戦災で家を焼かれ、岡山へ帰ってきて既に20年が過ぎていた。言われるままに社宅の
小さいところに住い不自由な生活をしていた。子供たちも成長し、それぞれいなくなってしまったが、会社と隣接した場所ではゆっくり気の休まる事はなかった。妻は女として
尚更であったろう。美継は会社ということと、仕事という事を生活の場の中心としていたので、寝るだけのことと言う思いがあったが、それではすまないことを感じていた。
そして自分たちの「終の棲家」を願って祈っていたのである。願いはある知らせから始まった。川向こうのの一軒家が売りに出ているという。希望者が何人かいて、入札によって、決まると言う方法と聞いた。美継は早速応札した。後は結果を聞くだけであったが、その時間は長かった。そして幸いにもその家は美継に決まったのである。
武家屋敷跡とされるその家は見るからに重厚な門構え、そして庭、畑、母屋、離れとつながっている。新しくは無いが、どっしりとしたその造りはまだまだしっかりしたものであった。引越しを済ませてその家に落ち着き、美継と妻は神に感謝の祈りを捧げるのであった。妻は殊のほか嬉しかったらしく、顔色も良くなり、明るくなった。
少しづつ野菜物も作ることが出来るし、庭の木々からも成り物を取ることが出来た。
生活が落ち着いてくると、美継は又新たに会社の将来が気になり始めていた。
新しい仕事が立ち上がり、東京に営業所も出来た。しかし、これだけでは安心できない。
まだまだやることがある。日々の業務をしながらそのことを真剣に考えていた。
誰に相談するのでもなく彼の頭にだけあることであった。岡山の田舎の片隅でいると、
情報は限られたものでしかなく、まして新しい事柄を吸収することは至難であった。
これでは世の中の流れに遅れてしまう。企業として仕事をしている以上、同じことを同じようにしているだけでは何時か置いていかれるのではないか。そんな不安が何時も頭の片隅にあった。
D社は環境問題が発生したときに協力してもらい、助けてもらったことがきっかけで、その後もお付き合いが続いていた。もちろん取引もあった。何しろ上場会社とあって、地方の一企業と違って大きな組織であり、人材も豊富である。この会社の応援を何らかの形で取り付けたい。そんな思いがあった。どんな形が良いだろうか。慎重で冷静な検討が必要とされた。
小さいところに住い不自由な生活をしていた。子供たちも成長し、それぞれいなくなってしまったが、会社と隣接した場所ではゆっくり気の休まる事はなかった。妻は女として
尚更であったろう。美継は会社ということと、仕事という事を生活の場の中心としていたので、寝るだけのことと言う思いがあったが、それではすまないことを感じていた。
そして自分たちの「終の棲家」を願って祈っていたのである。願いはある知らせから始まった。川向こうのの一軒家が売りに出ているという。希望者が何人かいて、入札によって、決まると言う方法と聞いた。美継は早速応札した。後は結果を聞くだけであったが、その時間は長かった。そして幸いにもその家は美継に決まったのである。
武家屋敷跡とされるその家は見るからに重厚な門構え、そして庭、畑、母屋、離れとつながっている。新しくは無いが、どっしりとしたその造りはまだまだしっかりしたものであった。引越しを済ませてその家に落ち着き、美継と妻は神に感謝の祈りを捧げるのであった。妻は殊のほか嬉しかったらしく、顔色も良くなり、明るくなった。
少しづつ野菜物も作ることが出来るし、庭の木々からも成り物を取ることが出来た。
生活が落ち着いてくると、美継は又新たに会社の将来が気になり始めていた。
新しい仕事が立ち上がり、東京に営業所も出来た。しかし、これだけでは安心できない。
まだまだやることがある。日々の業務をしながらそのことを真剣に考えていた。
誰に相談するのでもなく彼の頭にだけあることであった。岡山の田舎の片隅でいると、
情報は限られたものでしかなく、まして新しい事柄を吸収することは至難であった。
これでは世の中の流れに遅れてしまう。企業として仕事をしている以上、同じことを同じようにしているだけでは何時か置いていかれるのではないか。そんな不安が何時も頭の片隅にあった。
D社は環境問題が発生したときに協力してもらい、助けてもらったことがきっかけで、その後もお付き合いが続いていた。もちろん取引もあった。何しろ上場会社とあって、地方の一企業と違って大きな組織であり、人材も豊富である。この会社の応援を何らかの形で取り付けたい。そんな思いがあった。どんな形が良いだろうか。慎重で冷静な検討が必要とされた。