波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

コンドルは飛んだ  第32回

2012-12-29 09:32:59 | Weblog
赤坂見附の角を曲がると渋谷へ向かう246号へ出る。その道をまっすぐ行き、その先を右に曲がったところにその店はあった。車を降りると玄関である。二階へ案内されるとそこに用意された座敷があった。
お茶を飲みながら待っていると、コースになった料理が出てくる。いわゆる懐石料理のようだ。二人はしばらく黙って料理を堪能した。辰夫は下町育ちと言うこともあって、うな重とか天麩羅のほうが好きだったが、常務と一つ一つの料理を味わうこととなった。
「私もめったにこんなところへは来ないのだが、今日は特別だ。岡本君にはこれからまた新しい任務についてもらわなければならないし、しばらくはまた苦労をかけることになる。この仕事のめどがついたら東京へぜひ帰ってきて、私の仕事を手伝ってもらいたいと思っている」黙々と食べながら常務の言葉を聞いていた。
「今度の会社は岡山の田舎が本社だ。わが社の岡山の鉱業所のそばなんだが、君は知らないかな」辰夫はその会社と住所を聞かされたが、あまり印象はなかった。
「歴史は古くて大正末期の創業で顔料を専門に製造しているが、ここ数年新素材と言われる磁性材も始めてね。これから少し業容も広がるらしい。個人のオーナー会社だったが、そんな訳で当社ともう一社の上場会社のT社も株主になっている。しかし君がいけば、君の思うようにやってもらえばよいんだ。経営しだいでは何とでもなる。」
辰夫は話を聞きながら、自分はどうやら都会には向いていないのかな、ボリビアの次は岡山のかなり北の山のほうらしい。東京の生活がもう少し続いてもよいかと思っていたが、
しばらく東京ともお別れかと思っていたら「今度は定期的に本社のほうへ顔を出してもらうよ。何しろ様子を聞きたいし君とはこれからいろいろ意見も聞きたいこともあるから」
常務との関係もこれから少し密度が上がるのかと、期待されていることがやりがいになる気がしてきた。
車を回してもらって帰宅することになった。常務は二次会に行くことはない。食事が終わるとさっさと車を手配して帰宅される。少しお酒が入り、火照った体をシートに預けると
なんとなく眠気を誘う。窓から見る東京の夜景は暮れということもあって賑わっている。
来年はこんな光景を見ることもないかもしれないと思いながら辰夫はそのままうとうとと眠っていた。

      思いつくままに

2012-12-25 09:57:47 | Weblog
クリスマスの行事が終わると、忘れていたかのように年末の行事が頭に浮かぶ。こうして
一年が終わりを告げようとしているこの時、皆さんは何を思い浮かべられるのでしょうか。私はクリスマスを子供たち(日曜学校)と祝いながら何時知らず今年も一年無事に健康で過ごせたことを無性に感謝しつつ、共に祝えたことの喜びを感じていた。そして来年がどうなるかではなく、今のこの時を覚えて感謝したい。
地元の有志で集まっている老人会を束ねている先輩が「ふらっと」訪ねてくる。正面玄関から来たことはない。いつも裏から突然「元気か」と声をかける。私にとってはかけがえのない「隣り人」であり、時には朝支度をしてない寝起きだったりしてあわてさせられることもあるのだが、構わずあがってくる。
「今年は自動車免許の更新もできたし、車の車検も終わって、大体計算が立った。ただもうひとつ予定が立たないのが、俺の寿命なんだがこれだけは予定が立たなくて困ってるんだ」と言って笑っている。来年正月で満80歳を迎えるのだ。
高卒だが人一倍の勉強家で、若いときにアマチュア無線に凝り、なんによらず自力で勉強してマスターしてしまう。初めての子供が生まれたとき(50年前)ビデオを手がけて以来
すっかりはまり、以来旅行の写真を記録してタイトルから解説までつけている。
記憶力もよく、今でも第二次戦争の宣戦布告の詔書を暗記して聞かせたりする。
どうしても誰かにしゃべりたくなると私のところへ来るのだが、なかなか勉強になって楽しい時間でもある。
人間の性格は遺伝的に私たちの体に組み込まれたものもあろうが、後天的な要素も多い。それらはすべてに神から一人ひとりに与えられたもので、たとえそれはひどい運命のように見えても.贈られた人がそれを使いこなすすべと意欲さえあれば、すべて善きものになりうる、という保証つきなのだと考えたい。聖書にはそのことを「感謝してこれを受ける」という言葉で教えている。この世のことには不公平や不満、不安で満ちており、どこかに責任転嫁を探して愚痴ることが多いいが、本当は「何一つ捨てるものはない」贈り物として私たちが存在していることに気づかなくてはいけないし、神がおつくりになったものはすべて善いもの」であることを知るのが、クリスマスの意義だと考えたい。

コンドルは飛んだ 第31回

2012-12-21 13:03:39 | Weblog
デスクに帰り仕事を始めたが、すぐには身が入らなかった。常務の言葉が耳の底に残っており、その意味を考え始めていた。新しい任地はどこだかわからない。(後日詳しく話すと言われていた。)そのことは辰夫にとっては何でもないことであった。海外経験を何度か繰り返すほどに自信と勇気がつき、どんなところであってもどんな内容であっても、その目的を果たす自信のようなものがあったし、割りきりがあった。持ち前の胆力と質実剛健な精神はますます強固なものになり、辰夫の信念に根付いていたからだ。
それよりも「いずれ本社の役員として迎えるつもりだから」の一言であった。強がりを言っていても所詮はサラリーマンである。立身出世が頭にないわけではなかった。
上場会社であることと長い歴史のあることからトップ人事はある年数で交代はあっても
その人選は限られた、否むしろ決められた路線のように事務系、技術系と輪番はあっても
その他に学閥的な暗黙の不文律のようなものが存在していた。日本でも五本の指に入る
メジャーな大学出の人材以外ではトップは嘗ていなかったことと、その他の役員も相応な学卒に限られていて、それだけで判断するなら人材的な評価の前に選択されているのかと思われるほどであった。辰夫は気にすまいと思いながら自分がローカルのマイナーな学校であることが気になった。「本当に自分が役員とぢて迎えられるのだろうか。」そんな一抹の心配は常務の言葉とは裏腹に気になり、むしろ聞かないほうがよかったのではと思うほどであった。
その年(昭和57年)も終わりを告げる年末に挨拶に役員室に向かった。
個人個人の人間関係の間で自由に挨拶を交わし、思い思いにマージャンや飲み会で消えていく中で辰夫は常務にだけは挨拶をしておかなくてはと席を立った。
「あー。今年もお疲れさんだったね。ちょうどよかった。君の任地も決まって来年には内示を出そうと思っていたんだ。よかったら飯でも食いながら少し話していかないか。」会社はゴミ流しと称して掃除をしているところもあり、落ち着かない。
常務はめったには連れて行かない赤坂の料亭へ電話すると車を回すので下で待つようにと言った。年末にはじめて連れて行かれる赤坂の料亭と言う言葉に辰夫は少し興奮を覚えていた。

      思いつくままに

2012-12-18 10:25:03 | Weblog
新しい日本をリードする人が決まった。そこには悲喜交々の場面が現れ、心を揺さぶられたこともあったが、もう一度日本を立て直すことに従事する人ができたことは喜ばしいことと信じたい。安倍氏の言う「危機突破内閣」を実行してもらいたいと切に願うものだ。
過去の経緯からしても、様々な過ちや停滞があったことを含めて、今度こそ前進を目指してほしいと思う。今回ほど国民が注目している内閣はないような気がする。
意見の食い違いや考えが違うことがあっても共に力を合わせることも大事であることを国民に見せてほしいと願うし、それを国民が見ていることを知っていてほしい。
と生意気に国民の一人としての意見を述べさせてもらった。
世界を眺めればそれでも日本はまだ良い環境に恵まれていると思わざるを得ない。200国以上ある国々の中で、これほど安定している国はほとんどないと思われる。それはまだ比較的に単一民族で成り立っていることでもあるが、地形的にも恵まれていることもある。エチオピアという国がある。ここでは今でも水がめを背負って隣の大地まで数キロも歩いて毎日生活していると言われる。そんなところもあると言うこと、そしてそういうところでは毎日の生活を空中から投下される救援物資に頼っているのだが、その僅かな食料を得るのにどれほどの苦労をしているかと言うことも知らされた。
その人たちのためにはそこに投げられた食料のすべてをとるのではなく「畑に置き忘れた束を取りに引き返してはならない」と言う言葉があるように
それはそれを必要としている人のために残しておかなければならないと言う教えでもある。人はどんな形であれ「働きたくないものは食べてはならない」と言う言葉を覚えておくことも大切だと思う。最近では何もしなくても食べられることが当たり前で食べられないことは相手が悪いか、国が悪いとする考えがはびこっているような気がする。
だから自分で何かをするとか、何ができるかを考え努力することがなくなりつつあるとさえ聞いている。自分の権力、自分の言い分を通すことにのみ考えて、自分のすることを忘れていることが、今の日本のあり姿を作りつつあるような気がしているのだが、
顧みて反省すべきときではないだろうか。

 コンドルは飛んだ  第30回

2012-12-14 09:31:00 | Weblog
辰夫にとって本社の仕事は本意ではなかった。仕事をしながらも手が空くとぼんやりとしてしまうし、いつの間にかボリビアのカミラの事を考えている。帰国してからも自分の小遣いの中から銀行を通じて仕送りを欠かした事はない。それは僅かであっても辰夫にとって恩返しであり、現地での救われたお礼でもある。たどたどしいスペイン語で書いてくる手紙を読むたびにビルの窓から空を眺めいつの間にか無事を願っていた。
仕事が終わると仲間と酒を飲む事もなく普段は帰宅する。たまに酒を飲むのはボリビアへ派遣されていた「ボリビア会」のメンバーとであった。
子供達は成長しそれぞれ自分の道を歩いていた。娘は銀行員と付き合うようになり、結婚を予定していたし、息子もその頃開港した成田へ新しい仕事を見つけて通っていた。
久子とはいつもどおりの生活であったが、子供たちとのコミュニケーションはほとんどなかったし、「あの小父さんはまだいるの」の感覚は残っている感じだった。
そんな家庭の空気は辰夫にやはり何か物足りなさを感じさせていたが、特別に差別感もなく、自然に振舞っていた。
そんなある日、辰夫は常務からの電話で役員室へ向かった。いつもの応接室で二人きりになると常務は早速話し出した。「この前会った時にちょっと話したと思うけど、ある会社の株の買収が正式に決まったんだ。先方の希望で51パーセントの株主になる。そうなると経営権を所有し役員を送らなければならない。そこでその会社を君に託したいんだ。
もちろん君一人では大変なので財務を見る役員をつける。当面この二人でこの会社を面倒見てもらいたいんだ。なんでも現役の社長が交通事故で即死して後継者がいないというか
まだ未熟で何もできないらしい。ほかの役員もオーナーではないために出来ないと言う事で以来を受けていたんだ。ただ人の問題やその他の問題で多少の条件もつけられていて、その検討で手間取っていたが、先方の条件を飲んで決まったんだが、適任者が見つからず、君を私が推薦したんだ。本来なら本社役員として迎えるための仕事をしてもらうつもりでいたが、まだ少し時間があるので一仕事してきてほしいと思っているんだ。
その内、必ず本社役員として迎えるつもりでいるので、よろしく頼むよ。」と一気に話が進んだ。あっけにとられたように呆然として聞いていたが、われに返ったように鸚鵡返しに「わかりました。お引き受けします」と言っていた。

     思いつくままに

2012-12-11 09:42:43 | Weblog
この時期になればやはりクリスマスのことだろう。幼いころから思い出が一杯ある。
イブの夜には親に言われて長い靴下をたんすの掛け金に止めて、眠れない夜をすごす。
いつもの朝なら眠くて起きれないのに、いつの間にか早く起き、たんすにかけておいた
靴下を見る。靴下はたんすからはずされ、枕元に大きな包みと一緒においてある。
中には欲しかったおもちゃが入っていて、そのおもちゃとともにサンタクロースからの
手紙が添えてある。その手紙を読みながらサンタクロースは僕のところへ来てくれたのだと無邪気に感動したものである。そのサンタの手紙が「母の書いたもの」であることに気づいたのは小学6年生のころだったろうか。毎年クリスマスを迎えるたびにその頃の無邪気な自分と母のたどたどしい手紙の文章を思い出して懐かしく微笑むことができる。
いまやクリスマスは世界的なイベントとしていろいろな形で行われている。しかしクリスマスが本来の姿で迎えられているかと言うとそうではないのである。
この世に生き、この世に生かされている人間はいきとし生きている限り様々なことの中で
存在する。必ずしも幸せであり、幸福な状態で生きているわけではない。むしろ逆に
苦しみの中で存在していることが多いであろうし、そうでなくても欲望の限りのない思いの中で悩んでいることが多い。また、思いがけない災難や困難にあって途方にくれてしまい、終には自らの命を絶つ人も多いのである。
ある若い婦人が不慮の病気(心不全)で娘さんを亡くされた。そのときの母親としての悲しみは例えようもなく誰もその痛み悲しみを癒すことはできなかった。
「沈黙を強いられるとき」と言われる正にこの世に生きていてこれほどの悲しみはないと
思われるときでもある。しかしこの沈黙の時にこそ神の声を聞くことができる。それは神の存在を信じ神にすべてを委ねるときであろう。人間の力、知恵、能力には限界がある。神を信じ、神に祈るときにこそ神からの慰めが与えられ、神の声を聞くことができる
二千年の昔、ナザレのベツレヘムで馬小屋で生まれた神の子イエスの誕生こそがクリスマスであることを、改めて思い起こしたいと思う。
人生は長くて80年、90年を数えるほどである。その時間をどのように生きるか、それはおのおのの自由であるが、全てが自分の自由にならないことも、いや自分の時間にはできないことも考える事も大事であることを考えるときでもある。

 コンドルは飛んだ  第29回

2012-12-07 09:36:13 | Weblog
本社の机の前に座って仕事をしながらも、気持ちはなんとなくボリビアに残っていた。
何もしていても落ち着かず、今の仕事が自分の仕事のような気がしなかった。総務部という仕事で本社はもちろん関係会社約20社の人事を中心に総体的な業務の管理である。時には当該社へ出向いて本社の意向を説明したりその趣旨がきちんと行われているかを確認する義務もある。辰夫はそんな毎日を過ごしながら、今の存在が自分の本業ではないのではと疑問を持っていた。元来行動派であり、デスクワークで満足するタイプではないことを自認していた。そんな思いをもって少しのストレスを感じていたが、ある日、その部屋へ
常務が入ってきた。辰夫がいることを見つけると大きな声で「岡本君、ちょっと、ちょっと」と言いながら手招きしている。「はい.ただ今」取りもとりあえずあわてて立ち上がる。廊下に出ると後ろについて廊下を歩く。振り向いて「ちょっと早いけど今ならすいているから早昼飯にしよう」と言う。
ビルの向かいにあるホテルのレストランへ向かう。早い時間なので客のいないテーブルの奥の席にどっかと座る。あわてて顔見知りの店長が駆けつける。「今日はお早いですね。お二人ですか。今お水をお持ちしますが、何かほかのお飲み物にしますか。」と聞いている。「そうだな。小ビール一本にコップを二つ、それに今日は例の五段重を頼むよ」
「かしこまりました」にこやかに店長が引き下がる。
「岡本君、少しは落ち着いたかね。まだ向こうの気持ちが残っているんじゃないか。
君の顔を見ているといつもの君の顔じゃない気がするんだが」とずばり聞いてくる。
「常務だから正直に言わせてもらいますけど、やっぱり居心地はあまりよくないんですよ。」「そうだろうな。君の才能は俺が一番知っている。その内君の実力が発揮できるところを見つけるからもう少し辛抱していてくれよ。今日は五段重で精をつけて」
ビールで乾杯をすると食事を始めた。
五段重は五段の器に盛られた幕の内弁当であり、刺身、てんぷら、煮物、焼き物と多彩な食材が贅沢に使われている当ホテルの名物料理だった。
食後のコーヒーを飲みながら、常務が独り言のようにつぶやいた。
「今、岡山にある会社の株を買ってほしいと言う話が来ていてね。それが無条件ではなくていくつかの条件があって、それを検討中なんだ。」
よそ事のように話している常務の横顔を見ながら、辰夫は他人事のように聞いていた。

思いつくままに

2012-12-04 17:16:32 | Weblog
いよいよ選挙の月に入った。無関心であった自分も真剣に考え国民の一人として
その責任を果たしたいと思っている。今日の発表によると過去最高の立候補者が届出を済ませたとのことで、大変喜ばしいことだと思う。(いろいろな事情があるとはいえ)
最初は他人事のように考えていたが、やはり真剣に考えなければいけない。その手がかりとして各党の政策があるが、これは目標ではあっても必ず達成できるとは限らないことは
民主党の過去三年の実績でもわかるしどの政党がどのように実行しようとしても、いろいろな事情や出来事のためになし得ないことがあることはやむをえないだろう(昨年の東北災害)しかし、最初から自分の考えや方向が違っていてもそれは間違った選択になることも事実だ。
従って概ね自分の考えに沿った内容であることが基本であろうか(経済、外交その他)
そして次に自分本位に考えるのではなく、現実に日本全体の問題として取り上げ、実行しなければいけない優先順位のような内容について検討したいと思う。
そういう意味では代表を含めた人物本意ではなく、あくまでも内容に伴う実行力が問われるところだと思う。そしてポピュリズムに頼らない内容を含んだ政策とその具体性を判断したいと思う。いずれにしても今回は一党で過半数を得られる結果には結びつかない予想なので、連立的な内閣になると思われるがそれもまたよいと思われる。一方的に一党だけで事を運ぶのではなく、さりとてお互いに足を引っ張り合うのでもなく「正反合」の原則にのっとって、お互いに補い合いながら全体のために利となる方向に導いていただきたいと願っている。
あえて言えば全体的に世代交代が進み、候補者も若返った傾向にあることも大変頼もしい気がする。やはり若さは何物にも変えがたいエネルギーを感じるし、大いに学びつつ国のために働いていただければと期待してやまない。
選挙はともすれば選ばれた人の責任で後日批判することが多いが、今回はしっかりと一人ひとりが責任を持って選び、どんな結果になったとしてもその責任は自分も負うことも自覚しなければいけないのではないかと思っている。