「少子化は意識や文化の問題」とする人がいるのだが、ありていに言えば、カネの問題だ。経済より、意識や文化はゆっくり変化するものなので、意識や文化の遅れが原因に見えてしまう。原因は、経済に発する。意識や文化を経済に適応させるのも大切だが、それに力を入れていると、根本にある経済の解決に行き着かなくなってしまう。世の中、カネで解決のつくことは多い。少なくとも、意識や文化を変えるよりは容易だ。まあ、こんな露悪的なことを言うから、嫌われるのだが。
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前田正子先生の新著『無子高齢化』は、少子化の原因に若者の困窮があることを強く指摘していて、共感できる内容だった。むろん、少子化には複合的な要因があるのだが、政策的に解決すべき対象を特定することは、極めて重要だ。「それは十分条件でない」と批判するより、主な必要条件を順につぶしていくべきだ。学術的な真実の追求とは異なり、極端に言えば、若者の困窮にテコ入れして、少子化が大きく改善されなかったとしてもムダではない。真実が証明された時に、人口が崩壊していたのでは意味がない。
前田先生は、団塊ジュニア世代が就職氷河期に直撃され、非正規化と所得低下が結婚を困難にしたことを指摘する。今も昔も若い女性に結婚の意思はあるが、ふさわしい経済力を持つ男性が足りないのである。結婚は、1人の男性は1人の女性としかできないという強い社会規範があるので、男性の経済力を底上げすることが必要になる。少子化対策は、豊かな者が結婚できれば良いというものではなく、誰もができるよう、経済状況の平等化を図ることが大きく関わる問題である。
振り返れば、高度成長期に生きた団塊の世代は幸せであった。ほとんどの男性が若いうちに結婚できるだけの働き口にありつけたからである。成長最優先の経済運営は、物価高という弊害を生みつつも、根性さえあれば、誰もが就業できる社会を作り出した。若年失業率の高さに悩む諸外国と比較し、日本のヤングは恵まれていたのである。女性の長期雇用は、看護婦や教員などに限られていたが、野良仕事を背負う農家の嫁にならず、家事・育児を担う専業主婦になる道が開かれていった。
転機が訪れたのは、1997年だった。度外れた緊縮財政でデフレ経済に陥り、若年雇用が坂を転げ落ちていく。25-34歳の男性就業率を見ると、2002年まで大きく低下し、上向くのは2006年になってからだ。合計特殊出生率が底離れしたのも、この年である。その後、就業率は、リーマンショックで二番底をつけた後、アベノミクス以降、回復を続けてはいるが、水準は2000年頃に戻った程度で、「幸せな時代」とは、まだ差がある。経済政策によって、この差を埋めていくとともに、社会政策で不利を補わなければならない。
(図)
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前田先生の新著で、多少、もの足りないのは、具体的な対応策だ。焦点は、乳幼児期である。0~2歳児への支援を厚くすることは、子供を持つ判断に近接しているにもかかわらず、財源確保が困難という理由で置き去りにされる。子ども手当でも、幼児教育の無償化でも、肝心なところが外されたが、避けてはいけない問題である。その解決策は、非正規の女性に育児休業給付を拡大することである。乳幼児期の保育の提供は、高コストで社会的に不効率なため、普遍化には無理があるからだ。
非正規の女性は、妊娠すると職を失わざるを得ないので、育児休業給付をもらえないし、産んでも保育を受けられない。夫が低所得で乳幼児期を支えられないとなれば、子供を持とうとはならない。これを解決し、誰もが結婚できるようにしなければ、少子化は克服しがたい。必要な財源は、およそ7000億円である。多額にせよ、今回、実施される幼児教育や高等教育の無償化が各々8000億円規模であることを踏まえれば、現実性はある。なお、制度設計は複雑になるが、年金を使えば財源なしでも可能だ。
実は、今回の無償化は、税の自然増収の範囲に収まり、消費増税は必ずしも必要としない。喫緊に必要な増税は、国債管理の安定化のために、利子課税を25%へ上げるくらいのものだ。つまり、消費増税後に見られた急速な緊縮を緩めれば、少しずつ財政再建を進めながらも、少子化の抜本策を、毎年、一つずつ導入できるということである。しかし、「反緊縮」を掲げる人達でさえ、財政収支の実態を把握せずに主張しているみたいだ。たぶん、この国では、全体的な計測に基づいて穏健な財政をしようとは、誰も考えないらしい。
(今日までの日経)
年金抑制 なお不自由分 2回目のマクロスライド19年度に。株主還元5年で2倍 18年度15兆円。日本電産、一転減益 中国販売低迷で純利益14%減。韓国半導体輸出9%減 中国向け大幅落ち込み。コスト増でも川下デフレ。
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前田正子先生の新著『無子高齢化』は、少子化の原因に若者の困窮があることを強く指摘していて、共感できる内容だった。むろん、少子化には複合的な要因があるのだが、政策的に解決すべき対象を特定することは、極めて重要だ。「それは十分条件でない」と批判するより、主な必要条件を順につぶしていくべきだ。学術的な真実の追求とは異なり、極端に言えば、若者の困窮にテコ入れして、少子化が大きく改善されなかったとしてもムダではない。真実が証明された時に、人口が崩壊していたのでは意味がない。
前田先生は、団塊ジュニア世代が就職氷河期に直撃され、非正規化と所得低下が結婚を困難にしたことを指摘する。今も昔も若い女性に結婚の意思はあるが、ふさわしい経済力を持つ男性が足りないのである。結婚は、1人の男性は1人の女性としかできないという強い社会規範があるので、男性の経済力を底上げすることが必要になる。少子化対策は、豊かな者が結婚できれば良いというものではなく、誰もができるよう、経済状況の平等化を図ることが大きく関わる問題である。
振り返れば、高度成長期に生きた団塊の世代は幸せであった。ほとんどの男性が若いうちに結婚できるだけの働き口にありつけたからである。成長最優先の経済運営は、物価高という弊害を生みつつも、根性さえあれば、誰もが就業できる社会を作り出した。若年失業率の高さに悩む諸外国と比較し、日本のヤングは恵まれていたのである。女性の長期雇用は、看護婦や教員などに限られていたが、野良仕事を背負う農家の嫁にならず、家事・育児を担う専業主婦になる道が開かれていった。
転機が訪れたのは、1997年だった。度外れた緊縮財政でデフレ経済に陥り、若年雇用が坂を転げ落ちていく。25-34歳の男性就業率を見ると、2002年まで大きく低下し、上向くのは2006年になってからだ。合計特殊出生率が底離れしたのも、この年である。その後、就業率は、リーマンショックで二番底をつけた後、アベノミクス以降、回復を続けてはいるが、水準は2000年頃に戻った程度で、「幸せな時代」とは、まだ差がある。経済政策によって、この差を埋めていくとともに、社会政策で不利を補わなければならない。
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前田先生の新著で、多少、もの足りないのは、具体的な対応策だ。焦点は、乳幼児期である。0~2歳児への支援を厚くすることは、子供を持つ判断に近接しているにもかかわらず、財源確保が困難という理由で置き去りにされる。子ども手当でも、幼児教育の無償化でも、肝心なところが外されたが、避けてはいけない問題である。その解決策は、非正規の女性に育児休業給付を拡大することである。乳幼児期の保育の提供は、高コストで社会的に不効率なため、普遍化には無理があるからだ。
非正規の女性は、妊娠すると職を失わざるを得ないので、育児休業給付をもらえないし、産んでも保育を受けられない。夫が低所得で乳幼児期を支えられないとなれば、子供を持とうとはならない。これを解決し、誰もが結婚できるようにしなければ、少子化は克服しがたい。必要な財源は、およそ7000億円である。多額にせよ、今回、実施される幼児教育や高等教育の無償化が各々8000億円規模であることを踏まえれば、現実性はある。なお、制度設計は複雑になるが、年金を使えば財源なしでも可能だ。
実は、今回の無償化は、税の自然増収の範囲に収まり、消費増税は必ずしも必要としない。喫緊に必要な増税は、国債管理の安定化のために、利子課税を25%へ上げるくらいのものだ。つまり、消費増税後に見られた急速な緊縮を緩めれば、少しずつ財政再建を進めながらも、少子化の抜本策を、毎年、一つずつ導入できるということである。しかし、「反緊縮」を掲げる人達でさえ、財政収支の実態を把握せずに主張しているみたいだ。たぶん、この国では、全体的な計測に基づいて穏健な財政をしようとは、誰も考えないらしい。
(今日までの日経)
年金抑制 なお不自由分 2回目のマクロスライド19年度に。株主還元5年で2倍 18年度15兆円。日本電産、一転減益 中国販売低迷で純利益14%減。韓国半導体輸出9%減 中国向け大幅落ち込み。コスト増でも川下デフレ。