体でもこのタイプにはいる人が多いかと思うのだが。
先週の新聞に「国民性調査」の結果と言う記事が出ていた。昨年の秋頃、ちょうど、景気が悪くなりかけていた頃に実施されたものらしいが、この調査によると
20代から40代の人たちの意識に大きな変化がでていた。
それは将来展望に希望が持てなくなるという人が57%ということと、「いらいらをおぼえるようになった」と言う人が60%という結果だったことである。
つまり、現代の若者の大半が将来に対する希望を半ばあきらめて、日々をいらいらして暮らしていると言う事である。
日々起きている、様々な事件も人々の潜在的な深層心理の中にこのような「いらいら」が影響し、行動やちょっとした言葉や態度に無意識に表れていないかと
心配と不安を覚えたのである。
ある本を読んでいたら、「私自身、まことにせっかちで、思い立ったらその場ですぐそれを片付けないと落ち着かない所がある。これは長く祈り、長く待つことを
知らないためであろう。自分は積極的な人間だから、待つことは無気力的だと思う人もいるかもしれないが、果たして待つことは無気力であり、消極的な人であろうか。」とあった。「長く祈り、待つことを知らない」と言う言葉に、私は強く引かれたのである。
私もささやかに事業をしているが、やはり結果の好転を一日も早くと期待せざるを得ない所がある。しかし、それだからこそ待つことの大事さを忘れていた気がするのである。
そんな時、いらいらしたり、将来に希望を持つことをあきらめたりすることが、
どんなに悪いほうへ引っ張られるかを注意したいものである。

       オヨナさんと私     第11回

2009-07-20 14:40:50 | Weblog
駅前にオヨナさんがよく行く喫茶店がある。いつもと同じ日が戻って、落ち着いたある日、涼しげなポロシャツにピンクのベレーをかぶって、店に入った。
看板に「ラナイ」とある。英語ではなさそうなので、聞くとハワイ語で「ベランダ」と言う意味だそうである。店内は観葉植物があちことに置かれ、壁には田舎には珍しい押し花の貼り絵がずらっと並んでいる。店長の説明によると、オリジナルだそうで、本物の花がそのままデッサンの中に納まっている。そして、季節ごとにそれは取り替えられ、お客をあきさせない。静かに流れる音楽(BGM)はお客の会話を静かに吸収し、騒音をさえぎり、座ると其処がその人の空間として独立する雰囲気である。「いつもの」と言うと日変わりカップでブルマンが出てくる。(彼はこれしか飲まない。)店に置かれているデッサンの雑誌を読みながら、コーヒーを飲む時間は彼にとってはその日の至福のときらしい。
その姿はそのまま店の雰囲気に溶け込み画になるほどである。
そんな様子は外界を忘れさせ、ある屋敷のベランダを思わせ、オーナーの心意気を感じさせる。いつの間にかその中に埋没してすべてを忘れて、コーヒーの香りに
酔いしれることになる。
堪能したかのようにオヨナさんは立ち上がり、店を出る。本屋に立ち寄った後、自宅に帰る。子供たちが家の前のせまい場所でうろうろしている。
「やあ、ごめん、ごめん遅くなっちゃって」慌てて鍵を開けると、子供たちは騒ぎながら座敷に上がると、銘々勝手に学習を始める。
小学低学年から高学年までばらばらで、男の子もいれば、女の子もいる。
どの子供も学校にいる時よりも元気で明るいようだ。何か、開放感に浸っているようだ。宿題を始めるもの、苦手な科目の練習問題をするもの。絵を描いて見せるもの、ここでは何をしても良い。自由に好きなことが出来る。オヨナさんの役目は
彼らが取り組んでいることが楽しく、スムーズに進められるように見守っているだけだ。だから何か頼まなければ口を出すことも無ければ指示することも無い。
冷たいお茶と、スナックのような菓子をテーブルの上におき、飲みたいときに飲み
食べたい時に食べられるようにしてある。
このようにして、静かに時間は過ぎていくのである。やがて夕方近くなるとそれぞれ帰り支度をして、三々五々帰っていく。
そんな中、今日は一人女の子が最後まで残ってぐずぐずしている。
今年4年生になったゆきえちゃんである。

         オヨナさんと私    第10回        

2009-07-17 09:28:54 | Weblog
あの頃はオヨナさんも世の中のこと、将来のことなど何も分らず、又考えず、ひたすら目の前のことに追われていた。何となく、自分は子供たちに新しい希望を与え、成長する姿を見たい、そんな思いで自分の夢を求めていたような気がする。そして突然話し始めた。
「私もお父さんが言うように暫くこのまま様子を見るのが良いと思います。
ただ出来れば、二つのことを約束してもらうことが大切なことでは無いかと考えます。一つは健康についてです。病気になったらすぐ連絡して相談すること。
外国のことであるし、言葉の不便さもあります。誤った処置で取り返しの付かないことにならないようにするためです。もう一つはいつでも良いから、必ず帰る事を約束させることです。将来のことは誰にも分らないことですけど、本人に大人の自覚を促すことになります。これも大事なことだと思います。
そして良いタイミングでご両親であちらに出向いたらどうでしょうか。ツアーの中であちらで会う機会もてたらお互いの気持ちがスムーズに通じることもあるかもしれません」静かに、ぽつぽつと話すオヨナさんに「もう一杯お茶をいかがですか。」と進められ二杯目のお茶をおいしそうに飲んだ。
夕方になり、日も少し翳り、涼しい風が吹き始めた。「ごちそうになりました。」
オヨナさんは立ち上がった。慌てたように二人も立ち上がり、「こちらこそ、いろいろありがとうございました。」と挨拶を交わし、見送ったのである。
大宮駅から在来線に乗り換えて電車に揺られながらオヨナさんは鞄を抱えたまま居眠りをして、夢を見ていた。
(其処は何もない荒野で石と岩が見えるだけのところだ。杖を手にオヨナさんは歩いている。どこと言うあてがあるわけではない。無性にのどが渇いている。
水が飲みたい。そう思っていると、前方に井戸のようなものが見えてきた。その井戸の傍に女が一人座っている。オヨナさんは女に水を一杯いただけないか。と頼んだ。女は黙って水を汲むとそれを差し出した。オヨナさんは女に何か話しかけたが、それは言葉にならなかった。)突然ガタンと電車が揺れて止まった。オヨナさんは夢から覚めると、ぼんやりした頭で歩き出した。

思いつくまま

2009-07-15 09:35:54 | Weblog
人は大きく「おしゃべりタイプ」と「無口タイプ」と分けたとすると、どちらが多いだろうか。自分は前者であることを自認しているが、そのことを意識し始めたのは何時頃からだったろうか。仕事が営業で日々人と接して話すことが多かったことが加速させたとは思うがその素地はあったのかもしれない。
その証しとして記憶にあるのは、高校時代に頼まれもしないのに弁論大会に出たことを覚えている。
「おしゃべり」は軽い、落ち着きが無い、深みが無い等のイメージを与え「無口」
「寡黙」は落ち着き、冷静沈着などとイメージされるが、お互いに反面教師的な意味合いがあると思う。
そんな自分が定年後、殆ど一日中話すことの無い生活をするようになった時、当初アレルギーを起こして、何か変化がおきないかと懸念したがそれも無い。
女性には一人で家にいるときに、家事をしながら独り言を言う人もいると聞いたことがあるけど、男性は比較的に穏やかなようだ。
お陰で、その時間に様々なことを考えたり、物思うようになって来た気がする。
最も関心を持っていることは週三回のブログ投稿用の原稿の内容についてである。
次への文章をどういう構成にするかを自由に自分の夢や希望を含めて、膨らませて考えて書いておく時間はとても楽しいし、又読書の時間も読みながら作者の意図を考えたり、登場人物のそれぞれの生き様を考える時間も又、楽しいのである。
勿論、これらのことは人との交わりの中で話すときに注意深さを生み出し、そういう自分を見出し、ホッとすることもある。
話は変わるが、都議会選挙が終わった。衆議院選挙も間じかになってきた
今年は1月のオバマさんの大統領就任以来、「チエンジの年」と迎えていたし、
私自身も少しでもより良くチエンジすることを目標にして過ごしているのだが、
いよいよ日本もチエンジの時を迎えようとしている。
すべてが一度に変わるわけではないが、やはりより良い方向へ一歩、一歩変わることを希望したいと思う。
その為に、国民一人一人がその責任を果たさなければならないと思う。
それが例え、牛歩の一歩であっても!

          オヨナさんと私   第9回

2009-07-13 09:04:22 | Weblog
「ここへは始めてきたのですか。」「いえ、この時期には毎年来るようにしています。」「そうですか。それではこの辺のことはお分かりでしょう」「いや、あまり歩かないので、詳しくありません。」「私は写真を取るのが趣味で年中ここに来て
その折々のいろいろな珍しいものにめぐり合いながらそれを写真に収めているのです。この池の隣りにある水生植物園には他では見られない珍しい植物が一杯あるんですよ。」スケッチを見ながら「良いところを見ていらっしゃる」と言いつつ、
「どうですか、少しお休みになって、私たちとお茶でもしませんか。」と誘ってきた。ベンチでは婦人らしい人がポットから紙コップにお茶を入れながら用意をしているのが見えた。オヨナさんは無碍に断るのも失礼と思い、手を止めて立ち上がった。進められるままにコップを手にするとそれを口に運んだ。
冷たく、上品な甘さのアイステイーでレモンの香りと風味が何ともいえず、のど越しが良かった。「とても美味しいです。」思わず声が出た。
「私たちは還暦を過ぎて、今は仕事もせず、こうして二人で散歩三昧の毎日です。
二人の息子がいるのですが、長男は独立して家庭を持ち、外へ出ています。
しかし、次男のやつが、語学を勉強するとか言って、大学を卒業すると海外で勉強するとか言って、カナダのほうへ行ってるんですが、これが帰ってこないんですよ。なんでも向こうのほうがよくなったようで、早く帰らせて就職させ私たちも安心したいのですが、言うことを聞きません。」当に問わず語りで、一人でしゃべっている。しょうがないので、黙って聞いていると、傍にいた夫人が黙っていられなくなったように話し始めた。「就職も内定していまして、仕事にもつけるようになっているんです。それをあちらには良いバイトもあって、暮らしには困らないし、楽しいよ。と言って、親の言う事を一向に聞こうとしないんです。」
「私はそのうち、熱も冷めて帰ってくるから、暫く様子を見たらよいんじゃないか。若いうちだよと言っているのですが、家内のやつが、毎日心配しましてね。何時までも子離れしないんですよ。」
「どうでしょう。このままほっといても良いもんですかね。」と突然、話しかけられてきた。オヨナさんは他人事のように聞いていただけであったが、そう聞かれてしまって、慌ててしまったが、すぐには答えられなかった。
「おいくつなんですか。」「27になります。」
人生で一番輝いている時かもしれない。オヨナさんは遠い昔を見るように自分の若い頃を思い出していた。

           オヨナさんと私    第8回  

2009-07-10 11:18:05 | Weblog
普段のオヨナさんの生活は平凡である。子供たちとの時間は子供たちが学校から
帰ってからであり、夕食前には終わって帰るのでそんなに長い時間ではない。
そしてそれも毎日ではない。従って、午前中は大抵拘束のない自由な時間になっている。朝の静かな時間に瞑想(祈祷)に入るが、それが終わるとゆったりとした揺り椅子に腰掛け、本を開くのが日課になっている。サイドテーブルには例の熱いお茶があり、丸薬も置かれていて、いつでも飲めるようになっている。
ステレオからは静かな音楽が流れているが、あまり聴きなれないもので、いつか聞いたことがあるのだが、「バロック音楽」だと言うことだ。
バロック音楽だとすれば、中世期に教会や修道院に見られた祈祷用の部屋で歌われていたオラトリオに代表される聖譚曲と言われるものが中心になっているのかもしれない。確かに聞いていると、心が静まり、落ち着くような気がした。
ある日のことオヨナさんはいつものように瞑想が終わると、そわそわと出かける用意をしている。着替えを済ませると、いつものように帽子の選択である。
今日はグレーのベレーをかぶって出かけるらしい。スケッチブックを入れたショルダーバッグを肩にかけると、いつもどおりの道を歩き始めた。
上野へでると、公園を一巡りして、東北線で行田まで行く。ここには「古代蓮の里」があり、オヨナさんはこの時期になると、ここを訪れている。
蓮の花はこの時期なら、どこでも見られるのだが、1400年から3000年ぐらい前のものが、10万株、40種類ぐらいあるところは滅多にない。
まして、ここが偶然工事中に出土した種子によって自然発芽してよみがえり、池に開花したとあっては、まさに神秘的であり、驚きである。
池の周りは公園であり、記念館を始め、一日いても飽きる事がない。
オヨナさんは公園に付くと、例によって、園内を暫く散策し池の端の木陰を見つけると、其処でスケッチを始めた。その様子は、散歩で来る人にとって、目立つのか、オヨナさんを覗き込むようにして通り過ぎるが、誰が来ても、全く気にならないようで、池の蓮を一心に眺めながら描き続けている。
その時、突風のような強い風が吹いたかと思うと、ヨナさんのベレー帽があっという間に吹き飛んでしまった。
そして、その帽子は少し離れたベンチに座っていた中年の夫婦のいるところに止まった。帽子を拾い上げて、それをオヨナさんのいるところへ持ってきた。
「ありがとうございました。夢中で描いていたので、うっかりしました。」
オヨナさんはそういうと帽子を受け取った。