波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

足跡    「健康管理」

2017-11-28 11:28:12 | Weblog
この年齢になると何より注意しなければいけないのは健康管理である。どんな希望や欲望に際しても、まずはそのことが健康に良いことか、同化を考えて行動することになる。
私の毎月の行動で欠かせないことに病院での薬がある。一回で原則一か月分なのでよくても悪くても診察を受けて処方箋をもらい薬を受け取ることになる。
ただ違うのは病院での診察のお医者さんは同じではないので、その内容も微妙に変わる。普段は問診によって「何か変わりはありませんか。」と聞かれ、「特別なことはありませんでした」と答えると患者の希望で薬を確認して「何時もの用に出しておきます」と言われて終わる。
ある時、問診を受ける前に看護婦さんから「血圧を測ります。」といわれ、それが終わると
「血液検査をします」といわれた。私は「今年の8月にこの病院でしていただいて、特別以上はないといわれたのですが、そんなに時間も経っていないのに、するのでしょうか。」と聞くと
「お医者さんに聞いてみます」と言われた。問診のときにお医者さんは「薬だけ出すと言うことはしないので、これからは紹介状を書くので他の病院でもらってください、ここではもう出せません」と言われてしまった。私は事実をそのまま言ったつもりだが、それは医者の考えと違っていたのか、気分を害してしまったのか、いずれにしても二か月分の薬をもらって紹介状を持って帰ることになった。通常病院では患者の話を中心に診てもらえるものとおもっていたし、
血液検査は年に数回でよいとも聞いていたのでそのまま行ったつもりだが、
クリニックで働いている姪にこのはなしをすると「それはよほど権力のある、プライドの高い先生だったのでしょうね。」と言われて「素直に受ければよかったのよ」と笑われてしまった。
私の友人は60歳を過ぎてから健康診断すら受けていないと言う人もいるが、私も念のために薬を飲んでいるくらいで、健康管理はある程度の目安でしかないのだが、

思いつくままに   「お別れ会」

2017-11-24 14:21:15 | Weblog
私の住んでいる1キロ四方の範囲に食事の出来るレストランが2軒しかない。1軒は自分の持ち家の一角を利用して営業しているが、もう一軒は借家を改造して今から3年前からおばあちゃんと(80歳)その娘が始めたものであった。宣伝もしないので偶々通りかかって入ったのがきっかけで一年ほどになる。メニューは本当の手作りの家庭料理で肉、魚そして揚げ物、パスタであったが、どれも出来上がりを乗せて出すのではなく手作りで出来立てを食べられるので食材も吟味されていてその人の味になっていて貴重であった。月に一回か2回くらいしかいけないが、それを楽しみにしていたのだ。しかし今月一杯をもって閉店するので、今まできてもらっていた
お客さんと「お別れ会」をしたいとの知らせがあった。僅か3年ではとは短すぎると思ったが
この辺でのこのお店の採算は難しかったらしく、これ以上は無理と決断したことだろう。
当日時間に行ってみると、おばあちゃんが10人ほどとおじいちゃんが3人ほどが集まっていた。その日初めて顔をあわせる知らない人ばかりであったが、和やかな雰囲気の中挨拶があって三々五々楽しい会話の中で自然にカラオケが始まっていた。
そのうち興に乗って雰囲気が盛り上がると一人のおばあちゃんの「マジックショー」があったり
音楽に合わせてステージダンスがあったり、思わぬサプライズの中でじかんのすぎるのもわすれるほどであった。時間の過ぎるも忘れていたが、夕方店主の挨拶代わりの「ありがとう」の歌で打ち上げとなった。
見ず知らずの人たちが僅かな時を時間を忘れて、楽しく暖かい思い出をつくることができたのだ。誰が何を言うのではなく自然にそれぞれがその得意な歌を披露しシャンソン、演歌、フォークと入れ替わり、立ち代り、場を和ませてくれたのである。
世知辛い現代でどんなことになるのかと、多少の不安を抱えながら出かけたのだが。思いがけない温かい人情と忘れられない思い出を持つことが出来たことをうれしく思っている。
ママさんのいつか、またお店の案内が来ることを楽しみにしながら‥‥

足跡    「海外の思い出ー①」

2017-11-21 09:38:46 | Weblog
今から約30年ほど前(1988年頃)ちょうど天安門事件の前年だったが、北京を訪れる機会があった。(会社のミッツション)中国は仕事で香港、深釧経由で東完へ行ったことがあったが
工場とホテルの行き来だけであまり印象はなかった。ただ深釧葉入国するさいに鉄道を降りて越境するときに通る小さな谷川の渡りはとても印象に残っていて当時は「此処から中国に入るのだ」という思いがあった。確かに深せんに入ると、まったく景色が変わり私たちが駅を出ると周りからどっと人が集まり、歩きはじめると一緒についてくる。どこまでもどこまでも私たちが休憩する場所まで、何事もなかったのだが国境を越えた瞬間からその緊張感は初めて経験するものでそれは滞在中ずっと残っていた。
さて、北京は首都がであり、中心でもある。泊まったホテルは天安門に近い「日航ホテル」で
ほとんど日本人であった。翌年この天安門であの歴史的な事件が起こるとはおもってもみなかったが、散歩していると自転車の一群にであい、その多さに驚いたこととその自転車に電灯器がついていなかったのが印象的であった。また近くの土産物屋さんを覗いたこともあったが、
店員に何を聞いても振り向きもせず、答えることもない。(最も言葉の通じないこともあるが)その表情は硬く厳しいものであった。
目的が観光ではなく工場見学であり、視察であるので名所、旧跡を尋ねるという時間はないので残念だがその思いでも記憶もない。北京から二つのグループに分かれて、私たちは上海へとむかった。ちょうど春だった(4月)ので柳並木を通ると柳の花が真っ白に咲き風に吹かれてまるで紙ふぶきの中を歩いているような錯覚になるほど見事であったのが、まぶたに残っている。
上海では夜、一回だけ「上海技芸団」の技を見物する時間があった。薄暗いなかであったがそこで行われていたサーカス的なさまざまな演技は日本では到底(当時)見ることが出来ないもので
中国人の天性的な運動能力に驚いたこととその訓練の強烈さを思わせ驚いたものである。
それから南へ移動し広東へと行くことになるが、それは次回にしたいと思う。
(30年前なのでかなり古く現在とはまったく違うのでその点はご容赦ください。)

思いつくままに   「自分の仕事」

2017-11-17 11:31:33 | Weblog
今年もスポーツのシーズンが終わりを告げようとしている。プロ野球、プロゴルフ、大相撲と
今年も私たちを楽しませ、また喜ばせ、力を与え、希望を持たせてくれた。選手はそれぞれに活躍し、それぞれトップを目指して活躍した。しかし一番は一人であり、スポーツの世界ではその順位で決まるが、人生そのものはその出世、幸福の度合いで簡単に順位をつけることは出来ないと思う。まして何が一番人の心を動かすか、その評価や順位は数字などでは示すことは出来ない。先日の選挙で代表だった人が選挙が終わり、その成果が良くなかったことで代表を降りて世間がその賛否を取り上げて物議をかもしたが、成果が出ようと出まいとその世界の片隅にも自分なら生きていける、必ず自分を必要としていると思われる場所があると信じてその居場所を見つけることに努力する人は出世することかしないかと悩むこともないし、その人に引け目を覚えることもないと思う。
全ての人にとって社会が望む仕事があり、それぞれの勤めが備えられているはずである。
「職業」という単語は「professionn]という言葉で使われているが、本当は「vocation]を使うのが本当なのだといわれているそうです。それはたんに「仕事」とという意味よりも「天職」とか、「召命」「使命感」「神のお召し」という意味が強いのが本当で
つまり自分しか出来ない仕事が人生にはあり、そのことをしっかり身につかることが自分には
大事であることを考えるべきであると教えているのだそうである。
私も世の片隅に生きているものの一人としてこの言葉を深くかみ締めて自分の使命を果たして生きたいと思っている。
ただ漠然と生きているのではなく、天職として与えられた仕事がなんであり、それをきちんとして果たしているかどうか、反省しながら生きていくことに努めたいと思っている。

足跡       「DNA」

2017-11-14 10:02:06 | Weblog
最近、自分自身のことがあれこれときになりだした。「自分はいったいどれだけの人間なんだろ。」「毎日こんなことしか出来ない」「こんな性格やくせ、身体、これらはなんとかならないのか。」など等、自分は自分であり、全ては自分の責任で人生を過ごしてきたはずである。しかしその人生も終わらんとするような年齢になって急に自分のことが気になり始めたのである。
そして今までの人生を省みて、「自分はどうしてこんな人生だったのだろうか。」「もっと別な人生があったのではなかったか」そして現在の自分を静かに見つめていると急に両親のことが思い浮かぶようになった。今まで全てを自分の力で自分の好きなように思い通りに生きてきた気がしていたが、振り返ってみると「あれは母の生活から出たものかもしれない」「こんなことをするのは父のしてきたことと同じだ。」など等冷静に振り返ると両親の人生をなぞっているようなことに気がついている。
DNAを検索すると「デオキシリポー核酸」というもので、「生物における遺伝情報の継承と発現を担う高分子生体物質」のことであると出ていた。
つまり子供は両親の遺伝的性格をたぶんに受け継いで生まれ、その遺伝的な要素に基づいて人生を構築しそれを自分の持って生まれた環境に合わせて歩むでいるということになる。
そんなことはいまさら改めて言うことでもないし、現代では周知の事実であり、みんな知っていることで、現代ではそれを駆使して犯罪原因を見つけたり、さまざまな分野で活用されていることで何の不思議もないといわれればそれまでである。世間で言われる「二世,三世の活躍も、天才的な才能も突然変異ではなく、またその人の努力(必ずしもそうではなく、努力もあるが、)もって生まれた遺伝的な才能によるところが大きいとも言われるところである。
そんな事を考えて自分自身を見直してみると、確かに記憶をたどると両親の人生と照らし合わせよいところも悪いところも自分に持ち合わせていることが、改めて理解できるし、素直に
認められる気がしている。
そしてその上で両親に感謝すると共にその良かった遺伝要素を受け継ぎながら、股子供たちへ継承していかなければならない責任を改めて強く覚えたしだいである。

思い付くままに   「フェイスツウフェイス」

2017-11-10 10:20:05 | Weblog
初めての人と会う時にはその場所であったり、目的に対して色々と気遣いをして戸惑うことがある。私はサラリーマン時代に先輩に営業マンはこれぐらいのことは心得ておくことが必要だよと
必修5科目なる話を聞いたことがある。「酒、麻雀、ゴルフ、歌、囲碁」であった。
当時は若かったのでこの5科目に挑戦をして仕事をしていたが、残念ながら酒については何度もトライしながら、失敗を繰り返しお付き合いをすることが出来なかった。そして囲碁についても
興味を持っていたが、学習や指導を受けることが出来ないままに誰ともお手合わせをする機会もなく定年を迎えたが、なんとしても囲碁を学びたいと会社を止めてからパソコンを相手に日々
自学自習をしている。現在ではこの囲碁の時間が一番楽しく(勿論上達したわけではなく、日々少しづつ、学習を続けられることが)嬉しいのである。
長々と話したが、何を言いたいかというと、今回来日したトランプ大統領と阿部総理がゴルフを通じて日米の重大な話を人と人として親しく、そして楽しく股真実の事を話し合えたということがどれほど世界問題へと貢献したかという事である。
もしゴルフという共通の趣味がなかったら話はこれほどにスムーズに合意するに至らなかったのではないかと思うほどである。(勿論事務的には充分話し合いは出来ていると思われるが)
どんな場合でも人間である以上喜びや楽しみの感情があり、それを共有しながら重要案件が出来ればそれは誰でもが出来ることではないし、結果は同じであってもトラブルや困難な案件でも
何らかの妥協点が見つけやすいのではないだろうか。(わたしの経験でも似たような事はあった)そんな訳で人間関係はお互いに共有できる事を早い時間で見つけて、それを媒介にして話し合い、人間関係の信頼を得ることも大切であろうと思う。
二人のゴルフの結果については残念ながら新聞報道には一切載っていなかったが、果たしてスコアはどちらがよかったのか、(阿部総理が花を持たせたか)気になるところではあるが、?

足跡    「墓参」

2017-11-07 15:58:58 | Weblog
車の運転を止めてもう2年が過ぎた。そして墓参もしていない。生活様態がすっかり変わってしまった。そんな時間の中で義理の息子の車で久しぶりに」墓参」が出来た。
秋の変わりやすいお天気で心配だったが、珍しい好転に恵まれて暖かい日差しを浴びて久しぶりに墓石を掃除して花を供え、祈りをささげることが出来た。
こうして年齢を重ね、環境や立場が変わってぼさんをすると、気持ちもすっかり変わっていることに気づく。墓前の前に立つと今までは何か儀礼的な所作だけに終わっていたのが、何か自分の「終の棲家」の前に立っているような気がするのだ。そして今までの軽い気持ちでの墓参りではなく、当に自分の問題として現実を前にしている気になっている自分を見ることになる。
間もなく来るであろうこの世での生活の終幕が感じられる。
しかしそこには悲壮感も厭世観も、絶望感もあるわけではない。むしろ今日まで生かされ、様々なこの世の浮き沈みを経験することができた事への反省と懐かしさと思い出が走馬灯のように断片的に頭に浮かんでくる。そこには懐かしさと若かりしころの思い出であるが、
すべてが感謝であり、恵みであるとしか思えない。様々な危険や不安があるなかで守られ、導かれて今日あることが不思議なくらいである。
一つ間違えれば、おそらく命にかかわることがじぶんがいしきするか、しないか別として生きながらえてきた事は自分の力でもなんでもない。ただ「神の導き」でしかないことを心から
感謝するしかない。これから先何時までこの世での「勤め」が残されているのか、わからない。
神はその任務を終えたと思われたとき、この『僕」をお迎えくださると信じている。
したがってこれからの時間は全て神に委ね、日々の勤めを果たしていくだけである。
聖書には『あなたの部屋はいつでも用意してある」とある事を信じて

思い付くままに   「下克上」

2017-11-03 10:07:46 | Weblog
あまり聞かないことばである。念のために辞書を開くと「下のものが上の者をおしのけ、勢力をふるうこと」とある。日本人の昔からの国民性にも「判官びいき」なるものがあり、弱いものが
強いものを倒すことを好む性格もある。そんな日本人の眠っていたものを今年の秋、それを実現しようとしていることがおきた。プロ野球におけるベイスターズの活躍である。
12球団のうち、平均年俸が一番低く引き継いで経営権を持ったのが2012年というから、僅か5年の歴史しかないきゅうだんである。監督も二人目だが外人の全く経験も実績(元選手として活躍はしていたが)もない素人に近い人が僅か二年目でリーグ優勝を遂げ日本シリーズを戦っているのである。(本日時点で2勝3敗)当に下克上を地で実現したのである。
そこにはそれなりの理由や努力があったのだろう。しかし他の球団が何十億という資金を使い、
日本だけでなく、海外からも有名な実績のある選手を集め優勝目指して躍起になっている中、このような結果を導き出した事に、わたしは学ぶことが多いことを知った。
どんなに富裕でどんなに力と実績があっても、それが目的に結果としてならないことがある。それは何か。このことを考えてみたい。人間は環境や才能に豊かに恵まれる事で成長する事もあるだろう。しかし本来成長はその人の「動機」即ち「モチベーション」がその原動力になる事を
自覚し、そのモチベーションをどのように維持し、活用できるか、それが大きなエネルギーになることを把握できているかにかかっているかを知るべきであろう。
「勝に不思議な勝あり」『負けに不思議な負け無し」の言葉もある。ベイスターズの勝も不思議な勝ちもあったであろうが、監督と選手のモチベーションがエネルギーとなって燃えた事は事実だ。「下克上」はこうして生まれたのだと思う。
どんな環境におかれ、どんな才能であろうとそれなりにその日その日の与えられた情況の中で『燃え尽きる事こそ大切なのではないだろうか。