郵便局の窓口で「年賀状の用意はできていますか」と薦められた。「そうか、もうそんな時期か」と思いつつ、今年の年賀状のデザインを見ると「干支」は羊で絵柄になっている
それを見ながら私はすぐ亡き父を思い出していた。94歳で召された父は羊年であった。
因みに羊は非常におとなしく、穏やかで主人の羊飼いに忠実に従う動物であり、視力が弱いこともあって群れを成して行動するときいている。聖書には必ず出てくるのも有名で
「私はよき羊飼いである、良い羊飼いは羊のために命を捨てる」と言う有名な聖句がある。私の息子も羊であること、私自身も傘寿を迎えることと会って何か忘れられない年に思えてきた。又この時期には喪中の葉書も多いのも特徴である。
嘗ては100枚以上の年賀状をリストの名前を記憶から思い起こし一枚一枚手書きで心をこめてメッセージを書いたものだったが、年々その数も減り、中身もパソコンで済ませ
わずかに一言「生きている」証のサインを書く程度になってしまった。
時代の移り変わりとともに自分自身も衰えていることを知ることになっている。
本来の年賀状の意義、目的、習慣そのものも変わりつつあるのだろう。そしてそのことが
人間関係自体を希薄にして、終には消えていくのかもしれないのだ。
「アウトオブサイト.アウトオブマインド」去るものは日々に疎しはこのことを言うのだろうか。いかにもさびしいとも思えるが、人間の存在はどんなに勢いがあっても、いつかは消えていくものだと言うことをここからも伺えるのである。
しかし、この現実を悲観的に考えることも無く、むなしく思うことも無い。ただ忘却の片隅に静かにしまっておいて、時に触れ、折に触れて思い出して微笑むことにしたい。
ゲーテが「青春とは顧みる時の微笑である」の言葉はこのことをさしているのかもしれない。年賀状は正月の風物詩として楽しみの一つだった。
普段ご無沙汰していたり、忘れていたりしていた友人、知人から貰うとタイムスリップするかのように当時のことが思い出されるのが、喜びだった。
そんなことを思い起こして今年も年賀状の準備にかかりたい。
「年の瀬に喪中の知らせ別離知る」
それを見ながら私はすぐ亡き父を思い出していた。94歳で召された父は羊年であった。
因みに羊は非常におとなしく、穏やかで主人の羊飼いに忠実に従う動物であり、視力が弱いこともあって群れを成して行動するときいている。聖書には必ず出てくるのも有名で
「私はよき羊飼いである、良い羊飼いは羊のために命を捨てる」と言う有名な聖句がある。私の息子も羊であること、私自身も傘寿を迎えることと会って何か忘れられない年に思えてきた。又この時期には喪中の葉書も多いのも特徴である。
嘗ては100枚以上の年賀状をリストの名前を記憶から思い起こし一枚一枚手書きで心をこめてメッセージを書いたものだったが、年々その数も減り、中身もパソコンで済ませ
わずかに一言「生きている」証のサインを書く程度になってしまった。
時代の移り変わりとともに自分自身も衰えていることを知ることになっている。
本来の年賀状の意義、目的、習慣そのものも変わりつつあるのだろう。そしてそのことが
人間関係自体を希薄にして、終には消えていくのかもしれないのだ。
「アウトオブサイト.アウトオブマインド」去るものは日々に疎しはこのことを言うのだろうか。いかにもさびしいとも思えるが、人間の存在はどんなに勢いがあっても、いつかは消えていくものだと言うことをここからも伺えるのである。
しかし、この現実を悲観的に考えることも無く、むなしく思うことも無い。ただ忘却の片隅に静かにしまっておいて、時に触れ、折に触れて思い出して微笑むことにしたい。
ゲーテが「青春とは顧みる時の微笑である」の言葉はこのことをさしているのかもしれない。年賀状は正月の風物詩として楽しみの一つだった。
普段ご無沙汰していたり、忘れていたりしていた友人、知人から貰うとタイムスリップするかのように当時のことが思い出されるのが、喜びだった。
そんなことを思い起こして今年も年賀状の準備にかかりたい。
「年の瀬に喪中の知らせ別離知る」