波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

「去る年来る年」

2019-12-30 10:19:54 | Weblog
この時期になると必ず思い出すことがある。若いころ歌ったことのある「愛しき日々」という歌だ。この歌の中で~愛しき日々のはかなさは
消え残る夢、青春の影~とある。この詩を思い出すと毎日が確かにいとおしく思えるしはかなくも感じて今年の自分の歩みを顧みさせられるのだ。一年を終わろうとする時、もう一度振り返り、自分の歩いてきた道を考えることの時間を持ちたいと思う。すると様々なことが思い出されると同時に反省もあり、喜びもあり、悲しみもあってそれらが生きている証となり、過ぎていく日々となる。
今年もやがて終わりを告げるのだが、静かに振り返ると様々なことがあったことが分かる。思いがけないこともあり、心配をしたり不安にもなった。そんな日々の中にあって、こうして健康を持って終わることができることにまず感謝をしたい。そして少しでも何か自分としてできることができたことに喜びを覚えたい。また、天災ともいえる台風による災害を受けた多くの人々や亡くなった人の冥福を祈りたい。
いまや日本も「地震、台風、火事。事故」と多くの危険が増えている。自然災害と人災とが重なり、その被害を受ける人も多い。それらを考えると生かされることの大切さと自らの存在をどのように考えて生きていくかを大切にしなければならないと思わされる。
そして新しい年がやってくる。ただ漠然と迎えるのではなくその心備えをして迎えたい。そのために何を考えるか、今年の歩みを反省して老いも若きもそれぞれに少しでも前進することができるようにどうあるべきかを考えよう。日本はオリンピックを迎えることで世界からdさらに注目されその存在を問われる大切なとしである。我々もまたふさわしくそれぞれに前進して「生かされている」ことを意識して何ができるか、かんがえてみるべきであろう。そうしなければ年の終わりにその日々は青春として残らないからだ。
一年は一つの区切りとして考えるとそれは一つの意味を持つ。この機を大切に自らの考えも行動も新しくしてみるのも意義あることであろう。

「クリスマスそして年賀状」

2019-12-23 11:01:16 | Weblog
私にとってクリスマスは一年の中で最大のイベントだったかもしれない。子供の時からモノ不足の時代に育ったこともあり、玩具や食べ物など
が欲しくて我慢して育ったゆえかもしれない。しかし現在のように物が何でも手に入り、また進化した道具があると欲しいものもエスカレートして次第に究極的なものへと絞られてくるし、その欲望は果てしなく続いていくのかもしれないからだ。私の場合はそれは夢となって年齢とともに浄化していった気がしている。プレゼントは物ではなく形はなく、心に宿るものとして毎年新しい霊的な思いが与えられ、今まで考え及ばない思いを与えられることを知ることができる。それは物では代えられない恵みであり、喜びでもある。そしてそれは大きな心の支えになっている。
クリスマスを迎えるたびにそんな思いが強くなっているのを知る。
年賀状も年末になると習慣的に準備を始める。もうそろそろ終わりにしてもよいかなと思いつつ長い交わりを続けてきた家族、親戚、友人知人との交流を止めるわけにいかないことを感じて、その準備を続けている。そして毎年のように受ける欠礼の挨拶状から何人かの親しき友が召されていることを知る。それは自然であり寂しさと嘗ての親しき交わりの思い出の回想でしかないが、とても懐かしく当時を振り返るときとなる。
自らの所在を明らかにするために年賀状を書き記すのだが、昨年からその書体を新しくした。それはその挨拶を雑句としてしるすことにしたのだ。今年は「健やかに昭和、平成、令和へと寿ぎ迎えて新年の朝」としてみた。考えてみるといつの間にか明治、大正、昭和を過ぎて同じようにこの時代の歴史の中に生かされてきたことを改めて心に留めたいとの思いが強く過ったのだ。
2019年も間もなくすぎていくことになるが、喜びの中にも一抹の寂しさもある。それは二度と帰らない時の大切さと成し遂げることのできなかった様々な思いとどうにもならない運命の流れのような思いであろうか。

「2019年の回顧  其の2」

2019-12-16 10:10:57 | Weblog
私はここ何年か日記を書いている。特別な意味も目的もない。ただその日を自分なりにどのように過ごしたかを思うこととその日に七があったかを忘備録代わりにしているようなものだ。もう一つ言えばたまに読み返しながら自分なりの成長があったのか、無かったのか、そんなこともおもうときがある。しかしそれは誰に見せるものでもなければ後で役に立つものでもない。従って一年を過ぎたものは焼却して捨てている。つまり誰に見せるものでも残しておくものでもないからである。
一年前のものを今振り返ると一年一年の変わり方がわかる。気温は昨年に比べると今年の冬は少し高く打といているようだ。つまり昨年の今頃に比べると少し暖かい気がしている。これから下がるのであろうが、どのように変化していくか、地球温暖化の影響がどのようにその影響をもたらすのかは今日深いものがある。
扨て一年を個人的に振り返るとやはり「健康度」であろうか。今の私にとって一番大事なのはいかに健康を保ち続けるかである。その点で今年は無事に一年を大過なく過ごせたと思う。何日か食事がとれなかったこともあったが休むほどではなかったしに三日の休養で戻すことができた。このことは何よりの恵みであり、感謝である。そして一昨年から始めたシルバーの配布作業も9か月を過ぎてきた。この作業が運動もかねて適度な体調へのプラスを生んでいるようである。内面的には子供や孫への思いが少しづつ変化してきたことと新しいアプローチで新しい交わりが始められるようになったことがうれしい。それだけ少しづつ自分なんなりに成長できたかなと思っている。
こうして顧みると個人的にも少し前進できたかなとうれしく思う。なぜなら私は「天国への階段」を登り始めているということを意識し始めているからだ。いつどのようにした天国への入り口に届くか、またどのような形でこの世の生活が終わるかそれはわからない。しかしいつでもその十日をしておかなくてはならない。それが自分の今の大事な役目だからと覚え始めているからだ。
今年はそんな意味で幸せであったし、満足でもある。来年ももし続くならより一層、この思いを深めていきたいと願っている。

「2019年度の回顧 その1」

2019-12-09 10:38:38 | Weblog
今年も間もなく終わる。貴重な二度と戻らぬ時間を使い、様々な経験と思い出を残して過ぎ去ろうとしている。それぞれの人に多くの思いを残して時間は過ぎていく。この時期に今年を振り返り今年を振り返るのも意義があるかもしれない。平静が終わり今年はまた新しく「令和」となった。新しい年号と共に昭和、平成と過ごしここに令和として新しい年号を迎えることができたことは一つの意義を思わざるを得ない。しかし今年は何より大きな記憶として残されたのは関東地区を縦断した「台風19号」の襲来であったと思う。この歴史的にも初めてと思われる関東地方を縦断し大きな爪痕を残したのは今年の最大の事件として記憶されることだろう。
台風は従来9月を中心に沖縄、九州を縦断して日本海へ抜けるコースをたどるのがパターンだった。数としては20号くらいでほぼ同じかと思われたが、今年の19号は誰もが予測していなかった関東を直撃し千葉県を中心に大きな爪痕を残して過ぎたのである。
「地球温暖化」が世界でも問題にされ始めて10年近くなるのであろうか。この影響がどのような現象をもたらすのか、と気になっていたが、今年の台風の影響はまさにその現象を示す先ぶれの表れだったと思われる。太平洋の南海水面の温度が年々高くなりつつあり、温められた熱帯高気圧が北上して台風をもたらすが、その影響で台風のコースまで変わりつつあるようである。タイの南の地域では年々水面が上昇してそのために住居を何度も引っ越しさせられて、その防御にマングローブの苗を毎年植え続けているとのニュースもつたえられている。
この地球温暖化の影響は確実にこの地球に様々な形で影響を持たし始めている。今年の台風19号はまさにその先ぶれの一つであったのではないかと思われる。来年の台風がまた関東を縦断するようであればそれはこの地球変化の一つの減少と考えざるを得ない。
そして日本もまた新たな対策をその備えとして考えなければ話らないだろう。

「人には誰にも自惚れがある。」

2019-12-02 14:21:10 | Weblog
先日ある地区のシルバー会の会議の取材に参加した。この日は今年最後の班長会議であったが、たまたま会員の中にプロの講談師(好男子ではない)の方がおられた。その方のご厚意で講談を生で聞くことができた。西行法師という有名な方の作られた俳句から取り上げた内容であったがなかなか含蓄の深い内容で学ばされたことだったが、その中でこんな例えが出てきた。ある商店街の繁華街で街を歩く若者5人に「良い男だね」と声をかけると3人が振り向く。女の人に同じことを言うと全員が振り向くという。なるほど人は普段そ知らぬふりをしているが、いざとなると自分が人に負けないという自負心が隠されていて、出てくるものらしい。西行法師の話も自信満々の名句を立ち寄った小屋の爺、婆と孫娘に句直しをされて初めて自分の句の未熟さを教えられたというものでったが、人は無意識のうちに自分の優位さを隠し持ち、いざとなるとそれが顔を出すことがあることを戒めている。さて今年もソロ曽於終わりに近くなった。寒さも日に日に厳しくなり本格的になりつつある。
今年歩いてきた道を振り返ると様々なものが見えてくる。それらを少し整理して反省を込めて考えてみたいと思う。次回よろしく。