波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに   「袖すり合うも~」

2016-06-30 09:35:37 | Weblog
先日ある会合に出た人の話を聞いた。其の会合は同業の集まりであったので、初めて会う人同士とは言え同じ立場で共有する知見のある人同士なので楽しい会になるはずだった。
しかし、実際に出かけて会場へ行くと隣り合わせに座っている人同士でもほとんど口を利くこともなく会は進んでそのまま終わったと言う。
そういえば最近の傾向として個人情報の悪用と言う文字の影響もあり、プライバシーに関する話しはしないほうが良いと言う傾向が目立つようになっている気がする。だから上記のような催しで集まりがあっても、また他の様々な会合でも其の時間を楽しく共有することが酸くなっているのではないだろうか。これはいったいどういうことなのだろうか。
江戸時代から伝わる下町長屋の人情話のようなうち解けた話や大金を取り逃がした話、また大物泥棒を捕まえた話とか他愛のない話を気楽にしながら笑いあったり、慰めあったり助け合ったり
出来たのだが、もうこの時代にそういうことは期待できないのだろうか。
そういえば会話の楽しさを努力したり学んだりすることや話術と言うものの価値もほとんど話題にもならないようである。こうなると何処へ行っても「笑い」はなくなり、心が温まる事もできなくなるのかと少しさびしい気がしている。
TVで「笑点」が人気になり、「お笑い番組」が人気があるのは、現代のそういう状況の反動でもあり、そうでもしなければ笑う機会もない事を象徴しているのかと思うとあまり笑えない話ではないだろうか。本当の笑いは各人の心にあることを覚えたいと思う。

思いつくままに    「新しい道」

2016-06-26 10:18:14 | Weblog
しばらく世界が安定していると思われたが、イギリスのEU脱退のニュースが世界を一度にゆるがせる事になった。今までヨーロッパ27ケ国が協力して安定していたが、この事によって
世界が大きな影響を受ける事になるようだ。それがどのようなものであるかを知る人はまだいないだろうが、新しい世界が始まる事だけは確かである。
人生も同じであろう。安定の上にあるようではあるが、常に変動する世界におかれて生きているのである。今まで自信を持って過ごしていた世界が急に変化する事もありうるのである。
勿論、その人にとって良くなる事もあるかもしれないが、悪いと見える状況におかれる事もあるだろう。しかし大局的にみれば同じなのではないだろうか。
今回のイギリスの問題も世界への影響は大きいと思うが、自然と新しい知恵と協力が生まれて世界が動き出す事だろう。
人生も同じである。どのように環境が変わろうとも世界がなくなったわけではない。歴史もあり、そこに人がいて協力と希望があれば新しい知恵による新しい世界を築く事はできるのである。それは簡単ではないかもしれないし、時間もかかることだろう。
大事なのは必ず良くなるための世界があることを信じてあきらめず知恵を働かせて其の努力をやめないことだろう。其の先には必ず希望の世界がまっていてそれが目標へと導く事になる事を信じる事である。
5年前の関東の大震災も先日の九州の大震災も壊滅的な被害があった。おそらくそこに住む人々は大きなダメージを受けた事だと思うし、希望を失ったことだろう。
しかし新しい道がなくなったわけではない。それを自ら捨てずにしっかりと見つめて其の目的地に向かって歩き出す事である。
そこに新しい世界がまっている事を信じて

個室   第14回

2016-06-23 09:57:32 | Weblog
内田は家族や親戚を前にして重い口を開いた。「詳しい事は分からない。ただ奥さんが警察から聞いた話を整理するとこんな事だ。整備会社の人たちが其の日の朝の作業の為に其のビルの8階のトイレ掃除を始めた、男子トイレの大便用の個室の一つの扉が開けたところ、ぐったりした死体が倒れ掛かってきて驚いて警察へ電話をしたらしい。警察は検死官たち関係者と一緒に来て死体を持っていった。其の状態は詳しく話せないほどに汚れ、乱れていたそうである。
死亡時刻は前日の午後2時前後と推定された。そして彼のデスクは仕事中のままの状態であったと言う。つまりパソコンは開いたままでありボールペンがノーとともにおかれ書類のいくつかが其の横に乱雑に置いてあったということである。それは昼食後に気分が悪くなって当人がトイレに行き、そのまま発作が起きて苦しくなり、動けなくなった事が分かる。しかし其の事を証明するものは何も出てこなかったということなんだ」
そこまで話すと内田は少し間を置いて黙ったままだった。時子はそばで其の話を聞きながら
「私も警察の人には会社の人に何か話は聞けなかったのですかと聞いてみたのですが、ただ分からない」と言うだけで詳しい事は分かりませんでした。会社の私物を持って帰るとき、会社へ行き、机の上を片付けましたが、本当に仕事をしているままの状態でした。
あの人らしく全てが几帳面に置かれていて整理されていました。
内田がまた口を開いた。「一夫は仕事中に急に気分が悪くなってトイレに行ったのだろう。
そこまでは分かる気がする。しかし個室に入って気分が悪くなり、出ようとしたか、それを誰かに告げようとして声を上げたか、個室のドアをたたいたか、それは分からない。
ただ言えるのは午後の2時ごろから翌日の朝まで、誰も気がつかないでそのままだったと言う事は現実的に考えてちょっと不自然な気がする。そしてこれは勤務中の時間だから良く分からないけど労働災害規則にも適応するのじゃあないかとも思うけど。」といって、また口を閉じた。

思いつくままに    「試練」

2016-06-20 12:05:16 | Weblog
人生には様々な事が起こり、思いがけない事に出会うものである。私の友人が「宝くじ」で
一千万円を当てた事がある。喜んで知らせを受けると同時におすそ分けにも預かる事ができたのだが、その後の様子を聞くと町に出店を出していたが、そこをたたんで自分の家を改造して
そこで商売を続けているとのこと。どうやらその「宝くじ」は宝をはこんではくれなかったようである。聖書にこんな言葉がある。「苦難は忍耐を忍耐は練達を練達は希望を生む」
この言葉をそのまま信じてただ我慢をしていれば良い事があるのかと錯覚をしてしまうようだが、その意味はそうではない。人生には苦難を伴う事を避ける事はできない。(病気、怪我、貧困、事故他)これらの苦難は避ける事はできないが、それをどのように受け止め、忍耐しうるか、人によっては自殺する人もあることだろう(年間約3万人と推定)
全てを投げ出す人もいるし、家族を犠牲にする人もいる。忍耐にも我慢も辛抱も、冷静さも必要であり、決してそれで終わりではない。其の忍耐を克服したところに練達と言う大きな恵みを受ける事ができる。そしてそれが希望へと繋がるのだと考えるべきだと思う。
其のプロセスの一つ一つは楽ではない事だろう。しかしそれをどう考えて乗り越えるかは
その人の人生の大きな課題となるのだ。
そしてそれをクリアーしたときにその人は一段と大きな人間になりうる事になるのだと教えていると考えられる。
暑い日がやってきた。これからの日々をどのように過ごすかそんな事を考えながら

個室    第13回

2016-06-17 21:44:40 | Weblog
10本も酒を飲んだとは思いないほどに冷静だった。いつものようにテイー立つとドライバーを抜いて見事なショットを打った。アルコールが入ったほうが調子がよいのかなと思いついて歩いていると球のところへくるとそのままドライバーで其の球を打った。そしてそのままグリーンであがると、グリーンの球をドライバーのままパットして終わったのである。
これを見たキャデーはさすがに注意した。「お客さんグリーではパターを遣ってください。」と呼びかけたが、一夫は聞こえているのか、耳に入らないのか、そのまま9ホールをドライバー1本で続けて終わってしまった。注意しても分からないのか、分かっていても変える気がないのか、つまり完全に酩酊状態なのである。しかし、其のほかにはへんな挙動はなく無事に終わる事ができてほっとして帰ることが出来た。
木村はその時、酒の恐ろしさと其の行動の変化をみて、酒の影響が以下に人間の行動を変えるかをしっかりと把握できたのである。普段おとなしい人ほど其の変化は大きく、想像できない行動に出ることを知った。
飲み会では意外と飲まないし、普段からおしゃべりではないので静かである。「一曲歌ってよ」いうと、歌は決まって「関白宣言」だった。かなり長い歌である事は皆さんも知っていると思うが、しっかり覚えていて最後まで歌うのだった。決して上手とはいえなかったが、うほど詩の小心を感じているのだろうか、聞いているうちに時子の顔が思い出されてくるようで、きっと一夫は愛する妻の事を思い浮かべながら歌っているのだろうと、聞いていてしんみりしたものである。
そんな一夫が死んだのである。59歳定年をまじかにしながら一人で死んだのである。其の事は
どうしても信じられない事件であった。木村は葬儀の後も会社へ行き同僚をはじめグループのメンバーにもそれとなく聞いてみたが、誰も其の事になると硬く口を閉ざして語るものはなかった。仕方なく彼の仲人であり、上司だった内田を訪ねた。そしてそのときの様子を聞く事にした。もともと私の事務所へ連れてきて頼まれたのも彼であったし、彼のことを一番知っていたのはkれだから出ある。
重い口を開いて彼は話し始めた。相互も終わり家族、兄弟、親戚が一堂に集まって話が始まったそうである。

思いつくままに  「思考錯誤」

2016-06-13 06:15:45 | Weblog
世の中を生きていくうえで予想のつかない出来事が毎日のように起きている。ただ自分の身の回りに影響がないと、それは他人事のように気になる事はない。
しかし九州の地震災害のように、ある日突然自分の生活が根底から崩れるような事が起きる事もあるしそれは経済面でも大きな困難と生活を揺るがす事になる。
大事な事はそんなときにどれほど冷静に周囲の状況を見極めて、行動する事ができるかと言う事であろう。何が出来るのか、何をどうする事が正しい事なのか。間違いのない正しい方法とは何か。「思考錯誤」することになる。
そしてそれは自分だけで考えられる事では終わらないのである。つまり自分の思考を超えた大きな力が突然示される事があることだ。それは常に「祈り、願う」ことにしか生まれてくる事はない。しかし真剣に名が永、祈るとき、自分では予想もしない、または考え付かないような力と知恵とを与えられる事がある。それは理由も原因もない。ひたすら無心に願う心に大きな力によって与えられるものであろう。そしてそれが何であり、何故なのか、それらは明確にされない、また根拠のあるものでもない不思議な力と知恵によって導かれるのである。
それらは歴史的にも色々な症例として証明されている。事故にあって助かる事、不治の病にありながらそこから新しい人生が始まる事、私自身も生まれてこの方何度か死に直面して生かされてきた事を考えても自分の力ではない大きな力が働いている事を覚えざるを得ない。
人はいずれ死を迎えるが、其の死さえも自分の思い通りに勝手に望み考えてしまうものだが、
全ての事は自分で決めて自分でできているようでそのようなものは一つもないことを知るべきであろうと考えている。
全ての事は「願い、祈り、委ねる」事から始まる事をこの世の人生において大切な事である事を知っておきたい。








個室   第12回

2016-06-10 15:36:50 | Weblog
葬儀の帰り道の車中から見える風景はなつかしい思い出と重なっている。この道をゴルフ道具を持って何度走った事だろう。仕事を離れれば一夫はゴルフ友達であり、よきライバルでもあった。彼は道具にこるぐらいなのでプレーも緻密なところがありいつも負けることが多かった。当時ゴルフは全盛時代を迎えて簡単にプレーをする事ができなかった。私たちは毎日でもゴルフをしたいとあってプレーの予約を取ることが最大の悩みであった。東京近辺では料金も高く料金も高く安サラリーマンが行けるところがなかった。そんなとき一夫は地元の太田市で経営しているゴルフ場の予約を葉書で抽選を行っていた。それで抽選であたると連絡があり、木村は息子を連れて東京から夜明けとともに駆けつけてゴルフをするようになっていた。
プレーが終わると一夫は自分の家を開放して休ませてくれたしお茶や食事まで用意してくれたものである。時子はそんな時もちっともいやな顔をせず、いつもと変わらぬ関西流のジョークを交えて明るく私たちも迎えて楽しませてくれたものである。
一夫はどんなときにも態度は変わらず気持ちよく応対してくれるのでこちらも縁夜なく遊び
疲れを感じなかった。ローカルのゴルフ場はいつも満員であった。プレーも素人が多い為にプレーが時間通り進む事はなかった。
ある日の事である。いつものように抽選であたった葉書で太田のゴルフ場まで行き、プレーをする事になった。其の日はまた激混みで午後からのプレーのスタートまで2時間待ちといわれていた。一夫は例によって食堂で食事をしながらワンカップを始めたのだが。かれこれすたーとまでに10本ぐらいは開けていたのだろう。私たちは彼がどの程度出来上がっていたのかは分からないままプレーを開始していた。
彼の様子がおかしいと思って気がついたのは、ワンホール過ぎたころであった。

思いつくままに  「一日の絵」

2016-06-07 09:36:44 | Weblog
私は生来絵を描くことは下手だ。しかし気持ちとしては描いてみたいと言う思いがあって何度か挑戦したり練習もしたが、指導者につかなかったこともあってあきらめてしまった。「絵心」と言う才能がなかったことが致命的だったのか、今でもさびしい気持ちがある。
しかし字を書く事は何故か小さいときから隙であった。文章も適当に書く事も好きだった。この事も生まれつきなのか、分からない。亡くなった父とは死ぬ最後まで文通を交わしていた。(
岡山ー東京)父は90歳を過ぎても変わらず毎週手紙を書いていたが(そのほかに聖書を写本として書いていた。)其の最後のはがきの日付は94歳だった。
そんなDNAを受け継いだのか、何でも書く事で気持ちが楽しくなる傾向が残っている。それは
80歳を過ぎても変わらず、日々の生活の中で思いついた事や過去の思い出、そして生活の出来事の中で起きた事を自分の考えの中で整理して書いたりしている。
そこで「絵」を何とかしたいと考えた末に、自分の頭の仲で「一日の出来事を絵にしたらどうなるのか」を一日の終わりに考える事にした。
一日の朝は真っ白な白紙である。其の白紙に自分なりにデッサンを想像する。そして絵柄を考えながら色彩を何色にするかを考える。できる事なら其処に登場する人物も話される内容も絵として考えたい。そして夜寝る前までに仕上げるのである。其処にはどんな絵が心の中で書かれているのだろう。気持ちの良い絵が欠けただろうか。また心の汚さがそのまま色や図柄に出てしまっていないだろうか。自分でも改めて自らの絵を見ながら一日を考えさせられる事になる。
自分の思う事や、願いがそのまま色や図柄になっている気がする。
出来ればさわやかな色合いで、花の美しさで完成させたいものと思うが果たして其の出来合いはどうだろうか。
毎日楽しみでやっている囲碁のゲームの戦いも其の中には含まれる。買ったときの色と負けたときの色ははっきり黒白をつけざるを得ない。
そんな事を考えながら日々変わるお天気とともに毎日を楽しい絵で染めて生きたいと考えている。

個室    第11回

2016-06-04 10:29:26 | Weblog
時子は葬儀を迎えるために精一杯の事を気力で進めていた。まだ小学生になったばかりの二人の娘は父親の死を現実には受け止められず、知らない人の出入りを珍しそうに見ていた。
会社からは彼のいた部署のメンバーが数名其の葬儀のために派遣されていた。挨拶に来る会社関係の人への配慮であり、挨拶でもあった。
家族としては親戚関係と地元の人たちへの挨拶と応対で手分けされていた。
既に退職して会社は離れていたが、木村は葬儀に駆けつけていた。全く知らなかった事だったが
嘗ての部下が岡山から知らせてくれたのである。「詳しい事情は分からないのですが、亡くなったとのことで葬儀が7月1日に行われるそうです。」とあった。
其の知らせを聞いたときは、ただ呆然としてすぐには信じられなかった。嘘だろう。そんなはずはない。会社を辞めるときにも「私も定年が来年で間もなくです。暇になったらまた昔のようにゴルフをしたいものですね」と話していた言葉が蘇ってくる。あれほどゴルフを楽しみにして
酒を愛していた男が突然死んだと聞かされても納得もいかなかった。
「何があったのか、聞いているの」と電話口で聞くと「東京の本社の仕事中で昼過ぎに急に
気分が悪くなってトイレに言ったらしいんですが、それからの事がわからないのです。
東京の関係者に聞いても一様に何も分かりません。知りませんの一点張りで説明してくれないので詳しい事は分からないのです。」と言っていた。
葬儀の当日、暑い日で汗をかきながら駆けつけたが、誰に話しかけても誰も口を利くものはなく、嘗て同僚として一緒に仕事をしていたスタッフも一切無言であった。
結局何も分からず、木村は遺影を前で嘗てともに寝食をともにして仕事をしてきた感謝とお別れの挨拶を心の中でつぶやいて帰るしかなかったのである。
それは今までにない寂しい時間であり、長い時間でもあった。

思いつくままに  「もしも誰かに~」

2016-06-01 14:26:03 | Weblog
人は生きている限り、様々な不安と試練にさらされていきているものであるかもしれない。
ただ其のことにあまり気を使わないようにしているか、気づいていても自己中心的に自己主義を貫いて意識しないようにしているか、もしくわあきらめに似た境地にあるのかもしれない。
もしも誰かに「リストラ」と宣告されたとしたら(この言葉が何時から使われるようになったか知らないが)または「失業」を言い渡されたら誰でも致命的なダメージを受けることであろう。
もし私がこの言葉を何らかの形で受けたとしたどんなダメージを受けるだろうかとふと考えてしまった。おそらく想像のできない心の傷を受けることになるだろうと思うし、其のダメージはどんな影響をその人の人生に与えるだろうかと考えてしまった。
個人個人その影響は違うし対応も違うことだろう。またその人の個性や境遇にも寄ることだろう。その人の性格と精神力で一概には言えないところもあると思うが、其の損得も一様ではないだろう。望むべきは時間の経過で其の心の傷が少しづついえて精神力を回復してもらいたいものだと思う。しかし其のダメージの影響は男性と女性とでも受け止め方が違うだろうし、その人によっても違ってくる。自らを常に律して考え手人生を過ごしている人だとすれば、「何故、こんなことを言われたんだろうか。」と反省するだろうし、其の自制力が強い人ほど、其のダメージは強く残るのだろうと考えられる。
「相手の人のことを考えいたことが、何故伝わらなかったのか」と思うこともあるだろう。
そんな意味では繊細な神経の持ち主ほどダメージが残る気がしてならない。
私自身が人に対してそんな言動を持って人を傷つけていないとはいえないだけに自分自身としても誰のことに対しても責任とその影響を考えざるを得ないのだ。
「隣人を愛せよ」とは聖書が一番強調している言葉であるが、こんなときこそ深く教えられる気がしている。そして少しでも其の言葉に応えられる人間になりたいと思わされている。