~生真面目すぎた真っ直ぐな愛、不器用ものと笑いますか、~愛しき日々のはかなさは
消え残る夢、青春の影」先日友人から電話を受けた。もう40年近く、つかず離れずの
親交を暖めているが、なにぶん遠距離なのとお互い高齢のため会う事もならず、電話での会話であったが、「実は最近まで20日ほど入院していた」と言いながら懐かしい笑顔が浮かぶように明るい声であった。然しその病気は深刻なもので「代謝不良」と呼ばれ体内に吸収された水分が体外へ出なくなり、8リットルの水分を体内に抱え込んだ状態になってしまい、救急車で運ばれ離尿剤の注入で何とか回復したとのことであった。
毎日の新聞を見ていてもつい「訃報」や病気の記事に目がいち早くいくのだが、やはり他人事に思えず、いずれ自分も何らかの形で消えることを覚悟しなければと思わされる。
そんなことを考えるとき、毎日の日々が何でもない時間ではなくて、とても貴重な大事な時間として愛しく思えるのだ。
確かに一日は待つことなく確実に過ぎていく。それを止めることは出来ない。その日々のはかなさは歌にあるように消え残る夢の様でもあり、青春の影のようなものかも知れない。しかし考え方を変えれば生かされている喜びを感じる時間でもある。生かされ生きている時間として如何にこの時間を喜びと感謝を持って過ごすことができるかを考えなければいけないかと思えるのだ。
何気なくあれこれ仕事や用事に追いまくられていた日々から開放されて自由の身になったのである。この時だからこそできること、しなければいけないことを考えて過ごすことが大切であり、ただぼんやりとTVを見て過ごしてはならないと戒めている。
ただ残念なことに何をするにも体力、知力、気力の衰えは覆うべくも無く、なすすべも無い。何をしても疲れを感じて続かないことは仕方が無いとしても、少しでも寝る前に、今日一日を思い起こし、平安のうちに休む事が出来ることを願うものだ。
人はどんなに恵まれていても又貧しい環境におかれていても、そんなに変わりは無い。全ては僅かばかりの健康を維持しながら青春の日々を追い求めていくことが大切なのである。
消え残る夢、青春の影」先日友人から電話を受けた。もう40年近く、つかず離れずの
親交を暖めているが、なにぶん遠距離なのとお互い高齢のため会う事もならず、電話での会話であったが、「実は最近まで20日ほど入院していた」と言いながら懐かしい笑顔が浮かぶように明るい声であった。然しその病気は深刻なもので「代謝不良」と呼ばれ体内に吸収された水分が体外へ出なくなり、8リットルの水分を体内に抱え込んだ状態になってしまい、救急車で運ばれ離尿剤の注入で何とか回復したとのことであった。
毎日の新聞を見ていてもつい「訃報」や病気の記事に目がいち早くいくのだが、やはり他人事に思えず、いずれ自分も何らかの形で消えることを覚悟しなければと思わされる。
そんなことを考えるとき、毎日の日々が何でもない時間ではなくて、とても貴重な大事な時間として愛しく思えるのだ。
確かに一日は待つことなく確実に過ぎていく。それを止めることは出来ない。その日々のはかなさは歌にあるように消え残る夢の様でもあり、青春の影のようなものかも知れない。しかし考え方を変えれば生かされている喜びを感じる時間でもある。生かされ生きている時間として如何にこの時間を喜びと感謝を持って過ごすことができるかを考えなければいけないかと思えるのだ。
何気なくあれこれ仕事や用事に追いまくられていた日々から開放されて自由の身になったのである。この時だからこそできること、しなければいけないことを考えて過ごすことが大切であり、ただぼんやりとTVを見て過ごしてはならないと戒めている。
ただ残念なことに何をするにも体力、知力、気力の衰えは覆うべくも無く、なすすべも無い。何をしても疲れを感じて続かないことは仕方が無いとしても、少しでも寝る前に、今日一日を思い起こし、平安のうちに休む事が出来ることを願うものだ。
人はどんなに恵まれていても又貧しい環境におかれていても、そんなに変わりは無い。全ては僅かばかりの健康を維持しながら青春の日々を追い求めていくことが大切なのである。