波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

「誕生日」

2020-01-27 15:12:52 | Weblog
昨日85歳の誕生日を迎えた。日本の男児の平均年齢が82歳ぐらいといわれているとすればそれをクリアーしたことになる。嘗て心臓検査を受けたときに肉体年齢で3年から5年くらい若いといわれたことがあるので実質的には少し若いのかもしれない。然しそうはいっても晩節を迎えたことには変わりない。
そんなことを考えながら自分の生涯を振り返るとよくぞ長命で今日まで生きてきたなともおもえる。母から聞いた話も合わせると生まれてから今日まで度々生命の危機にあっているのだ。幼児期に「大腸カタル」で医師に見放され「今晩が山です」と言われ。5歳の時に3階の物干し台から裏の路地裏へ落下し意識不明で数時間の意識不明があり、長じて80歳の時に意識不明になり、会堂内で倒れ救急車で病院へ行き、途中で意識が戻ったこともある。(10分間意識不明)そのほか運転中にめまい発作が起きて
運転事故を起こしそうになったこともある。そのほかにも自覚がなくても危険状況にあったことは数あったことを合わせれば、おそらく私の人生の終わりはすでに何回かあったのではないかと考えられる。それは人間の力では到底計ることのできない運命のゆえであろうか。そんな自分がこの世に生かされ85年の歳月をすごしえたことは生かされている使命が残っていることを思わざるを得ない。今年も健康に注意して残された勤めをしっかりと果したいと思っている。
幸い高齢者(シルバー人材センター)の仕事を与えられて及ばずながら少しづつお役に立つことができていることはとてもうれしく又意欲も出て感謝である。
出来れば元気なうちに自分史を何らかの形で、書いてみたいとも思い始めている。何回か書き始めたことはあるのだが、まだ早いというか、書きながら途中で意欲が薄れてやめてしまった。しかし今年からそろそろぐログ上で少しづつ何気なく書いてみたいとも思う。できれば創作的にかければ面白いのだが。
(自分のことは正直なかなか書きにくいものである)
誕生日は娘が来てささやかな祝いのケーキを頂いたが、「めでたくもあり、めでたくもなし」というところか。

「真冬の一日」

2020-01-20 10:01:13 | Weblog
季節の上ではいまごろが一番寒い日であろう。そう思いながら昨年の日記を取り出し天候を見てみると最高気温が10度を超えている日が少なく殆どない。今年はというとお天気の良い日だと10度を超える日(12~13)の日が続いている。考えようにはやはり温暖化が進んでいるのではと考えながら窓から差し込む温かい日差しを気持ちよく受けながら机に向かっている。そばには昨年クリスマスにこど面たちにもらったプレゼントのパンジーの鉢植えが」元気に咲いている。今年は何かで覚えた砂糖水をかけるようにしているが、この効果があるのか、不思議に元気で花のつぼみがいくつかついて元気がよい。(本来ならしおれている)効果がありそうで楽しみである。こんな小さなものでも毎日ともに過ごしていると
可愛さが出て朝起きると声をかけたくなるのも不思議な思いで長生きさせてあげたいと思っている。
そんな冬の毎日では外出もままならず部屋に閉じこもりがちなのだが、今年も一月が半ばを過ぎてしまった。昨年に比してかけがえのない日々をどのように過ごすかと考えていたが、今年は久しぶりに「読書」に目標を決めようと思っている。嘗て運転ができているときは図書館へ行き数ある本の中でいろいろな本を読むのを日課にしていた時期があったが、足がなくなるとそれもなくなり、同時に本を読むこともやめていたのだ。
久しぶりに今年は念頭から読書を始めた。一か月に二冊、一年で20冊を目標にしている。一日の読書時間も前ほど長く取れなくなり視力の衰えを感じるがそれだけ少し文字を深く味わうことができている気がしている。
これも年の功と思いながら読みながらその文字から感じる思いを大事にしながら読んでいる。
嘗ては梅、他その時期の花を追いかけて楽しんでいたものだが、それも卒業である。しかしその時その時に与えられる勤めを示される。この示しを大事にしながらその日その日を無駄にしないようにこの冬も過ごしていきたいと願っている。

「小さな村物語」

2020-01-13 09:44:04 | Weblog
毎日の日課で欠かせないのは「頭安め」のテレビである。その番組をどう選ぶかはその日の内容によって変わるのだが、欠かせなくなって毎週楽しみにしている番組がある。それは「小さな村物語」というドキュメントだ。イタリヤの郊外にある小さな農村にすむ人の中から、二人の人を選びその人の生活を紹介しながらその人の人生を赤裸々に映していく。そこに出てくる人は牛飼いの略農家であったり、石工工であったり、レストラン経営であったり、様々であるが、共通しているのはすべてが手作りの自前のものばかりで特別な材料での作品ではない。すべてが手作りであり、工夫されたものであることそしてそれを楽しむのは家族を中心にした村の人であること。何より大切にしていることはすべてを家族と村人とに共有していることだ。都会らしききらびやかさは全くなく、段々畑や坂道の多い不便なところで人生を楽しんでいる様子を見ているとこれが本当の人生のあり姿なのだなとほのぼのと心が温かくなるのだ。その中で一人の老人が紹介された。彼は著名な翻訳家であるが、70歳で田舎へ帰りパソコンで一人で仕事をしながら暮らしている。彼の人生訓は「勇気、愛情そして共有」と書いてあったが、まさにこの言葉に人生の魂が込められている気がした。ここに書かれている言葉の一つ一つが私の心に深く突き刺さる。
毎年少しづつ年賀状で知らされる友人、知人を失いながら人生を歩みながら、その中にあって勇気と愛情を失わず、それを共有することの大事さを改めて教えられてうれしい。北イタリヤの女性には美人が多いと昔先輩から聞かされてつい気にしながらテレビを見ているが、それらしき女性を見当たらないのは何故なのか。

「2020年の幕開け」

2020-01-06 09:48:07 | Weblog
今年も「一人正月」を静かに迎える。娘の作ってくれたおせちを頂きお雑煮を食べると何となくお正月気分になる。昔味わっていたわくわく感はないが健康を保ちながら新しい年を迎えることができたことを感謝したいと思う。
扨て今年はどんな年になるのだろうか。思いつくままに昨年からの現実を踏まえて考えてみたい。日本の置かれた世界の位置づけも年々変わりつつある。そのピークとして今年はオリンピックを迎える。世界が注目し世界が日本を見ている。この事実は重要であり、その影響もまた大きい。そんな中、いま日本を取り巻く近隣諸国では大きな問題を抱え、危険をはらんでいる。香港のデモは今年も継続してどんな結末になるのか、台湾の選挙はどんな結果になって、どんな位置づけになるのか、中国はこれらの問題をどのように監視し自国の力を発揮するのか、中東の問題もアメリカは関心を持ってどんな対応をするのか、世界の各国が様々な問題を抱えて、いつどんな問題が発生するかわからない。そしてそれらは他山の石ではなく日本への影響が少なからずあることを覚悟しておかなければならないだろう。
そんな環境の中での日本の役割を静かに見守りたい。そして今年も自然災害の影響を考えざるを得ない。その影響も年々変化し温暖化による関東地方への影響をどんな対策で最小限にとどめられるか、犠牲者の出ないことを祈らざるを得ない。
そんなことを考えながら自らを振り返ると何も変わってないことを反省する。やはりこの機会に脱皮して新しい自分を見直していきたい。
昨年と違う自分になることを考えたい。それにはすべて自分自身である。何を考え何をするか、何ができるか、健康を維持して無理をせず、少しでも何らかの形で前進できることを考えたい。そして一年を振り返るとき、悔いのない思い出と自己満足があってもよいと思っている。
50年ぶりのオリンピックを迎えるこの年はそれぞれに良い思い出の年になると思うが、そのあとのことも考えておくことも大切だと思う。
4千万人を超える外国人を迎えるとされるが、この世界のお客様のもてなしと対応は大きな課題を残すことだろう。おそらく予測できない問題も起こることだろうと思う。それらを含めてしっかりと日本らしい対応で今年を乗り切りたいと思うところだ。