波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

波紋     第55回

2009-01-05 10:41:38 | Weblog
店は時間が過ぎていくと共に賑やかになり、華やかになっていく。ピアノの音が静かに流れ、着飾った若いホステスがゆらゆらと動きその雰囲気を盛り上げていく。
歌を歌うもの、踊るもの、あちこちから聞こえてくる笑い声が絶え間なく聞こえる。そして時間は告ぎ、12時を過ぎる頃、客のほとんどがいつの間にか居なくなる。しかし、彼の席だけは残っている。入ってきた時と同じようなままで、続いている。ラストになり、ママの声に釣られて立ち上がる。お供のものも全員彼が立ち上がるのを待っている。上司を見送らないで帰るわけに行かないのが、暗黙の鉄則である。嘗て、飲みすぎて自制が聞かなくなり、お迎えの車まで見送りに出て、車の出発の際「バイ、バイ」と手を振って、お辞儀をしなかった人が車から見咎められてお供を下ろされて二度とお呼びがかからなかった人が居たが、その徹底振りに恐ろしさを覚えたものである。
松山も何度か、その席に呼ばれ、同席したことがあったが、とてもおいしく酒を飲むと言うことが出来るわけもなく、緊張感の中で、酒を殺してのみ、翌日二日酔いのような悪酔いをした事が何度かあった。命令は絶対であり、その日に呼ばれたものは何があっても、その業務命令は断るわけには行かなかった。
ある部下の一人は奥さんが病気でかなり悪く入院していたにも拘らず、その日のメンバーに居て、途中、携帯電話がなり、「危篤」と知らされ、病院は駆けつけたが、間に合わず、最後を看取れなかったという事を聞いたことがある。
その時はさすがに本人も寝覚めが悪い悪いと思ったのか、病院まで、ご焼香に行ったらしいが、悪いことを知らされてなかったとはいえ、その権勢は徹底したものであった。反対にきちんと説明して、断っていなかった側にも大きな責任はある。業務命令とはいえ、きちんと説明しておけば,来いとはいえなかったのではないかと思う。世の中のことは一方だけが悪いと言うことはないので、どんな命令であっても、言うべきことは言わなければ、後悔する事になる。いかし、
こんな習慣は、長続きするはずも無かった。いつの間にか社内に通じるところ所となり、トップから自粛するように戒告を受け連日のセレモニーは終わったのである。
彼もまた、サラリーマンだった。
その後、彼は定年を迎え、静かに会社を去って行ったのだが、彼の居た部屋にいってみると、忘れられた置物が棚の上におかれていた。それは、ガラスのボトルに入った帆船の模型である。彼はそれを趣味として創っていたのだが、一隻の帆船の作成に材料の選択から始まり、完成まで約6ヶ月かかると言う精密なもので、素晴らしいものだった。松山はその帆船を眺めながら、あの亡羊とした彼の姿にこんな繊細な神経がどこにあったのかと船を見ながら思い出していた。