波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

パンドラ事務所  第五話  その3

2013-11-29 09:27:56 | Weblog
現役でサラリーマンをしていた頃、上司に連れられて「お前も少しはましな店を覚えておくといいよ。お客さんによっては利用することもあるから」と言われて連れてこられた店がこの辺にあったはずだ。御徒町の駅の近くで暖簾も目立たない店で時間にならないと暖簾を出さないという昔の古風を守っている店だったが、味は良かった覚えがある。
昔、同伴をしなかった罪滅ぼしも兼ねて、行ってみることにした。少し時間が過ぎていたせいもあって、店に入ることが出来た。入口のカウンダ―を抜けて奥の狭い階段を上がると8畳と4畳半の小部屋がある。昔の儘の飾り気のない部屋にテーブルが置かれているだけだ。メニューもあれこれあるわけではなく、「定食」と言うだけである。棒のように丸い形のとんかつが輪切りにされ、そこにキャベツがシンプルに添えてあるだけだが、その味は格別であり、
一味違っていた。上野の寄席に上がる芸人や有名人がお忍びで来ることもあると聞いていたが、それだけのことはありそうだ。ばたばたと食事をして近所の喫茶店で落ち着くことにした。お茶を飲みながら少し落ち着いた頃、「その後どうしてた」と聞くと「ほら、
あの頃青山さんにも話したと思うけど私お店辞めたら、自分の小さいお店を持つのが夢だったの。もうこの年ではお嫁にも行けないし誰ももらってくれないし」とここでちらっと
恨めしそうに青山を流し目で見つめる。「誰か良い人がいたんじゃなかったの、順ちゃんなら何人もいそうなもんじゃないか。」「みんな家庭もちだから、いいお客さんはいっぱいいたけど対象にはならなかったわ。」「そんなもんかね。それでどうなの」「家の近くにいい物件があってそこで小料理屋をやっているのよ。家が近いから安心なの。家族も覗いてくれるし、」「青山さんはどうしているの。奥さんが亡くなったことは知ってたけど再婚したの。」「いやあ、そう簡単にはいかないよ。あれだけ夜遊びして内儀さんを
亡くしちゃうとね。何となく自分だけと言う気持ちになれなくて、今罪滅ぼしとは言わなくても一人でいるのが、一番なんだ。何となく今頃になって内儀さんのことを思い出すことが多いんだ。特別にすることがあるわけではないが、前にいた事務所を安く契約して「よろず相談所」みたいなことをしているのさ。話を聞くのが好きでね。」「そうねの。
それで思い出したんだけど、うちに来るお客さんで最近毎日のように寄ってくれるお客さんがいるの。とても良いお客さんなんだけど、何となく訳ありなのよね。」

   思い付くままに   「読書の秋を思う」

2013-11-26 09:30:23 | Weblog
何度も言い古された言葉だが、やっぱり秋になると思い起こす。一体「本を読む」という
時間を最近の人はどの程度持っているのだろうと考えてしまう。昨今の電子機器の向上によってすべての情報を含め音楽、書籍も全てが吸収できるから、文字離れは進み、映像を中心にしたもので済まされてしまう。先日の新聞にある調査で子供を対象に視聴時間を
「見ない」から「4時間以上」まで段階別にして調べたところ長時間見た子供ほど脳の
成長が遅いということが分かったと出ていたが、大人はともかく子供の思考能力は過剰な情報を吸収することで「金属疲労」的な現象をもたらしているのではないかと心配になる。あるおばあちゃんが「私はね。隣の爺さんがこの高級TVを盗みに来ないかと心配でね、一日TVの前で番をしているのさ」と笑えない冗談を言っているのを聞いたことがあるが、高齢者は仕方がないと思う。
読書も「くせ」「習慣」的なものかもしれない。例えば推理小説や人物本などのように
読んでいるうちにどうしても結論を得たいと思う気持ちで日々ページをめくる習慣をつけてしまう。そしてそこに新しい興味と目的を見出す事が出来れば良いのだ。すると
本を読むことで自分自身の考えが生まれてくる。新しく生まれた考えは何かを想像していくことになる。本を読むたびにこの繰り返しが重なっていく。これこそが読書のメリット
ではないだろうか。日々の生活習慣が「受動態=TV」ではなく、自ら動き、自ら創り
自ら生み出すという能動態へと変わることが大事なのだと思っている。(自戒を込めて)
急に気温が下がり冷え込んできた。そして自分の肉体の弱っていることに気付かされる。しかしこの季節の変化も大切であり、「気付き」の大きなポイントである。
脳梗塞なども初期の「気付き」が最も大切で、その時の手当て次第で後に大きく違ってくるとあった。
寒い夜長の時を読書で過ごす。テーブルには温かい「ココア」が白い湯気を上げている。
傍に置いてあるCDからは好きなクラシックが流れている。
そんな映画の一シーンのような風景を想像してみるのも一興だと思うのだが?

パンドラ事務所  第五話  その2

2013-11-22 08:27:46 | Weblog
今はその面影もなくすっかりリニューワルされて近代化されている。新しいビルが林立し
新生秋葉原の感がある。そこから北へ昭和通を歩くとその道は御徒町へつながる。
ここまで来ると趣が変わり、そこここに昔ながらの宝飾店がちらほらとみられ普段見ることのできない貴重品が店先に並んでいる。こんな店がまだ商売できるとはどんなお客さんが
出入りしているのかと店先に暫く立ってみたが、出入りを見ることが出来なかった。よほど特別なお客があるのだろう。青山がこの通りを歩くことに、ことさらの目的はない。
強いて言えば昔ながら雰囲気を味わうことであり、なじみのゴルフショップや普段見られない二木のお菓子や乾物の店を楽しむことが出来るからだ。
昔ゴルフが盛んだったころ立ち寄った店で立ち止まりどんなものを売ってsいるのかと興味を持ちながら覗いていると、後ろから明るい声で「あら、青山さんじゃないの」と声をかけられた。すぐには思い出せずこんな場所で自分を知っている人間がいるはずないと
とぼけていると「順子よ」と笑っている。まじまじとよく見ると昔銀座の店で世話になったホステスさんだった女性だった。あのころに比べると着ているものも、お化粧も地味で目立たなかったが、さすがに昔の面影があり、少し際立っている。
やっと記憶が戻り、「ああ、順子さんか」と言うと、「いやだわ。もうぼけちゃったの」とけらけら笑っている。手には大きな買い物袋をぶら下げて質素だが、確かに順子だった。「偶然ね。こんなところで会うなんて、信じられないわ」「そうだね。こんなところへ何しに」と聞くと、「気晴らしよ、それにここの雰囲気が好きなの。買い物はどうでもいいんだけど」と言う。青山は急に昼飯を食べていないことに気づき、「まだ、昼飯食べてないんだけど、君食べたかい。」「まだよ。青山さんご馳走してくれるの。」
「ああ、じゃあ一緒にお昼しようか。」「いいわよ。この辺詳しいんでしょ、あの頃
ご馳走してくれなかったけど」昔のことを覚えているらしい。
その頃銀座ではお客とホステスが店に入る前に「同伴」という習慣があって食事をして
オープン時間をずらして入ることが出来ていた。青山はそんな余裕もなかったので
滅多にその要求にこたえていなかったのだ。
「確か、この向こうにおいしいとんかつやがあったのだが、今あるかな。」と口の中で
つぶやきながら歩き始めた。













思い付くままに   「秋来る」

2013-11-19 09:14:40 | Weblog
台風シーズンが終わり、猫の額ほどの我が家の庭にも秋が来た。夏の間辺りを覆うほど伸びていた枝葉やつたを切り落とし枯葉を集め来年の腐葉土の代わりにする。こんな小さな作業をしながら秋を実感するのだ。自然の気温も急に変化し、先週は寒気の襲来で気温もぐっと下がる(最高13度)こうした変化を体で感じながら日本の四季を改めて覚えることが出来るのがうれしい。世界の国々においてこれほど四季の変化を覚えられる国はそうないのではなかろうか。そしてこの変化が日本と言う国の文化と歴史を積み上げる大きな影響をもたらしていることは否めないと思う。
枯葉の片付けの終わった後、来年の春のためにいくつかの球根(水仙、チューリップ、ユリ)を植え春を待つ楽しみを持つのもこの時期良いものである。
さて、友人であり、知人でもある「術後所感」の当人が先日退院してきた。夏から秋へかけて入退院を繰り返していたが、久しぶりの帰宅である。これから以前のように交わりを再開できるかと思っていたのだが、当人から「膀胱がん」であったと言われて、大きなショックを受けることになった。腰の痛みが取れないというのも、食欲が元の通りに回復しないのも、体力が戻らないのも全てがそこにあったようだ。夏の胃がん手術も基はその
膀胱がんからの転移かも知れないと考えられる。
当人の気持ちはどれほどのものか慰めの言葉もなく、心を痛めているところだが、
人は全ていずれ「土に還る」そのことはそれぞれが覚悟しているとはいえ、いざその時を知らされ、知るときには大きな覚悟が必要であろう。それは肉体的な痛み、苦しみと共に
家族他この世との決別を意味しているからだ。
望ましいことは生まれた時と同じように死に直面しても自然体で無意識のままでこの地上での生活を終えることを願う。
その為にも日々の生活をその日を迎えるに相応しい日々とすることが大切になる。
先週、このブログで「一日一生」を座右の言葉としたいと書いたが、改めて考えさせられる所以である
また、秋は「収穫の時」ともされる。今年自分にとってどんな収穫があったろうか。
先ずは「健康」であろうか。年々弱りゆく肉体をどのように良い状態で保持するかは大きな課題である。食事、睡眠、エクササイズ、などを考えたりしながら何とか過ごしてきた。後は家族の平安であろうか。
「無事これ名馬」こそが当たっている気がいしている。

パンドラ事務所  第五話  その1

2013-11-15 10:26:57 | Weblog
若い内は周りのことに気を取られ、自分のことが全く見えていないことが多い。そこでは自分のしたことだけに夢中になり、先の事周りのことに気を配ることなどほとんどない時間を過ごしている。それが若さであり、人生であろう。それは決して悪いともいえない。
青山にもそんな時期があった。人一倍好奇心が強く、目立ちたがりと言われ何にでも首を突っ込む。そのくせ特別に人より秀でることが出来るわけでもなかった。女性に対しても同じである。自分自身には金もなく(女性と金は切り離せない。)力もない草食系であり
何の役にも立たないくせに、人一倍関心があったようだ。(女性からは女好きタイプと言われたこともある。)そんな頃、銀座も華やかで連日賑わっていた。先輩に連れて行かれたのがきっかけで、その渦の中に巻き込まれていた時期でもある。もちろん自分の力ではなく、彼を取り巻く人間関係の一人として連れて行かれることが多かったのだが、その内自分にもその権限が使えるようになるとそれを利用するようになっていた。
取り巻きの一人であれ、自分の連れであれ、そこでは全て客としての扱いで、何人かの女性が傍につき会話を楽しむことが出来た。その内、自分を担当する女性が決まり時間外での時間も持てるようになる。しかし、それらすべてが彼女にとっては「ビジネス」なのだ
自分たちが営業におけるユーザー管理の一部なのである。
そかし対応してくれる側は単なる男女関係と勘違いをすることが多い。そんな中では明確にけじめをつけて接する人とアルコールの影響もあって、その渦の中に巻き込まれ、溺れる者、苦しむものも出てくるのだ。
青山がそんな中で濁流に飲み込まれずにかろうじて生き残ったのは、彼の頭の中にその時間の中にあって一種の「罪悪感」を感じていたこととアルコールに弱い体質で(何度も急性アルコール中毒症になった)あった事であろうか。
もし、彼が普通の酒飲みであったら人生が変わっていたかもしれないと、時々その時のことを振り返ることがあり、彼はそのたびに自分が目に見えない「何か」によって、守られ
導かれていたことを知らされている。
月に一回、適当に散歩に出かける。それはいつもの昼食コースではなく、反対側のコースであった。ビルを出て右へまっすぐ歩くとほどなく「昭和通り」へでる。
それを横断すると、そこは秋葉原の中心街である。昔はここに大きな「青果市場」があり
午前中は、野菜を運ぶ手押し車やトラックで賑わっていた。

     思い付くままに  「座右の銘」

2013-11-12 09:14:48 | Weblog
人は生きていくうえでそれぞれ意識しているか、居ないかは別として生活の中で一つの
考えの中で行動していると思われる。それを明確にして文字として言葉として使われて
特に著名な人において高邁な言葉でそれを表すことになる。
しかしそれほど大げさなものではないにしても、またそのことを口にするということはないとしても人は生活の中でその中心となる考え(言葉、思想)の基に行動することで自分自身が踏ん切りをつけ、割り切る覚悟のようなものが出来ているのではないだろうか。
まして高齢になるほどにその言葉、思いは強くなっていることに気が付く。
私自身で言えば、ちょうど4年ほど前にある人から「一日一生」と言う言葉を聞いたとき
だった。最初はそれほどに思わず「それほど大げさに考えることはないのでは」又、
「それほどの思いはない」と言う程度であったが、日を追うごとにそして年を取るごとに
この言葉の重みとそのもつ意味が自分に迫って忘れられなくなった。
この頃は何をしていても、何を聞いていてもこの言葉が頭のどこかにある気がしている。
例えばある人に何かを頼まれた時、自分としては重荷であり、「断りたい」「したくない」という思いが瞬間的に起きる。そしてそれは反応的に自分の言葉や態度に出ることを知る。そんな時、「この事は自分としてはつまらないことで何の意味もないかもしれないだけどこれが私に与えられた最後のチャンスかもしれない。もう二度としたくてもできないことかもしれない。だとすれば出来る限りしておこう。それが自分の望むことではなくても」と思い直すことが出来る。そして「はい。分かりました。」と素直に言えるし、
心の中では十分なことは出来ないと思うことにつながる。
つまり一日一生と言う考え方に立てば若くても老いていても「今日は今日であり、明日はない」ということなのだ。不思議なものでそう考え方を変えるだけでその人のすべてのことが変わってくることになる。(もちろんすべてが完全にとは言えないが)
すると気持ちも平安になり、素直になり、そこには自我も変わるのである。相手を責めたり間違いを正すのではなく、それがどんなことであっても素直になれるのである。
「自分でもこんなことで役に立つことが出来るのか、また、こんなことが出来るのだ。
そして人に喜びを与えることが出来る」とどんなささやかな事でもそこに喜びと平安を覚えることが出来る、この大きな恵みを知ることが出来ると思っている。

 パンドラ事務所   第四話   その4

2013-11-08 15:09:46 | Weblog
忘れるともなく忘れつつあったとき、青山の所は分厚い手紙が届いた。今回の問題を持ち込んだ妹の方からの手紙であった。もう関係がないのに何だろうかといぶかしげに読んでみた。そこには綿々と姉との確執が書かれていた。もともと姉は両親が病気になってからもほとんど面倒を見ることなく、家にも来ることがなかった。じぶんは夜でも電話で呼び出されて看病に行くことがあったり、生活のすべてを任されて手伝ってきた。
父親の晩年は非常に苦しがって手がかかったが、それをやりぬいた。そして遺産についてもすべてをお前に任せると遺言らしきことも聞かされていた。だからこそ今回の相続についても姉と二人だけの話で自分が全ても仕切って終わろうとしていた。
その為には事業の後始末、その他生活に関する雑事を整理して処理をしたうえで、その上で説明をして処理をしようと思っていた矢先に、姉が弁護士を通じて相続を請求してきたことは妹の思いを踏みにじる信頼を裏切る行為にとれた。
そしてすべてが壊れたのである。それは今までの肉親としての関係をすべてなくしてしまうことにもなったのである。(姉はそれほどのことに考えが親ばなかった。嫁ぎ先の親や主人の意向をくんで行ったつもいであったが)青山は当初その相談を受けた時は夫婦同士で話し合いを進めていたのだが、二人だけの話を主張する妹の考えは変わらず、完全に切れたのである。その結果金銭的なものは分配され、家屋敷はいもうとへ、そして父の事業をしていた土地は姉の方へと言うことで話はついたとあった。
しかし、二人の人間関係は完全に切れて電話での話も交流も全くの断絶となった。両親の記念会の一年忌の行事も別々と言った具合である。
同じ家に育ち、世の中に立った二人しかいない姉妹の関係がこんな決裂で終わったのである。天国いる両親の思いはいかばかりであろうかとも思わずにはいられない。
そして世の無常を思わざるを得ない。こんなことが実際に起こりうるのである。
物が人間をこのように変えてしまうのである。ものが人間を差配したのである。あってはならないことが起きたともいえる。青山はこの問題を終わるにあたって他人事とは思えず肝に銘じて人生を大切に最後まで人間の誠を大切にしなければならないと考えさせられたのである。

思い付くままに   「ジキル博士とハイド氏」

2013-11-05 09:20:36 | Weblog
嘗て中世時代における罪罰の刑は「石打の刑」が公開の場で行われていたとある。
例えば姦淫のばを発見された男女はその場で広場に出され民衆の投げる石で罰せられたのである。聖書には神がその場におられて「今までに一つも悪いことをしなかったものから
石を投げよ」と言われたところ、そこに居合わせた人が一人、二人と消えていき誰も石を投げるものがいなかったとある。また「私は自分の望まない善をおこなわず望まない悪を行っている。~善を為そうとする意志はあるが、それを実行できないからです。」とある。これらの事から私は昔読んだ「ジキル博士とハイド氏」を思い出していた。
19世紀のイギリスの作家?が書いたもので今でいう解離性二重人格者をモデルにした小説であったと思うが、改めて人間を知るうえで良い教訓になると思う。
人間はどんなに高潔な人格をもち、知性と権威のある人間であっても程度の差があるとしてもジキル博士とハイド氏の二面性を持ち合わせているということである。
そしてそこから生じるこの世における様々な出来事、そしてそれに伴う言動が人間関係を壊したり、事件へと発展することにつながり日々伝えられる殺傷事件へとつながるのであろうか。そこまでいかないまでもつい自省を失い、人を言葉で傷つけてしまうことなど
無意識のうちに日常生活で避けることのできない行動としてよくあることである。大事な
ことはこの事実を避け、これを無視するのではなく、常にこのような善を為す心と罪を為す心が自分の心に共存していることを自認し、その罪の心とどこまで戦い
その戦いに打ち勝つ力を持つことが出来るようになるかであろう。
それはそれぞれがおかれた環境と努力によって行くしかないのである。
そしてそれこそが人間としても務めである。それを忘れ自我に没入するとき、その人は
ハイド氏の行動へと変身するのであろう。
台風も収まり一気に秋が深まってきた。秋と言えば毎年コスモスを楽しみにして見物に行っている。今年もそろそろ時期かと出かけた処(二か所)台風の影響が激しく、茎は横倒しになぎ倒され、花もわびしげに咲いていたが、見る影もなく愛でるというよりも痛々しく哀れであった。こんな年もあろうかと帰途に就いたが年々、来年が分からない年齢を併せ考えるといつまでかと言う思いもあった。