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ハリーの「聴いて食べて呑んで」

日々増殖を続ける音源や、訪問した店、訪れた近代建築などの備忘録

兵六 @東京・神田神保町

2015年05月22日 | 東京都(老舗)

神田神保町にある老舗酒場「兵六」。創業は昭和23年(1948)とのこと。以前から酒呑み向けのいろんな媒体で目にしていて、機会があればと思っていたが、場所も知らず、かなり狭い店だとは聞いていたので端からあきらめていた。神保町で宿泊先に帰る前に時間が空いたので、スマホで地図を検索してみると…、なぁんだ、よく通っている道じゃないか。喫茶「ラドリオ」や「ミロンガ・ヌオーバ」がある細い路地の端。そういえばあまり夜には通った事がなく、提灯が出ていないと店かどうかも分からないような建物だ。縄のれんが下がっていて、窓の奥から賑やかな声が聞こえてくる。少し店内の様子も分かったので、思い切って戸を開けてみた。

なるほど狭い店だ。コの字になったカウンターとテーブルが2つのみ。カウンターの奥に板場があるようだが、主人と思しき若い男性はカウンターの中の椅子に常駐。どうやっても動き回るのは難しいくらい狭いスペースだ。店内も一杯で、こりゃダメかなと諦めかけたら、主人がカウンターに捻じ込んでくれた。席を詰めて下さった方にお礼を言って腰をおろす。店内は電球の灯りで落ち着いた雰囲気。窓を開け放し、みな思い思いに酒を呑んでいる。圧倒的に男性が多く、年齢層はやはりやや高め。

まず年季の入った壁の大きな木札の品書きから「清酒」を冷や(常温)でもらい、つまみは紙短冊に書かれた中から「うどとしめさばのぬた」を注文。和風なものばかりと思いきや、餃子や炒麺があるのが面白い。こんな特殊な居酒屋だから、主人はよほどクセの強い人かと想像していたが、若くてとても腰の低い主人だった(三代目とのこと)。誰かが出ようとすると、一斉に立ち上がらなければならないが、皆とても協力的。主人とも、他の客とも近いので、自然とそういう団結が出来てくるんだろう。空いた席にはすぐに次の客が入って、運がよければ座れるが、そうでないとごめんなさい、という感じ。やはり人気があるなァ。壁に飾られたこの店にまつわる様々な写真や書を眺めながら、ゆっくり1合だけいただいた。

もう少し色々つまんでみたかったが、一日中歩いてヘトヘトに疲れたのと、座っている丸太のベンチがお尻に当たって辛かったので勘定をしてもらう。次は何も予定がない時にゆっくりしてみたいな。(勘定は¥1,500程)

 ↓ 意外にも「御茶ノ水駅」は昭和7年(1932)建造の近代建築。構造と立地の問題で、電車を走らせたままの建て替え工事が困難なのだそうだ。

兵六 (ひょうろく)

東京都千代田区神田神保町1-3

( 神保町 神田神保町 ひょうろく 古典酒場 居酒屋 老舗 )

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和可菜 @東京・神楽坂 (※閉館)

2015年05月19日 | 東京都(老舗)

今回、上京して初日の宿泊先に選んだのは、神楽坂にある「旅館 和可菜」。創業は昭和29年(1954)。以前に、この旅館について書かれた本を読んだことがあって、客室数わずか5室のここに、いつかは泊まってみたいと思っていた。旅館についての情報は少なかったが、思い切って電話してみる。訪問日時を告げると、名前と電話番号を訊かれ、予約完了。あまりのあっけなさにちょっと心配になるほど。

久しぶりに飯田橋駅で降りる。この神楽坂界隈を歩いたのは学生の時以来だから、もう20年以上前。若い頃はこういう街に大した興味は無く、今ほど若い人向けの店舗、飲食店は無かったこともあって、素通りして早稲田方面に抜けた事があるくらいだったと思う。坂を上って行く道すがらにも細い脇道がいくつも見え、石畳の風景が目に入る。人が1人やっと通れる位の本当に細い路地なのでワクワク。土地勘がないので、そういう路地を何度もウロウロしながらゆっくり街を散策した。洒落た店が増えている事もあってか、若い人も多く、カメラを持って歩く人や、テレビ取材だろうクルーなんかも目に入る。近辺を何度もグルグルと廻り、だいたいの方向感覚が身についてきたところで宿へ。

 

一段と雰囲気のある石畳の通りの先に黒塀の趣ある旅館入口があった。なるほど絵になる素晴しい佇まい。しっとりと落ち着いていて、石畳が雨に濡れたら更にいいだろうなと感じる(実際に夜、小雨が降ってとてもいい雰囲気になった)。それでも周りは更地にされたばかりの土地や、新しい建物がいくつも出来ているので、この雰囲気をずっと維持するのはなかなか難しそう。それこそバブル期より前はもっと特別な雰囲気だっただろうなァ。

 

 

予約の名前を告げると、すぐに部屋に案内された。特に台帳記入も何もない。古い建物ではあるが、しっかりと手入れされていて、いわゆる「コンセプト」でゴリゴリに固まった意匠とは違う、自然な風情がいい。部屋は玄関から上がってすぐの部屋(「桐」の間だったかな)。掘りごたつがあり、すでに布団が敷いてある。庭も眺める事が出来て、東京で泊まっている事を忘れてしまうほど、とても落ち着く空間だった。もちろん風呂、洗面、トイレは共同。金物の洗面台や、建具の真鍮製ねじ締りなど、自分達の世代でギリギリ知っている位の古いものがまだ現役。お茶をいただいていると、部屋からは玄関外の気配がよく分かり、雰囲気あるこの宿の前で写真を撮る女性達の嬌声が微かに聞こえてくる。

 

風呂で軽く汗を流して脱衣所から出た時に、ご高齢の主人(紹介はこちら)にもお会いする事が出来て、ひと言だけ挨拶。

こちらで食事をしたのは翌朝の朝食。旅館に入った時に、朝8時からならいつでもと時間を訊かれたので、8時にお願いしておいた。もちろん部屋に運んでもらえる。お櫃に入ったご飯、味噌汁、鮭の切り身、肉じゃが、香の物といった内容。鮭の切り身がとても大きく、肉厚で、旨い。料理は家庭的な味付けで、全体に量も多く、ご飯が食べ切れなかった(「うちのご飯は量が多いんですよ」とのこと)。外の石畳の上を歩く人達の靴音を聞きながら、朝から旨い飯をしみじみと味わった。旅先でこんな朝を迎えると気分がいい。「ホン書き」でこの宿にカンヅメになった映画監督、脚本家や作家たちはどんな気分で朝を迎えたのだろうか(悶え苦しんでいたかも・笑)。(勘定は朝食付き1泊¥12,000)

※営業を終了され、2015年末からは宿泊客を受け入れていないとのこと。とても残念です。

 旅館 和可菜

東京都新宿区神楽坂4-7

( 神楽坂 わかな 旅館和可菜 神楽坂ホン書き旅館 黒川鍾信 和田敏子 木暮実千代 野坂昭如 色川武大 山田洋次 )

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割烹 とよだ @東京・日本橋

2015年05月18日 | 東京都(老舗)

日本橋室町のコレド室町のすぐ近くにある、創業が文久3年(1863)という歴史ある日本料理の店「割烹とよだ」。老舗の集まる付近の路地に、朱と黒に塗り分けられた壁の建物がある。店先はやはり凛とした感じで、店頭に品書きが置いてなかったら、ちょっとランチをなんていう雰囲気ではないかも。暖簾をくぐると、昼どきとあってカウンター席は女性客で一杯。モダンな感じの店内は、思ったよりも狭いスペースで、昼はこの間だけ使われているのかな。混む時間とあって、相席をお願いされ、テーブル席に腰を下ろす。主人と思しき姿は見えないので、昼は若い衆が調理をこなすのだろう。いくつかある昼の品書きから定番らしき「とよだ弁当」(刺身無し)を注文した。

老舗割烹とあって、客はある程度年輩の上品な方が多い。しばらくして2つに仕切られた重に入ったおかずと、ご飯、味噌汁が運ばれる。弁当の内容は、焼物、煮物、揚げ物、玉子などがバランスよく詰められた、いわゆる松花堂弁当の簡単なもの。フライも入っていたがプラスチックのソース入れが添えられていたのは意外だった。多分仕出しで出す弁当と同じなんだろう。内容は賑やかだが、弁当とあってある程度作り置かれたものが多いし、ここならではというものはさすがに見当たらなかったので、ここは季節の弁当(筍ごはん)を選ぶべきだったかな。(勘定は¥1,500)

 ↓ 「日銀本店」(写真は東出入口)を北へ行くと、昭和4年(1929)建造の復興小学校「常盤(ときわ)小学校」。銀座「泰明小学校」と同じく関東大震災後のRC建築で都選定歴史的建造物

 

 ↓ こちらも同様の復興小学校建築「十思(じっし)スクエア(元・十思小学校)」(昭和3年・1928・建造)。小伝馬町にあり、現在は地域のコミュニティー施設として使用されている。

 

 ↓ 富沢町にある「ハリオグラスビル(元・川崎貯蓄銀行富沢町支店)」(昭和7年・1932・建造)。2000年からHARIO株式会社が本社として使用しているとのこと。

割烹 とよだ

東京都中央区日本橋室町1-12-3

( 日本橋とよだ かっぽう とよだ 大江戸料理番付 復興建築 復興小学校 中央区立 常盤小学校 十思小学校 ときわ じっし )

 

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ぼたん @東京・神田須田町

2015年05月16日 | 東京都(老舗)

 

神田食味新道に載っている歴史ある神田須田町(旧・連雀町)の店で唯一未訪だった鳥すきやきの「ぼたん」にやっと行く事が出来た。創業が明治30年(1897)頃で、建物は関東大震災後に建てられた昭和初期(昭和4年とか)の建築(都選定歴史的建造物)。隣の区画にはあんこう鍋の「いせ源」、斜め向かいの区画には揚げまんじゅうの「竹むら」という、タイムスリップしたような贅沢過ぎる立地。鍋なので出来れば1人じゃない方が…と思っていたのだが、連れとどうしても予定が合わせられず、単独で訪問することに。平日の昼時をかなり過ぎた時間だったが、老舗らしく中休みが無いので、風情ある玄関口を通り、1人では入り辛かった老舗の引戸を思い切って開ける。

玄関先で仲居さんが「こういう料理ですがよろしいでしょうか?」と品書きを見せてくれた。鍋で1人だったので確認されたのだろうか、それとも午後の遅い時間に、安くない値段なので念を押されたのだろうか。「もちろんです」と答え、靴を脱ぐ。普通なら下足札をもらうのだろうが、客は自分しか居ないようで、そのまま1階奥の小部屋へ。さすがに他には誰も客がいない。歴史ある建物の風情に浸りながら、籐の敷物の上に敷かれた座布団に腰を下ろすと、すぐに料理の準備が始まった。しっかり火の熾った炭が用意され、こんろの上に「牡丹」の銘の入った浅い鉄鍋が置かれる。炭を入れるこんろの周りは銅板になっている。酒を冷や(常温)で注文して、準備万端。仲居さんが酒とお通しの佃煮を持ってきてくれ、鍋の最初の分は作ってくれる。広く静かな風情ある店内で、たった1人、仲居さんの調理を見守りつつ酒を飲んでいると、なんだか不思議な気分。ある意味すごく贅沢で、特異な体験だ。歴史的な建物と料理を独り占め。

残りの調理の説明を受け、仲居さんは離れ、酒で舌を湿らせつつ出来あがりを待つ。やがて鶏肉に火が通った。炭なので火の大きさは調節出来ず、グツグツと強く煮立っている。まずひとつ口に入れてみると、しっかりした食感の鶏肉で抜群に旨い。やや甘めの割り下の加減もよく、色んな部位が入っているので、ひと口ひと口違う風味が楽しめる。そのままいただいたり、生玉子に漬けて食べたり。ざく(葱、しらたき、豆腐)も味が染みて食べごろになった。つくねは普段食べているものより粗くまとまっているが、頼りない食感ではなく、存在感があって旨い。今までやったことないけれど、自分でも鶏肉ですきやき、試してみよう。余計なBGMは何も無い、鍋の煮える音と、遠くの板場で調理人と仲居がしゃべる声だけが微かに聴こえる空間で舌鼓を打った。

ちょこちょこ食べ歩いているのでお腹は充分にいっぱい。でもご飯があるというので、せっかくなのでほんの少しだけつけてもらった。玉子丼にも雑炊にも出来ると言われたが、雑炊は残してしまいそうだったので、鍋の残りに生玉子を溶いて入れてもらい、茶碗のご飯にたっぷりかけて至福の締め。香の物と共にいただいた。水菓子は丸ごとのみかん。勘定をしてもらい、店をあとにする。大満足。今度は連れと一緒に、雰囲気の違う賑やかな大広間を味わってみたいな。(勘定は¥7,600)

 ↓ 伝票の図柄も印鑑も素敵だ(写真右)。

 

↓ 斜め向かいにあった銅板建築(現「アナンダ工房」)(詳細不明)。よく見ると一番上になんだか艶めかしい2匹の獅子(?)が寝そべっている。

 

 ↓ 須田町交差点にある風格あるビル「鷹岡(株)東京支店」(昭和10年・1935建造)。本社は大阪の洋服卸会社。

 

 ↓ 以前は早朝で中に入れなかった「東京復活大聖堂教会(通称・ニコライ堂)」(明治24年・1891建造・1929修復)。中のステンドグラスは見事だった(内部撮影は禁止)。

 

 ↓ イエス・キリスト様も、日本では日本語の書物を持つ。「太初に言有り、言は神と共に有り」と書かれている。

 

鳥すきやき ぼたん

東京都千代田区神田須田町1-15

( 神田 鶏すきやき 鳥すき焼 連雀町 ニコライ堂 教会 池波正太郎 ) 

 

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重盛永信堂総本店 @東京・人形町

2015年05月13日 | 東京都(老舗)

 

日本橋人形町の水天宮前の交差点にビルを構える創業が大正6年(1917)の「重盛永信堂総本店」。大きな看板にあるとおり人形焼で有名なお店。今では都内を中心に分店が3軒、支店が9軒あるという。広い交差点に面した売り場には次から次へとひっきりなしに客が並んでいる。お土産として買う観光客から、近所のOLさんらしき人達、進物として買い求める人達など様々。店の奥には手焼きをしているガラスで仕切られた作業場があり、その様子も少し覗く事が出来る。職人が何人か座って作業中で、壁には焼き型がたくさん並んで掛けられている。食べ歩いている途中なので、人形焼ひとつと、餡の入っていないカステラ焼をひとつだけ買い求めた。

勧進帳・弁慶像のある、昔は堀割だった浜町緑道に自転車を停め、木陰でまず小さいカステラ焼を口に放り込む。フワッと柔らかい口当たりで、これだけでもほのかな甘さがある。色んな形があるのも楽しい。うっかり自分が食べたカステラ焼の形をしっかり確かめなかったが、HPで見てみると、鉄兜、銃、日章旗、飛行機など、戦時の色濃いものばかり。時代が窺えて興味深い。人形焼はたっぷりとこし餡が入っている。これも口当たり柔らかく、餡も滑らかで、旨い。

この辺りには路地に入ると、まだまだ見応えのある近代建築が残っている。さすが老舗の集まる人形町。ゆっくり見て廻るのも楽しい。でもシャッターを下ろし、人気の無さそうな建物も多いから、これからどんどん少なくなるのは間違いないだろう。 

 ↓ 午後6時になると角打ち(立ち呑み)が出来るという昔懐かしい佇まいの酒屋「加島酒店」と、緑青が渋い足袋とトロフィー(?)の店「伊勢利」。営業してるかな?

 

 重盛永信堂総本店

東京都中央区日本橋人形町2-1-1

( 人形町 水天宮 重盛永信堂 永信堂 人形焼き ゼイタク煎餅 立ち飲み 伊勢利御誂足袋店 伊勢利トロフィー )

 

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神田 笹鮨 @東京・神田

2015年05月12日 | 東京都(老舗)

初めて神田鍛冶町の老舗鮨屋「神田 笹鮨」へ。創業は明治36年(1903)とのこと。出自は屋台だそうで、いわゆる街場の鮨屋なんだけれど、昔ながらの江戸前鮨の仕事を守る貴重な店だということで、前からずっと訪問したいと思っていた。HPにも戦後に出て来たようなタネは置かないと、甘海老やネギトロなんかも出さないし、季節にないタネも出さない、と書いてある昔堅気の店。椀物も出さないというから徹底している。

ガラスの4枚引戸を開けて暖簾をくぐると、右側にカウンター、左側にテーブル席がある。建物は古そうだが、中は綺麗に改装してあるようだ。この日は遅い時間ではあったが、先客がカウンターに若いカップル2人と常連と思しき中年男性1人。この日はあえてカウンターへは座らず、最初からお決まり1人前を食べようと思っていたのでテーブル席に腰を下ろした。おしぼりを持ってきてくれた若い衆(注・主人と比べて)にお茶を頼み、漬け場に立つ老齢の主人に握りの「並」を注文した。ピシッと返事をされた主人が黙々と握り始めた。主人は鮨職人という言葉がぴったりの雰囲気で、なるほどこの人なら昔からの仕事を守り通しそうだと思う。見るからに頑固そうな主人だが、一見客の若造である自分にも受け答えは丁寧で、しっかりと「わきまえている」人だという事が分かる。

しばらくして皿盛りの「並」一人前が運ばれる。赤身、白身、烏賊、締め物、煮烏賊、玉子、巻物という王道の盛り。握りは今の感覚でいうとやや大きめ、酢飯はしっかり酸味が強い。タネはもちろん高級店のそれとは比較出来ない。特筆すべきはやはり煮ツメが塗られた煮烏賊と、薄焼きの玉子。どちらも江戸前の古くからある握りだが、今となっては出す店も限られている(と思う)。鞍掛けじゃない薄焼き玉子は日本橋の「吉野鮨本店」かその系統くらいしか思い浮かばないけど、他にも出している店はあるのかな。冷たくなった厚焼き玉子を乗っけるよりも絶対この方が旨いと思うんだけどな。この日は総じて酢飯の口当たりが自分の好みとはちょっと違ったが、煮る、締める、漬ける、といったような基本的だが廃れつつある仕事のされた江戸前握りを、安価で手軽にいただく事が出来るというのは本当に素晴しいと思う。次は好きにいろいろ頼んでみたいな。(勘定は¥1,500)

 

 ↑ 神田須田町にある海老原商店(昭和3年・1928建造)。近辺はバブル期に地上げ屋に狙われ(不審火多発で、こちらも被害にあったとか…)、看板建築も僅かしか残っていない。

 ↑ 少し先にある銅板の緑青が渋い「岡昌裏地ボタン店」(昭和3年・1928建造)。こんな建物がずらっと並んだ街並みを見てみたかったなァ。

 

 ↑ 鍛冶町の中央通り沿いにある「山梨中央銀行東京支店(旧・第十銀行)」(昭和6年・1931建造)

神田 笹鮨

東京都千代田区鍛冶町2-8-5

( 神田 かんだ 神田笹鮨 かんだ笹鮨 笹すし 笹寿司 江戸前鮨 江戸前寿司 江戸前寿し )

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笹乃雪 @東京・根岸 (※閉店)

2015年05月10日 | 東京都(老舗)

創業が元禄4年(1691)という途方もない歴史を持つ老舗豆富料理店「笹乃雪」。前から機会を窺っていたが、やっと訪れる事が出来た。店は鶯谷駅からすぐのところにあった。ビルになっていてかなりの大店。幹線道路沿いなので、店の周りには風情を感じさせるものが無いが、近くに寛永寺や国立博物館、東京藝大などがあり、歴史を感じさせる土地ではある(でも現状はなぜかラブホテルが乱立している・笑)。この辺り、昔はどんな風景だったんだろう。こちらでは汲み上げた地下水を使って作られる絹ごし豆富の料理が出される(江戸で初めて作られた絹ごし豆富だとか)。ちなみにここでの表記は「豆腐」ではなく「豆富」。

老舗らしく、玄関で靴を預け、下足札をもらい、テーブル席が並ぶ広間に案内される。給仕に1人だけ洋装の若い女性がいるのは次期女将だろうか。昼の口開けの時間に入ったのでまだ客は少なかったが、女性のグループ客などの予約が多いようで、後からたくさん女性客が入ってきた。いろいろ食べ歩いていて、コースでは持て余しそうだったので、一品料理とお酒を注文。店の屋上看板には「清酒 金盃」とあったんだけど、出てきたのは荒武者という銘柄らしい。この日は外が結構暑かったので冷や(常温)で戴いた。

程なくして、注文したこちらの名物「あんかけ豆富」と、「柚子味噌豆富」が運ばれる。あんかけ豆富は小さめの豆富が、必ず2つの鉢に入って供されるとのこと。創業当時はこれ一品のみだったとか。薄茶色の餡がかかっていて、溶き辛子がちょこんとのせてある。箸で辛子を広げながらひとくち。餡は見た目と違って薄味で素朴な味。絹ごしなのだが、市販品のようにつるつるとした食感ではなく、しっかりとしていて、なかなか旨い。柚子味噌はもっと柚子を効かせてもいいかなと思うくらいほんのりとした柚子の風味。どちらも豆富の味が直に舌の上に乗り、屋号が入った粋な徳利でお酒を飲りながらいただくと、とても気分がいい。ひと昔前まではビールやワインばっかり呑んでいて、豆腐で酒(日本酒)を呑むなんて考えもしなかったが、こういうのが旨いと思える歳になったんだなァ…。(勘定は¥1,500程)

根ぎし 笹乃雪

東京都台東区根岸2-15-10

 

( 根岸 鶯谷 笹の雪 餡かけ豆腐 あんかけとうふ あんかけ豆腐 閉店 廃業 )

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谷中せんべい 信泉堂 @東京・谷中

2015年05月06日 | 東京都(老舗)

日暮里の駅から谷中銀座商店街へ向かう通り沿いにある、手焼き煎餅の店「谷中せんべい信泉堂」(創業大正2年・1913)。昔懐かしい店先のガラスショーケースとガラスポットの中には色々な種類の煎餅がきっちりと入れられていて、いかにも旨そう。昔の煎餅屋、駄菓子屋ってこんな感じでしたね。そういえば学生の時に住んでいた下北沢にもこういう店があった(今でもあるのかな…)。この近辺には以前伺った「菊見せんべい」の他にも何軒か手焼きの煎餅屋があるはず。煎餅って、言っても味は似通っているので、こういう店の佇まいや街の風情も含めて味わいたいもの。

色々な種類の煎餅があったが、一番シンプルなものをと「堅焼き」を買った。これは量り売りではなく、それぞれ個別にビニール包装されている。宿に戻って食べたのだが、やっぱり熱いお茶に限る。綺麗な焼き色の醤油煎餅は分厚く、醤油辛さは少なめでガリガリと堅めの食感(堅焼きだから当たり前か)。

平日だったが、谷中銀座商店街は地元の人はもちろん観光客もいっぱいで、かなりの賑わい(※)。それにしても最近の外国人(特に欧米人)はスマホ片手によく調べていろんなところに行きますね。谷中銀座なんて最近でこそ注目されているスポットだが、依然として一般的な日本人にとっても、なじみ深い観光地とは言い難いだろう。だから外国人の方達って、ある意味ものすごくマニアック。感心しちゃうなァ。(勘定は¥130)

※ 後から知ったのですが、「谷中銀座商店街」は写真撮影禁止だそうです。無断で撮影するとこっぴどく怒鳴られる店もあるみたいですので注意して下さい。

 ↑ 谷中のランドマーク、ヒマラヤ杉の下の「みかどパン店」(創業・戦前)が営業中。

谷中せんべい 信泉堂

東京都台東区谷中7-18-18

( 谷中銀座 根津 千駄木 谷根千 やなかせんべい しんせんどう 手焼き せんべい 谷中銀座商店街 ヒマラヤ杉 )

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日本ばし やぶ久 @東京・日本橋

2015年05月04日 | 東京都(老舗)

日本橋の老舗蕎麦店「日本ばし・やぶ久」。創業は明治35年(1902)と110年を超える歴史がある。うぐいす色をした店舗は間口が狭く、上に高いビルになっている。店に入ると、昼どきとあって満員の盛況。2階へと案内された。客層は時間帯もあってか年輩のサラリーマンが多い。周りでは圧倒的にカレーの注文をしている人が多い。というのもこちらはカレー南蛮が人気で、HPでも一押しになっている。辛さや肉の種類も選べるというから力の入れようがすごい。昼にはご飯ものとの組み合わせもお得なようだ。実はちょっと蕎麦前でもと思ったが、ランチ客でぎっしりでそんな雰囲気でもなかったし、カレーの気分ではなかったので、結局「もり」を頼んだ。

しばらくしてせいろにのったもりが登場。つゆは濃いめでやや甘め。「やぶ」系の中では甘味が強いほうじゃないかな。「外二」(蕎麦粉10に対して小麦粉2の割合)だというそばは、少し柔めの茹で加減。季節柄か風味は弱く感じるが、店にカレーの香りが充満しているだけに分が悪い。あっというまに手繰り終わった。蕎麦湯をだしてもらい、つゆに葱を加えて割り、飲み干した。次はやっぱりカレー南蛮だろうか、それとももう少しゆっくり出来る時間に一杯っていうのがいいかな。店を出ようとすると外に行列が出来ている。お店の名刺の通りで、まだまだ安泰といったところ。(勘定は¥700)

 ↑ お店の名刺には 「せまくとも こんでいてても いましばし まつたかいある こゝのそばかな」 とある。昔からこの狭い間口だったのかも。

 

 ↑ こちらに来る前に観察した、東京駅を挟んだ丸の内の近代建築群。「明治生命館」(昭和9年・1934建造)。内部公開しているが、平日だったので残念ながら中は見られず。

 

 ↑ マッカーサーの執務室があったことで知られる「DNタワー21(旧・第一生命館)」(昭和13年・1938建造)。東京駅前のモダンな建物「東京中央郵便局」(昭和6年・1931建造)。

日本ばし やぶ久

東京都中央区日本橋2-1-19

( 日本橋 日本橋やぶ久 やぶきゅう カレー南蛮 カレー南ばん カレー蕎麦 藪蕎麦 薮蕎麦 やぶそば )

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榮太樓總本舗 @東京・日本橋

2015年05月01日 | 東京都(老舗)

日本橋の脇にビルを構える老舗和菓子店「榮太樓總本舗」(安政4年・1857創業)。「梅ぼ志飴」で有名で、以前もここ日本橋本店で買い求めた事があった。もちろん今では全国の主要なデパート等で簡単に手に入れる事が出来るが、やっぱり本店に来てみたいもの。店の中は、売り場の横が茶店になっていて、お茶とお菓子をいただく事が出来る。今回購入したのは梅ぼ志飴ではなく、これも有名な「名代金鍔(きんつば)」。文字通り、刀の鍔のように丸い形をしている。もともとは屋台で売っていたそうだ。店の前に屋台が置いてあるが、その頃の屋台を復元したものだろうか。購入した金鍔は少し賞味期限が長いので、バッグに入れて持ち帰って、あとから食べることとし、近隣の近代建築観察散歩に出掛けた。

帰ってから金鍔の封を開ける。ひとつひとつは包装されていて、薄皮に包まれた餡が胡麻油で焼いてあるんだそう。しっかりとした重量感で、確かに胡麻の風味が感じられる。1個は割と大きいので、嫁と半分にして食べた。黒胡麻も散らしてあるので、口に入れると香ばしい胡麻の風味がより一層強く感じられた。(勘定は¥216/個)

 

 ↑ 中央通りを挟んで反対側にある「野村証券ビル」(昭和5年・1930建築)(写真奥)と、日本橋の欄干(明治44年・1911落成)

 

 ↑ さらに東に進むと「日証館ビル」(昭和3年・1928建築)。前回は足場があって全容を見る事が出来なかった。外壁は補修によって綺麗に。

榮太樓總本舗

東京都中央区日本橋 1-2-5

( 日本橋 栄太楼 栄太楼本舗 えいたろう えいたろうそうほんぽ えいたろうほんぽ 榮太樓 うめぼし飴 )

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