波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

      思いつくままに   「脱出」    

2017-12-29 10:14:07 | Weblog
年末だからと言って特別の感慨はない。唯一つの区切りとして(ゲームで1セットが終わるように)その年を総括するのも悪くないと思っている。今年はアメリカの新大統領のスタートから始まって大相撲の問題で終わることになった。(未解決?)北朝鮮の核実験では今年一年振り回された気がする。災害、事故、もなくならないことも心が痛むがそれぞれに注意をしなければと思う。そんな一年で私的にはどんな年であったろうか。相振り返るとある物語を思い出した。
嘗てエジプトにファラオと呼ばれる王がいた。この王は絶対君主で国の民と奴隷を思うままにしていた。嘗て奴隷の子であり、イスラエルの民の一人だった王子(モーセ)はある事件をきっかけに目覚め、奴隷の民を引き連れて脱出を試みた。しかしそのことを知ったファラオは多くの軍勢で追いかけて紅海の海に追い詰めた。もはや奴隷の民は彼らによって捕縛されると思ったとき「海」は道となり、ファラオの軍勢が海は元の荒海となり全滅したと言われている。「出エジプト」今年は一言で言えば「苦難」の年であり、「試練」の年といえるだろう。人生においては
さまざまな環境の中で生きていくのだが、まさに追い詰められた年であったと改めて思う。
しかし、その状態に置かれて奴隷の身であり続けるかと覚悟しながらの日々であったが、そこから海は割れ道が与えられたのである。苦しいながらもその示された道を今歩き始めている。
しかし十分な備えが与えられたわけではない。まだまだ苦難は続く。しかしイスラエルのカナンの地への望みがある。その地への道と備えが与えられたのである。
希望を持ってその理想の地への旅を続けなければならない。しかし危機は脱出した。ファラオの圧制は逃れたのである。これからは自由な自らの意思で努力してその理想の国への歩みを始めるのみである。
そして是までのときを感謝する年でもあると改めて思わされている。

     足跡     「何事にも時がある」       

2017-12-26 11:09:56 | Weblog
今年もまもなく終わるときが来た。総選挙から始まってその折々に問題が起きて、ワイドショーは今年も一年話題に欠けることもなく、連日視聴者の関心を呼ぶようにさまざまな形で私たちの興味を誘ってきた。(良く是だけ話題がおきるものだとつくづく思うことがある。テーマに困ることがある時があってもよいのではと思うときがあったが、不思議なくらいにつづいた
しかし、私たちの人生にはそれぞれに「時と災難が全ての人に臨む」ことはには変わりない。
その時は人が好むと好まざるとを選ばず「偶然」とも思われる時である。だから私たちは自分の意思を自分で選んで決めたり、行っているようでもそれは永遠から見れば。それらを超えた形で起こるのである。従って全てに納得いくことはなく、ある時は「自分でまいた種を刈り取る
」様な場合もあるのである。
私たちはそんな「時」と「災難」にあう人生を過ごしているのである。毎日起きる出来事も計画され、準備されて起きたものではなく、それぞれの人生の中で事故の偶然の中でおきてその問題の中におかれていることを知るのだ。
毎日起きる問題を見るにつけて、それらは思わぬ方向へと進展することもあるし波及することもある。そして其処では悲喜こもごもの人生模様がおきて、ショー化するのであろう。
全ての出来事、全ての行為には定められた「時」があることを知っておかなくてはならないと考えている。
そのためには日々おきる事柄に一喜一憂せず、そのまま自然体で受け止め、望みのときであり、偶然の喜びにあうときまで、待つことを知らなければならない。

足跡   「高齢者とは」

2017-12-22 09:44:20 | Weblog
今年もまもなく終わろうとしている。総選挙に始まり、政局の落ち着きと共に外交の成果もあり、日本の存在も安定期にはいりつつある矢に見える。国内のさまざまな問題も絶えないが総体的には良い年であったと思いたい。特に海外からの来訪者が年々増えて日本のよさがいろいろな形で世界へと拡大しつつあることは喜ばしいことで、オリンピックへの道筋と共にこの路線を大切にしたいものと望んでいる。そんな中にあって年々年を重ね衰えていく自らを省みて、今年を省みてみると、正直十分な日々であったとはいえないものを覚える。
80歳を過ぎて未知の世界へ足を踏み入れ日々どのように毎日を過ごしたらよいか戸惑うことばかりであった。まずは健康管理である。「今日は大丈夫か?」から始まり、少しの体調の変化にもおびえながら過ごしていると、毎日の計画も自信が持てない。年齢の抵抗を感じていた。しかし次第に年齢に対する考え方を理解することを考えるようになった。「今の状態を自然体で受け入れ、無理をせず、出来るだけ身の丈にあった生活管理をする。今まで出来たことが出来なくてもそれを受け入れて休むことも大事である。そして「お金に執着しない。」正直必要な家計が保たれれば十分であるし、それ以上の衣、食、住の必要を求めないことも大事であろう。
そして最後に大事なことは「家族との関係を重視しない」ことも大事になってkる。
家族の全てに責任と交わりにこだわりがあったが、それらを少しづつ疎遠な形に置き換えていくことも大事な役目なのである。こうして年々身の回りの重荷を下ろしつつ身軽になることが
高齢者の大事な仕事かもしれないと気づき始めている。
来年のことは何も分からない。何をするか、何が出来るか、何が起きるか。すべては白紙である。そして毎日が「恵みの日」として受け入れて、その日を感謝して出来ること、したいことを与えられて迎えたいと思っている。

足跡    「初めてのサンタクロース」

2017-12-19 10:44:42 | Weblog
クリスマスのシーズンがやってきた。海外ではキリスト教徒を中心に全世界でこの日をキリストの誕生と共に祝うのだが、仏教国の日本ではお祭りの一日としての意味しかない。従ってこの日を何かにかこつけて遊びやプレゼントの交換に利するだけで、普段と変わらないことになる。
私は生まれたときから洗礼を受けたこともあり、クリスマスは特別な日として育った。
物心がついたときから日曜学校へ父に連れられていっていた。クリスマスは意味が分からなくても楽しく、待ち望んでいた否であった。それは「サンタクロース」が来てくれることであり、
プレゼントがもらえると言うことであった。
10歳になった頃、その前夜(クリスマスイブ)になると母は「今日は私の家にもサンタさんが来てくれることになっているのよ。だから寝る前にたんすに長い靴下をかけて寝なさい。そこにサンタさんがプレゼントを入れてくれるわ。」と聞かされていた。何も疑うことの知らない無邪気な頃で、自分はどうしてもサンタさんに会うことをねがい、「今日は寝ないで待っているよ」と母に駄々をこねると「サンタさんは忙しくて、何時になるか分からないの。だからまってもむだよ。」と言われていつの間にか待ちくたびれて眠ってしまっていた。
クリスマスの日の朝、無意識に起きるとすぐたんすをみると、其処には大きなプレゼントが確かにおいてあった。日ごろほしかったおもちゃが中に入っており、どんなにうれしくそのプレゼントを楽しんだことだろう。そしてそのプレゼントには一通の手紙が入っていて最後に「サンタクロースより」と名前が書いてあった。
そんなクリスマスが数年あったが、そのうちそのサンタが母の手紙であることに気づき両親の愛を改めて知った思い出がある。
今年もクリスマスがやってきた。まもなく神の元へ召される日が近いことを思いながら70年も前のクリスマスイブを忘れられない、(むしろ鮮明に)思い返す今日この頃である。

思いつくままに   「海外の思い出ー③」

2017-12-15 10:47:18 | Weblog
世界で一番大きな影響を与える国としてアメリカがある。私は在社中に何とか一度訪問する機会が出来ないかと考えていた。それにはアメリカの市場に自社製品を売り込むことでチャンスを作ることだと思い、ある商社の人と売込みを図った。幸い当社の製品が採用され僅かながらユーザーを作ることが出来た。そして同業のメーカーとも交わりを持つことが出来た。そんな事がきっかけであるときアメリカを訪問する機会が出来た。しかし50州からなる広大な国である。北から南では中国同様に簡単ではない。私が訪ねたのはオハイオ州のシカゴである。成田から焼く12時間の旅であった。幸いビジネスクラスを使用できたので長時間も快適なたびで快適に過ごすことが出来たが、エコノミーだったらよほど若くて元気な人でないと疲労困憊になるかもしれない。忘れられないのは玄関口とされるオヘヤくうこうである。ローカル空港への移動にそのロータリーを500メートルぐらい歩くのはざらでその広さと大きさには驚きであった。
(今でもはっきり記憶がある。)地方のローカル空港に着くと小さなロッジのようなホテルで一泊し其処から車で事務所まで行くのだが、そこはどこを見渡してもとうもろこし畑のほかには何もなく、見渡す限り畑だけであった。工場の一角に住宅がぽつんぽつんと建っているのが見えて
人が住んでいることが分かる。やはりアメリカは広い。ちまちました雰囲気ではなくまさに広く大きいと言う印象である。帰途シカゴでも一泊したが、この町は独特の野雰囲気があり、嘗て昔ギャング映画のメッカとして有名にもなったが、独特のどこかくらい雰囲気の漂う町であった覚えがある。小さいゴルフ場でのプレーも出来たが、全てが大雑把であまり小さいことにはこだわらないのが、特長であろうか。客先の社長に「趣味は?」と聞いたら「ハンテング」だと言う。
冬になると山へ大鹿の狩りに出かけることと、車を集めることだと言う。日本とのスケールの違いをまざまざと思わせられた別世界の話であった。

      足跡      「一番難しい言葉」          

2017-12-12 10:17:49 | Weblog
人間関係の中で一番注意しておかなければいけないことは、「言葉使い」ではないかと最近つくづく思わされている。今TVでも新聞でも騒がれている大相撲問題も例外ではないと思う。生きている限りその関係は家族であっても他人であっても、この言葉使いで一度にその信頼関係が崩れることもあり、壊れることもある。当然感情問題への影響も少なくはない。
さすればそのリスクは寡黙な人ほど少ないのだが、私のようにおしゃべりは「言わなくてもいいこと」「言ってはいけないこと」などあらゆる限度を超えてしまうことが多く、振り返ってみるとどんなに多くの罪を犯してきたかと悔いを残している。
問題は「良かれ」と思っていった言葉が相手に誤解されることもあり、よく伝わらなくて誤解を招くことがあること、また的外れなことを言って帰って気分を害してしまうことなどもある。
いずれにしても、人は話すときの原点に「自己中心」なものがあり、その自分中心的な思いの上に立って話すことに誤りがあるのではないだろうか。
話すとき、まず相手の立場に原点において話が出来たら、そのリスクは少なくなるのかもしれない。そんな中で一番大事なことは物事を「然り」とするか、「否」とするかの言葉が一番大事であり、難しい言葉であることが分かってくる。どんな場合でも自分の信じて正しいとすることを「然り」と言い、間違っていることを「否」と言えるか、このことはその背景となる場面、場面で異なるが、重要な意味を持つし、その影響も大きい。
そのことを考えるとこの言葉をどのように用いるかで人生が変わることもあるではないかと思う。世の中はこの用い方を自在にそのときの都合で安易に使っているが、
実はこの言葉ほど大事で、難しいことをこの際もう一度考えてみるのもよい機会ではないかと思っている。


「注」前回の中国の話題のときに失念していた果樹は「ライチ」でした。
   初夏から木になり始め硬い皮をむくと白い果肉とうす甘い果汁で暑い夏を涼やかに
   してくれる忘れられない上品な味が忘れられません。

思いつくままに   「人が美しく見えるとき」

2017-12-08 11:14:21 | Weblog
人の美しさを語るとき、それは個々によって異なるだろう。私も若いときは自分の「好み」にこだわってその美しさ又はその魅力に取り付かれることがあったことを思い出す。
しかし本当の意味で「人の美しさ」を考えると、それは表面的な姿、形ではないことに気づくのである。ダビンチの「モナリザの微笑み」はその代表的なもので世界の人々を魅了したが、はたしてこれが究極の美であったのか。
また、人の美しさはどのようなときに現れるのか、最近ではほとんど見られなくなったが、母が子に乳を含ませているときと言う人もいる。また夕暮れの野に静かに一人祈る女が美しいという
作家もいる。また誰もいない学校の廊下で紙くずを拾う校長先生の姿を見て心打たれたと言う人もあると聞いたことがある。ことほどさように「人の美しさは」外面的なものだけにとらわれることなく、むしろ心の内面がほとばしり出た形に表れるものではないかと、最近つくづく思われている。さすればTVや画面で取り上げられるものが、どれだけ心に映るかと考えるとき、あまり気にならなくなる。むしろ日常の生活においてさまざまな場面で人の動きの中で無意識に出てくる心の現われが真実であり、清らかであるときそれが人の心に美しく写るのだと
思いついている。それは外面的なことに気をとられ、それにこだわるときその心はおろそかになりがちかもしれない。
何が大切で何を中心に考えなければならないかを考えるとき、それが美しさを生むのではないかとそんな事を思わせるのである。

足跡   「海外の思い出」   ②

2017-12-05 10:05:40 | Weblog
中国を語るのは大変なことである。前回北京、上海を訪ねた思い出を書いたが、その後大連、広東へ行くことが出来た。中国には大きく分けて22の省があるが、その一つ一つが国と考えても良いようだ。従ってそれぞれの省が独立している気がする。大連は遼寧省の一都市であり、日本統治かの時代から日本とは関係が深いようだ。海に面した位置が特徴でインフラも良いことことから30年前ごろから日系の企業が進出していた。私は取引先の工場見学という名目で尋ねることが出来た。まだあちこちに古い建物が残り、旧日本人の生活環境が漂った雰囲気がある。そんな町並みを過ぎて工場のある高台に上がると其処から見下ろす海の景色は世界のどこにも負けない眺望が広がる。その高台にある公園に建てられた鐘の音を聞くと、其処は中国を忘れさせる気持ちよさを感じることが出来た。(今でもその眺望が目に焼きついている。)
そして南の玄関口で嘗ては国際貿易市が行われて世界の的になった広東を訪ねた。空港に降り立つと目の前に広がるロータリーは車であふれすごい賑わいである。
目的地は其処から100キロほど離れた江門市であるが、高速道路が整備されていて一時間ほどで到着する。車から見える風景はのどかな田園風景であり、時折養殖のアヒルの群れがあるいているのがその象徴となる。
町に入ると其処は中国でもまた独特の雰囲気をかもし、そこはまた別天地の様相であった。市内の公園を散策する機会があったが、そこはまったく平和で何の緊張感も感じさせないものがあり、心を休ませることが出来たことがうれしい。
知人が其処で日本を離れ一人で生活していたが、家族を離れ異国での生涯をその地ですごすといっていたが、ここなら狭い日本より全てから開放されて平和に過ごせるのかもしれないと思えるほどであった。
おそらく中国は同じ国でありながら民族も多くあり、それぞれの生活習慣の中ですごしていることだろう。象の尻尾も捕まえることが出来ないほどであったが、その一端を知ることが出来たことをうれしく思っている。
その昔、楊貴妃が南からわざわざ取り寄せて好んで食べていたと言われる、果物(木の実、?)
を東かんから深せんへ出る車で途中売子から買って、ホテルで冷やして食べた味が忘れられないでいる。

       思いつくままに  「後始末」

2017-12-01 11:13:18 | Weblog
日本昔話の中に「鶴の恩返し」と言うお話があるのをご存知だと思う。老夫婦のところへ傷ついた鶴が舞い込みその傷を癒し助けた恩返しを鶴がしたということだったと思うが、私は今この年齢になってそんな気持ちになりつつある。日本は本当に良い国でこの国に生まれたことを幸せに思う。それは少しでも海外の国を訪問して日本の生活と比べてみるとすぐ分かる。
私も僅かだが、海外の国を訪ねてその経験をすることが出来た。世界一とは言わないまでもそのレベルはすばらしいもので医療機関。教育、食料、治安等全ての面で恵まれていると言っても過言ではないだろう。ホームレスはいても乞食のように不自由な人はいない。
そして穏やかな平安な生活が保障されているのだ。しかしそんな人生をただそのまま享受して終わるだけでよいのだろうか。そんなに永く生きている時間が限られているうちにやるべき義務を覚えざるを得ない。それは自分の生活をきれいに後始末をして死ぬと言う計画と次の世代(自分の家族ほか)のことを考えてなにか出来ることはないかということである。
介護だとか老後のことを心配するのも大事だが、できるだけ周りに迷惑をかけないように、ありのままに終わることも大事ではないかと思う。
病院へ行くと「脳の検査を」とか、「胃の検査を」とか、盛んに進められる。先日も血液検査の話をしたが、ある作家のかたが書いているが、その方の知人は医者が予防注射やエックス線検査を進めたり健康診断を義務的に言われても受けないそうである。
それでもそれ相当の長生きはしている。人はそれぞれ「寿命」があると考えれば、是だけ豊かな日本での生活に恵まれていれば、自分のことより身の回りや次の人たちのことを考えて、自分できることを考えたいものだと思っている。