く~にゃん雑記帳

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<五條市「藤岡家住宅」> 企画展「与謝野晶子より藤岡瑠璃子へ」

2015年09月16日 | メモ

【晶子の葉書、瑠璃子追悼の手紙と哀歌、晶子直筆の「源氏物語礼讃」など】

 奈良県五條市の登録有形文化財「藤岡家住宅」で、企画展「与謝野晶子より藤岡瑠璃子へ」が開かれている(25日まで)。藤岡瑠璃子(1914~37)は内務官僚で和歌山、熊本などの官選知事を務めた藤岡長和(1888~1966)の長女。与謝野寛(鉄幹)が創刊した文芸誌『明星』の同人だった父の長和(俳号玉骨)を通じて与謝野晶子や高浜虚子らとも交流があり、自身も俳句をたしなむようになった。しかし、結婚し女児を出産した2カ月後、くも膜下出血のため20代前半の若さで亡くなった。

 

 瑠璃子が作句を始めたのは10代の後半とみられる。1933年9月には俳誌『ホトトギス』に投稿した「青柿のしきりに落つる野分かな」が掲載された。短い生涯に作った俳句は791句に上るという。瑠璃子が亡くなったのは父長和が熊本県知事のときだった。長和は心痛の中で、その中から411句を選んで遺詠集『瑠璃』を翌年上梓した。その中に高浜虚子と与謝野晶子も追悼詠を寄せている。

 企画展には晶子が瑠璃子の突然の死を悼んで長和に宛てた手紙が展示されている。「啓上 瑠璃子様のこと石井様(長和の次男龍男?)より一昨日御知らせ承り夢とのみおもはれ候。御一人の娘君の御こととて ましてこの際の御悲しみ深く御ことそぞろにおしはかられ申候……」。晶子は最後に「歌五首さし出し候」として「哀詞」のタイトルで5つの歌を添えている。

 

 「うつし繪のおん親と子よとこしへに斯(か)くも抱かん形なくとも」「幸ひに足らへる人と見しかども寂しかりけん世を去れる際(きわ)」「吹き出でし清き初めの秋風に乗りて御空へいにたまひけり」……。この5首の歌は晶子のいずれの全集にも収められていないそうだ。ほかに晶子が53歳のとき18歳の瑠璃子に宛てた葉書や、晶子から長和への長文の礼状(1931年)、源氏物語54帖の情景を詠み込んだ54首の歌から成る晶子直筆の『源氏物語礼讃』なども展示している。

 


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