その電話は嘗てT商事で仕事をしていた時の会社の元のオーナー夫人からだった。病院からかけていると言うこともあり
か細い低い声であった。宏はその声を聞きながらただならぬ雰囲気を聞き取っていた。
「主人が入院しています。野間さんへどうしても頼みたいことがあるそうで、出来るだけ早く一度病院のほうへ来ていただけませんか。」という事であった。「分かりました。都合をつけて明日にでも伺います。どちらの病院ですか。」と聞く。
病院は工場の近くの横浜の郊外であった。まだ着任して間もない宏にとって会社を休むことは出来にくい立場ではあったが
個人的に波賀に相談して見るしかなかった。そして事情を説明し了解を得て見舞いをかねて出掛けることになった。
病院特有の薬品と消毒の混じった匂いを感じながら病室に向かった。面会を申し入れると夫人が出てきて、今は薬で眠っているのでと面談室へと案内される。「実は主人は癌を宣告され、医者からも助からないだろうと言われています。本人も覚悟を決めているようですが、会社についてご相談させていただきたいのです。」と話し始めた。
子供もいるが、会社の仕事を継ぐ意思はなく経済的な問題もある。そこで会社の株を譲渡したいので、買い取って欲しいのだと言うことであった。誰でもと言うわけにも行かず、嘗てご縁があって仕事をしてもらったこともある野間さんが良く分かっているので、譲りたいと指名されたようだ。当人もそれを望んでいると言う。
概略の話を聞いたあと、病室へ戻りベッドの傍へ行き手をとって話をしようとすると酸素マスクのしたから、かすかに「うん、うん」と頷いている顔が見える。喉頭がんとあって声も出せない様子の手をぐっと握り返し、こちらからも頷き返すと、表情が和らいだかに見える。それで言葉を交わせなくともお互いの意思が通じたようであった
見送りに出てきた夫人に「突然の話で驚いています。お話は分かりましたがすぐにはお返事のしようもありませんが、彼の気持ちは良く分かりました。出来るだけご希望に添えるように検討してお返事しますので、お時間をください」と言うのがやっとだった。帰り道、初めて死に直面している人間の姿を目の当りにして、愕然とすると同時に自分の問題として考えさせられる時間でもあった。夫人から出された金額もすぐに何とかなる金額ではなかったが、そんな事を考える余裕も自信もなかった。
ただ、病人の気持ちを汲んであげたいということだけが頭にあった。
か細い低い声であった。宏はその声を聞きながらただならぬ雰囲気を聞き取っていた。
「主人が入院しています。野間さんへどうしても頼みたいことがあるそうで、出来るだけ早く一度病院のほうへ来ていただけませんか。」という事であった。「分かりました。都合をつけて明日にでも伺います。どちらの病院ですか。」と聞く。
病院は工場の近くの横浜の郊外であった。まだ着任して間もない宏にとって会社を休むことは出来にくい立場ではあったが
個人的に波賀に相談して見るしかなかった。そして事情を説明し了解を得て見舞いをかねて出掛けることになった。
病院特有の薬品と消毒の混じった匂いを感じながら病室に向かった。面会を申し入れると夫人が出てきて、今は薬で眠っているのでと面談室へと案内される。「実は主人は癌を宣告され、医者からも助からないだろうと言われています。本人も覚悟を決めているようですが、会社についてご相談させていただきたいのです。」と話し始めた。
子供もいるが、会社の仕事を継ぐ意思はなく経済的な問題もある。そこで会社の株を譲渡したいので、買い取って欲しいのだと言うことであった。誰でもと言うわけにも行かず、嘗てご縁があって仕事をしてもらったこともある野間さんが良く分かっているので、譲りたいと指名されたようだ。当人もそれを望んでいると言う。
概略の話を聞いたあと、病室へ戻りベッドの傍へ行き手をとって話をしようとすると酸素マスクのしたから、かすかに「うん、うん」と頷いている顔が見える。喉頭がんとあって声も出せない様子の手をぐっと握り返し、こちらからも頷き返すと、表情が和らいだかに見える。それで言葉を交わせなくともお互いの意思が通じたようであった
見送りに出てきた夫人に「突然の話で驚いています。お話は分かりましたがすぐにはお返事のしようもありませんが、彼の気持ちは良く分かりました。出来るだけご希望に添えるように検討してお返事しますので、お時間をください」と言うのがやっとだった。帰り道、初めて死に直面している人間の姿を目の当りにして、愕然とすると同時に自分の問題として考えさせられる時間でもあった。夫人から出された金額もすぐに何とかなる金額ではなかったが、そんな事を考える余裕も自信もなかった。
ただ、病人の気持ちを汲んであげたいということだけが頭にあった。