波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

波紋      第56回

2009-01-09 10:21:00 | Weblog
松山の担当の取引先にはいろいろな人が居る。話の合う人、合わない人、気難しい人、気安く話の出来る人、様々だが松山は比較的にどんな人とも話が出来た。(相手がどう思っているかわは別として、)話が特別上手いわけでもなく、話題が豊富ともいえなかったのだが、それが相手の話を聞きだし、話をし易くしていたのかもしれない。なかには相手より、先にべらべらと話をして逆に不愉快にさせる場合もある。自然に一歩下がった姿勢から好感をもたらしていたかもしれない。
松山はつくづく営業の仕事でよかったと思う。「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ」と歌にも歌われているが、本当にそうだなと思うことがあった。
そんな中でも、際立って特色のある人が居た。「華僑」と呼ばれる人である。中国、台湾から日本へ来て、日本で学び、国籍を取り、日本で事業をしている人sを主に指しているが、勿論、日本語は堪能であり、何の不自由も無い。しかし、その生活習慣、行動には独特なものがあり、個性があった。「林」さんは台湾出身と聞いていた。台湾の人も中国から渡ってきた人も居て、南部の福建省から来た人のようであった。松山が林さんと知り合って、話をするようになったときにはかなり高齢であったが、とても元気であった。何でも、特別な薬を飲んでいるとかで、どこでも買えない品物で、わざわざ台湾から取り寄せているとの事、特別に少し分けてもらったが、見ると真っ黒な丸薬である。何でも何種類かの漢方薬を混ぜ合わせて作られているらしいが、この内容がノウハウで秘密らしい。(ためしに何日か飲んでみたが、どうやら便通薬の一種であった。)座ると、おもむろに入れたてのウーロン茶が出る。そして話が始まるのだが、本題に入るのにかなりの時間がかかる。
問わず語りに、その生い立ちを聞くことになるのだが、その苦労は想像以上で、大変だったようである。差別の問題を始めとし、言葉、習慣、食べ物、生活のすべてを日本に合わせて生きていくことは人間関係を含めて簡単ではない。
林さんは薬局の仕事をしていた家に生まれ、何不自由は無かったが、向学心が強く、日本での勉強を目指した。そして、努力をしたのだが、そこには、隠れていた才能と、独立心、忍耐力が無ければならなかった。
やがて、林さんは資金をため、独立して貿易業を始めた。しかしそれもただ一人で誰にも助けてもらわない。小さな事務所で行っている。この方法は独特なもので日本人では真似の出来ないことであった。このビジネス感覚で成功したと言える。