波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

     白百合を愛した男   第72回

2011-02-28 10:48:54 | Weblog
誰もいない社長室にただならぬ気配がみなぎっているようであった。感情の起伏の少ない社長の表情からはその心のうちは読み取れないものがあった。しかしその固い顔つきからは何かを決心する緊張感が漂っている。デスクの電話を取り、専務を呼ぶように伝えた。
「シンガポールのI君から連絡が入った。大分苦労をしているらしい。計画通りには進まないようでまだ資金がかかるらしい。現在の状況からすると、計画していた資金の倍くらいになるらしい。君は現地へ行ってI君のサポートを頼む。私は東京へ行って話をしてきたいと思っている。今更この計画を中断するわけには行かない。本社の更なる支援を頼み
内諾を得なければ、安心して工事を進めることが出来ないから」
数日後、社長は東京営業所へ来ていた。「どうだい。仕事の方は順調かな。何しろお客さんが大事だし注文あっての工場だからな」そう言いながら社長は腕をまくり、片腕を前に出すとその腕を折り、その腕をもう一つの腕でぐっと掴んで見せた。その動作を見て瞬間所長のMはきょとんとした顔をしたが、すぐその所作を理解した。
それは社長らしいユーモアのある動作で「任して置いてください。営業は大丈夫ですよ」と思わせるものであった。苦笑いをしながら「シンガポールの建設が始まった以上、何としても頑張ります。」と返事をすると「頼むよ。君達の力で会社は動いているんだ」と肩をたたいた。詳しい話を何もしないが、社長の心にはこれから本社での資金の説明はとても重い話であり、自信を持って話せる内容ではなかった。海外進出だけでも全体の賛成を得てのことではなかったし、更に追加の資金を頼むことは心苦しいことであるし、自信も無かった。あるとすれば営業力を信じ、自分自身もこの事業拡大に対する信念と自信がなければ出来ないことであった。本社の会長になっていたN氏と社長とは個人的にも信頼関係にあった。それは彼が南米へ派遣されていた頃からの長い年月の中で培われてきたものであり、他の人には理解できないことでもあった。真面目な二人は世間話の中にもあまり
無駄話は無かった。話の途中では二人はトイレに立った。トイレは余人を交えず話が出来るところではあったが、用をたしながら N氏は何気なく呟いた。「S君、苦労をかけているが、必ず近いうちに君には必ず東京へ帰ってきてもらうつもりだ。君には私のそばで何としても仕事をしてもらいたいと思っているよ」「ありがとうございます。」

     白百合を愛した男   第71回

2011-02-25 09:21:17 | Weblog
新しい建設には予期せぬことが起きることは覚悟していたつもりであるが、そう思いつつも準備し計画していた青写真どおりに進むことを願わずにはいられない。何より予算額の問題が一番だ。建設予算10億円が承認されていた。出来ればその額を下回れればと願うし、それをオーバーしても最小限人とどめたいと思う。それは自らの計画の信憑性を証明することになるし、それが評価の対象になることだと考えていた。しかしここへ来て、それらの希望を一気に無くしそうな壁であった。「何とかなりませんか。出来るだけ規則に沿うようにしますから」たどたどしい英語での交渉である。
現地の派遣されている若い役人は法規一点張りで、自分の主張どおりの施工見直し案を作成し、再提出を要請し帰っていった。パイプラインを修正しそれに伴う設備を見直すことは大きな影響が出ることになる。彼はすっかり頭を抱え込み、暫く動くことが出来なかった。「どうすれば良いんだ」誰に相談することも出来ず、また親身になって共にこの問題を助けてくれるものも見当たらなかった。とにかく日本へ報告をして、指示を仰ぐしかない。やっと覚悟を決めてパソコンに向かい、報告を書き始めた。
いつものように朝早く出社していた社長は、午前中の執務を終え、昼休みを迎えていた。
食事が終わると事務所のすぐ脇にある空き地での農耕野菜作りが日課になっている。タオルを頭にかけ麦藁帽を被り長靴を履くと楽しそうに鍬を手にする。今は春を迎えてジャガイモの苗が生長し、その脇には玉ねぎも育っている。その畝の土を丹念に寄せながらその苗の具合を眺めている。長いホースで水をかけたり、消毒をしたりその作業は細かく丹念である。よほどその土壌の下地が良いのかその苗の生長は素晴らしく、色艶も良い。
暫くすると手を休め、満足そうに一服する。ヘビースモーカーの社長にはタバコは欠かせない。「社長。シンガポールからファックスが入りましたよ。」事務所の窓から女性社員の声が聞こえた。「はいよ。」毎日入ってくるニュースが今や一番の関心事であり、彼の頭の半分以上を占めている。岡山の田舎にいても現地の様子が手に取るように分るし、寝ていても、何処にいても頭を離れることは無かった。何といっても一世一代の仕事になる。ボリビヤでは閉山の仕事だったが、今度は新規建設の仕事だ。小さくてもこの仕事は何としても成功させねばならない。何としてもだ。小さい体の底に大きな火の玉がふつふつと燃え滾っている。「しっかり頑張れよ。」またしても何処からか声が聞こえてくる。

     思いつくままに

2011-02-23 10:05:05 | Weblog
今年もお受験シーズンが来た。毎年のことだがこの時期、世のお母さん方は、それぞれに
心を乱していることだろうと思う。私自身もその過程を振り返りながら一考してみたいと思う。時代と共に家庭環境や親の考え方が少しづつ変わってきているし、子供の考え方も変わっているのだろうが、基本的に子供の能力とは別に進学に関する考え方は変わらず
有名校であり、進学校志向は強いことは間違いないだろう。本来少子化に伴って受け入れる学校と進学する数とは平均化されて競争率は下がっているはずである。しかし、現実には一校集中型のようになって、いわゆるお受験地獄は終わっていないようだ。
そこで少し冷静に考えてみたい。親と言うものは(特に母親は)子供に期待するところが大きい。良い学校へ行って、いい会社へ入って、何の心配も無く家庭を持って欲しいと願うことは悪いことではないが、子供は親に似ると言うことが意外と忘れられている面がある。基本的にはやはり「遺伝」と言う大切な要素が前提にあることを弁えておく必要があると言うことだ。それが一番分るのは外見である。背の高い親からは子供も大きくなるし、顔も身体つきも似てくることで納得できる。しかし、頭は別だと思ってしまうところがあり、いや思い込もうとする所がある。頭もまた例外ではないと思う。
何人かの子供の中には「とびが鷹ノ子を生むだ」と言われるように親をはるかにこえる
才能を発揮することもある。しかし、それはその子供の強い意志と努力と条件が重なった場合だと思う。(例えば家庭教師をつける)
普通の子供は親の能力を備えて生まれ、育っていくのだから、それ以上を多く望まないことが大切だと思うし、良い学校へ進んだから、人生において幸せを掴むと言うことにはならないのだが、分っていてもこのパターンがいつの世になっても変わらないのも世の中なのかと思ってしまう。親が子供に無いものを強制することから問題が発生することもあるし、(子供が努力と意地で頑張れば別だが)それが将来への影響の方が大きいことを
考慮すべきだと思う。
そこで、提案だがそれでもどうしても優秀な子供を持ちたいと言うことであるなら、優秀な頭脳を持ったもの同志の優性遺伝を図るしかないのだろうと思うけど、それでは人間性の問題は度外視することになり、又別の問題は発生することになる。
親同士の結婚から生まれてくる子供はすべてどうあれ「宝」である。大切に育て、生かすことこそ重要であることを、この時期もう一度考えてみたい。

     白百合を愛した男   第70回 

2011-02-21 11:21:52 | Weblog
「出掛けるよ」「あら今日は休みじゃないんですか。」「いや、色々やることがあってね。人がいない時のほうが仕事がしやすいんだよ。」シンガポールの責任者に任命されて赴任したI氏は妻にそういうと普段着のまま家を出た。夫が出かけていくと広い家には誰もいない妻は何もすることは無い。二人なら商店街へ行ってショッピングを楽しんだり、食事も出来るが一人ではそれもする気はない。近くにあるコートでのテニスを楽しみ
設備の良いジムで汗を流したらプールで時間をつぶして帰るだけである。成長して学校に専念している子供達を日本においてきたこともあり、ここではのんびりと優雅に暮らしている。工場は建設半ばで工事は連日進んではいたが、順調とはいえない。日本で計画を組み設備の主なものを送り込み、予定通り進めているつもりだが、工期は一ヶ月以上遅れている。一つ一つの工事に対し許可申請の手続きがうるさく、そのための時間が読めないことが最大の難点だった。やはり手続きにはいろいろな手立てもあるらしく、その斡旋をするものもいたが、会社の方針と社長の真っ直ぐな正義感はそれを許さなかった。
たどたどしい会話での英語では意思の疎通も充分に伝わらず、イライラが募っていた。
今日は役所の人間も来ることになっていた。当初近くから工業用水を引ける事になっていてその予算も甘く考えていたが、それは違法だとの話が出て、現場を見に来ると言うのである。シンガポールに一番弱点があるとすればそれは水の問題であった。
元々、大量の水はマレーシアとの国交問題として契約が結ばれており、それはマレーシアの供給補償で賄われている。両国にまたがる大きな水を運ぶパイプは当に命をつなぐものとして使われている。それだけに水に関わる問題は大小を問わず大きく取り上げられるのだが、今回の工事に関しては隣接地からのパイプの接続で簡単に出来る予定であった。
従って予算も殆ど取ることも無く計画されていたのだが、
「何とか説得しなければ、大事になる」今の彼の頭にはそのことで一杯だった。
昨夜のアルコールもまだ完全に抜けていないこともあって、まだ頭が少し痛かった
話は始まったが若い役所のスタッフの話は全く理解に苦しむものであった。「隣の工場責任者からパイプをつないで引いても良いとの承認を得ている」と言っても、それは違法であり、新しく源泉からパイプを新設し自前のラインを持たなければならないと主張を譲らない。

     白百合を愛した男    第69回

2011-02-18 11:14:36 | Weblog
地下の空気の悪いところに暫くいると、始めは気が付かなかった独特のすえた匂いが気になり始める。それも好奇心の一つかと思っていたが身体には良くないなあと思い始めた。
そんなことをぼんやり考えていたら「おい、何考えているんだ帰るぞ」と先輩に言われ
やれやれやっとここから脱出出来ると嬉しくなった。
外へ出ると、爽やかな空気に触れ気持ちが良い。「先輩はいろんな所を知っているんですね。あそこはもう長いんですか。」と余計なことを聞く。それには直接答えることなく歩いていた。「接待は結構気を使うんだ。いろんなお客さんがいるからね。だからそれなりに数軒は知っておいて使い分けるんだ。」と独り言のように言う。
そんなものなのかなあと思いながら付いていくと、とある雑居ビルに入った。
エレベーターで上がり、何階かで降りると、とあるドアを開けた。其処は入った瞬間から
全く違った世界に来た様に違っていた。赤い絨毯が入り口から敷き詰められ、シャンデリアが中央から店内を照らし、その隅ではグランドピアノが静かに曲を流している。
その中をロングドレスの女性がひらひらと歩き、客はその周りのボックスシートで酒と会話を楽しんでいる。シートが大きく余裕があるせいか、周りが全く気にならない。
客が坐るとその間に一人一人女性が坐る。ボトルが置かれ、お絞りが出て飲み物が出来ると乾杯で始まるのは、前の店と同じである。違うのは店内のインテリアと装飾、そして女性の年齢とその装いである。BGMで流れるピアノの音は、その店全体を完全に調和して
全体の雰囲気を作り出しているので、周りのことが全く気にならない。うるさい先輩のことを気にしなければ到底、接することの出来ないような美女(?)と好きな会話が楽しめるのである。先輩はここでも自分がここにいることなど意に介せず、隣りの女性と会話を楽しんでいる。先ほどとは一段と違って嬉しそうであり、楽しそうであった。
そのうち落ち着いて見回しているうちに、いろいろなことに気付き始めた。
女性達は笑顔を振りまきながら、客の興味を引くポーズを一生懸命とっているが、それが
真剣なほどに仕事に徹していることが分るし、その時間が虚しく感じるのである。
どんなに楽しく話している時間といえども、それは空虚であった。酔っていないということもあるが、それ以上にこの時間が気になってくるのである。
「おい、そろそろ適当に帰ることを考えたらどうだ」何処からか聞こえてくる声が聞こえた気がした。美継の声なのか。

     思いつくままに

2011-02-16 17:07:19 | Weblog
この時期になると、忘れられていた花暦を思い出される。あちこちに咲く梅の花に誘われて近所のお寺の庭である。薫り高い梅の枝に引き寄せられ見とれているうちに
不図「東風吹かば匂いおこせよ梅の花、あるじ無しとて春をわするな」の句が浮かんでくる。梅は桜や他の花と違って女であれば、れっきとした家の本妻を思わせる所があると言われる。それは独特の花らしい華やかさはないし、目立つほどの特徴も無い。むしろ逆で
質素なたたたずまいとその様子は消え入らんばかりの謙虚さが見えてくる。
それでいて、その存在は他の追随を許さないりりしさと、気品がある。それは日本の女性の鏡となるような「大和撫子」を思わせるところもある。
そんなことを考えながらもう一度、句を読むと道真が流刑によって大宰府へ行った後、その妻を慮りながら呼んだこの句は(実際は違うのかもしれない)まさにその妻を純粋に思いやったものとして伝わってくるものがある。現代においても単身赴任で働いている人は大勢いるはずだ。
それらの人にも全く同じことが言えると思うし、「パパがいなくてもみんな元気で頑張ってね」と言う思いでもあろうかと勝手に想像してしまう。
梅は他の花と違って、花を咲かせた後きちんと実をつけるつまり子孫を生み出すのだ。
このことも本妻ならではの姿ではないだろうか。こうして梅は私達に色々な夢と思いを託してくれる。
話は変わるが、この頃の男の子はある時期まで成長するとキレ易くなる時期があると言われる。それは何故なのだろうか。(女の子も同じであるはずだがそれほど目立たない)
それは少年の方が少女より性的な欲望が急に強くなる時期があるからだとされている。
そんな時期に急に母親や他人から何かを注意を受けると、我慢する力が急に失われ、いわゆるキレる現象が起きるとされる。
これは特に母親が女性であるがゆえに理解しにくいところであると言うこともあるらしい
それと母親が一方的に息子を溺愛することにも原因があるとされている。
それにしても人間関係は大人の間でも難しいのであって、ちょっとした事で考え方の行き違いが生まれ誤解を招いたり、恨みを買うことがある。
さすれば何ごともほどほどにしなければいけないことになるが、
「近づき過ぎれば、憎悪を生むことになる」と言うことも知っておくべきであろうかとも思っている。

白百合を愛した男    第68回

2011-02-14 11:22:45 | Weblog
烏森から新橋駅まで戻り、反対側へ出ると、其処はもう銀座である。少しアルコールの入ったほてった身体で涼しい風に当りながら歩くのはとても気持ちよく、これから向かう
未知の世界への期待も膨らみ、すっかり仕事のことも、家族のことも忘れていた。
コリドー通りと呼ばれる所からもう一つ隔てた広い通りに出ると、日動画廊や日航ホテルのある銀座通りである。ここまで来ると景色が一変する。道の両側に立ち並ぶビルには
ネオンの看板がびっしりと並び其処には店の名前が上から下まで書かれている。
先輩はその一つのビルの地下へ下りはじめた。せまく、暗い階段を下りていくとその先に「真弓」と書かれた店があり、その扉を開けた。狭い店はやや薄暗くテーブルが並び、その奥にカウンターがあった。ここでも「いらっしやい」と言う声に迎えられたが、出てきたのはロングドレスのママだった。案内されたボックスシートに腰を下ろすと、その隣りに若いホステスが来てすわり、お絞りを出してくる。「やあ、しばらくだね。元気だった」と声をかけると「暫くじゃあないの。最近お見えにならないから、別のお店に移ったのかと心配していたわ」と応じる。キープされているウイスキーが出され、好みに応じて
飲み物ができる。興奮と緊張で何も見えていなかったが、一口飲んだ水割りとつめたい水で少し落ち着いてくる。辺りを見回すと、狭い店に似たようなボックスシートがいくつかあり、それぞれにお客とホステスが坐り、お酒を飲んでいる。何を話しているのか、顔も声もあまり聞こえない。むしろこの場での雰囲気で自然とそんな感じになっているのか。
そのうち、ママが他の客のところへ廻っていなくなる。それからは其処へ坐ったホステスとの自由な時間となる。と言っても初めてのことであるし、何を話したらよいのか、どうすればよいのか検討もつかない。先輩は其処に自分がいることなど忘れたかのように、隣りの女性と話し始めていた。時々おいしそうにウイスキーを飲み、低い声での笑い声も聞こえてくる。つまりここでは若い女性が話を聞いてくれて美味しい酒が飲めるということが分った。確かにお酒は一人で飲むのは、何かわびしいが、こうして女性と話しながら飲むと何時の間にか現実を忘れ、美味しく飲めることになるのかもしれない。
酒の飲めない彼にはその楽しさは味わえないが、妻より他に知らなかった若い女性と楽しく話が出来る時間は初めてであり、すっかり有頂天になっていた。何を話したかなどは
とんでしまい、夢中な時間だったのである。

     白百合を愛した男   第67回

2011-02-11 10:31:14 | Weblog
時間が経つにつれて店の中が賑やかになってくる。話す声も少し大きく聞こえ、笑い声もひっきりなしだ。8時を過ぎた頃、「今晩は」と一人の男がギターを抱えて入ってきた。
その頃(昭和50年ごろ)まだカラオケなるものは普及せず、昔ながらの「流し」が店を廻っていた。リーゼントの髪をぴったりとなでつけ、満面の笑みを浮かべ客の様子を見ている。ママが奥を指差すと小上がりの座敷の方へ向かう。そこで飲んでいた客が呼んでいるらしい。ぺたりと横坐りになってギターをかき鳴らす。すると不思議なもので店の話し声がちょうどミックスされて、何となくまろやかになり、大きな声も笑い声もあまり気にならなくなるのだ。それほど大きな音ではないが、それが全体の緩衝材のような効果となり、変わってしまう。お客の歌う声も気にならず店全体が又新たな雰囲気を作っているようだ。それにしてもこの流しの芸人の気持ちはどんなものなのだろうか。一生懸命作り笑いをしながら客の機嫌を取り、様子を見ながら演奏している姿を見ているうちに、その流しの人の気持ちが感じられてきた。これも一つの営業のあり姿だと思うけど、どんな気持ちで仕事をしているのだろうか。一人になって仕事を終わった時、どんな思いなのだろうか。相手の立場をこれだけ慮ってする仕事は誰でもは出来ないだろう。
自分の仕事などはまだまだ自分を生かしながら出来るから良い方で、これほど自分を殺してする仕事は誰でもは出来ないだろうなあとそんなことを考えていた。
ぼんやり流しのことを考えていると「おい、何ぼんやりしてんだ。そろそろ出かけるぞ」と声がした。思わず、「帰るんじゃあないんですか。」と言うと、「馬鹿なこといってんじゃないよ。これからだよ」とにやにやしながら「じゃあ、ママ又ね」と店を出た
店の外へ出ると、スーと爽やかな涼しい風に当り、気持ちが良い。「なかなか良い店ですね。」とわけわからず、お世辞を言うと、「あのママさん、ああ見えてもなかなかの固物でね。この間も酔っ払った客がママに抱きついたらその手をぴっしゃとたたいたそうだよ。福島の方で学校の先生を長く勤めていたんだが、ご主人が亡くなって心機一転上京してこの仕事を始めたらしい。だれかスポンサーのようなお客もいたんだろうと思うけど、身持ちの固い所が特徴かな」少し酔っ払ってきたのか、先輩は何時に無く饒舌になっていた。それにしても何処へ行くのだろうか。このまま帰るわけには行かないのだ。
付いていくしかない。

     思いつくままに

2011-02-09 10:28:49 | Weblog
最近は本を読むのも少し億劫になり、目がすぐ疲れて長くは読めなくなっている。
そんなある日、ある本を読んでいて「人間は元々余り進歩しない動物なのである。」と書いてあるのを見て興味を持った。古来アダムとイブの時代からすれば人間も時代と共に進化し進歩しているのだとばかり思っていたからだ。
その説明によると時代と共に進歩すると思うのは化学文明に気を取られて人間そのものを見つめることを忘れているだけだとあった。
そういわれて考えてみると確かに生活も豊かになり、肉体的には発育もよくなり、医学の進歩で死亡率は減り、寿命も伸びているのだが、それで進歩していると言えるのだろうか。学校を済ませて成長するに従って自己中心的にはなっても、本当の意味で人間として身につけたい勇気、正義、英知、隣人愛は教えられて知ってはいても、それを守るか守らないかはその人の生活環境や性格で次第に異なっていく。当に個人の問題だ。
それに比べると科学は時代と共にどんどん進歩して古いものの上に新しいものが生かされて、始めのものから比べれば想像もつかないほど立派なものに進歩していることは
飛行機であれ、車であれどの分野でもはっきりと確認できる。そこには始めのものが無駄になるものはなく、その上に積み重ねるように新しいものが生まれ、進歩していくのが分る。だから人間が作るもののなかには著しく進歩するものと、一代限りで終わるものとあることを覚えておかなければならないのだろう。
それが証拠に人間は親がどんなに立派であってもそれを基にしてそれ以上に進歩して親以上に立派に成長していくという事は無いのが分る。つまり精神活動は一定の枠の中でとどまり、それは数千年たった今も変えられないのである。
そして精神面が進歩しないままでいて化学文明だけが進歩するとどうなるか。
其処には憎しみや嫉妬から生まれる裏切りや争いだけがなくならず、その方法だけが大きくなり、被害になって表れてくる。
今頃そんなことに気が付いても遅いといわれればそれまでだが、遅ればせながら少しでも進歩して終わりたいと言う願望もある。そのためにどうするか。それは人間として大事な人間愛、そして隣人愛を強く思い、自分に課せられたものを真剣に考え、それをいかすために
何が出来るかを考えたいと思っている。それがどんなにささやかな、誰の目にも止まらないことであっても、ちゃんと見ている方がいることを信じて!

     白百合を愛した男   第66回

2011-02-07 09:35:48 | Weblog
新橋駅を降りるとSLの機関車の置いてある広場を通り、道を横切って行くと、烏森神社がある。それほど大きくなくて気が付かない人もいるが、その昔は戦勝祈願の神社として
参詣が絶えなかったと聞いている。其処への狭い道筋の両側に小さい飲み屋が並んでいる。そしてその一番奥のちょうど神社の裏側のところに「満」はあった。先輩に指示されて待ち合わせの場所として教えられて始めて入った小料理屋である。暖簾を分けてはいると狭いカウンターが目の前にあり、その奥が小上がりの四畳半ほどの座敷になっている。先輩は既に来ていたようで「よう。すぐここが分ったか」と笑いながら聞く。
その横には少し年輩のママが立っている。「いらっしゃい。よろしくね」と笑いかける。
よく見ると、丸顔の大きな目に小さな口がとてもチャーミングで印象的だ。しかし、不思議に水商売の女性には見えない。むしろどこかの家庭の主婦、そう、彼にとっては姉さんの雰囲気があり、固い感じすらした。カウンターの向こうには小島さんじに良く似た板前さんが包丁を握っていた。五、六人も坐れば一杯になりそうなカウンターへ腰掛けて
先輩の話を聞く。「みんな仕事の疲れを何とか癒したいと思っている。一日の嫌なことや出来事を気の置けない人と自由に話したい思いがある。また、家に帰っても話せないことやもちろん上司の悪口もあるだろう。そんないろんな思いのはけ口としてこういうところがあるんだ。もちろん、お酒もあるし、簡単な料理もある。仕事が終われば、とりあえずこういう場所で疲れを癒すのがパターンなんだよ」東京の営業を始めて十年ほど過ぎていたが、何も知らないでいた。どちらかと言うと厳格な家で育ち、家と学校との世界しか知らないで過ごし、会社に入っても酒の世界とは無縁で来たものにとっては、こんな時間の過ごし方など全く無縁であった。見るもの、聞くことすべてが初めてであり、新鮮であった。知らない世界をのぞいたような好奇心が、自分でも気が付かないうちに自然に出てきて、ほかの事を忘れさせていた。彼にとっては、それはすべて仕事の延長であった。酒が飲めないから、酒での楽しみ方は出来ない。その中での過ごしかたはこの時間をどのように有効に仕事にい生かして使うか、と言うことであった。先輩はママと何気ない話のやり取りをしながら楽しそうに酒を楽しんでいる。時間が過ぎるほどにお客もぽつぽつと入り、店の中が賑やかになる。中には女性連れの人もいた。