最近はこの言葉を聞くことは殆どなくなった。一昔前は公共施設(学校)他では様々な形で派手ににぎにぎしく行われ、そのたびに大勢の人がお祭り騒ぎのように押しかけ、その成果も大きかった。しかし時代とともに世の中も変わり「物不足」から「物あまり」の時代になり、人々は豊かに又ぜいたくな状況になった。生活用品は何でも手じかに手に入るし、しかも安い。(100円ショップ)従って一時人気のあった「フリーマーケット」もいつの間にかすたれて、来客につながらなくなりました。
そんな中で、しかも台風が関東を通過するという天候の中で(16日)「バザー」を開くことになったのです。「物品販売コーナー」には電化製品、文房具、衣類などが並び、(すべて会員の献品)もちろん新品に近いものばかりで良いものであった。併せて食堂部は、カレー、コーヒーのほかにデザートにジェラード、チジミ、ホットクなど、子供用にはかき氷に
お菓子のつかみ取りが用意されていた。会場は10時30分としていたが、こんな悪天候にもかかわらず、時間前に来た人もいた。何となく一般の客とは違ってある種の品を物色するためのような雰囲気で生活物資はどこに置いてあるかと聞いていて、何か目的の品を探す風であったのが、気になった。そして始まったのだがさすがに出足は悪く、主催者がウロウロするのが目立っていたが、台風がおさまり、天気も回復すると同時に客足も増え、終わるころにはそれでも70人ぐらいの来客があり、そこそこの売り上げもできたのである。
終わってみるとその成果はともかくこの行事に参加して共にこの仕事に携わったこと自体が大きな収穫であったことに気が付いたのである。
普段は交わすことのない楽しい会話、笑顔、笑い声、それは日常の生活から解き放たれたストレス解消のの場でもあり、交わり睦びあいの場を自然な形で全員が味わうことが出来た時間でもある。「ばざー」は収益を目的にするのではなく、こうして人と人とを自然に結びつけて交歓の場とすることが出来ると考えるとき、それは予測できない喜びをそこに発見することが出来るのである。
日々の暮らしに戻ると現実に戻り、深刻な問題を抱えながらそれに立ち向かう日々がやってくるのはやむを得ないが、だからこそこんな機会、時間があっても良いのかなとつくづく思わされたのである。老いも若きも年を忘れたひと時であった。
そんな中で、しかも台風が関東を通過するという天候の中で(16日)「バザー」を開くことになったのです。「物品販売コーナー」には電化製品、文房具、衣類などが並び、(すべて会員の献品)もちろん新品に近いものばかりで良いものであった。併せて食堂部は、カレー、コーヒーのほかにデザートにジェラード、チジミ、ホットクなど、子供用にはかき氷に
お菓子のつかみ取りが用意されていた。会場は10時30分としていたが、こんな悪天候にもかかわらず、時間前に来た人もいた。何となく一般の客とは違ってある種の品を物色するためのような雰囲気で生活物資はどこに置いてあるかと聞いていて、何か目的の品を探す風であったのが、気になった。そして始まったのだがさすがに出足は悪く、主催者がウロウロするのが目立っていたが、台風がおさまり、天気も回復すると同時に客足も増え、終わるころにはそれでも70人ぐらいの来客があり、そこそこの売り上げもできたのである。
終わってみるとその成果はともかくこの行事に参加して共にこの仕事に携わったこと自体が大きな収穫であったことに気が付いたのである。
普段は交わすことのない楽しい会話、笑顔、笑い声、それは日常の生活から解き放たれたストレス解消のの場でもあり、交わり睦びあいの場を自然な形で全員が味わうことが出来た時間でもある。「ばざー」は収益を目的にするのではなく、こうして人と人とを自然に結びつけて交歓の場とすることが出来ると考えるとき、それは予測できない喜びをそこに発見することが出来るのである。
日々の暮らしに戻ると現実に戻り、深刻な問題を抱えながらそれに立ち向かう日々がやってくるのはやむを得ないが、だからこそこんな機会、時間があっても良いのかなとつくづく思わされたのである。老いも若きも年を忘れたひと時であった。