波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

  オショロコマのように生きた男  第68回

2012-01-31 10:35:11 | Weblog
その電話は嘗てT商事で仕事をしていた時の会社の元のオーナー夫人からだった。病院からかけていると言うこともあり
か細い低い声であった。宏はその声を聞きながらただならぬ雰囲気を聞き取っていた。
「主人が入院しています。野間さんへどうしても頼みたいことがあるそうで、出来るだけ早く一度病院のほうへ来ていただけませんか。」という事であった。「分かりました。都合をつけて明日にでも伺います。どちらの病院ですか。」と聞く。
病院は工場の近くの横浜の郊外であった。まだ着任して間もない宏にとって会社を休むことは出来にくい立場ではあったが
個人的に波賀に相談して見るしかなかった。そして事情を説明し了解を得て見舞いをかねて出掛けることになった。
病院特有の薬品と消毒の混じった匂いを感じながら病室に向かった。面会を申し入れると夫人が出てきて、今は薬で眠っているのでと面談室へと案内される。「実は主人は癌を宣告され、医者からも助からないだろうと言われています。本人も覚悟を決めているようですが、会社についてご相談させていただきたいのです。」と話し始めた。
子供もいるが、会社の仕事を継ぐ意思はなく経済的な問題もある。そこで会社の株を譲渡したいので、買い取って欲しいのだと言うことであった。誰でもと言うわけにも行かず、嘗てご縁があって仕事をしてもらったこともある野間さんが良く分かっているので、譲りたいと指名されたようだ。当人もそれを望んでいると言う。
概略の話を聞いたあと、病室へ戻りベッドの傍へ行き手をとって話をしようとすると酸素マスクのしたから、かすかに「うん、うん」と頷いている顔が見える。喉頭がんとあって声も出せない様子の手をぐっと握り返し、こちらからも頷き返すと、表情が和らいだかに見える。それで言葉を交わせなくともお互いの意思が通じたようであった
見送りに出てきた夫人に「突然の話で驚いています。お話は分かりましたがすぐにはお返事のしようもありませんが、彼の気持ちは良く分かりました。出来るだけご希望に添えるように検討してお返事しますので、お時間をください」と言うのがやっとだった。帰り道、初めて死に直面している人間の姿を目の当りにして、愕然とすると同時に自分の問題として考えさせられる時間でもあった。夫人から出された金額もすぐに何とかなる金額ではなかったが、そんな事を考える余裕も自信もなかった。
ただ、病人の気持ちを汲んであげたいということだけが頭にあった。

オショロコマのように生きた男    第67回

2012-01-28 10:41:41 | Weblog
D社は埼玉県の蕨にあった。少し都会に近くなり自分の職場の雰囲気も変わった気がした。N社は地方のローカル色が強かったが
会社の規模も一段と大きいと言うこともあって、社内の空気は一見冷たい感じもするが、それは大人の世界であり都会の感覚でもあった。宏は何となく生き返った感じになり、新たな思いで仕事に取り組むことが出来た。ここでは技術研究部門の一員となり
上司の波賀氏から挨拶を受ける。「野間さん、私たちのグループへようこそ。歓迎します。あなたの力を存分に発揮してください。期待しています。」それは技術者らしい何の衒いもない言葉であり、一人前の人間としての扱いであり、嬉しかった。
ここからなら千葉の実家へもそんなに遠くない。今まで以上に家にも顔を出すことが出来ると宏は考えていた。娘はすっかり大きくなっており、学校も終えて近くの職場に就職していたし、息子も北海道の大学で一応学んでいると聞いていた。
久子は相変わらず好きな訪問営業をしながら家事をしていた。そんな様子を知ってか、知らずか宏は新しく与えられた仕事に集中するようになっていた。
そんな中で大事なことを思い出し慌てて村田に電話をかけた。「村田さん、突然で悪いんだがまたお願いがあって」「何だい。
また珍しい上手い料理を見つけたから付き合えとでも言いたいのか。」「いや、そうじゃあないんだ。それもあるけど又保証人の書類にサインが欲しくてね。」「だって、この間済ませたばかりじゃないか。」「あの会社事情があって辞めたんだ。それで君も知っているD社にお世話になることになってね。そこで必要なんだよ。」「えーそうだったのか。了解だ。書類を送っておいてくれよ」何も言わずにそれだけ言うと話は済んだ。電話を切ってから村田はさすがに驚いていた。「なんて奴なんだ。こんな綱渡りのような人生をするなんて信じられない。誰でも出来ることじゃないぞ。俺なんて親の決めた会社にしがみついている身だ。それに引き換えあいつの人生はまるっきり真逆だ。こんな生き方もあるのか。」
村田はこのとき、初めて野間の生き様を噛み締めて考え感心していた。池田も知っているのだろうか。このことを知ったら彼、何て言うだろう。「いやあ、村田さん野間さんなら大丈夫ですよ。全てにポジテイブに考えて生きていくことが出来る人ですから。」
そう言いそうな気がしていた。
宏は二人がそんな噂をしているかもしれない等と言うことは全く意に介せず、毎日をマイペースでいたし、全力投球でもあった。
そんなある日、宏は思いがけない女性から電話を受けることになった。

思いつくままに

2012-01-26 15:22:51 | Weblog
人は原則的に見えるものは信じるが、目に見えないものは信じようとはしないのが普通である。そしてこの二つのどちらをとるかで、その人の考え方や人生が変わってくるようだが、当人はその事にあまり気づかないし、そんなことは関係ないと思っていることが多い。しかしこの世のことでは全てが科学的に解明され又は証明されて説明できると言うことばかりではない。
むしろ解明されてないでその対策がなされないままに、災害にあうことも免れないことが多い。(昨年の東日本大地震はまさにその例であろう。)
人間関係においてもそれは大きな問題となる。例えば人とのお付き合いおいて、どのようにあるべきか、私たちが本当にお互いに隣人として(家族を含め)大事なことはなんだろうかと考えるとする。その時大切なことの一つとして「豊な想像力」が上げられると思う。つまり相手の心に何があるかということを的確に思い浮かべることの出来る力を備えられたらと思うのだ。
言い換えれば察してあげる愛の想像力が求められるのではないかと思うのだ。
自分自身が傷を負っていては望みを持つことは出来ないだろうし、イメージも貧しいものになってしまう。
一人暮らしをしていると誰とも話す機会が少なくなる。それは様々な影響をもたらすのだが、一つには自分自身の中で様々な世界を作り、そこにイメージや想像力が働き、新しい発想が生まれてくる。そしてその一つ一つは冷静に判断されとっさには出てこなかったことが、あらゆる想定のもとで、考えを生み出してくれる。
嘗てはこのような時間や経験をあまり持つことはなかったし、出来なかった。そして軽挙妄動には走ることが多かったことを思えば全く新しい世界を自分で生み出しているのかもしれない。
そしてそれは今まで考えられなかったことも想像出来るようになり、考えられるようになっている。それは言い換えれば見えるものだけではなく、むしろ見えないものを考えていることが多いのだ。
現実は厳しいことが多い。考えようによっては安心できることなど何一つないかもしれない。しかし、此処で大事なことは現実に直面して「諦めない心」を持つことであるし、それは見えないものを信じて生きると言うことにつながらないだろうか。
いずれにしても全てのものを明るく、見えないものを見るイメージを持つことがで自分の生活様態を変えていくのも面白いと思っている。
この日、今日奇しくも私事ですが、77回目の誕生日を健やかに迎えることが出来たことを心から感謝したいと思っています。

オショロコマのように生きた男   第66回

2012-01-24 10:14:36 | Weblog
オショロコマという魚は元来北海道の河川に棲息する魚で多くは河川残留型とされ源流から河口までを往来するのだが、中には
降海して海へ行ったまま帰ってこないのもいるのだ。それはまるで宏の行動を見ているようで、どうやら宏は降海型で川には帰って来ないのかもしれなかった。N製作所の居心地の悪さもあってか、この話に乗る気になったらしい。今の仕事にもう一つ力が
入らないことも原因のひとつだった。それは自分の思い描いてきた仕事につながっていないこともあるし、追い続けてきた仕事でもなかった。
さりげなく松山のところへ出向いた。「実はちょっとお話したいことがありまして」と切り出すと、松山も何となく空気を察したと見えて「野間君、じゃあこっちの部屋へ」と何も言わせないで、応接室へと手招いた。
「何だね。何か不満でもあるのかね。それとも何か必要なものでも出来たかな。」何も言わないうちから、心当たりでもあるのか、自分から切り出した。「いや、そういうわけじゃあないんですが、」「やっと落ち着いてきたところじゃないか。これから色々と仕事を頼もうと思っていたところだが」仕事をさせると聞いて少し気持ちが動いて「えー、そうなんですか」とここで
一呼吸をおき、言葉を選んでいた。そして会社を辞めたいと切り出すと、予想していたように「それで、このあとどうするんだい」「別に当てもあるわけじゃないんですが、今の仕事は私には向いていないような気がして」と言うと、「俺もそう思っていた。何れ君にふさわしい仕事を頼もうと思っていたんだ。」と如何にも分かったようなことを言っている。
本当は松山の下でこんな仕事をしている事に飽き足らないのだと言いたいところだったが、それは面と向かって言えるわけはなかった。宏は仕事はともかく和子が小山と所帯を持って幸せに暮らすようになったのを確かめて、此処での自分の仕事が何か終わったような気がしていたのだ。
そして心の片隅に自分の仕事を追い続けたい。それが今の仕事ではないことを直感的にずっと感じていたことも事実であった。
しかし、この場で松山に本当のことを告げることは出来ない。自分がいても居なくても良い人間であること、そしてこれから
この仕事を続けていく人たちの心を傷つける必要もなかったのである。
「それじゃあ、お疲れさんでしたといったところかな」と松山は諦めたように静かに笑った。

  オショロコマのように生きた男  第65回

2012-01-21 09:44:56 | Weblog
めんどくさいなと思いながらも相手の生真面目さにいい加減なこともいえずに答えた。彼は近所のK社に勤務していた。ひょんなことことから付き合いが始まり、そのうち和子とも一緒に食事をするようになった。
始めは年上の和子にそっけないそぶりだったが、そのうちその性格の優しさに影響を受けて愛想良くなっている。そんな二人を宏は興味深く見守っていた。彼女のほうも小山(青年)の気持ちが少しづつ分かってきたようで、少し年下の弟を見るように面倒を見るようになっていた。そして何時の間にか宏の知らない間に二人はデートを重ねるようになっていた。
ある日、和子がその日の弁当を配った後、宏のところへ来て「ちょっとお話したいことがあるんですけど」と告げた。食後の休憩時間に「小山さんと一緒に暮らすことになったの」と唐突に言う。「そうそれは良かったね。」「野間さんに紹介されたので、報告しておかなければと思って」「いや、二人で決めたことだから、良いんだよ。上手く仲良くね。」何と言っていいか良く分からなかった。また、子供もいる女と一緒になることも、何となく気になったが、男女の中はそんな理屈では割り切れないものがあることはよく分かっていた。「その内、家で食事を招待するので野間さんも来て下さい。」「分かった。何かお祝いしなけやあね。」宏は何故かほっとした思いであった。
松山との人間関係にはいささか疲れを覚えながら仕事を続けていたが、どうにも自分自身で納得がいかなくなっていた。
元々初めからそんなに乗り気ではなかったこともあり、他に仕事も見つからず取り合えずという軽い気持ちであったこともあった。ある日、自社の設備でどうしても処理できない工作の仕事が入り、取引先の大手D社へその設備を使用させてもらうために
出掛けることにした。そこは以前に行った事もあり知人も出来ていた。研究室へ案内されてゆくと、顔見知りの志賀がいた。
「やあ、暫くだね元気でしたか」と懐かしく声をかけられ「お陰さまで何とかやっています。」すると「いつもの元気がないじゃあないか。何か悩みでもあるの」と鋭く突っ込まれた。つられて愚痴っぽく近況をしゃべってしまった。
「何だ。そうだったのか。良かったら相談にのるよ。今うちのほうは人手が足りなくてね。本社へ応援を頼んでいるんだが、中々回してもらえなくて、臨時でも良かったら頼むよ。君みたいなエキスパートを探していたところだ」
宏はぐっと胸が熱くなるのを覚えていた。

思いつくままに

2012-01-19 09:58:00 | Weblog
人間の生き方は様々である。しかし人間のあり方はどんな境遇の人でも大切なことは皆同じだとは言えないだろうか。私は最近
ある研修会に参加してある先生から次のようなお話を聞くことが出来た。
「富士登山をしていた人たちが下山途中、落石事故にあう羽目になった。そして仲間の一人が亡くなり多くの人が怪我を受けることになった。その中で自分は幸い無事だった。後日、その事を聞かれて次のように答えたという。それは突然の落石に会い多くの人はパニックになり、我先にと後ろ向きに走り出した。しかし落石の速さは人間の走る速さより早く怪我をする結果となった。
自分はとっさに子供のことが頭に浮かび子供を庇う形で落石に立ち向かう姿勢をとりながら逃げた。そしてその事は石をよけながら下山する結果になり、大きな怪我をまぬかれた」実話であり、その話を聞いて以来先生はこの話を忘れたことはないとおっしゃった。
そして先生は「私は人生においても逃げてはいけない。まっすぐに立ち向かう姿勢を教えられた」と付け加えておられた。
確かに人間は長い人生において無意識に危険を避け、不幸を嘆き逃げ惑うことが多い。しかし、その姿勢が結果的には自分自身を追い詰め不幸へと向かわせていることに気づかないことが多い。また現在は良くても何時、どんな形で不幸(落石)があるかも
分からないのである。その時に自分がどんな姿勢で、その局面に立てるか。それが肝心である。
つまりどんな場面におかれても「逃げない」姿勢をきちんと取れるように身に着けることだと思う。
また人間は生きている限り、「死」という悲しみからも逃れることは出来ない。だから日頃から悲しみを恐れることなく、真正面から向かい合い、深い慎みを持って謙虚に話が出来るようにしておきたい。そうすればどんな人にも慰めを与え、また受けることも出来るだろう。また、人は元気で運気が盛大なときは誰も近づく必要はないかもしれない。しかし病気になったり、運気が傾いたり、不幸になったときや独りぼっちになったときには、そっとその人の傍に立つことが出来ることが望ましいと思う。
それは決して「介入」という事だけにはならない。そしてその時間と勇気がその人を癒していく力となると信じている。
寒さが続いているが、日記を見ると例年と変わらないのでそんなものかとほっとする。彼岸までにはまだ当分かかるので、その間は健康に特に注意しなければと思うこの頃である。

オショロコマのように生きた男   第64回

2012-01-17 09:14:12 | Weblog
人が一人で生きていくことは、楽なようで難しいものだ。そしてそれは決して良いことでもない。それがどんな関係であれ、どんな状態であっても、一人でいることは年齢を重ねるほどに色々な障害の原因になる。友の数は減り話す相手もいなくなれば、心に問題でも抱え、苦しむような人がいれば語り合って、その重荷を分け合うことが大切だ。
和子の個人的なことには出来るだけ触れないように注意して口にしないようにしていた。しかしこうして職場を通じて人間として心を開き、話が出来ることで気持ちが癒され和やかになれるなら、こんなに嬉しいことはなかった。
「元気が出てきたわ。まだ小学校へ行っている娘と一緒にいるときが一番幸せを感じるけど今日はまた特別だったわ。」と笑っている。良かった。彼女がどれほど心を固く閉ざし開く機会がなかったことが良く分かった気がした。
会社には毎日のようにいろいろな人が来る。それはこの会社を通じて物資を供給している会社であり、業務を託されているところだが取引だけでは頼りないないと言う事もあって、機会を問わず「付け届け」と称する品物が届く。それらは総務部が所轄で
処理をすることになっているが、ここでは所長を兼ねている松山のところへ持ち込まれる。通常それらは時期を見て適当に配分されて終わるのだが、松山の場合、そうはならず何時しかそれらは消えてなくなっている。気にするほどのことではないかもしれないが、女子事務員はこの辺のことは煩い。社内でも「あれ、どうしたのかしら。」「所長が全部車に積んだのを見たことあるわ」と噂が流れ、社内でも話題になってしまう。しかし松山はそれらを無視、これでは評判も悪くなるというものだった。
宏のところにも聞こえてきたが、気にしないまでもこれでは会社の空気には良くないだろうと心配していた。
工業団地には多くの企業が入っており、その業種も雑多である。従って各企業の間での特別な交流はないのだが、会社の行き帰りとか、近くの食堂で時々顔を合わす機会もある。すると挨拶から始まって言葉を交わすことも出てくる。
そんな日々の中で、宏も一人の青年と知り合うことになった。若いのだが珍しく腰も低く感じが良い。「野間さんはどちらの会社ですか。」ここは新しく出来た団地のため、工場で働く人は地元でも幹部はあちこちから来た人が多かった。
「N製作にいるよ」と言うと、「そうですか、それじゃあ近いですね。」と人なつっこい。

  オショロコマのように生きた男   第63回

2012-01-14 09:15:54 | Weblog
職場での生活はやはり楽しい。今までの経験と知識で充分やっていくことが出来るし、人間関係も次第に気心が分かるようになり順調であった。ただ、毎日見廻りのようにやってくる松山の目が心を暗くした。それは何かを探るようでもあり、何かを知ろうとしているようでもあった。特別に事を荒立てているとも思えないが、落ち着かない。文句を言われるようなことはしていないつもりだが、何か言いたそうな目が気になっていた。そんな毎日の中で楽しい時間はお昼の休憩時間だった。
会社でのまかないの弁当を運んでくる女性は和子さんと呼ばれていたが、弁当を配りながら優しく声をかけてくれる。
「何か要る物があったらあったら、遠慮なく言って、私の出来ることなら何でもするから」知らない土地で、知らない人ばかりの中では、乾いた土に水がしみこむようにその言葉は心の中に流れ渇きを癒してくれる思いだった。
何時しか宏もほどけてきて「いつか都合が良かったら仕事を終わってから、どこか食事でもしようか。」と言ってみた。
和子は嬉しそうに「ありがとう。私まだ食べたことないんだけど、一度食べてみたいと思っているものがあるの。」と言われ、
やっぱり女性は食べ物に関心があるのだなと予想外の答えに余計興味を持った。「そんなものあるの」と突っ込むと「その時、話すわ。それまで内緒よ。恥ずかしいから」「分かったよ。じゃあ、今度のお休みの前の仕事帰りでも行こうか。」初めてのデートの日が決まった。
宏の場合、最初のきっかけは何処でもこのパターンが多かった。それは彼が物欲しげに女を望んでいるのではなく自然であり、むしろ女性のほうからの気持ちのほうが強かった。まして中年の魅力というか、あまり余計なことをしゃべらず、少し冷たい感じのマスクは、返って彼女たちの心をくすぐるのかもしれなかった。
「しゃぶしゃぶ料理って、聞いたことあるでしょ」「うん、知ってるよ」「あれを一度食べてみたいとずっと思っていたの。」
何だそんなことかと思いながら「そんなものいつでも食べれるじゃないか。最近は専門店もあちこちと出来ているし」
「そうなの。宇都宮へ行く途中に新しい店が出来たらしくて新聞に広告が入ったの」
車は宏の得意技の一つだ。二人は仕事から帰り着替えると若返ったように出掛けた。食事をしている間は、あまりしゃべることなく夢中であった。食事が終わり熱いお茶を飲む頃になって「久しぶりに満足したわ。いつも忙しくて手料理も出来なくて、お漬物やチンで済ましちゃうから」そんな笑顔を見るのが嬉しかった。

思いつくままに

2012-01-12 09:22:57 | Weblog
正月気分もそろそろ終わる。年々正月の事も簡素化されているようで、あまり大きな騒ぎにならないことをどう考えればよいかと思ったりするが、私自身は正月の度に一休の句「元旦や冥土の旅の一里塚、目出度くもあり、目出度くもなし」を実感として感じるのである。しかしよく考えるとこの句は実感ではあっても、人生の姿勢としては少し後ろ向きではないかと思う。
人間は「死」とはいつも背中合わせの運命にあり、何時、何が起きてもおかしくないのだと考えれば、いつも臨戦態勢であることが基本的には大切だと思うからだ。そしてその臨場感が無くなると日常生活に緊張感と使命感をあまり感じなくなり、何となくだらだらと日々を過ごすことになるようになると思えるからだ。
そんな事もあって、昨年から「一日一生」と言う思いを、いつもイメージして過ごす習慣をつけるように心がけている。
まだ漠然としていて実感としては前と変わらず、生活に反映するところまでにはなっていないが、今年もこのイメージを大切にしていきたいと思っている。
今年のお正月の感想として一つだけ取り上げるなら「おせち料理」がある。それは単にお正月の定番料理としてではなく、これをオリジナルで作って食べる家庭が殆どなくなりつつあるだろうと思ったからだ。デパート、スーパー、通販、コンビにと至るところで宣伝し買えると言う便利さで、作ると言う必要がなくなったのは確かだが、それで良いだろうか。(そんなものを作っている暇も時間もないと言われそうだが)
少しでも、どんな材料でも、どんな味でもお正月が、この「おせち料理」に象徴され、凝縮している価値を考えなくなっている現象が淋しいのだ。私は幸いオリジナルの「おせち」を毎年頂くことが出来るのだが、この料理を一日、二日と時間をかけて
作った人の「心」を味わうことが出来たことが嬉しかった。この思いこそが「お正月」のけじめであり、始まりでもあると言う
ことを学んだ気がした。
もう一つは家庭での「ふれあい」であろうか。今年は二人の孫が年賀で訪ねてくれて共に祝うことが出来たのだが、その成長を確認することが出来たことは、立派になったとか、優れていると言うことではなく、その存在感がこれからの可能性を思わせ
遠い昔の自分を思い出させる。そしてこの幼い人間にとって自分の役目はなんだろうかと考えさせられたことだ。
私は一つの試みとして、機会があったらこの年寄りを一人で訪ねて見ないかと提案してみた。
この提案が実現するか、何が出来て、何が生まれるか、全く分からない。実現しないかもしれない。
しかしそんな夢を見ることが出来ただけでお正月の意義を感じることが出来たような気がしたのである。

  オショロコマのように生きた男  第62回

2012-01-10 09:48:03 | Weblog
新しい職場はいつも緊張する。唯一救いは一緒に働く人がH社から派遣されている人で宏と同じ立場であることだった。初日の顔合わせは例によって松山氏が仕切っていたが、いなくなれば別の空気が流れ、よそ者同士の連帯感が漂っていた。
磁石のシートを切断し冷蔵庫の縁を貼り付ける作業だが、その部門を担当していた人たちによって行われるのだからそこには戸惑いはなかった。宏は現場の作業には入らず、そのシートの原料の仕入と自前のシートの生産過程を検討することにあった。
それは原料の仕入とシートの製造である。原料を検討することになり、すぐ彼の頭に村田が浮かんだ。
「そうだ、村田に頼もう。」嘗ての同業者であり、ライバルでもあった村田だったが何となく池田と同じようにうまが合った。
酒を飲まないと言うことも何となく親近感を持たせていたかもしれない。連絡を取ってみるとすぐ来てくれるという。
二人の話は打ち合わせは簡単に終わることが出来るし面倒なことは起こらない。仕事の話をそこそこに終わると宏は村田に
「此処は田舎で特別美味しいものを食べるところはないけど、ちょっと珍しいものを食べさせるところがあるので紹介するよ」
と言うと案内した。そこで出たランチは初めて見るものだった。トーテンポールのようにそびえたつキャベツのやまにとんかつが置かれている。どうやら此処の主人の趣味らしいのだが、豪華に見えるのとボリュームがあるように見えるのが味噌だった。
「ところで一つお願いがあるんだが」と切り出した。「何だい。原料のことなら私の出来る範囲で協力するよ」「いや仕事のことじゃないんだ。実は松山から煩いことを言われていてね。今回此処で就職することになって保証人を立てろといわれていてね。どうやら俺のことをあまり信用していないようでね。書類を渡されているんだ。分かっていたんだけどね。」
村田はちょっと考えるように黙っていたが「分かった。いいよ、書類を預かって判を押して送るよ」と答えた。
少し軽率だと思わないでもなかったが、二人の間の暗黙の信用のようなものがあった。「偶には家にも帰っているのか」
二人の関係は家族ぐるみのところもあり、交流があった。そんなことも二人の間に何となく親しさを持たせたのかもしれない。
「ああ、偶にね」と答えたが、それ以上余計なことをしゃべるつもりもなかった。
「今度は暫くいるんだろうね。」「分からないけど、他に行くところないからね。」素っ気無い話だが、二人には通うものがあった。