く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<BOOK> 「なにわことば遺跡 名歌・名表現からみる大阪の歴史」

2015年09月09日 | BOOK

【山本正人著、清風堂書店発行】

 「またも負けたか八連隊」。6日午後、大阪・西成の「ジャンジャン横丁」の居酒屋。テレビ中継の阪神・中日戦で、阪神が0対5で完封負けした瞬間だった。女性経営者の口からこの言葉がごく自然に飛び出した。年の頃70代後半とお見受けした。つい先日、本書『なにわことば遺跡』の中で見かけたばかりの表現だったから、驚くやら感動するやら。この言葉、決して〝遺跡〟ではなくて、まだまだ〝現役〟だった!

        

 著者は1957年大阪・島之内生まれ。高校で30年以上〝受験地理〟を指導する傍ら、趣味のフィールドワーク、大阪ものの古書探しなどを生かして地域史研究家としても活躍中。古文書や和歌、辞世の句、歌謡曲、小説などから大阪にまつわる名歌や名言、名呼称などを、時代を追って紹介する。1番目は大阪市内で初めて発掘された縄文時代の人骨の名称【大阪市民第一号】、最後の108番目は大阪発超小型人工衛星の【まいど1号】。

 【またも負けたか八連隊】は93番目に登場する。八連隊は1874年に創設された大阪の歩兵第八連隊のこと。弱いものの代名詞として使われてきた俗謡で、この後【それでは勲章九連隊(くれんたい)】と続く。日中戦争中には中国側の八路軍からスピーカーで「こら~八連隊、あまえら弱いいう評判や、無理せんで降伏せえ」となまりの強い日本語でからかわれたとか。だが、なぜ弱いと揶揄されるようになったか、その理由は不明とのこと。実際には西南戦争で活躍して明治天皇からお褒めのことばを賜ったり、太平洋戦争でもフィリピンのバターン・コレヒドール攻略戦で奮戦したりするなど数々の戦功を挙げたそうだ。

 【露と散る涙に袖は朽ちにけり都のことを思い出ずれば】。この歌は菅原道真が大宰府左遷時に曽根崎で詠んだもの。与謝蕪村は天王寺の情景を【名物や蕪(かぶら)の中の天王寺】と詠んだ。【天野屋利兵衛は男でござる】は「忠臣蔵」で有名になった浪花商人の名ぜりふ。辞世の句も多く登場する。細川ガラシャの【散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ】、石川五右衛門の【石川や浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ】など。ほかに【われ、幻の大極殿を見たり】(難波宮の大極殿跡が発掘された時の山根徳太郎博士のことば)、【グラウンドには銭が落ちている】(南海ホークス監督鶴岡一人のことば)、【おれについてこい!】(女子バレーボール監督大松博文の名言)なども取り上げている。

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