波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思い付くままに 「愛って何」

2013-07-29 09:42:04 | Weblog
この世に生きている限り、自分に都合の良いことばかりがあるわけではない。考えようもあると思うが、むしろ都合の悪いことばかりのほうが多いのかも知れない。
そんな世の中にあって聖書にはこの世で一番大事なこととして「それゆえ信仰、希望、愛
この三つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは愛である。」としている。
この言葉を否定する人はいないと思われるが、この最も大いなるものとされる「愛」について、この言葉の意味をどう理解するかでその意義が大きく変わることに注目したい。
人間はいつも自分中心に行動する。だからこの「愛」と言うことの理解も自分を大切にしてくれる、自分の価値を認めてくれる、自分を褒めてくれる等どこまでも自分中心になってしまうのである。
長い交わりをしている一人の女性がいるが、彼女との会話で私は一度も「ほめられる」的な事を言われたことはない。「えらいわね」「よくやっているわ」「悪いわね。」等
むしろ、自分では思いつかないよう程の皮肉や批判的な言葉がぽんぽん出てくる。「
冗談で偶には褒めてくれてもいいだろう」と言うと「あなたにそんなことを言うとすぐ図に乗るから」と素っ気ない。そんな訳で黙って聞き流しているのだが、次第に気分が悪くなることがある。「そこまで言われることはないのではないか」「そんなことを言われる
心当たりはない」お互いに長い付き合いだし、助け合い、信じあっている間であり、
「どうしてそこまで言われなければいけないか」と思ってしまう。
こんな光景はみなさんも経験されたことはあるのではないだろうか。
本当の「愛」はここで大きく意味を持ってくる。「愛は忍耐強い」と言う言葉もあるが、
愛はきれいごとで済まされたり、ロマンチックな雰囲気で包まれているというものではないということだ。むしろ「愛」は残酷さを伴うものかもしれないし、間違えば愛と考えていたことがいつの間にか「憎しみ」に変わっていても不思議ではないのだ。
だからこそ、「本当の愛」が重要であり、大事なこととして守るべきものとなり、いつまでも残るものとして教えられているのだと思う。
しかし注意しないとうっかりしてその境地にならないうちに破たんすることになりかねないのだ。日々の中で免れることのない人間関係の中にあって、いつも頭のどこかにこの本当の
「愛の厳しさ」を忘れずに自覚しておくことが大切だと改めて考えている。

パンドラ事務所  第二話 その1

2013-07-25 08:48:50 | Weblog
毎日事務所へ出かけても、訪れる人が来るわけではない。何の事務所なのか分からない人が多いせいだろう。しかし青山にはそんなことはどうでもよく気にはならなかった。
静かな事務所でのんびりと一人物思いにふけることは、彼にとってむしろ至福の時間でもあった。しかしそんな時間の中で昔の苦い思い出を思い出す時、彼も心が揺れていた。
小さい時から親の厳しい躾の中で育った事もあって、自分の好きなことが出来なかったことが多かった。社会人になって親から離れすべての束縛から解放された感じになり、自由になると、反動的にはじけた行動になった。経費も自分の差配で使えると周りから見れば
分を超えた使い方にもなり、かなり危険な枠を超えたものであったが、そんなことはお構いなしであった
昼夜の仕事をしていく中で自分の小さな環境から次第に広い世界へと広がっていく中で人とのつながりも増え、歩く範囲も広がって日本中を飛びまわるようになるといつの間にか
自信過剰になって周りが見えなくなっていた。定時はあってもないようなもので、付き合いと称して、好奇心に駆られて知らない世界をのぞき見るように夜の時間を過ごしていた。そこには何の弁えも制限も忘れ行動したのである。
有頂天になった状況の中で業務も順調に伸びていたのだが、その最中に大きな犠牲を払う事件が起きた。思ってもみなかった家庭崩壊である。それは妻の突然の発作から始まった。病名は検査の結果「若年アルツハイマー」と診断された。
想像もつかない病気であり、何をどうしたらよいかもわからず治療の方法もなく、家庭での介護しかない。子供たちは学生であったが、どのように生活を今までのように維持するか途方に暮れたのだ。青山は日ごろの自分を顧みてまさに大きな鉄槌を下された思いであり、この試練と立ち向かうことになったのだ。
ヘルパー(派出婦)さんの協力の得ながら、何とか切り抜けて子供たちの面倒を見ながら介護を続けた。妻は次第に機能が落ちていく状態ながら頑張っていた。
こうして時間が過ぎていった。青山は定年前に「辞職願」を提出、そして退職を決意した。せめて残された時間を妻との時間として、今までの償いを兼ねて少しでも、回復を願いながら二人で過ごそうと決心したからであった。
思えば自分に与えられたこの人生を大切に、そして自分らしくどう生きるかを考えたいと思ったからでもあった。

   思い付くままに   「転身」

2013-07-22 10:18:43 | Weblog
若いころ、ともに仕事をした仲間が何人かいた。その一人一人は特別に選ばれた採用試験を受けたわけでもなく、それぞれの事情で集まっていた。(各人にその経緯があるが、
ここでは省略)従って採用試験があるわけでもなく、エリートでもなかったが各人が個性のある人物であった。その一人に秋田から集団就職で上京して電気店で働いていた青年がいた。手に技術を身に着けてと言う思いであったが、ある事情で私と一緒に仕事をすることになった。ずぶの素人で何が出来るかと思っていたが、やがて仕事を覚えると一人で営業活動を身に着けて、めきめき頭角を現し、お客さんの信用を得て実力を発揮し始めていた。勿論人付き合いも良く何を言われてもいやと言わずに付き合い評判は良かった。
(その頃、酒、麻雀などの遊びが盛んであった)そうした日が続いていたが、その彼が
ある日、突然「変身」(転身)したのである。
「これからは、賭け事、酒は一切いたしません。仕事上でも嘘は絶対つきません」と宣言したのである。そして社内、外を問わずその信念を通すようになったのである。
勿論、日常の勤務時間はちゃんと守り通常の業務はするのだが、今までのような人間同士の付き合いはしなくなり、定時になるとまっすぐ帰宅する毎日になった。
表面上は今までと変わらないが、何となくともに仕事をしながらも話をしにくくなり、当惑しながら心を痛めていたところ、数か月したころ、「辞職願」が出され、会社を辞めていった。その後の彼の消息は不明だが、ある宗教団体の幹部として立派な仕事をしているとの風の便りだった。
人間の一生には色々なことが起きるのだがどう変わるか、それはその人にしか分からない
運命があって、自分でもわからないままに変わっていくものである事を知った。
考えてみると彼が信用を得て人気があったことは、彼の人間性に純粋さが見られたこと、
誠実であり、正直であったことに起因していたのであろう。
それは他にたんに迎合するのではなく、立派な信念に基づくものであったのかもしれない。そしてそれは彼の存在が会社と言う環境ではなく、彼に相応しい場所を選ばしたのかもしれない。そして彼は自分らしく生きる道に気づき、見出し、それがいばらの道であっても、自分の道であることを自覚して選んだのだと思う。
彼は自分の選んだ道が苦につながろうとも、それを喜びに変えることが出来たのである。
そんなことを考えると人間は不思議な存在であり、人には理解できない奇跡のようなことはしばしば起こることだと思う。

  パンドラ事務所  第一話 其の5

2013-07-18 09:27:40 | Weblog
青山の調査は終わった。元来本来の仕事ではない。むしろ趣味に近い。もっと言えば好奇心かもしれない。サラリーマンとしての世界しか見てこなかったこともあり、残された時間の中でどんな人がどんな時間を過ごしているのか、少しでも見てみたいという思いと
僅かながらもその人が負っている重荷をともに担うことでその人の負担が少しでも軽くなってくれればと言うささやかな願いでもあった。もしそれが充分でなくても何かできたことで満足が出来る気がしていた。
頼まれた老婆の連絡先へ電話をすると「月曜日に来てくれますか」と言う。「来週の月曜日の10時に駅前の喫茶店のラナイと言う店で待っています。」「わかりました。伺いますのでよろしくお願いします。」何しろあまり外出もしない老婆のことである。予定通り会えるとも思えなかったが、その時は出直しても良いとあまり気にしなかった。
その日少し雨のぱらつくお天気だったが、青山は出かけた。秋葉原からの「つくば新線」は快適である。新しいせいもあって雰囲気がほかの電車と違う。
店は開店早々とあって誰もいない。青山は店長を見つけると「おはよう」と声をかける。
「いらっしゃい。今日は早いですね。」と驚いている。「デイトなんでね。時間を守らないと」と「早すぎませんか」とマジに受けている。少し遅れて老婆がやってくる。店に入りきょろきょろしているので、「ここですよ」と手招きをすると、ほっとしたような様子でやってきた。
コーヒーを頼んで、少し落ち着いたところで青山は話し始めた。「タクシーの仕事は
楽ではなかったようですね。時間もあってないようなところがあり、売り上げも会社と違って毎月きちんと決まった額で計算が出来ない、最近は景気が悪くてお客さんの利用も落ちていたようですよ。」「じゃあ、やっぱり先が見えたから辞めたいというのは子供を抱えて食べていけないということだったんですけね。」「いやあ、それもあるかもしれないけど、それよりもご無沙汰していたおふくろさんが恋しくなったじゃあないですか。兄貴がおふくろの面倒を見ていると思っていたんだろうけど、一緒に暮らしているわけじゃあないから、弟さんは小さい時はどんな子供さんでしたか」
「お兄ちゃんよりは優しいところがあったね。父親がいないこともあって甘えっこだったような気がする。」「そうでしょう。そんな息子さんがおふくろさんが恋しくなって
甘えたくなったんですよ。」青山はそんな話の中で老婆が何となくほっとした顔になっていくのを見ていた。そして店を出た。

思い付くままに  「自由って何なんの」

2013-07-15 09:39:41 | Weblog
私たちはよく「自由って何なの」とか、「自由がほしい」とか言ったり、思ったりする。
又「自由とは」と言うスローガンで議論をしたり討論が行われ、いろいろな自由論が生まれる。しかし冷静に考えてこの言葉の本当の意味を知ろうとして或いは理解しようとして言ったり求めているのだろうか、この言葉の真実をしっかりわかっている人がどれくらいいるのだろうかと思ってしまう。家族であっても、親は子供に気を使うことが多く子供はそんな親の都合などを気にしないで自分がほしいものを要求し、それが満たされないと不満を持つだけである。第一、現在の世の中でそんなに不自由さなどあるのだろうか。?
そこには各々の持たなければいけない「弁え」というものがなく、ただ自分勝手な「自由
」と言う言葉だけが独り歩きをしている。だから言い換えれば「自由」は「我儘」「自己中心」という言葉に置き換わって独り歩きしてそれが正義であると主張されるようになっている気がしてならない。
アダムとイブの話は有名だが、これは神から自由を与えられた人間の話である。楽園にいる間何をしても許される自由があった。しかし、神との間に一つだけ約束があった。
それは「知恵の木」と言われている木の実だけは食べてはいけないということであった。
しかし蛇(悪魔)にそそのかされた二人はその実を食べてしまったために楽園を追われ地上での苦難の生活を強いられることになったと言われている。
つまり自由とは「自分勝手」なことをして自分の思い通りの行動することではなく正しい決まりを守ってお互いに仕えあう、助け合う生活をすることだと教えていると思います。しかし世の中は豊かになればなるほど自分だけの欲望が膨らみ大きくなっているのに気づかないのです。そして周囲の人が持っているもの、備えているものが同じように欲しくなり、
それを止めることが出来ません。
そしてそれが叶えられないとなると、そこには「自由がない」と叫ぶことになるのです。
しかし、本当の自由は「不自由」さを覚悟することでもあることを知らなければならないと思うのです。そしてその「不自由」さを克服することが出来た時、初めて本当の「自由」と言うものを知ることが出来るのではないでしょうか。
そこには様々な心の葛藤もあることでしょう。人を羨んだり、自分の気持ちが落ち込んで
劣等感に負けて、あきらめと絶望の境地になることもあると思います
挫折、失敗などの繰り返しもあるでしょう。しかし本当の自由を得るためにはそのような
重荷を負うことも必要なのです。そしてこの世的な苦しみの中でお互いに愛し合い、助け合う戦いを続けていくことを覚えたいと思ています。

パンドラ事務所  第一話ーその四

2013-07-11 09:41:56 | Weblog
青山は車に詳しい友人を訪ねてメモしてきた車の特徴を告げて調べてもらうことにした。
車の所有者と履歴は明らかになった。しかしそれで彼がタクシーを辞める理由がわかったわけではない。個人タクシーの業界も縄張りのようなものがあって、各人が走る場所、時間があるようである。青山は嘗て彼が走っていた地域や時間を調べて、同業の運転手から
彼の事を知っている人を探すことにした。それほど広くない中で彼のことを知っている運転手を見つけることが出来た。「そういえば最近見なくなったなあ。病気でもしているのか、シマを変えたかなとあまり気にしていなかったけど」という。「彼と話したことありますか。」「あるよ。休憩するときなんか、自然と同じようなところへ車を止めるので自然としゃべるようになるんだ。公園のパーキングで休んでいると良く昼寝をしていたけど声をかけるとさっぱり客が付かないとぼやいていたよ。俺たち年寄りと違ってアパート暮らしで子供もいるんじゃあ楽じゃなかったんじゃなかったと思うよ。普通の稼ぎじゃあ苦しくてやっていけないと思っていたけど」確かに個人営業のタクシーは平均して年齢も高い人が多く、自前の家もあってそれなりの生活を保障されて仕事をしている人が多いことは分かっていた。その場合は時間も余裕を持ちながら危険を避けながら無理をしないで
仕事を続けることが出来る。だから適当な売りが立てば帰宅してしまうことが多い。
青山は話を聞きながら彼の辞めるきっかけになった理由の一つがわかった気がした。
どんなに倹約しても娘と二人でアパートでの生活は楽ではなかったろう。彼が一〇年以上続けながら将来を心配したことは無理もないことのようであった。
然しそれだけだったろうか。青山は何人かの運転手の話を聞きながら一つの疑問がわいてきた。「彼、自分にはもうこの仕事が嫌になったから辞めるかもしれないと言ってたから、何かあったのかと聞いたらはっきり言わなかったけど、何かやばいことでもあったんじゃないかと思ったんだがね。」「何か言ってましたか」「いや、何も言わなかったけどね。接触事故をやったらしいんだ。相手が悪かったのか、因縁つけられて嫌がらせを受けて
踏み倒されたんじゃないかな。」「そんなことがあったんですか。」「詳しいことは話さないから分からないけど後のことが心配になったんじゃあないかな」
もしそんなことがあったとすれば、トラウマになっているだろうし、東京を離れて遠くへ行きたいとも思うだろう。経済的な負担を考えれば、親の所が安全であることは間違いない。

   思い付くままに  「術後所感」

2013-07-08 09:38:13 | Weblog
「もういいよ」かくれんぼの言葉じゃないが、そんなメールをもらって友人の術後見舞いに病院を訪ねた。ちょうど一週間を経過、順調な回復途上で、その日はのどの管もやっと抜いてもらい、声も出るようになっていた。ただ長い間管を入れていた影響で声帯を痛め
声が前のようにスムーズには出ない。「無事に終わって良かったですね」とねぎらうと
「自慢の声がやられちゃってちょっと残念だよ」と冗談を言いながら笑っている。
手術は予想していたより長く、朝の8時から夕方の4時ごろまで約8時間を要した。取り出された部位も想像していたより大きかったようである。部位の所に使ったホッチギスを
取り出すために切開した傷口が痛むと言いながら、腕からの点滴をぶら下げている。
その少しやつれた様子を見ながら、果たして80歳を過ぎての「胃がん手術」は成功と言えるのかと改めて考えさせられた。一般的にはセカンドオピニオンを受けて行うことが多く、その是非については意見の分かれるところと聞いている。
私の知人で「肺がん」を告知された人がいたが、彼の場合は(状況も異なるが、)手術は無理と言われて治療から外され、結局は放射線照射治療だけしかできなかった。そして一時はよくなったが、長く持たず亡くなった。
その意味では80歳の手術は何によらず、分岐点的な判断が加わることになる。男子の
平均年齢から考えても手術による寿命の延命としてどれだけの時間が考えらえるのだろうかと言うことを考えると病気の進行と寿命とが一致する場合も考えられる。
だとすれば手術をしてもしなくても同じになることも考えられる。(他の要因によることも考慮)これは人知を超えた世界の領域であり、断定は誰にもできないことである。
自分ならどうするだろうかと考えさせられながら、あまり長居もできなくて別れたが、
相当の体力消耗であり、回復には時間がかかることだろう。
別れ際に誰もいなくなって二人だけで「結局は良かったかどうかはわからないんだよ。ただ安心料としては不安のままよりは良かったと思っているがね」といった言葉がその本音の部分かなと考えさせられた。
人はみな何れこんな時を迎えることになる。がしかし、大事なことはどんな状況になっても平安な気持ちでその時が迎えられるよう、その覚悟と訓練は必要かもしれない。
その為にどうするか、それぞれに与えられた大きな任務である。

パンドラ事務所  第一話  其の3

2013-07-04 09:47:19 | Weblog
青山は訪ねてきた老婆の連絡先からその住所を調べた。どうやらその場所は千葉を越した茨城に入ったところらしい。駅は「つくば新線」の沿線である。秋葉原から一時間ほどの所である。始めて乗る沿線の車窓から見える景色は新鮮であり、ちょうど田植えが終わったばかりの田んぼは青々と美しくその水面が目に眩しかった。駅を降りてぶらぶらと歩いていると川の土手に出る。土手の両側には植えられた桜並木が続いていて花見の頃の賑わいを思わせて想像をそそられる。並木が終わり駅から2,3キロも歩いただろうか、
2,3軒の家並みが見えたところに理容所が見えた。どうやらここらしい。
近づいて誰かいるかと店をのぞいてみたが店は暗く誰もいない。きっと客のいないときは
奥の部屋で自分のことをしながら待機しているのだろう。青山は店の周りをぶらっと歩いてみた。すると裏の物置の隣にこの辺りにはふさわしくない高級車が一台ぽつんと置いてあった。確かに車載ナンバーははずしてあり、どこの車で、誰のものかは分からない状態である。分かる範囲で車についてメモを取り、そのまま駅前まで引き返した。
久しぶりに歩いたので程よく汗をかき、のども乾いていた。気分の良い店でコーヒーでもと思い歩いていると、「カフェラナイ」と言う看板が目に付いた。
何気なく自動ドアを押して店に入ると、一瞬あれっと思わされた。喫茶店と言うよりも
少し小ぶりな美術店のような雰囲気なのだ。テーブルは並んでいるが、その周りの壁と言う壁には隙間なく額が並んでいる。ひとつひとつに目をとめてみると、そこには季節の押し花が見事に張られており、美しくきらびやかに店内を構成している。
又、棚の上には世界のブランドと言われる「飾り皿」が並んでいて、東京でもめったにお目にかかれないものばかりである。青山は田舎の駅前の喫茶店と言うことを忘れて、呆然としていた。「ブルマン」と言ってからやっと落ち着いた感じだった。
暫くして出てきた男性に「店長さんですか。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」というと、オーナーだと言う。「いやあ、さっきから驚いているんだけど、この額の作品はどなたが作られたのですか。」「ああ、これですか。母の趣味なんですよ」と何事もなかったように言う。「ああ、そうなの」とは言ったもののこれは只者ではないと思っていた。
たぶん、この世界では著名な作家?先生だと思われたし、趣味とは言えないレベルの高い素人離れしたものである。しかし、そこには何の銘も入っていないのが、奥ゆかしかった。

思い付くままに  「いつも喜びなさい。」

2013-07-01 10:25:20 | Weblog
獄中に長い間おかれ、そのまま殉教したと言われているパウロと言う人の言葉として
残されている。私はこの言葉を聞くたびにどうしても納得できない違和感を感じてしまう。それは獄中にあって何を考え、何を思ってこのようなことを訴え続けるのか、その
ギャップの違いに戸惑うからである。
この世にあって人生を細々と過ごしている中で「喜び」を求めることは当然であり、
多くの人が願い求めていることであろう。それは自分が家族が望んでいることが叶うことであり、自分の求めていることが備えられるということになり、全てが満足につながり
心に平安を得られることにつながることだからである。然し現実にはすべてがかなえられ
備わることはありえないのであり、(仮に備わったと思ったとしても、さらに新しい望みが出てくる)そのことは各人が十分理解していることでもある。
むしろ現実は「真逆」と思っても良いかもしれない。
パウロの置かれた環境からすれば全く不自由な、およそ「喜び」とは全く無縁な状況におかれている中で言っているのは何故なのか。確かに普段の生活において「喜び」につながることがないわけではない。誕生、入学、卒業、就職、旅行、遊びなど、人生の節目、節目には必ず、この様な時が与えられているし、その他にも病気からの快癒、けがの回復、
家族との団らん、友人との交遊など、気づかないでいるがたくさんある。
まして一日を静かに振り返れば、「小さな幸せ、喜びの発見」は容易に見つかるはずである。しかし人は何故か自分の置かれている状態を不幸、不運と思いがちであり、自分だけがと考え、人がみな幸せに見えてしまう。「隣の芝は青い」の心理であろうか。
そこに満足感が得られず、それはストレスとなって膨張していくのである。
それは仮に生活が改善され、満足できたかに見えても更なる願望とともに不平、不満に変わっていくのである。とすればこの問題は永久に解決することはないのかもしれない。
パウロの生涯は本人の言葉で聞けば、私たちの考える「喜び」と言えることは全くなかったといっても良いだろう。(AD60年頃)鞭打ち、難船、、盗難、など数えられず、最後は獄中にある。(法的な罪はない)
その中にあって彼は「喜びなさい」と叫んでいるのです。
私たちがこの世に生かされていることの幸せが、どこからきて何を望むべきか、その考え方、望み方を変えるだけで不幸は幸せに変えることが出来ることを教えているのです。
もし、それが出来ていなければ、その人はその努力がまだ不足しているのでしょう。
お互いに今、置かれている自分がどんなに幸せであり、このことを感謝と喜びに変えることに気づきたいものである。