波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

    足跡     「海外の思い出  ⑤」

2018-02-27 11:27:26 | Weblog
ドイツ人はゲルマン民族と言われてその歴史は古い。そして現在のメルケル首相に代表されるように女性も大柄なタイプの人が多かった。
すべてに日本人のようなスマートで細身の人は少なく市内を歩いても見ることはない。驚いたのは公衆便所で少用を果たそうとしても大人用では届かず子供用で用を済ませることになり、バスタブも注意してはいらないと入った途端に滑ってバスタブに溺れるような感じになることがあるので用心がいる。そんなことが30年過ぎた今でも残っていることと市内のあちこちに聖堂といわれる鐘突き堂のような尖塔が立ててある。その一つに散歩がてら上ってみたがかなりの高さで階段でいきがきれてしまった。
ケルンから訪問先の工場まで車で走ったが、道路の横はかの有名な「ライン川」がゆったりと流れていた。幼いころ小学校で歌い習った「ライン川の流れ」がこの川かと感慨深いものがあったが、その歌にふさわしい川の流れに気品と歴史を感じることができた。このライン川はスイスからドイツを通過してフランスを経て海へ流れ込むまさにヨーロッパ最大といってもよいかわであろう。観光船がゆったいと航海し川の両側の山々に作られている城壁とその建築を楽しむことができる。
考えてみると日本の歴史に似ているところがあり、歴史とともに各地の白の美しさは建築の違いこそあれ同じであり、その歴史は同じ時間を過ごしているのだろう。ドイツの印象は「質実剛健」そのもののありかたであり、国の政策も国民性もそのままであることが分かった。現在ヨーロッパの先進国としてそのリーダーシップを発揮していることはその国民性そのままであり、その経済政策、すべての点において見習うことが大きいことを知った。
さて、次に訪れたフランス(パリ)は潜在的に美術、芸術の国という印象があった。しかしパリはわずか2日の滞在での印象は薄汚れた石畳の犬のふんがあちこちに落ちている、不衛生な街という印象しかない。凱旋門までホテルから歩いてみたが、見るべきものもなくたたうす汚い石畳の町という印象しかない。ましてパリの市内を離れると一気にのどかな農村風景に変わりぶどうの棚の立ち並ぶ田園風景である。当然コースが違うのである意味、フランスの本当の一断片を見た感じもあった。ドイツ人とは変わりフランス人はこがらなひとがおおく、日本人ともあまり体系的には変わらないことが印象的であった。
わずか一週間ほどで二国を訪れたが、残念なことはイタリーへ行けなかったことだ。ヨーロッパはローマに通じるとあるようにローマは歴史的にも古く、その文化の発祥の地を感じてみたい思いがあったが、残念である。
ちなみに世界の美人の発祥は「北イタリヤ人の女性」という一説があることをお伝えしておきたい。

    思いつくままに    「海外の思い出  ④」

2018-02-23 10:26:41 | Weblog
最近TVは海外ドラマかスポーツ番組しか見なくなった。日本の映画、ドラマ、、最近はやりのクイズ、料理番組、旅番組も興味がわかない。年齢とともにすっかい海外づいてしまっているのが、自分でも不思議に感じる。
聞いていても良くわからないままに、少しでもわかる単語が出てきたりして何となくその意味が分かったり、日本語訳を見ながら対比して「この単語をこのように訳すのか」と思ったりしてみていると、何となく番組に参加しているような気になってホッとする。
私が30年前に海外へ行った時もそんな感じを持ったのだ。ミッションだったせいで私が片言の会話を使いたいと思っても、一言も会話をする機会がなく、ほとんどしゃべらないで過ごす時間がなく、一週間の最後にはストレスで食事もとれなくなって、夕食をパスする羽目になったこともある。そんな情けない海外旅行で30年過ぎてもそれはコンプレックスとして残っている。学生時代に少しでも勉強して英会話ができるようになっていればどれほど世界が違っていただろうかと、今でも悔しい思いである。
最近のように海外旅行者が年々増えてきて交流が盛んになると英会話はもとろん、北京語も話せるとどれだけ世界が変わるか、そしてどれだけ人生が変わるかとつくづく思わされる。これからの時代はまず世界共通語になった英語をマスターすることが基本になる時代だと
若い人にはぜひ進めたいと思っている。
くどくどと前置きが長くなったが、そんな状況の中で私はひたすら興味本位だけでミッションに参加して「ヨーロッパ:ドイツ。フランス」を訪問することができた。何しろ「観光コース」ではなく、「ビジネスコース」であるし、それもそれも政治家や役人がいくフアーストクラス」ではないので「カントリーコース」とでもいうのであろうか、その一断片を垣間見ただけ(会話なし」)なので、参考にもならないが、その印象は今でもはっきり残っている。
ドイツはおそらく今でも変わっていないと思う。なぜなら私が行った時でさえ、戦後(第二次世界大戦後)残された19世紀以来の建造物がそのまま生かされていること、一般の庶民の家庭も堅牢に作られた建築されているからである。(続く)

足跡     「球春の音を聞く。」

2018-02-20 10:00:52 | Weblog
私の家の小さな居間の隅に机がある。毎朝その机に座ると左側(東側)から日差しが差し込み午前中の間は、温かく暖房の不要な時間を過ごすことができる。その日差しが心なしかここ数日いつもより暖かく感じるようになった。(むしろ熱く感じる)不思議なもので最高気温は10度前後だが、確実に日差しと温かさは日増しに強くなりつつあり、春は確実に近づきつつあることを教えてくれている。
地球全体は温暖化を進めながらもその全体の気温は大きく変化することなく宇宙を守ってくれているのだろうか。
そんな春の日差しを感じると忘れかけていた「カーン」を乾いた音を響かせるプロ野球のキャンプ情報がTVを通じて入ってくる。
忘れかけていた昨年の興奮と楽しみがよみがえってくるのだ。今年も一年間、チーム、選手とともに楽しむことができると喜びもひとしおである。面白いもので楽しみ方が年齢とともにすっかり変わっている。若いときはひいき球団の勝敗が毎日の自分の気分に影響するほどであったが、いつの間にかそれらは消えて今では、どんな若い選手が出てくるかへの期待と弱小球団への関心が強くなり、最下位球団がどんな対策で戦うのか、どのように強くするのかが関心の的になる。(不思議なことに今年は両リーグとも最下位チームだけが監督が交代している。)そんなわけで両リーグとも最下位チームの戦い方と勝敗にこだわってみたいと思っている。
順位予想も毎年自分なりに立てていたが、ここ数年全チームともチーム構成が変わりお金をかけずに選手を育てるという本来の姿に変わってきたので、混戦状態である。どのチームが優勝しても不思議ではないことも興味ぶかい。
オリンピックも終盤に際かかり、メダルも増えつつあることはご同慶に堪えない。どの世界も若い年代にパワーが受け継がれ世代交代が進んでいることが目立っているが、ベテランの力もしっかりと表れている。
しかし、限界はある。その見極めは本人の自覚と信念にある。仮に自分の成績が基準に履いていたとしてもオリンピック基準に届かなければ若い人に譲ることも考えることも大事かなとも思う。
80歳の時、運転をやめて車に乗ることをやめるときに迷い、逡巡したことを重ね合わせて思い出し、そんなことを思ってしまった。

思いつくままに   「冬季オリンピックと人生」

2018-02-16 09:41:00 | Weblog
韓国でのオリンピックが佳境に入っている。この時期世界が注目している韓国でオリンピックが行われていることに、何となくその意義が考えさせられるが、それと同時にオリンピック精神にのっとって、「世界平和」に前進してくれることを希望してやまないものである。
オリンピックといえば、ジャンプでの距離、スケートにおける一分一秒を競うでメダルが争われ、その成果によってきまってしまうが、
「人生」は経過の過ごし方で評価が決まり、楽しいか、楽しくないかで幸か不幸が決まるものでもある。
話をしていて楽しい相手と過ごせる日と気難しく、気を使いながら過ごして終わってホッとするする日とではその日の気持ちは全然違うのである。またその時の一瞬を評価する人生と、長い人生を年単位でじっくりと味わいながらの人生ではその味わい方も違ってくることだろう。私自身は若いときはその一瞬が最高に幸せでこんな時間がずっと続けばと考えた時がないわけではなかったが、こうして年齢を重ね幾多の試練と不安とを味わってくると、考え方も変わってくる。
つまり料理の中で深みのある味わいが長い間の調味料の混合と長い時間を費やした結果でしか出ないのと同じで人生も、山あり谷ありの中で苦しんだり、ほっとしたりしながら味わいつつ過ごして、本当の人生の味がついてくるのではないだろうか。
言い換えれば地味に生きてこそその長所が見える人と瞬発力に美しさが見せられる人といるのである。できるならその両方を見せられれば一番良いのだが、なかなかそんなことはできないし、人生はそうはならないようだ。
ここまで長生きができて生きることができたのなら、そのままスローに生き続けて世間から役立たずと思われても、どんな人でも楽しく評価できる人間であり続けたいものである。
この世の人のほとんどがオリンピックの選手にはなりえないのだから。

足跡     「バレンタインデー」 

2018-02-13 09:47:38 | Weblog
暦とは関係ないが一ン年のうちで大騒ぎになる一日になるだろう。しかし日本にないこんな風習がどうぢて定着したのだろうか。
どうやらこれは菓子業界の政策で、何とか便乗して商売に綱うことができないかと考えた知恵だったかもしれない。
何しろローマ教会のカトリック教会の行事が日本の風土に定着するはずはないし、何の根拠もなくこの日を「チョコレートを贈る日」としたのは、何か意図的なものを考えた人がいたのだろう。いっそのこと「チョコレートの日」としたほうが納得がいく気がしている。
ましてこの日に日ごろあこがれていた人、好ましい人、お付き合いしたい人などなど自分の日ごろの思いを自由に、我慢しないで伝えることができるとあって、無制限に何の考えもなくふんだんに振りまくことも、もったいない行為でユニセフを通じてでも「難民」の子供たちにでも支援するためにつかえばどれだけ役に立つかと考えてしまうほどだ。
そもそも「人を愛する」「好き」ということを軽々にいうこと自体に問題があるし、相手が迷惑していることも多々あることを考えることも大切だろう。私はこの年齢になって少し人を愛するとか、好ましいとか、ということがどれだけ大事なことかを考えられるようになってきた気がしている。
私自身、妻に対して「君を愛している」「君が大好きだよ」と言ったこともなければ「一生大事にするよ」といったこともない。 晩年病気で倒れてから看病するようになって、少しづつそんな思いがあり、亡くなってから初めて大切な人だと思い始め、その思いは年齢と共に強くなっている。あ
所詮人間の愛は「自分のため」のものであり、相手の持つ美しさや良さは自分自身を喜ばせ、幸せにしてくれる価値として認めているだけのことである。つまり「自分に浴しているものに良くする」ということなのである。
つまり「自己愛の変形」ともいえるのだろう。真実の愛はまさに逆のものであるのだ。つまり「自己犠牲」に立っていなければ、本当に
人を愛するということはできないし、その心と勇気がなければ「人を愛する」などと軽々にいうものではないことを肝に銘ずるべきかもしれない。バレンタインデーのことを考えながら、そんな思いにふけっている。

思いつくままに   「先のことはわからない」

2018-02-09 11:11:11 | Weblog
私の知っている女性の友達から連絡があり、今は気に入った老人ホームに入り、いい友達もできて幸せたといってきた。びっくりして
「旦那さんは?」と思わずきくと「俺は家のほうが良い」といい、奥さんをホームへ送り自分は一人で家に残っていて時々ホームを訪ねているらしい。体面的なこともあるだろうし、子供たちの手米もあることだろう。こんな話を新聞で読んだ
現在は夫婦の在り方もこれほどに変わっていることを知らされ、自分のこととして考えると到底考えられないことだと改めて驚かされている。もちろんこの話には条件があり、それなりに経済的に余裕もあり、それなりの保険がついているのだろうが、だれでもできることではない。私たちは昔の道徳観念から「夫婦相和し」をモットーに忍耐をしながらお互いを気遣いつつ生きることを教えられていたが、現代はこれほどに自分本位に生きることができるようになっているようだ。
と同時に私は人間の生涯は最後まで当人すら自由にならない未知の部分が用意されていてそれは神の領域に置かれていることを知らされた気がしている。とすればなんでも先のことがわかり自分の思うようにできると思い込んだり、自分は長い間
の経験と学びで大体のことはわかるし、できると思い込んで生きている人をみると、何となくむなしいものを感じるのである。
だから自分の未来を勝手に決め込んだり、結論を出したりすることは人間の思い上がりもよいところで(そういう人が多くなりつつあるのだが、)自分の最後は最後まで分からないことで、それは一つの作品を作るのと似ていて、最後にどのように完成するか終わるのかを分からないで、謙虚な思いで続けることがおかれたにんむではないかと思わされている。
それがどんな結末であろうとも自分で書きながら自分でもわからないところに人生の面白さがあるのと同時に不思議さが残されていることを信じたい。

足跡   「節分」

2018-02-06 14:57:17 | Weblog
あまり大きく取り上げられないが「節分」はこの2月の行事としては日本の伝統的な行事であるはずだ。私たちはちいさいときから
この時期には親から用意された豆をもって夕方になるとは言ってくる鬼(邪気)を入れないように戸口ごとに「鬼は外、福は内)大声をあげて家中を駆け回り豆を投げつけ、終わると自分の年齢数だけの豆を数えてそれを食べながら今年もよいことがあるようにと願いを立てたものである。現在ではこのような行事を家庭で見ることができるのであろうか。
TVに映るのはお相撲さんやタレントのおみやさんでの「豆まき」行事で集まった観衆はその目的も意義も何もわからず、その騒ぎに乗っているだけである。「節分」まさに季節の分かれ目冬から春への移り行くさまを、一つのけじめとともに立春の前日に定めてこのような行事をもって昔の人は春を迎える行事を大切にしてきたのである。
そんな意味で節分の行事は春を代表しその迎える準備と心の準備を促す意味では大切な日本の行事であったはずだ。過程でこの行事が行われなくなってこの行事の目的も意味もわからなくなり、日本の文化も歴史とともに忘れられて行くのかと思うと、少し寂しい気がする。
日本には一年を通じて様々な行事が私たちの生活とともに行われてきた。そのたびに家族そろって親も子供も一緒にその行事を学びつつその季節の変化を思いながらその準備をしたものであるが、現在ではそんな行事が一部の人のお祭り風の行事にすり替わり、意味も目的も
わからないままに、終わっていることは、21世紀を迎えた現代では致し方ないのかもしれないが日本固有の文化の終わりの知らされるような気がして寂しい。お正月もそう得あったが、今の子供たちは本当の日本の夢をどのようにして受けついていくのか、不安な気がしないでもない。スマホやパソコンでのゲームを悪くはないが、
昔からの文化もまた大切に継承してもらいたいものと思っている。
寒いがまだ続いているが、「節分」は確実にその季をわけて春が近いことを押しているのだ。

    思いつくままに  「選択肢」

2018-02-02 10:14:14 | Weblog
寒い日が続いている。ふと気になって昨年の気温を日記からたどってみた。すると昨年は最高は10度前後が平均で比較的に穏やかな日が多く、最低も1度を切る日はなかった。もちろん雪などはなく寒さの中でもしのぎやすかったことをお覚えている。
今年はかつての日本の季節のように連日最低気温が零下であったり、最高気温も4度とか、5度の日が多く、おかげで光熱費もぐっとかさんで負担になっている。この気温の変化をどう感じればよいのか、自然界の変化をどう理解すればよいのか、人間の知恵が進んでもこの自然の世界は解明できないままである。ことほど左様に人間にはすべてに限界があり、その限界に応じて人生を生きていかなくてはならないのだ。とすればどのように生きるべきか。それはこの世に生かされたものの大きな任務でもある。そして生き方はその時々で「選択肢」がある。この選択肢が徐々に少なることを自覚しなければならない。
若いときはあれもこれもと好奇心や研究心、または自立心に駆られてあれもこれもと、人生が自分の思うようになり、何も恐れることはなかった。むしろそんな考えでおどおどしている姿に軽蔑の念さえ持っていたような気がしている。
しかし年齢を重ね体の限界を感じるほどにその選択肢は減っていき、自らの行動に限界を自覚させられてくる。現在の気象現象も人間の理性ではどうにもならないことも、同じような気がする。
若い時から人間の限界、人生の終点をしっかり見極めていたらもっと違った人生が歩けたのではないかと後悔の念がよぎる。
先日の新聞にオリンピックの選手がその抱負を「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」と抱負を語っていた。
インド独立の父、マハトマ・ガンジーの言葉だという。似たような言葉で「メメントモリ」というラテン語もある。これはカトリックの修道女たちが毎日の祈りの言葉で祈っている言葉ともいわれている。
選択肢がなくなってからではなく、あるうちにこれらの言葉を旨に生きることができることができれば、その人生も変わることだろう。