波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

             オヨナさんと私    第57回

2010-01-10 21:43:28 | Weblog
今、自分はどこに来ているのだろう。目の前には純金で出来た茶室が広がっている。まばゆいばかりの光の中に立たされて何も考えられない自分を感じている。これは確か豊臣秀吉が京都御所に組み立て式の黄金の座敷を運び込んで、自ら茶を点じて時の天皇に献じたと言う話を聞いていたが、そんなことが本当にあったのか、呆然とその黄金の茶室の前に立たされたままでタイムカプセルに入っていた。
秀吉はここで天皇に茶を立てながら何を考え、何を思ったのであろうか。自分がその場に居たら、何が出来たであろうか。ただひたすらにその畏敬に恐れおののくばかりだったのだろうか。人間はぜいをつくし、すべてが自分の望みどおりに出来るようになると、自分の夢を果たそうとしてこのようなものを作り、満足するのだろうか。その想像を絶する行動を思い秀吉という人間を通じてその業の深さ、欲望の大きさを思わずにはいられない。かくしてこの黄金の茶室は何を誇示し、何を満足させえたのだろうか。それともただ人々を驚かせ、その権威を示すことで満足して
いたのだろうか。歴史は数千年の昔から様々な事実で、私たちに教えていることが多いのだが、中でもファラオと称せられる王が自分の地位を脅かす存在を極度に恐れそのような噂が出ると即座に自分の権勢を持って、その根拠となる小さな生命を根絶し根絶やしにするという事実を見るとき、真に人間の浅ましさを見る思いになるが、彼は黄金の茶室をもって心の安定を持ちえたのか、それとも権力に自信を持つことが出来たのか、いずれにしても人間の罪の深さを考えさせられたのである。
我に返って周囲を見渡す。ここは熱海駅を下車して車で10分ぐらいのところにある「モア美術館」の一室である。オヨナさんは案内所で教えられたこの美術館のことは知らなかったが、早速立ち寄ったのだが、そのスケールの大きさに普段見る事が出来ないものばかりの中で、ただただ驚くばかりだった。館内は物音一つせず、静かな雰囲気の中で楽しむ事が出来る。少ない観客の靴音だけが響いている。
もう一つは八世紀時代の絵画で中国ウイグル自治区で発見されたと言われる
「樹下美人図」と題するものでその色彩、描線の見事さは見るものをあっとうするものがあった。思わぬ収穫ですっかり満足したオヨナさんは其処を後にした。