波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

「ボリビアに生きた男」  ②

2019-05-27 10:35:15 | Weblog

大正の初めにできたこの会社は「べんがら」と呼ばれる珍しい顔料を生産していた。しかし時代の変化とともに新製品の開発にも力を入れていたのだが、その為に大資本の導入を行っていた。上場会社の資本参加である。この事件が起きた時、当然本社役員は緊急に決議を要していた。そして会社の存続を保障にして大会社へ資本を売却することを決意した。独立した地場産業から大会社の一関係会社へと大きな歴史の一ページが始まったのである。東京事務所はこれらの動きを知らされず大会社から新社長が着任するとの知らせだけで、その知らせを受けて本社へ出社することになった。その日のことは忘れもしない。ある春の少し熱い天気の良い午後であった。タクシーを降りて本社の事務所へ向かう途中会社の畑で麦わら帽子をかぶり首にタオルを巻き長靴姿で鍬をふるっている、小柄な人に出会った。「ベンガラさんの事務所はここを上がっていけばいいのですかね」「そうですよ。この上ですよ」と坂道で話した。久しぶりに本社の人たちに挨拶をしながら懐かしい本社の2階へと上がる。そこには役員をはじめ総会に会う株主をそろっていた。そして席に着き正面を見て「あっ」と驚きの声を上げそうになった。正面の中央には先ほどの麦わら帽子のおじさんが座っているではないか。大都会の大会社のエリートともあればスマートなお洒落な都会人と想像していたが、その想像を全く覆す田舎のお百姓さんを思わせる風貌である。しかしよく見ているとその眼光は鋭くその態度は全くのスキのない凛とした姿勢で小さい身体でその場を圧倒する威圧感があった。この人との出会いこそが私のある運命を左右した「ボリビアに生きた男」との出会いであった。

 

 


「ボリビアに生きた男」  ①

2019-05-20 10:12:18 | Weblog

私たち家族が戦災で焼け出され疎開したところは両親の田舎でもある岡山県の田舎であった。あまり知られてないが岡山は比較的富裕層が多く文化のレベルもい高いと言われていた。私はここで高校卒業までくらしたのだが、地元のことには関心がなく何も知らなかったが、秋になると「松茸」の産地として有名であった。父がここへ勤務し私がその会社の東京の事務所の責任者になったのはそんな経緯があった。昭和57年の秋その年は松茸の良く出来た年であった。(毎年できるのではなく気候条件が良い時に豊作になる)松茸山の権利は山の管理所有者のものであり、一般の人には入れない。そして一部の人がその権利を買い、地元有力者を招いて松茸料理を振舞う習慣になっていた。その年の招待者のうちに当社の社長と専務があり社員の知らない時間での宴会が始まっていた。社長はオーナーの養女の兄にあたる人であり、専務は養女の息子であった。二人は自宅から近い山の宴会で松茸三昧の酒を飲んで専務の運転で帰宅することになった。何しろ地元で近いこともあって飲酒運転にも気にならなかったようだ。しかし、事件は思わぬ時に起こった。専務(甥)が運転を誤り道路をはずれ田圃へ転落、そこに悪い事に電柱があり、その電柱に激突、助手席に乗っていた社長は即死、運転していた専務はハンドルであごに大きな傷を負い胸に打撲を負った。事件とともにそのニュースは会社へ知らされた。役員として常務以下各担当役員もいたが、父もその中に顧問として入っていた。一瞬の出来事であり、また会社の存続を左右する大事件でもあった。80年の歴史を持つ地場産業の会社の運命はここで大きく変わろうとしていたのである。

 


「私の本棚」

2019-05-13 10:04:57 | Weblog

居間の片隅に小さな本棚が置いてある。引っ越しの時にできるだけ荷物を小さくすることで最小限の本に絞ったのだ。わずかに残っている本を改めて見てみると教会関係のものが半分であとは辞書、地図など調べ物をするときの参考書であるとか、文学書はわずかに若い時から印象に残った作家の本でその中には三浦綾子著が残っているだけだった。その中に「象の背中」」というタイトルの本があった。今から十五年前ごろ(2006)買ったものだが、当時は少し騒がれて映画にもなって見に行った記憶がある。49歳という若さで「肺がん」を宣告され余命半年といわれた一人の男が(会社員」)その命尽きるまでの生きざまを描いたものであったが、最近ふと手に取ってもう一度読み直している。はじめは興味本位で読んだ本だからと斜め読みの感じだったが、不思議なもので読む態度とその解釈の気持ちが変わると書かれている内容がまるで別の新しい本を読むように新鮮に感じられる。理解の内容もそこから考えられることも全く違ったものになることに読みながら感じられる。タイトルの「象の背中」が何を意味するかということにも最初は何の気もなく読んでいたが今回は何故という疑問を持った。そして象が年老いてその生命の尽きる時を感じ始めると群れを離れて一人誰知らない場所へと移っていく。そしてただ一人で最期を全うする習慣があるのではないかと想像した。(作者はそんな考えで多くの動物の中でも目立って大きい象取り上げたのでは)主人公を象になぞらえて取り上げたのであろうかと思うと納得がいく。そして物語は病気の進行とともに進んでいくのだが現在の自分の立場にたって考えてとても参考になる気がした。私は死に直面する状態ではないが時間こそわからないが死に向かっていることは同じである。もし自分もそのように時間を予告されたらどのようになるのか、そんなことを考えていると身近に同じような知人を思い出したのだ。次回その例を紹介したいと思っている。

 

 


「顧みる時の微笑み」

2019-05-06 11:38:06 | Weblog

桜も散り、お花見もゴールデンウイークも終わりいつもの日常生活に戻る。そんな時間になると昔のことを思い出す。嘗ては車と時間にあかせて春の花を追いかけて楽しんだものだった。カタクリ、梅、水仙、つくし、フクジュソウ、チューリップ、桜、そしてハナミズキ、モクレン、ぼたんと次から次へと咲く花を追いかけて名所を訪ねて楽しんだものだ。そしてひと段落すると静かにそしてひそかに咲いてくれるハナミズキに私は改めて引き付けられる。目立たずどちらかというと人知らず咲いて終わるのだがよく見ると七色に変わり、いかにも目立たずそっと日陰の花のように咲いている。そのあり姿はいかにも日本の謙虚な立ち姿を見るようで本当の美しさを感じる。(どの花もそれぞれ美しいのだが)「青春とは顧みる時の微笑みなり」とはゲーテの言葉として有名だと聞かされてきたが、今となってつくづくと思わされる。人は生きている限り人との交わりの中にあって生き続ける。そこには様々な出来事があり、そこから人間関係も生まれてくる。そして泣き笑い、また新しい力、慰め、励ましが与えられる。その一時一時こそが生きていることの証である。そしてその証を美しいままで残すことが務めであろう。すべてにそのように過ごすことができないで日毎に悔み悩み苦しむことも多いが、できる限り前を向いて生きていきたいものである。長いお休みも間もなく終わる。蓄えた力と知恵と勇気とを生かしてこれからの日々を過ごしたいものである。