昨日14日に、筑紫哲也NEWS23の特集「それから ホリエモン騒動・和解から57日」が放送された。筑紫氏は当初堀江氏とのインタビューでも、あれだけテレビはネットに押されることは無いというようなことを言っていたが、それでも何度もこの問題を取り上げるというのは、やはりテレビメディアの「危機感」のようなものを感じ取っているからだろうか。
番組で注目したのは、「ネットとの融合とは」「編集や順位付け(ニュースバリュー)は無用か」「TVや新聞(既存のメディア)は死んでゆくのか」の3点で、今ネット上でのニュース配信を展開しているライブドアニュースとJANJANが紹介された。「ネットの利点を生かしたニュース配信」を、「双方向性」をキーワードに進められていた。
一番感心したのが、ある人が言った「専門家によるニュース」という言葉である。
常に気になっていたのだが、ニュースはいつも「文系の目」で語られるところが多いような気がしてならなかった。
そのもっともたるものがH2Aロケットで、失敗するとやたら「税金の無駄遣い」と非難する。挙句の果てには「国産ロケットは必要か?」という論述まで現れる始末である。それだけ理系叩きをされては、日本の小中学生の理系学力が落ちるのも仕方ないのでは?と皮肉を言いたくなってしまう。
だから、車関係のニュースはその専門家が、医療関係は医者がニュースを配信する。そのツールとしてネット新聞の「市民記者」やホリエモンが強調する「BLOG」の活用ということになるのであろう。
とりあえず、ネットニュースのいいところばかりを抽出したが、悪いところも当然ある。
匿名記事という「責任のあいまいさ」は前々から言われているが、一番気になるのは「言葉の汚さ」である。文章の上手下手以前に、言葉遣いが乱暴なのだ。そういう意味では、「キレイな日本語」にこだわる新聞などの活字メディアの、日本語教育への使命があるといえるかもしれない。
またテレビも、「恣意的編集」の批判は置いといて、「時間制約」の欠点を裏返しに、視聴者が楽して重要な情報を見ることが出来る、といえる。
重要な情報は観る人が選ぶとは言うが、情報リテラシが万人に備わっているかは疑問で、リテラシ初級者にはやはりテレビは必要なのだろう。
そういったわけで、番組の結論は「テレビは死にはしない。が…」というものだった。今一度、メディアとは何かを問い直すいい企画だった。
確かに、映像を通す事によって楽に情報を得る事が出来るけどそれ故に起こる問題も多々あるし。
最近のテレビの報道見ても、似たり寄ったりのものがほとんど。局によって左寄りとか右よりとかは置いといても個性が無い。しかもそれを繰り返し放送するとなんだか洗脳に近いものを時々感じてしまう。
映像が持つ情報量、影響力はとても大きい。それが繰り返されて放送される。その情報が持つウエイトは大きくなり、リテラシ初級者は情報を選ぶ事が困難になってしまうと思う。初級者でなくとも全てが同じ方向に向かった情報がまわりにしか無い場合、選択の余地はなくなってしまう。
最終的な情報は一つの事象に対してさまざまな情報を蓄積して考えることの結果であると思う。きれい事のように聞こえるかもしれないけれど、私は少なくともそう思う。そういった点では初級者はテレビが必要ということになるじゃないかという事だけども、見るのはかまわないが、その情報を「情報」として受け取るのは危険な事だということを理解しなくてはならない。
…と長々と書きつづってみたものの言いたい事がわかりにくい(悩)。要するにテレビだけではイカン、さまざまな情報媒体を利用して総合的に自分の情報=考えにしなさいってこと。……はっ、長々と書いたのに一文で終わってしまった…(悩)
ちょっと書いてみようと思ったのは、青山学園の問題でURLの様なものを見つけたからです。青山学園にも問題はあるにしても、コレが本当なら…まぁ、そこからは各人の考えにお任せします。
テレビだけではイカンとかいいながらもう、バリバリ見てるんですけどね(笑)
「雨と夢のあとに」とかテレビによってものすごい泣かされた人の戯れ言でした。
長々とスイマセン。
Aさんのリンク先にある「青山学院入試問題」の件のように、実際よりもメディアが誇張して取り上げるような「過熱報道」は確かに問題ですね。JR尼崎列車事故や若貴確執問題のように、最近「悪い事例」が目立ってきているような感があります。
ところで「テレビが情報リテラシ初心者には必要」と言うのはやっぱり本当だと思いますよ。ネットのほうがよほど危険な感がありますし、新聞なんか会社によって事件の捉え方が激しく違う。
ただし、ひとつのニュース番組しか見ないというのは危険ですね。
どの番組も「似たり寄ったり」といいますが、確かに5時台のニュースは完全にそういいきれると思います(悲しいながら)。
しかしプライムタイムのニュースとなると話が違ってきます。「報ステ」と「23」を見比べてみると一目瞭然、ぜんぜん違います。どう違うか・・・話が長くなるのでやめときますが。。。
その一方で、NHKニュースだったら事実を淡々と述べていくだけなので、安心して見れます。
でも面白いモンですね、テレビを批判する人ほど、普通の人よりもテレビを見る時間が長いんですから(←俺も)。普通の人から見たら「だったら見なきゃいいだろ、パカ」って言われそうですね。(笑)
ネットが危険というのも納得。言ったらどこにもその記事に対する保証も責任もチェックする体制も無いわけだし。特に個人でやる場合は。
ただ、テレビが報道できないことを公に出来ると言う事に関しては非常に有益なものだとは思うけれどもすべて鵜呑みにすると本当に危険すぎる。
テレビにしろ新聞にしろ、ネットにしても全て疑うということが必要だと思う今日この頃。全てを疑うってなんかつまらない人間になりそう…。でも、右から左っていうのも困ったもの、うーん。
最後の「テレビを批判する人ほど、普通の人よりもテレビを見る時間が長い」というのはものすごい同意。でもよくよく考えたら評論家って人たちはそれに詳しい=そのことに携わる時間が長い訳だから評論できるのであって、なんにも知らない人がそれに関してとやかく言うのはヤジと一緒ですからね。
でも、今回の私の発言は評論とかいうレベルじゃないです、ほとんどヤジと変わらない気もします。うーん、評論って難しい。
でも、最後に「評論」するなら「クレヨンしんちゃん」が子供に見せたくない番組に選ばれるのは納得がいかんとです。説明は長くなるので略~ 評論じゃな~い(悩)