波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

            オヨナさんと私   第55回  

2010-01-04 09:32:21 | Weblog
旅を続けながらオヨナさんは時々心にかかることがあった。それは日々の中で自分は何が出来ているのか、自分のしていることはこれでよいのか。考えてみると一日の時間のなんと短いことか、ぼんやりと過ごすと何も考えず、何もすることなく過ごしてしまっている。何かしたとしてもそれは義務的に、または習慣的にしていることであり、目的を持って、いや自分の意志として心を込めてやっているとは思えないことであることが多い。人の出来ることは如何に僅かなことであり、ましてどうしても必要なことなどはほんの僅かなことです。だから人はその僅かにしか出来ないことの中で自分のどうしても必要なことを見つけなければならないのです。
そうでなければ無為無策の日を過ごしていると言われても仕方が無いことかもしれません。劇的なことなど表面には全く見えぬ平々凡々な日常の苦労の連続それが私たちの生活である。しかしその人生ならざるところや人生でもあると考えると
人生の深い意味と神秘とが其処に潜んでいるのではないかと考えざるを得ないのである。
何時の間にか箱根を過ぎて伊豆半島へ出てきていた。ここは真鶴である。近くには有名な熱川温泉もある。景色の良い半島の岬で海を眺めながらスケッチをしていると、遊んでいた子供たちが寄ってきた。中学生らしき女の子が「私、絵はへたくそなの、だから絵を書くの大嫌い」「でも字を書くのはすきなの。だから毎日書いてるわ」と言う。思わず興味を持って反射的にその子にオヨナさんは聞いた。
「どんなこと書いてるの。」「そんなこと言えないわ」そうだろう。女の子が内緒で書いてることだとすれば、人に、まして知らない人に言えるわけが無い。馬鹿なことを聞いたもんだと苦笑いをしながら、スケッチを続けていると、「でも、それをお母さんに見つかっちゃったの。そして怒られたの。」其処には友達の悪口が多く書かれてあり、その内容も過激な表現であったらしい。ウザイ、もうやるしかないとか一人ではなく、四、五人の仲間も居るらしい。母親がそれを見て、その子に注意したらしい。そのことで母親も悩んでいるらしい。その子も親とギクシャクして上手くいっていないらしい。子供の独り言のような話を聞きながらそんなことが分ってきた。こんな年頃の時はそんな事もあるのかと聞きながら、母親も大変だと同情していた。突然、そのこが「ねえ、どうしたらよい」と聞いてきた。
とっさに返事が出来なくていると、「お母さんと仲良くなりたいの。」としおらしい。