波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

   思い付くままに  「生まれたままに」

2013-12-31 09:23:19 | Weblog
世に生まれてくる子供すべてが健常者で生まれてくるわけではない。その原因は誰のせいでもなく又、誰の責任でもない。そして一人一人が世に必要な存在として生まれたのである。それは身体が一つの部分で成り立っているのではなく、多くの部分から成り立っていることと同じであり、足が「私は手ではないから体の一部ではない」と言ったところで
身体の一部ではないから要らないとはならず、全ての部分が身体を作っていることと同じであろうと思うのだ。しかし、現実にはダウン症、自閉症、アスペルガー症など生まれながらの障害を持って世に出てくる子供もいるのです。
ある日何気なく見ていたTVで実際にあった自閉症の子供の実態が紹介されていた。生まれて5歳まで何も話すことがなく、ある画面から字を書き始め、ある時パスケットボールの試合の画面で大きな反応を起こした。特殊学級でもバスケットクラブへ入り、練習をしたが、ゲームに参加することはなかった。学年も終わりに近づいた最後の対抗試合で全員参加で終わりたいと願いつつも勝利のために犠牲になるかと思われていた時、選手全員の努力で得た大量リードを前半で出来た。すると残り5分の合図とともに観衆が一斉に立ち上がり、「ライアンを出せ」と「ライアンコール」が始まったのである。その声に促され自閉症で選手の一人であったライアンは初めてコートに立ったのである。
(ご覧になった方もおられると思います。)私もその画面を見ながら久しぶりに涙しながら感動しました。こんな美しい人間愛の場面を見ることが出来たからです。
今年も今日で終わります。様々な出来事があり、予期せぬことも一杯あったことを振り返りながら良いことばかりではなく、むしろ悩み多いい年であったという感想です。
しかし、冷静に考えれば健康を保持してこの世の生活を過ごすことが出来たことは全て
恵みの時であったし、幸せな時間であったことと思わざるを得ません。
「汝、健やかなる時も病める時も~を愛し続けることを誓うか」と結婚式のちかいのことばを思い出すが、~は自らでもあり、一人の人間だけに対してではなく、全ての人を愛し、用いて下さる大いなるものの言葉である、そしてその前で「誓います」と誓うことが出来るようになりたいと改めて思わされるのである。

  パンドラ事務所  第五話  その7

2013-12-27 09:48:18 | Weblog
女性同士と言うものは生来おしゃべりが好きだ。何時でもお茶をしながら話が終わらない。何とはなく何時までも続くのである。傍で男性が聞いているとすれば、どんな重要な話や用件があるのかと訝しく思うのだが、いつ果てるともなく続く。
それが必要からくるのではなく、単なるストレス解消法であり、溜まったものの消化とわかるまでには我慢がいるのだ。
青山はその時、女性が一人でいる部屋へ入ることを少しためらったが言われるままに玄関を上がった。「狭いところですいません」と奥の居間のテーブルへ案内された。
「大山さんはとても親切で良い人でした。そして無口であまりおしゃべりはしなかったけどとても気持ちのきれいな人で、黙って何時でも私を助けてくれたのです。」
「それはどういうことですか。」「私が体の不自由な事を分かってくれて、仕事で重いものを持つときや片付けなどをする時は私の分まで手伝ってくれました。」
「偶にお会いになることはありますか。」「それがここの所連絡もないし、会ってもいません。」「彼女どうしているんでしょうね。」と少し突っ込んで聞いてみた。
「ひよっとしたらどこかの病院にでも入院でもしているんじゃあないかと心配しているんです。ちらっと自分は悪い病気にかかっているかもしれないと言ったことがありましたから」「そんなことを言ってたんですか。でもあなたの所へは何時か又何か連絡があるかもしれませんね。もし何でもよいですから連絡があったら、私の所へ連絡をくれませんか。実は旦那さんが心配しておられましてね。私が頼まれているんですよ」と事情を説明しながら名刺を渡した。
長居も出来ず要点だけ話すとアパートを出た。帰りの電車に乗り一人で落ち着くと、少しづつ彼女の姿が浮かび上がってきた。
一人で誰にも相談できず、我慢をしながら何とかしようとしているのだろう。普通なら
そんな時ほど主人と相談して守ってもらうことを考えるだろうに、誰にも相談もせず一人で病院へ行って治療を受けているとしたらどんなに心細いことだろう
一人で我慢し、誰にも迷惑をかけたくない、自分が悪いのだから自分一人で責任を背負うと思って覚悟を決めているのか。?
青山はまだ話したことも会ったこともないこの女性のことを想像しながら、その意志の強さ、忍耐そしてその責めを一人で背負うその背中に十字架が重なるように見える気がしていた。

思い付くままに   「好きな人.嫌いな人」

2013-12-24 10:20:49 | Weblog
私たちは普段何事もない時は割合に整った落ち着いた生活をしているものです。
あまり人から陰口を言われるようなこともありません。然し一旦事態が変わったり、
大きな出来事が身辺で起きると普段のよそ行きの顔の中に隠れている自分の本質の
ようなものが出てくるのです。大きな出来事と言えば天災・人災・火事・盗難等の時は
別として、毎日の生活で他人が不幸になった時とか、非常に幸せそうに見えるときなどに案外自分の本音の姿が出るのです。
人が幸せになった時、自分も一緒になって素直に喜ぶことが出来るでしょうか。意外と
表面では喜んでいるふりをして、陰口を言っていないでしょうか。普段は相手のことを
考えて親切な事を言ったりしているのに一旦相手が自分より幸せな状態であることを知ると、途端に意地悪な気持ちが生まれくることはありませんか。
結局はその幸せな人の姿がやりきれなくて悪口を言ってしまうことが多いのです。
逆に人が不幸であったりすると親切そうに同情したりしていますが、その人がかねがね
あまり好きな人でなかったり、自分の力が及ばない人だと思っている人だとその不幸が
嬉しく感じてしまう事があるのです。
このように不思議なもので何事もない時の人の顔が本物かどうかと言うことが怪しいと言うこともできるのです。
そうでなくても誰でも「好きな人」と「嫌いな人」とを無意識に感じるものです。
そしてそれは顔や態度に出ることもあるし、そうでなくても何となく距離を置いてしまうことがあるのです。近所のご家庭の話にも息子夫婦が親と同居していても親とほとんど口をきかないとかと言うことも耳に入ることがあります。このような現実が何が原因で何時から始まったのかは分かりません。唯相互に感じるままに何の考えもなく、長い時間の中で増繁して現在に至ってしまったのかもしれません。
でも考えてみてください。好き嫌いは消すことは出来なくても、ただ相手のことを思う気持ち、それも「相手が喜ぶだろう」事を考えるでけでも良いのです。
それが何時か、「言葉」「行動」「しぐさ」何でもその事が相手に伝われば、その距離は縮まるのです。その努力を惜しまないで続けることだけです。
そんなことで自分を取り巻く世界が変わることを知りたいと思っています。

パンドラ事務所  第五話  その6

2013-12-20 10:54:20 | Weblog
普段の生活に戻ると何時の間にか大山のことを忘れかけていた。月に一度の友人との
食事会とか雑用を片付けたり、好きな本を読んだりしていたのだが、そんな時、順子から電話が入った。「青山さん、その後大山さんの事何かわかったかしら、昨夜も来てねママ
何か分かったかなって、遠慮しながら聞かれたのね。忙しいところ悪いけど何か分かったら連絡くれる。」「ごめん、大して忙しいわけじゃないけど野暮用に追われててね、まだ調査が出来てないんだ。近いうちに調べて報告に行くよ」と言い訳をする。
手掛かりとすれば大山から聞いたカミさんのパイと先の職場だ。電話を掛けるとすぐ分かり行ってみることにした。小さな縫製工場で10人ぐらいの女性が狭いところで仕事をしているのが見えた。昼休みに出てきた一人に聞いてみることにした。最初はいぶかしげに
警戒していたが、事情を話すと重い口を開いて話し始めた。
「そう言えば会社を休む前頃から元気がなかったわねえ、どこか悪いんじゃないのって聞いたこともあるんだけど大丈夫だからと詳しいことは何も言わなかったけどそれから休むようになったわ。」傍にいたもう一人の女性は「そうね。何となく考え込んでいるみたいに見えた時もあるんだけど、普段からあんまりおしゃべりではないし、特にその頃黙っていることが多かった気がするの」青山はそれだけ聞くとその工場の近辺を歩いてみた。その周辺には内科や婦人科の病院もあり、ひょっつぃたらこの辺の病院へ行って居たのかと
思わないでもなかったが、病院で聞きだすこともできず、第一病気だと決まったわけでもないしと思い直した。そしてもう一度職場に電話して大山の事を聞いてみた。
「大山さんの奥さん個人的に特に親しくしている友達なんかいませんでしたかね。」と聞いてみる。すぐに返事がなく、暫く応答が途絶えたが「そう言えば、昔ここで一緒に働いていて、今はやめてる人で田舎が一緒だという人とは親しくしてたわ。」その人の電話を聞くとお礼を言って工場を離れた。
青山はその友達を訪ねることにした。亀戸だと聞いていたので、駅に降りるとそのアパートへ向かった。三十三間通りを亀戸天神へ向かって歩く。向島へ行く道につながるのだが、その途中にそのアパートはあった。
ホーンを押して名乗ると足が悪いので、勝手に入って上がってくれと言われる。
リュウマチで歩行が困難で今は仕事も出来ず息子に助けてもらって暮らしているという。
「大山さんのことは良く付き合っていたわ、田舎が一緒なので話が合ったの」と
嬉しそうに話し始めた。

思い付くままに  「ジジ・ババ・トリオ」

2013-12-17 10:54:13 | Weblog
町内の老人会が今年の3月に解散した。その後何故かジジ二人とババ一人の3人が何となく集うようになっていた。ばあさんを亡くして20年になる爺さん二人と爺さんが脳梗塞で倒れて施設に入れて一人暮らし10年になる婆さん一人の、言ってみれば時代遅れのチョンガー3人とも言える。
しかし、その中の爺さん一人が夏に「胃がん」の手術をしてその後「泌尿科」の手術を受け、挙句の果てに「膀胱がん」の宣告を受けてしまった。嘗ては会として春は花見会、イチゴ狩り、そして紅葉見物と四季折々に楽しんでいたが到頭それらもできなくなってしまった。寒さも募り、普段はお互いに自宅にこもるようになったが、それも長くなるとストレスの原因になるとあって、3人で話し合って都合をつけて「テイータイム」を持つことにした。主には病人の体調に合わせて集まるのだが、話題はもっぱら近所の出来事や動向であったり、昔町会で行った旅行ビデオの鑑賞である。何度も繰り返し見ているのだが、何度見ても良いものらしく、見るたびにそこに出てくる町会の人(ほとんどが亡くなっている)の若かりしときのエピソードを思い出し、笑い語り合う。タイムスリップしたその時間は嫌な事を忘れ、楽しかった当時に帰って感動を思い出しているようだ。
そんな時間の中で、爺さんの一人が「偶には肉でも食べたいね」と言い出した。家でも食べれない事はないだろうと思うのだが、元気な時は三人で「ハンバーグ」や「焼肉食べ放題」へ行ったこともあり、それも叶わぬ今では食べたいものを三人で作って食べたいと言うことだ。レシピは「長ネギ、しいたけ、糸こんにゃく、豚肉」を鍋で甘辛く煮ただけのものだが、これを三人でつつきながら食べるのである。こんな事が三人の連帯感を生み
一日を喜びの日として過ごせるのである。最近では「偶には一緒に食事会をしない」と言い出しても「あの人が言うのじゃ行かない」また、同じ屋根の下に住む家族でも(同居)
会話も食事も別々と言う家庭が多いと聞く。時代と共に温かい心、赦しあう心、愛されるより愛する心(アガーペ)が無くなりつつある。そんな時だからこそ、この寒さが増してくるこの頃強く思うのである。
間もなく今年も終わろうとしている。せめて来年を今年より良い年にするためにも
気持ちと心がけを今までと変えて新しい年を迎える準備をしたいものである。

パンドラ事務所   第五話   その5

2013-12-14 10:39:08 | Weblog
店の中は客の話し声や笑い声で賑やかだったが二人のいる小上がりはひっそりと静かだった。順子ママの運んでくる料理に青山には白いご飯に味噌汁が付き、大山には酒のつまみが少しづつ付いていた。「奥さんの実家はどちらですか」「福島です」「そんなに遠くないし、実家に帰られたかもしれませんね」青山は少し軽率かなと思いつつ言ってみた。
「えー、私もそう思いましてね電話をしてみましたが、両親は元気で逆に娘のことを聞かれて不在であることを言い出せなくて電話を切りました。」そんなに若くない女性が家を出るとすれば実家に帰るか、或は男が出来てついてゆくかと言うのが相場かと週刊誌の記事のようなことも考えたが言えなかった。「奥さんはバイトで仕事をしていたと聞きましたけど住所か電話は分かりますか。」「バイト先へ行ったことはありませんが、電話番号は聞いています。」青山は念のために実家の住所と電話番号、バイト先の電話を聞くとそれをメモに控えた。
「大山さん、初めてなのに色々とお話を聞かせてもらいありがとうございました。取りあえずこれだけ分かれば十分です。何かわかったらまたここでお会いしましょう」
そう言うとママに手で合図をすると店を出た。狭い戸場口からママも出てきて「ごめんなさいね。ゆっくりお相手もできなくて」「いいんだよ。忙しそうで何よりだ。話は大体分かったから、ちょっと調べてみるよ。何かわかったらまた連絡してきてみるからその時は大山さんに来て貰っておいてね。」と言うと駅の方へ向かって歩き始めた。
夜になるとすっかり雰囲気も変わり、何となく寒さも感じるのは年のせいかなと駅へと
足を速めていた。
人は誰しも何らかの大きな重荷を背負って人生を歩いているようなものだ。それは何時しか自分が一人で暮らすようになって実感として感じていた。
そしてその荷は一生背負って歩かなければならない。途中で荷を下すこともできない。
そんなことを思いながらホームで電車を待っていた。そんな時不図「疲れたもの、重荷を負うものはだれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜なものだから、私の軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたは安らぎをえられる」
いつか、どこかで聞いたことのある言葉が頭をよぎった。

思い付くままに(臨時)  「いじめ」

2013-12-12 09:58:15 | Weblog
今朝の新聞を見て、どうしても見逃せない記事があった。文科省の調査で「いじめ」の
問題が過去最高の19万8千件を記録したとあり、それは前年度の3倍にあたるというのだ。しかし私はこの数字は氷山の一角で調査漏れを含めれば恐らくこの数字の何倍かが
起きているのではないかと想像している。そしてこの中には自殺者をはじめ、心に傷を負っている犠牲者がどれほどいるだろうかと思うのだ。そうでなくても少子化により児童の絶対数は減少している。一人一人が貴重な人材として考えられるこの時代にあって重要な問題として考えなければならないだろう。
考えてみれば「いじめ」は今に始まったわけではなく昔から存在していた。自分自身のことを振り返っても戦後「疎開っこ」として東京から田舎へ帰郷して通学し始めたころ、何の理由もなく、「疎開っこ」と言うだけで阻害され、仲間外れにされ、物せびり(物品強要)などのいじめを受けたことを鮮明に覚えている。正直当時の混乱時代ではこれらの事にかかわる余裕などなく何の対策もないままに何とかしのいで今日に至ったのだが、その実体験と陰湿さは身に染みて覚えている。
記事にはこの問題に対し子供との接点である教師に焦点を合わせて「正義」を教えて欲しいとあった。そして普段の教育の場では「徳育」を重視した内容を盛り込むことを希望していたが、私はこれでは効果もあまり期待できないように思えた。
確かに現場で直面している教師の責任とその効果は大きいと思う。しかしこれらは教師の目の届かないところで行われるし、子供の生活時間全てを把握しているわけではない。
問題は子供の生活時間のすべてに気を配ることにあると思う。だとすればその生活時間のすべてを「ウオッチ」する必要がある。それは家族をはじめ、家族全員でありその子供を取り巻く近隣の人、またその周辺の人々全てと言っても良いと思う。それぞれが関心を持ち、「ウオッチ」することで防げる「いじめ」を多くあることだと思うし、そういう意識が未然に事件を止めることにもつながるのではないかと思うのだ。
「注視する」ことこそ大事に至らないとおもうし、それらの時間帯を「自分には関係ない」とすることで見逃されていることが多いのではないかと思う。
何れにしても言い古されているように子供は全て「宝」である。この宝をみんなで大事に「見守る」意識を持ち、この子供たちの健全な成長を見届けたいと思おうではありませんか。

   思い付くままに   「師走」

2013-12-10 13:23:59 | Weblog
12月を「師走」と言わせてこの月は権威のある先生でさえ走るほどの忙しい時であると言い古されてきた。しかし今では色々な時代の流れと環境の変化で、毎日、毎月が忙しく落ち着かない日々となりそんな意味では毎月が「師走」の感がある。ただこの月を一年の区切りとして考えるなら、この時期に一年を振り返ることも悪くはないと思っている。
そんなことを思いながら、長い間書き続けている日記を取り出して一月からのことを振り返ってみることにした。
何しろこの頃は記憶力がめっきり落ちているし、仮に覚えていても誤って覚えていることもある。そんな訳で季節ごとの気温やスナップ写真を見ながらその時の感情や自分の思いや考えていたことを重ねて考えてみた。
今年は弟の突然の死から始まったことが記憶に新しい。三人兄弟で生まれ育ってきたが、いつの間にか、自分の肉親が自分一人になっていた。最近は良く夢の中にも父の姿や弟とのことを見ることがあるが私も天国から招かれているのかと思わないでもない。
日々の生活にあまり大きな変化はなかったが、冷静に考えてみると「何を目標として生きるか」という意識が明確ではなかった気がしている。何かを求め、何かを探しつつあるのだが、それが何であり、何をしようとしているのか漠然としていた気がする。
しかし、この年末に来て毎日の生活で自分は何をしなければいけないかということを何となく感じるようになった。しかし、それは今までの長い習慣で誘惑に負けてつい自分の怠惰な時間として過ごしてしまいがちなのだが、日々の時間の中で「これだけは少しづつ自分が課せられた大きな課題」だとするものが見えてきた気がしている。
この「課題」をしっかり見つめて日々の糧として実行し、そこから自分の道を確実なものとして来年へのものとして考えている。つい道を外しそうな誘惑もあるが、、その都度立ち返る勇気を持ちたいとも願っている。
阿部内閣が昨年発足していらい、日本も新しい道を歩みだした感じがしている。
その道筋も日本の将来を目指す目的地へ向かって止まらないことを願っている。
そんな時、2020年のオリンピックが東京に決まったことは本当に大きな目標として嬉しく思っている。
来年へ向けて自分の置かれた立場、持ち場で日々起きる出来事に一喜一憂することなく
導かれながら道を誤ることなく謙虚に生かされることを願っている。
「終わりよければすべてよし」物事は最後の結末を大切にすることが大事であると教えている。油断と気の緩みをに注意して、今年を無事に終わることとしたい。!

パンドラ事務所  第五話  その4

2013-12-06 16:07:39 | Weblog
あまり間を開けて約束を忘れたと思われても不味いと思い、ある日の夕方事務所を早めに閉めると大塚駅まで出かけていくことにした。南口を出て仙川通りに出ると道なりにだらだらと下っている。10分ほど歩いてコンビニを左に曲がると道の左側に赤ちょうちんが見える。暖簾には「順子」と書かれていた。「こんにちわ」と声をかけながら暖簾をくぐるとカウンターの向こうにエプロン姿の順子がいた。「いらっしゃい」すっかり店のママになっている。まじまじと見ながら女はつくづく強いと改めて見直していた。
「まだ少し時間が早いので、奥の小上がりでお茶でも飲んでてくれる。私も仕込みで忙しいのでごめんね」と言われ「いいとも。気にしないで待たせてもらうよ。」きれい好きな順子の店のたたずまいを味わいながら奥の小上がりに行き、ポケットから本を取り出し読み始めていた。そのうち日もとっぷりと暮れて暗くなり、店の外を歩く人の数も増えてきた。そして一人二人と客も入り、立て込んできた。暫くそんな時間の中にいると「0-さんいらっしゃい。今日は奥の小上がりに席を取っておいたから、そこへ行ってね。お客さんも待ってるから」と言いながら青山を紹介して支度をした。
いつも彼が来ると飲み物や食べるものも決まっているのか、黙っていても料理がどんどん出てくる。青山も同じものを用意されて乾杯をする「はじめまして、青山と言いますとあいさつをすると順子から話を聞かされていると見えて「大山です。よろしく」と人懐っこい笑顔を返した。暫く順子ママとの出会いや世間話をして時間をつぶす
「しかし、女と言うものはよく分かりませんね。」とぽつんと言い始めた。二人は職場結婚のような出会いで結婚したのだが、、どういうわけか子供が出来なかった。しかし別に不満があるわけではなく暮らしていたのだが、ある日、大山が仕事から帰ってみるとカミさんがいない。そのうち帰ってくるだろうとまっていたが、その日は帰ってこなかった。
良く見るとカミさんの身の回りのものもなくなっていたので、異変には気が付いたが、ここであわててもしょうがないと様子を見ることにした。「若ければ少しあわてたかもしれないし、探しても見る元気もありますが、この年になるとあきらめの方が先になって」と愚痴っぽくつぶやくように話す。「恥ずかしい話ですよ。逃げられるなんて」そう話すと
コップの焼酎をぐっと飲みほした。

 思い付くままに  「シーズンオフ」

2013-12-03 09:54:23 | Weblog
毎日の生活の中で、頭を休め心を癒し、嫌な事やわずらわしさを忘れさせてくれたスポーツの世界も主なものがシーズンオフに入った。
プロ野球(セ)はシーズン前の予想を、巨人、阪神、広島としていたが、その通りになった事にいささか自信のような優越感を感じることが出来た。(パ)は楽天のCS参戦は予測できたが全体には予測不可能であった。相撲は稀勢の里の横綱への成長を見ることが出来たことがとても印象に残った。内容も次第に良くなって来年が楽しみである。
ゴルフは男女とも世代交代の印象が強い気がしている。20代前半の若い選手の活躍が目立ち、その勢いが期待を抱かせてくれるものであったと思っている。しかし日本選手と、世界との間にはやはり、長期間の遠征を保つ基礎体力(パワー)不足を思わずにいられない気がしている。
TVでのスポーツ観戦は私にとって日々の生活には欠かせない時間であり、気分転換になる。ある時は勝利を共有することが出来るしある時は選手の成長をわが子のように喜び、又期待と夢を持たせてくれる。その成長は来年への期待と成果へとつながるからだ。
そんな訳で、この時期「一服」ということになるのだがこの期間が無駄になることはないのだ。それはこの時期こそが来年への「充電期間」でもあるからだ。
それは人の目には全く見えない、忘れ去られた時間に見えるが、次へと備える大事な「備え」の時間であり、「準備」の時間でもある。
私たちも選手と同じであろう。漠然と馬齢を重ねるのではなく年齢を重ねるごとに、何かを積み重ねて変化しなければならないだろう。
長い生活習慣の内に人は何かを変えたり、何かを努力したり、新しく自分自身を見直すことは出来なくなるものである。逆に次第に固まりやすくなり、頑固に自分にこだわりを持つようになり、柔軟さを失うものである。
こんな状態だからこそ己を何とかして柔軟にし、そしてすべてを優しく受け入れる寛容さを身に着け人を愛し、全てを赦すおおらかさを持ちたいものだと思う。
抵抗と自己欲に負けそうになることもある。これこそが最後に課せられた課題でもあろう。今はその時にあたり、どうあるべきかを模索している。
このシーズンオフこそその問題を検討する大事な時でもあろう。
選手も各人が一人一人自分の課題を設けて、身体の整備と来年への準備を始めていることだろうと思うが、その成果を新しい年に見ることが出来ればと楽しみにしている。