波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

足跡      「2016年を顧みるー①」

2016-11-30 10:16:31 | Weblog
今机には昨年の日記が出ている。昨年の今頃は何をしていたか、そして新しい年をどう迎えるかそんな事を漠然と考えていたかも知れない。一人暮らしは長くなり、特別苦になる事はないが常に頭にあるのは家族の平安であろう。「無病息災」と言う言葉があるが、我が家の家族の事を思わない日はない。しかし私には父から受け継いだ信仰がある。この信仰に支えられていることで
平安を得られている。そんな事を思いつつ今年を振り返ると今年も公私共に全く予想できなかった出来事の中で一年を過ごしてきた気がしている。
明日から12月にはいる。いよいよ今年も終わる。と言うより無事に今年を過ごせた事を心から感謝と反省とを思わざるを得ない。そんな年であった。
何より一番印象に残る事は日本は最も「自然災害国」として注意を払わなければならないと言う事である。5年前の東日本における自信と津波による災害以来、毎年のように自然災害に見舞われ今年も4月に起きた九州の地震による災害は今尚傷跡を残し更に大小を問わずあちこちで自然災害にあっている。地球温暖化による地球破壊の影響なのか、その気象現象の変化がもたらす影響が日本にも少なからずあることをこれからは覚悟しなければならないだろう。
そしてそのための防災観念をしっかりと身につける必要があることが今年の一番印象に残った出来事であった。
そして昨年発表された4年後の「東京オリンピック」開催決定に関する影響で訪日外国人の増加が記録的に増えたことも今年の特徴であろう。予想の2千万人を超えて、4年後の3千万人はそその前に達成する勢いである。それに連れて関連の建設をはじめ全ての環境整備と必要資材の影響で日本の経済成長率も当然上がることになる。
今年は確実にその第一歩を残す年だっといえる。
良い事もあれば悪い事もあった一年でもあった。

思い付くままに  「病院」

2016-11-27 09:50:31 | Weblog
ここ半年ほど前から、時々起こる心臓の動悸が気になって町医者の診断を仰ぐ事にした。循環器系の専門だったがすぐ心電図をとりましょうとなりその結果を見ながら、「良い状態ではないので大学病院の検査を受けてください。紹介状を書きます。」と言われ、翌日大学病院の循環器の診察を受ける事になった。紹介状にどんな事が書かれていたのか、分からないが、その日は薬を処方され、数日後に検査を受ける事になった。検査は「血液検査」に始まって「エコー検査」「ホルター検査」これは24時間かかりそしてその後2週間を経て、診断を聞く事になる。その間は指定された薬を飲み続けるだけだが、幸いその薬を飲むようになって動悸が起きる不安が解消され、恐々ながら落ち着いた日を過ごしていた。そして最初の診察を受けた医者に結果を聞く日が来た。更にその日心電図をもう一度とり、話を聞いたのだが、特別な事を言われないで
「動悸は起きていますか」と言われたので、「薬を飲むようになって起きていません」というと
「薬があっているのでしょう」と言われ、「処方しておきますから飲み続けてください」と言われただけで終わった。「紹介を受けたお医者さんに返事を出しておきますから12月になったら行ってください」とだけ言われてその日は終わった。
結局異常はあったのか、なかったのか、あったがそれほどではないと言う事なのか、薬か治療でよいと言う事なのか、明確ではないが、それ以上のことを言われたのではないので取りあえず
12月になったら再度待ち医者へ行き、コメントを受ける予定にしている。
しかしこんな事で久しぶりに病院へ数回行く事になったが、朝早くから(8時)既に数百人の人が来院していて、込んでいる状態である。こんなに毎日病人がいて、それぞれが不安を抱えて
治療を待っているかと思うと健康の大事さと止むを得ない病気を抱えている人がいることを覚えて驚きと自らのあり方を考えさせられた事である。
人は老いて体が弱り、あちこととその病に悩まされる事になるのだが、どんなときも冷静に受け止めて対応する姿勢だけは持ち合わせておかなくてはならない事を学ばされた。

足跡   「耳と耳との間の秘密」

2016-11-24 09:30:16 | Weblog
新聞に出ていた記事である。ある著名なゴルファーの言葉で「ゴルフは体力の差と思われがちだが、本当は最も頭を使うスポーツなのだ」とのことであった。今年の女子ゴルフも今週でシーズン終了となるが、今年も賞金女王になったイ・ボミが10月ごろ「最近はちょっと頭が痛いの」ともらしていたと言われている。そういわれてみるとTV画面で一打一打キャデーと綿密な話をしている場面を良く見ていたが、今思うと彼女はワンプレーに相当頭を使い考えて身体全体の神経を集中させていたかが分かるような気がした。(失礼だが他の選手では殆どキャデーとの会話のシーンは見られない)このことを通じてこのことはスポーツの世界だけではなく、日常生活でも見られる事だと思った。「頭の痛い問題」は日々あるが、真剣に物事を純粋に物事を考えるほど頭の痛い問題はあるのだ。それは悩んでいるとか、困惑しているとか、苦しんでいるということではな真剣に考えていることの大事さの象徴でもある。
日々何事をするにも「「何を」「どうすれば」と習慣的に頭を使うことをわすれていないだろうか。スポーツは兎角身体を使うことに集中して頭を使うことがおろそかになりがちで、頭を使うことが少ないのかもしれない。イ・ボミ選手との差がこんなところに出たのかもしれないし、
この秘密が大事だと言う事に気づかない人が多かったかもしれない。
私たちもただぼんやりと過ごすのではなく日々頭を有効に使って一日を大切に良い結果を残す事を思いつつ大切に一日を過ごしたいと思うのだ。「頭が痛くならない程度にほどほどに」

思い付くままに  「馬にはのってみよ」

2016-11-21 09:52:18 | Weblog
ことわざに「馬には乗ってみよ。人には沿ってみよ」とある。どんな名馬と言われた馬でも乗ってみないと相性というものもあり、必ずしも全てに都合が良い事になるとはかぎらないこともあるだろう。人との交わりもまた然りといえよう。それは政治の世界でも我々の家庭生活でも同じであり、職場でも同じであろう。アメリカの大統領が決まり、日本では速くに首相自らがアメリカへ行き、トランプ氏と会談を持った事は当を得てすばらしい事である。
勿論すぐさまに決まるものもないし、話せる事ばかりがあるわけではないが、行動と印象を相手に示す事でその印象は強く伝わった事だと思う。
私たちの日常の生活でもこれに属する事が多い事が分かる。兎角人はりくつっぽっくあれこれと言う人も多いがまずは実行する事も大切であろう。人には「沿ってみて」交じりあってこそ分かる事が多いのである。「そうだったのか」と理解する事の多い事を実感として知り、そしてお互いに理解し、相互の違いや特徴を知り合う事は一番大切かもしれない。
あるいは外観は良さそうであっても、実際に行動を共にしたり話し合ったりしてその違いを発見する事も多い事を何度も経験しているはずだ。
人との付き合いは外からではなくやはり話し合って付き合ってこそ分かる事が多い。
新しい現場や職場ではなおさらであろう。
最近は近所付き合いも昔のように親しくはなくなってきた。顔を合わせても挨拶すらない時代になりつつある。町内の訃報などもプライバシーに触れるとかで、知らせる事はなくなった。
個人葬でひっそりと終わってしまう事が多くなりつつある。
これも時代の流れかと理解せざるを得ないが、「人には沿って」と言われても沿う事も侭ならぬ時代になったのかとさびしくも思う。

足跡    「予期せぬこと」

2016-11-18 09:44:24 | Weblog
人生には日々様々な出来事が起こる。それら全ての出来事は自分が思い描き、考え計画したとおりになると言う事には繋がる事は少ない。むしろ願い、臨んでいる事の思いに反する事のほうが多いと考えるべきであろう。それはどんな富裕者であっても、権力者であっても内容の差こそあったとしてもその事実は変わらないのである。
私自身の人生でも幾多の出来事が予期せぬ事としてあったことを思い出す。中でも妻の突然の病気の発作であった。原因不明の病気による発作が突然として起こった事は、手の施しようも泣くその備えも出来ない。ただ起きた事に対する対処だけが精一杯であった。しかしそれらはすべて望んでいたこととは裏腹に病気は進みやがては帰らぬ人となってしまった。そしてすべてのことは何の役にも立つ事もなくすべてはただなり行く事を傍観するのみであった。
困ったとき、助けてもらいたいときに人に頼る事も同じであろう。妻の病気のときにも家族、親戚、縁故全てに手を尽くしてみたが、親身になって助けてくれた人は見つからなかった。(家族でも難しい)そんな時、派出婦会からの派遣を願ったが、病人のわがままで長続きせず、わがままの子供世話もありどうすることもできないとき、不思議にも誠実なひとりの女性に恵まれ
最後まで助けてもらう事ができた。このことも全く予期せぬ事であり、どれほど助けてもらったか不思議な思いである。
事ほど左様に私たちの日々の生活が「平安」に保つ事は自分の力だけでは出来ないのである。それは何故だろうか。そのことについて誰も明快な説明は得られない事かもしれない。
それは「たまたま」とか、「偶然」とか、あいまいな言葉で片付けられるのかもしれない。
しかしそこには人知を超えた大きな力が存在する事を、そしてその力と恵みによってそなえられることを知らされるのである。それは言葉には言い表せられない「願い」であり、「祈り」とでもいえるのだろうか。世の中の事は決して全ての事が「なるようになっている」とは思えないのだ。勝負事の世界では「負けるに不思議な負けはなく、勝つに不思議の勝ちあり」との言葉があると聞いているが、人生においても過去の誤りを正しつつ、ただし願いと祈りをつつける事で
新しい道を得る事ができる事を知るべきだと考えさせられている。
日々喜びと感謝の念を持って謙虚に自らを省みつつ過ごす事こそ予期せぬ事の起こりえる事を思うからである。

思い付くままに  「老化現象」

2016-11-15 11:59:20 | Weblog
ここのところ連日のように高齢者運転事故のニュースを見る。このニュースを見るたびに私も自分の経験を思い出してその恐ろしさを感じるのである。老化現象は75歳を過ぎたころから始まった気がする。最初は「めまい」のような感じから始まった。「立ちくらみ」かなと思っていたが、そうではなく身体の状況によって突然意識が消えるのである。その時間は僅かに数秒と思われるが、その瞬間は意識がなくなり一度は駅のエスカレーターで転倒した事もあった。
そして80歳に近くなると運転中にもそのような意識の消える経験をした。そのときはまだ大丈夫だと思いつつも恐怖を感じないわけではなかった。遠距離の運転はやめ近所付近での運転にしていたが、昨年から自主的に運転を一切止める事を決断した。
最初は不便からすぐに行動する事に身体がついていかず生活が変わったが、やがて過去の運動不足を「散歩」と言う意識に変えて歩く事を楽しみと喜びを覚える努力をするようにした。毎日と言うわけには行かないが天候の具合をみながら2キロ前後を歩く事にしている。
治療も薬剤効果が出て、少しづつ体調も安定してきた。
これらのニュースを見るたびにわが事のように実感として自己の感覚が分かる気がするしその危険の怖さを知る事が出来る。
確かに運転を止めることの勇気は自信家ほどに強くそれがプライドに影響するかのごとくかんじるものだが、高齢者の一人として「自信があるうちに運転を止める」勇気を持つ事をお勧めしたい。人間である以上その肉体は確実に衰えていくものである事を知るべきだと思うからである。

足跡   「アメリカ新大統領に望む」

2016-11-12 09:27:57 | Weblog
来年からスタートするアメリカの新大統領が接戦の末決まった。結果は予想に反して実業家であって政治家として歩んでこなかったトランプ氏が当選した。
このことはアメリカ人ではなく世界の人が大きな出来事として心に残る事になった。そしてまたこの出来事を通じて学ぶ事も多かった。今、アメリカは世界の先進国の中において最も中心的な存在であり、その影響力は計り知れないものである。
その力をどのように発揮しその影響が世界へどのように及ぶ事になるのか、その内容は選挙戦中に当事者で討論され、語られてきた内容とは違って、新しいアメリカを象徴する事になると思われる。そしてそれは一言で言えば単にアメリカ一国の繁栄に限らず「世界平和」を目指すものとして世界の国々がどのように力をあわせることが出来るかと言う事にも繋がっていく事になるのだ。それは単に経済問題だけではなく、難民問題、気温温暖化問題と世界レベルの問題への影響でもあるのだ。
アメリカはここで自国の問題もさることながら世界の国々への影響を含めて、それらの国々の繁栄をも考えつつ政策を決定して実行する事を願わざるを得ない。
そのために大統領は今までの政策の上に立って、叡智を集めて立案し、実行していく事を願いたい。今その意味で全世界の国々がこのトランプ大統領を注目している。

思い付くままに   「二人の姪っ子」

2016-11-09 15:35:11 | Weblog
「今日おじさん、会ってもらえる」突然の電話である。私には自分のほうに二人の姪っ子がいて妻のほうにも二人の姪っ子がいるのだが。電話は妻のほうの姪っ子たちからだった。
妻が亡くなって20年以上も過ぎたのだが、二人は昔と変わらない話し方で若いときに(彼女たちが結婚当時)交わりを持ったままの思いを大事にして「あの時は叔父さんにとてもお世話になった」と当時の思い出を大事に覚えていているのだ。自分はどんな事をしたのかすっかり忘れているのだが、聞いてみるとはじめてアメリカへ行くときに成田まで送って、出発まで面倒を見てくれたと30年も前のことを話すのだが、私は自分がそんな事をしたことさえ忘れて、かえって
何か失礼な事を言ったり、したりしていないかとそんな心配をして黙って聞いている。
しかし、こんな年になって何年に一回ぐらいしか会わない娘たちがこうして会いにきてくれることだけでも幸せを感じるし、死んだ妻の引き合わせかと思ったりしながら数時間を過ごす事ができた。ひとりは病院の検査技師のようなしごとをしているらしく、私の体のことを詳しく聞いて
色々としならない事をアドバイスしてくれて勉強になった。
現在心臓の検査を受けている最中なのでとても参考なったし、これからも何でも分からない事があったら連絡してといってくれる。ありがたい事である。
思いがけずこうして頼りになる人が近くにいることは心強い事で、いよいよ天国の妻が姪っ子を通じて守ってくれているのかと考えたりして、思い出して懐かしく思う。
考えてみればこんな交わりは計算ではない。人は兎角行動に計算が伴うもので仕事などは「話していくら」「歩いていくら」と計算づくのことが多いが、こうして自然な真心だけの交わりほど心休まる事はない。本当におもがけない幸せな時間を持つ事が出来た。

足跡   「山羊ののろい」

2016-11-06 17:16:41 | Weblog
米大リーグ野球の優勝戦を見た。結果はナショナルリーグのシカゴカブスが優勝したのだが、この優勝が、中々の裏話でいっぱいであった。このチーム今から100年前に山羊を連れて入場しようとしたお客さんを入場させなかった事がある。その時その客から「カブスは今後二度と優勝する事はないだろうと」という捨て台詞を受けた。そして何度もチャンスがありながら二度と優勝する事はなく108年が過ぎていた。そして今年その「山羊ののろい」を打ち破って優勝したのである。試合も順調にカブスが勝つかと思われたが、土壇場で同点にされ、延長戦は入り、しかも途中雨で中断もあり、果たして優勝できるかどうかも分からない状況の中で選手はあきらめずに勝ったのである。「野球は筋書きのないドラマ」とも言われるが、当に絵に描いたように
二転三転しながらの優勝であった。「山羊ののろい」はやっとこれでなくなったといわれた。
シカゴはこの時期10度を切る寒さで(この日は5度)選手も観客も寒くて大変だったと思われるが、そんな寒さを吹き飛ばす熱気であふれていた。
本場アメリカの大リーグの熱気を感じさせ、日本では味わえない感動の試合だったと言える。
日本でも様々なスポーツが盛んだが、まだまだスケールと言い、そのパワーといい迫力と言い、その熱気は違うような気がする。
オハイオへは一度訪問した事があるが、穏やかな農地が広がる静かな環境であった印象が残っているが、シカゴに通じるオヘヤ空港の広かった事も印象深かった。
今頃はこの静かな町も100年ぶりの優勝でにぎわっている事だろうとこちらまでうれしくなって見ていた。