波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

「桜隠しの戻り雪」

2020-03-30 14:24:34 | Weblog
32年ぶりといわれる大雪に驚かされる。まだ桜も見事に咲き一年に一度の花見を楽しみたいと思わされる時期に突然の雪でことしの感染症事変と共に今年の先行きを予告するような現象であった・さて花見といえばここ住まいの近くにこの辺では珍しい桜並木がある。桜の寿命は約60年といわれるが、まだ立派に咲いている。私が終の棲家として引っ越しして10数年が過ぎるがまだ元気である。きた当時は枝も道路に沿って垂れ下がり枝ふりを含めて鑑賞できたが、車の通路として危険が伴うとして下枝を切り落としてその風情がいささか損なわれるが、まだまだ楽しめる範囲である。それよりも桜並木に沿って地元の商店街があり、レストラン、花や、蕎麦屋、お茶屋、コンビニと大小のお店が軒を連ねていたが、この10年のうちに次第になくなり、今では美容院がぽつんと一軒残っているだけとなって、商店街とは名ばかりのゴースト化してしまっているのは寂しい限りだ。そしてこの感染症の影響のせいもあって、人通りもなく、夕方のペットの散歩の時間にちらほらと人が歩く姿を見かけるだけとなってしまった。爺友の経営している音楽スタジオもこの感染症の影響で営業を続けたくても続けられない状況とか聞くとこんなところにも次第にその影響が及んでいるのかと不安と心配がおきてくる。
この春には新学期を含めて今年の新しい芽が一斉に噴き出す期待と楽しみの時であるはずがひたすら感染症の終息を願う我慢の時になっていることをしっかりと覚悟しなければならない。人生はある意味苦しみの十字架を背負っていかに人間らしく生きぬくかを試されている気がしている。
桜も今年は見物する人も少なく雪をかぶって寒そうだ。

「コロナウイルスの災害に思う」

2020-03-23 09:51:11 | Weblog
2020年の幕開けに私は今年をオリンピックを機に日本の飛躍の年とし予測し輝かしい年になることを期待を込めてブログに書いたのだが、3か月を過ぎた現在まさかこのような現実を前に日々戦々恐々として過ごさなければならないとは夢にも想像できないことであった。そしてオリンピックもさることながら世界中の人々がこの病原菌のためにどんなに苦しめられているか、そして交通をはじめ経済全般にどんなに大きな傷跡を残すか、まだまだ予断を許さない状況である。そしてこの世界には人知では計り知れないことがまだまだあることを思い知らされたわけである。そして嘗て訪ねる機会を得た国々の人々や町はどうなっているかと不図思わされる時でもあった。ヨーロッパで初めて訪れたドイツのミュンヘンは歴史をそのまま残している静かな町で数百年の歴史がそのまま残っている趣があった。人々は静かに質素に古いものを大切に穏やかに過ごしている様子が印象的であった。フランスはやはり芸術の香りが様々な形で漂う雰囲気があり、何となく華やかな趣を残していたが、郊外へ一歩出ると全く雰囲気が変わりのどかな田園風景に包まれる国であった。中国は全く数千年の歴史をそのまま残しているかのようなところが多くあり、どこへ行ってもその歴史の重さを感じていた気がする。アメリカはコロンブス以降の新しい開拓地の国らしい雰囲気が分かる。私の訪ねた田舎の工場地もトウモロコシ畑の中にあり、開拓地がそのまま市街になったような新しさが感じられた。それぞれの国々がこうして生存していることを思い起こし、現在このような状況の中でどうしているかと気になるところである。全くこのような災害とは無縁だっただけに驚きと戸惑いの中にあるのではないかと気にかかる。
日本はそれなりに少しづつ対応策を打ちながら災害との戦いを続けているが、世界の国々の人が同様に最善策の中にあることを願い祈りたいと思うこの頃である。

「春到来 お彼岸」

2020-03-16 10:13:16 | Weblog
今朝も窓から差し込む日差しが温かい。そして強さが増してくる。「春到来」を身体で感じることができる季節がやってきた。日本の四季をこれほど明確に感じることができることを改めてうれしく思う。嘗てシンガポールのチャンギー空港に降りて空港内いっぱいに飾られた「胡蝶蘭」の花の中を歩いたときにこれほど美しく鮮やかな空港はないだろうと感動した覚えがある。そして車でわずか数十分で着く首都、そして「マーライオン」に迎えられてなんて素敵な国だろうと感動した記憶が新しいが、日本の四季はそれにもまして日本らしい静かな佇まいのうちに現れてくる。それは四季折々に迎えてくれる花の違いにある。梅は四季の初めにふさわしい可憐な花に高貴な香りを載せて迎えてくれ春を迎えるには最もふさわしい花だ。墓参に行く途中にある梅林へ立ち寄りこの香りを存分に受けて、初孫を歩かせ楽しんだあの頃をこの時期になると思い出す。今年は「コロナ災害」外出が儘ならず梅見物も楽しめないが、やむを得ないことだと辛抱している。
我が家の猫の額ほどの庭に可憐に咲いている菜の花もまた春を呼ぶ花では香りと共にふさわしい。そんな季節を迎えて改めて日本の「四季」のありがたさをうれしく思う。今年はいつになく暖冬で(ここ数年その傾向であったが)数日前に最後の名残雪が少しちらついたようで、冬もこれで終わりを告げるようだ。これから日本はオリンピックを目指して挙げて活動期に入るのだが。それにつけても「コロナ災害」の鎮火を願わざるを得ない。そしてまたこの時期だからこそ冷静にこの災害に対処する覚悟が必要である。
妻の眠る墓には子供たちがかわるがわるお参りしてくれていることを聞いて心を休めているが、お彼岸を迎えるたびに、そして梅の香りをしのびながら春の訪れを喜んでいる。

「台湾の思い出」

2020-03-09 13:56:26 | Weblog
先日TV(ふしぎ発見)を見ていたら台湾の特集紹介を見ることができた。懐かしく30年前からの数々の思い出やシーンが蘇ってとても心が癒されてうれしく感じたものだ。30年ともなると訪問の数もさることながら初めての海外であったことも含めて私の生涯では大きな分岐点でもあり、人生の新しい出発点でもあった。私は最近若い人を見ると「ぜひ海外へ飛び出し新しい発見をしてほしい」と願っている。最近は日本も海外志向が強くなり多くの若者が出かけるようになったが、まだまだ少ない気がしている。できることなら若者の50パーセントは経験をしてできれば学習をするか、生活をして新しい文化交流を図ってもらいたいと思っている。
そうすることによって日本人もグローバルな考え方や従来の視野の小さい考え方が変わるのではないかと思っているのだが、孫との会話などでもまだそれほどの成熟差はなく少し寂しい思いでいる。そんな中で私は機会を得て海外の様子を少し学ぶことができたことをとてもうれしく思っている。
台湾は「世界遺産」の価値のあるところがたくさんありながら制限を受けていて「指定」を受けられないでいるが、残念である。然しその意欲と前向きな国民性は静かに今の台湾の若者に根付いて大きく成長している気がしている。日本も負けないように世界観を養ってもらいたいと思う。
台湾の食べ物は中華料理でそれは本国の中華には及ばないがむしろそれが日本との調和剤になって優しい味になっている気がする。「小籠包」はその代表かもしれない。個人的にはホテルで毎朝食べた何種類かの御粥とビーフンは忘れられないものだった。近い隣国として是非皆さんにもお勧めです。

「亡き妻を思う」

2020-03-02 11:28:43 | Weblog
最近になって娘が月に一度訪ねてくるようになった。今まで電話もめったにかけてこないし気を使ったことのない子であったが、50を過ぎて年を取って独り暮らしをしている年寄りを少し気遣いする気になったのだろうか。なんにしてもありがたいことで半日を昔に帰ってその日は親子での会話ができる楽しみができた。
3月4日は亡き妻の命日である。今から約30年も昔になるのであまり気にもしていなかったが、こうして娘と話をするようになって妻のことが思い出されるようになり、ある日お茶をしながら話し始めた。「私はお母さんとゆっくり話をしたり、相談を受けたり、どこかへ行ったりした記憶があまりないのだが、あなたにとってお母さんはどんな人だった。?」「優しかったよ。あまり叱られたことはないわ」という。それから二人で亡くなった妻の話をしたのだが、私自身こんな話をすることは初めてのことで何か感じるものがあるのか、心が穏やかになり、静かに人生を振り返ることができるようになってきたのかと自分自身を振り返って考えられるようになっていた。最初の結婚が親の決めた人で進められ失敗して一か月で破談となり、協議離婚となり、そのころ事務所で働いていた人との結婚で20年ほどの家庭生活であった。子供二人が生まれようやく人並みの生活ができるようになったと思った頃、若年性アルツハイマーにかかり、3年ほどの療養で天国へ旅立った。
私の人生ではちょうど最盛期にあたり、日々深夜になる状態で亡くなった夜も赤坂から車で病院へ駆けつける始末で何もできないで送ってしまった。
30年を過ぎてようやく妻の在りし日のことを思い起こし、何もしてやることができなかったこと、何も話を聞いてやることができなかったことを悔やむ思いがあふれ申し訳なく思うと同時に、自分本位の日々を悔やんでいるのだが、残された人生を少しでも良き日々にしたいと思うこの頃である。