波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

個室   第10回

2016-05-29 21:24:29 | Weblog
あわてて支度をして、警察まで出かけてきたが、果たして何が起きたのか、悲しみよりも
何が起きたのか、そして主人の一夫はどうしたのか、まだ何も信じられず、本気にもなれなかった。受付で名前を言うと「奥様ですか。こちらへ」と案内をされた。
奥を通り過ぎるといったん外へ出て別の箇所へ案内された。そしてある部屋の前に来るとそこには」霊安室」とかけられた札があった。
狭い部屋の片隅に台が置かれてそこには白布をかけられ物が置かれていた。「こちらはご主人に間違いありませんか。」案内してきた警察の係りの人が声をかけた。
時子はそこで始めて現実に戻った。一夫はそこでい静かに眠るように死んでいた。「這い間違いありません」と答えると「実は今朝電話で連絡があり、こちらの所轄のビルの清掃者のかたが
作業のためにある階のトイレの個室を開けたところ、この死体を見つけて連絡してきたんです。
こちらとしても変死体として取り扱い、意志を通じて検死をしました。 病名は雲膜下出血による志望と分かりました。何しろ個室の中でしたので、汚れたままになっていますが、
お引取りを願います。」
事務的な報告を聞きながら時子は何故か涙も出なかった。「分かりました。ご面倒をおかけして申し訳ありません。これからすぐ連絡を取り引き取らせていただきますので、しばらくこのままお願いいたします」と言うのがやっとであった。
不思議なくらい冷静であった。そして親戚や葬儀社そして身内に連絡を取り、一夫を乗せた
車で自宅へ運んだのである。
暑い夏が始まる6月の末のことで、汗だくになりながらあれこれと手配をしていたのだが、不思議に疲れも暑さも使えも感じなかったのである。
ただひたすら、早く一夫の体をきれいにして休ませてやりたいとの一心だけであった。

思いつくままに   「最近のニュース」

2016-05-26 09:34:38 | Weblog
毎日読む新聞で気になったことがある。公金を私的に使用したと言うことで指摘されて、其の説明で都民が「納得いかない」と怒っていると言うのだ。
この記事を読みながら自分自身のことを振り返ってみた。私もサラリーマンのときに似たような場面を経験したことがると雄盛ったからだ。それは出先の事務所を預かりそこでの費用について責任を持たされていた。仕事も順調になり、成績も上がるとそれなりに経費も増えるが其の金額についてはとやかく言われることはなかった。そのなかで「交際接待費」として計上できる門があった。この項目は正直言って規制はあってもないようなところがあり、私の一存で処理が出来ていた。(それは私の勘違いであって本当はきちんと申請して認可を受けるべきものであった)
其の使用金額は次第に増えるようになり、公私混合して目的も明確に出来ないことも出てくるようになっていた。その時自分はどんな考えであったか、罪悪感はなかったのか、自分の金ではないものをあたかも自分の自由になるもののような錯覚を起こしていたのではないか。
今、思い返せば赤面の至りであり、抗弁の仕様もない。ただ申し訳なかったと思うばかりである。
しかし、人間は弱いものである。其の都度言い訳をしたり、自分の都合の良いほうに理由をつくり正当化していたのである。
人はそれぞれ自己中心的に考えて行動するものであり、其のことは免れないことかもしれない。
勿論法的にも触れると言うほどの大げさなものでもない。だから気楽に無意識に出来るのかもしれない。そこで大切なのは誰も見ていなくても誰に指摘されなくても見えない大きなものが自分のそんな行動に注目している。そして其のことがどんなに他の人に影響しているかを知らしめているかを考えなくてはいけないだろう。
即ち自分自身の人間としての基準を保ちえることが大事なことなのだとつくづく思い知らされるのである。神は「人間は罪人」と断罪しているがここを基点としなければ人生の全ては間違ってしまうのではないかと考えさせられた。

個室    第9回

2016-05-23 10:30:23 | Weblog
今まで仕事に出かけて帰るときに電話が来ないことはなかった。それは駅から家までの距離があることで疲れた身体で歩くことは、まして酔っていればなおさらであろうと思うからだ。
そしてそんな習慣がついてから時子はこの時間が一番心が休まるときでもあった。風采も上がらず、特別面白いことを言うわけでもない。大阪にいたときはどうしてこんな人と結婚する気になったのだろうと我ながら不思議な気がしていたが、よく考えてみるとどんなときでも大きな声をすることはなかった。娘が生まれると優しくかわいがってくれるし、知らなかったことだが
何もするにも器用なところがあった。だから何か細工物でも、困ったことがあると一夫はすぐこつこつと時子のために頼まれたことをするのだった。
何より優しさがとりえであった。お酒だけは身体に障るといけないのでほどほどにと願っていたが、其の日によって飲む量は違ったいた。そんな一夫が電話をかけてこないことは結婚以来初めてのことであった。酔っ払ってどこかのホテルへ泊まって電話をするのを忘れたのだろうと思い、「しょうがないわね」とつぶやきながら時子は其の日の仕事にかかろうとしていた。
その時だった。電話が鳴った。「杉山さんのお宅ですね。奥様はいらっしゃいますか。」「はい。私ですが、」「実はご主人が亡くなられてこちらにお預かりしているのですが、、念のためご確認をかねておいでいただけないでしょうか。」
言葉が出なかった。「亡くなった」「死んだと言うことか」そんなはずがない。何かの間違いだと思うし、違う人ではないか。一瞬そんなことが頭をよぎったが、電話口で「確かに杉山なのでしょうか。」「服に入っていた名詞にはそう書いてありますが、」
何かの間違いだと思いたく、第一もしそうなら会社から電話がありそうなものであり、警察から電話が来ることはないはずだ。何故警察から電話なのだろう。時子はすっかり混乱した頭で
出かける用意をした。全く様子が分からないし、信じられない電話である。
そんなはずはない。あれだけ元気に昨日仕事に行ったのだから。
誰もいないので隣へ子供たちが学校から帰ってきたときのことを頼んであわてて車で駅まで出かけた。

思いつくままに  「待ち望むことの大事」

2016-05-20 15:14:47 | Weblog
人は誰でも兎角「思い立ったら吉日」と言わんばかりに分の望んでいることがすぐ叶うことを望むものである。まして問題が「結婚」となり好きな人が出来て親に紹介して反対されたりした場合は、どんな時代でもどんな場合でも大きな問題となり影響も出る。そして不思議なものでその
思いが強いほどあきらめきれず、その影響も大きくなることになるr。
T氏は其の一つの例でその時学生であったが,T氏の友人がある女性に恋をしたのだが、其の思いを直接伝えられず、T氏に間接的に伝言を依頼s他のである。T氏は素直にそのまま伝えらところ、件の女性は「本当はT氏のほうが好きであなたと結婚したいのだと告白されてしまった。」はじめは驚いたが、T氏も好きだったこともあり、友人を裏切り二人は結婚を約束したのだが、周囲からは祝福されず親からは絶縁状態のようにされて、遠くへ引越しをして駆け落ち状態で一緒になったのである。妻となった女性は亡くなるまで夫に何一つ不満も言わず、愚痴も言わず従い其の障害を全うしたと言われている。また他の例では結婚をも仕込まれた女性は病身で子供も生めないと断ったが、申し込んだ男性は、そうであれば病気が治るまで待つし、それでも承諾してもらえなければ、自分も一生独身を続けると言われて、其の女性は10年以上の療養生活の末健康を取り戻し、結婚したとの話もある。
人は全てのことを望むとき必ずしも思い通りかなうことばかりはないことが多いと考えるべきかもしれません。しかしあきらめる事もなのです。私たちを取り巻く人々の墓には理解者もあるはずです。兎角思うようにならない世の中にあって自分自身を誤ることの多い状況の中で
自分自身で「待ち望む」と言う言葉を大事にしたいと思うのです。
「必ずや待ち望め」とは聖書の言葉でもありますが、そこには大きな意味があることを知らされることがあり、其のことを学びたいと思っています。

個室     第8回

2016-05-17 09:45:38 | Weblog
翌日はさすがに欠勤するか、遅刻になるかと案じていたが、あにはからんや定時には何食わぬ顔で席についていた。しかし察するにほとんど寝ていないこともあり、体調は悪いのではとおもい、「今日は静かに事務所で仕事をしていて良いよ」と声をかけたのだが、彼はいつもどおり
予定の客先回りに出かけて行った。そんな毎日が続いていたが、やがて会社としても時代の流れとともに大きな転換期を迎えていた。親会社の意向もあり、岡山の小会社としての工場の事業もこれから先を考えると発展の余地はなく、需要の先細りが明確であった。東京ではすでにその
シュミレーションがなされて、事業の閉鎖が内定していた。磁性材料だけが工場として残すのみとして東京事務所も閉鎖と決定し、事務所の全員は親会社の事業部の片隅へ引越しとなった。
顔料部門が閉鎖となり、其の担当者は不要となり転職、僅かに磁性の担当者(一夫)と事務の女性だけが残ることになった。木村も定年を迎え一年ほどの引継ぎを終えると40年近い勤務を終えて去っていった。岡山の伝統ある会社も80年の歴史を終えて閉鎖となり、工場跡も再開発の計画もなくそのまま残され、其の有様はさながらゴーストタウンの状況で残された。
一夫は親会社の若いエリート集団の中の片隅に一人デスクを残され底で定年まで仕事を続けることになった。彼の定年までの時間も僅かであった。
肩身の狭い中ではあったが、彼はいつものように自宅の太田から東京の八重洲までの3時間近くをきちんと守り、仕事を終えると、いつものように資料の整理、報告書の上告、次の予定と
几帳面に完全に仕事を終えると時間はとっくに定刻を過ぎていた。
終電前の時間に間に合うように帰宅、しかし帰宅のためのワンカップを買うことだけは:忘れなかった。東武線に乗り換え、席の空き具合を見ながらワンカップを開けるときの心の安らぎは何にも変えがたく、一日の疲れを忘れさせていた。そして到着前30分にときこへでんわをするのだった。すっかり酔いも回り気分を落ち着いたころ、駅へ到着、送られて眠気が出ること自宅へ帰り、風呂へ入り、ビールを晩酌に食事を巣rのが常であった。
しかし、其の日は一夫からの電話は来なかった。時子は胸騒ぎを覚えながら一夜を過ごしていた。

思いつくままに   「自分の中の二人」

2016-05-14 10:40:59 | Weblog
作家の正宗白鳥の死の最後の言葉が「アーメン」であったと伝えられている。氏は数十年前にキリスト教を離れていたので、当時関係者をはじめ周囲の人はこのことを話題になったと言われる。彼が最後にそんなことを言うとは信じられないと言う人が多かったのである。
この他にも人間には表面では分からないもう一人の自分がいると言う例が多くあり、もう一人の自分の存在を認める考えが生まれてきたと言われている。
つまり「自分の中に二つの自分を認めることになる。言い換えれば、普段の生活の中でも
「本音と建前」を遣うことなども広い範囲で、この中に入るのかもしれない。
この事は誰でも程度の差こそあれあるものだと考えてもよいだろう。私自身もその場、その場での言い繕いや、嘘とも言えることも言いながら人生を過ごしてきたことを認めざるを得ない。
しかしこの事は各人が十分自覚して、認めていることが大切かもしれない。
無意識に出てしまって取り返しのつかないことに発展してしまうこともあるだろうし、人間関係を混乱させ誤解を招くこともあるからだ。
其のことは嘗ての「ジキルとハイド」とか、「善悪不二」という仏語の世界とは違うと思うが
人生には大きな影響を生むことにはなるのではないだろうか。
身近に考えればここに「口下手な人」がいるとすれば、その人には「聞き上手」になることを
勧めてマイナスをプラスに変えることが出来るようにすることであり、「否定」するのではなく
「転化」を生むことを心がけることを考えることで、二つの自分をコントロールすることを
覚えることだと思う。
難しいことだが自分には二つの自分があることを自覚して、いかに対応していくかを覚えるかで
人生も変わるかもしれないと考えている。

個室   第7回

2016-05-11 09:19:30 | Weblog
正月風景は普段と違って特別である。都内を歩いても何となく人の顔は和らぎ、和服姿にであったり、手に正月の縁起物を持っている人もいる。木村と一夫も其の中の一人であった。
華僑の社長の勧めるままに紙コップの強い中国の酒を冷やで飲み干した一夫はいつもと変わりなく次の客先へと回っていた。予定していたコースを終わるころには3時を回っていた。
最後の客先は親会社が一緒の親しい商社で下町にあった。挨拶によると早めのセレモニーが終わっていて20人ばかりの社員が乾杯の杯を上げて正月を祝っていた。取りあえず挨拶を済ませると一緒に乾杯をしようと誘われ宴会の中に加えられた。
そこでつまみを食べながら「今年もよろしく」と声をかけながらコップを持って回っていた。
やがて時が過ぎ、三々五々に帰宅し始めた。木村も早々に帰ろうと一夫に声をかけると少し様子がおかしい。木村は酒を飲まないので一夫に声をかけて帰ろうと促すのだが、応じないのだ。
「もうみんな帰るからお邪魔になるよ。そろそろ帰ろう」と言うが一向に動こうとしなくなっていた。「しまった」と思ったがも遅かった。一夫はすっかり酩酊していた。
特別騒ぐわけでもなく、暴れるわけでもないが言うことを聞かない。むしろこちらの言葉が
理解できていないのかもしれない。片手に酒瓶を持ち両手を広げて、仁王立ちである。
木村はあわてて会社へ電話すると車で迎えに来るように連絡を取った。間もなく二人の社員が駆けつけて一夫を車に乗せて帰ろうとするのだが、容易に動こうとしない。
それをみんなで何とかなだめながらやっと車に乗せることが出来た。木村はとっさに、この状態ではとても太田の自宅へ一人で返すわけには行かない。
そこで木村は自分の家へ連れて行き、そこで寝かせるしかないと判断し帰ることにした。
やっと家について車から降ろそうとするが、どうしても降りない。あしを突っ張ってすごい力である。見ると靴はどこかで脱いでしまったのか、はいていないし、服も脱いだままである。
已む無く木村は「悪いけど、このまま自宅まで届けてやってほしい。其の間は寝ているだろうし、着いたら奥さんもいることだろうから気がつくだろうから」そう言って送り出した。

思いつくままに  「ゴールデンウイーク」

2016-05-08 10:14:48 | Weblog
今年もゴールデンウイークを健康を持って迎えることが出来た。世間では各家庭でこの時間を
様々な準備と計画で迎え、それぞれ楽しんでいることだと思う。
私も嘗ては其の年毎に色々なところへ行き家族で楽しく過ごしたことを思い出して懐かしい。
子供も孫も成長し最早一人ひとりがこの時間を楽しんでいることだろう。私としては妻もいないこともあり、この時間を楽しみ分ち合う友もない。
今年から少しづつ歩行訓練をかねて始めているが、この期間にも行事として実行している。
5月はなんといっても「花」が見事である。歩いていると近所の庭に色々な花が咲き乱れ、歩いている私も其の恩恵にあづかることが出来る。チューリップをはじめモッコウバラ、そしてチンチョウゲとあらゆるところから香りが漂い、楽しい。
散歩も日によっては体調の影響もあって足取りも重く、体調をかばいながら休み休みのときもあるが、気分良くスムーズに歩けるときは最高の気分で楽しむことが出来る。
若いときはいかにして歩くことをしないで目的地へ早く行くことを考えたものだが、今はいかにこの距離を楽しみながら歩くことが出来るかと考える。当に180度の転換である。
少し暑くなって来たが、この気分は日ごろの閉塞感を開放し、満足と充実感を得ることが出来る。
日々を「健康と平安」の内に過ごせることほど幸せを感じることはない。
そして時に親しき人と交わりを持ち語り合い、また思考のときを持つことも大切かとおもっている。高齢になり、年を重ねるほどに自分の衰えを意識しつつ、自分中心的な考えになることに注意しもう一度新たな出発をする気持ちで、人の話を謙虚に聞き従うことを、心に刻み、希望の内に生きることが出来ることを固く信じている。

個室   第6回

2016-05-05 09:40:53 | Weblog
所長に木村は内田が帰った後、しばらく考え込んでいた。人は必要であることは事実だった。それは突然自分のやり方で仕事をすると言い出して、お客さんとのお付き合いも出来ないと宣言した営業マンのことがあったからだった。このままでも何とかやれないことはないが、三人では今の仕事が増えつつあるときであり、また親会社のつなぎの仕事もある。このままでは自分が全部責任を持つことになり、身体もきつくなるだろうし、家庭も今以上に犠牲にしなければならなくなる。木村は妻の幸子のことがチラッと頭に浮かんだ。どんなに遅く帰っても休みに何処にも連れて行かなくても不平一つ言うでもなく黙って子供たちの世話をし、食事の支度をして私を送り出してくれる。これ以上に生活を犠牲にしても良いか、少しは家のことをする時間をもてるようにしなければと思いつつも何も出来ない自分を見ていた。
本社は相変わらず、「君に任せるよ。必要なら採用しなさい」と言うだけだった。同業者の現役の営業マンだけに知っている人間も多く、多少の障害が予測されないこともなかったが、木村は内田に「採用」を告げた。一夫は予想していたとおり、静かな男だった。
余計なことはしゃべらず、几帳面に仕事を片付ける。二時間もかかる通勤にもかかわらず、そんな顔は一つも見せず、時間通りに出社してくる。
木村は恵まれていた。そして何年かが過ぎていた。
一夫が誰も知らない顔を見せたのは、ある年の正月だった。仕事始めと会って全員が客先のあいさつ回りをすることになっていた。木村も本社への挨拶を済ませると一夫と一緒に都内の客先を回ることにしていた。其の中に華僑の会社があり、そこへ立ち寄ったときのことである。
型どおりの挨拶が終わって帰ろうとすると「お祝いの酒が用意してあるので、飲んでいってくれ」と言われた。木村は丁重に断ったが、、先方は一夫に「あなたが代わりに飲め」と強要している。日本人にはない強引さがあり、「俺の酒が飲めないのか」と言わんばかりの言いがかりである。嫌いではない一夫は「それでは」と静かに其の紙コップを取り上げて飲んだ。
それは40度を越す強いものであることが、後で分かった。

思いつくままに  「爺友の近況」

2016-05-02 09:22:36 | Weblog
婆友が亡くなって早や一年が過ぎた。今でも隣りから元気な声がするような気がしている。最近墓参に行き、お世話になった恵みの数々を感謝して祈るとともに冥福を願ってきた。
残された爺友は時々忘れたころにふらりと訪ねてくれる。先日もみやげ物を片手に「元気しているか」と裏口から顔をのぞかせた。福島の只見まで家族旅行に行って、「薄皮饅頭」を買ってきてくれたのである。お茶を飲みながら彼の話を聞くと外人の婿が日本へやってきて、一緒に暮らしているとのことだった。ハワイでの写真を見せてもらったが、娘のウエッデングドレス姿ばかりでセレモニーの写真はない。花婿と言う外人さんも初老(65歳)とあらば、そんな堅苦しいこともしないのかとも思ったが、何となく気になった。式後間もなく日本へ着てぶらぶらしているらしい。これが当世の結婚スタイルかと割り切って話を聞いている。このまま仕事もしないで住み着いてしまうのかとも思ったりもしたが、余計なお世話だと気がついた。
爺友はそんなことは気にしていないようで無邪気に喜んでいる。
一頻り泊まった宿の話、途中立ち寄ったイチゴ狩りで外人さんが無邪気に喜んではしゃいでいたとか、小一時間も話すと気が済んだのか、帰って行った。
各々の家庭はそれぞれの生活基準でなりたっているので、口を挟むことはないのだが、つい潜在的に自分の生活と比較してしまって、世の中広いものでこんな生活もあるのかと、何となく
生活観を忘れたような気がしてしまった。
何となく私には異次元の世界を聞いているような気がしたからである。