BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

【探険ロ】作り手の個性が面白い

2008年10月18日 | テレビ



今回の探険ロマン世界遺産(NHK)が、
非常に面白かった。
世界遺産のオウロプレト(ブラジル)の
魅力的な町並みや興味深い歴史文化もさることながら、
番組の作り方が、面白かった。

これは、毎週見続けないと、多分分からない面白さだ。
毎週、番組の作り方が、異なっている。
分かりやすく言うと、
時に旅番組、あるいはドキュメンタリー番組、
はたまたドラマチックに編集されたりして、
実に様々なスタイルで放送されている。
統一感が無い、というのが欠点かもしれないが、
でもその同じ番組とは思えない
各回の番組スタイルが、
毎週見ていてとても面白い。

今回面白かったのが、
ドキュメンタリー風の作りで、
関口知宏さんの旅番組のスタイルに似ている。
真面目な「水曜どうでしょう」という印象も受けた。
でもそれがとても、
極めて高い臨場感を抱かせ、
のめりこんで観ることが出来た。

一つの番組だからといって型どおりの
作り方をするのではなしに、
もっと、作り手の個性を発揮した
多様な作り方で臨んで行って好いなと思った。




1万人に一人の

2008年10月18日 | 雑感散文


 「本当に、自分のやりたいことが仕事になっている人は、1万人に1人くらいじゃないか」

 残りの9999人は、みんな、ただ生きるために、食うために仕事をしているというのか。
 どうもそれが、怪しかった。だって実際に、今の若い人は、自分たちの「生き方」を模索し、選ぼうとしているのが、潮流なのでしょう。メディアでそういう風に言っているじゃないの。

 けれども、身の回りの、特に年齢が近い人たちは、必ずしもそうではなかった。

 「俺は今何をしたいのかがわからん。」

 「ただ流れで、今の仕事についているだけですよ。」

 そんなのもんなんだろうか。大概みんなさ、やりたいことがあって、それで専門の大学なり高専なり通って、職についているんじゃないの。
 確かにそういう自分だって、なんだかんだで流れるままに、今の会社へ、今の部署へ配属されたわけだけれども。けれども自分のやりたいこと、自分にとって意義のあること、何より社会貢献したいがために、今の場所にとどまることを止めることを決意した。

 大変ありがたい事に、周りの人はそれを応援してくださる。やりたいことがあるなら、それを目指すべき、と。可能性が大きいうちに、早く辞めるべきという助言も頂きました。
 そのなかで、「俺にはもう夢とか無いからなぁ」とか「やりたいことがあっていいなぁ」というお声も聞きます。

 仕事とは人生そのもの。だから自分のやりたいことを、とばかりは参りませんから、自分にあったものとか、興味のあるものとか、これに貢献したいという気概で、皆さん仕事に望まれているのだと思っていたのですが。
 確かに半数はそうでないやもしれんでしょう。けれども、9割9分が、そうなんですか。どうにも信じがたい。テレビや雑誌には、自分のやりたいことを仕事に出来た人がたくさんいるじゃぁないですか。もちろんそれは、並大抵ならぬ努力や辛抱を要することもわかります。それが嫌で、なるように身を任せる人もいらしゃいましょう。でもそういう人は、1厘もいないのですか。どうにも信じがたい。


 * * *

 小学校のころの、将来の夢は、「漫画家」でした。実に幼稚な、けれども案外本人はそのつもりでいた、懐かしき時代です。
 そういって、今じゃまったく思っていないかといえば、案外そうでも無かったりして。ただ心の奥にしまっているだけですから。

 中学校のころになると、環境省の自然公園保護員や、林業に興味を持つようになりました。
 2年生のころに職業についてを調べる、という課外授業があって、製造業や医療系、サービス系にプロスポーツ選手などの分野に分かれて、「なるにはシリーズ」の本でもって調べて、その職業・職種のことについて調べたことを発表するという時間が有りました。
 農林水産業の分野を選んだのは、自分だけでした。田舎なのにね。でも自分は、自然に興味があり、農業をやってみたいなという気持ちをすでに持っていました。
 その時点でどうも自分は、どうやら人とは違った道を求めているんじゃないだろうかと思うようになりました。そして農分野の仕事をより詳しく調べていくうちに、林業や自然公園の保護という仕事を見つけるに至ったのです。

 そして高校では、といいたいところですが、いかんせん多感な時分、いろんなことに興味がありすぎて、これといって将来の夢を決めてはいませんでした。
 椎名誠や沢木耕太郎の紀行文と出会い、旅人になろうかな、とか、その編集者になりたいなという気持ちもありました。
 さらに「生物部」に所属してはメダカの研究をし、ありがたい事に地元長崎の学生科学賞を受賞しました。大学時代よりもよほど研究に勤しんでいたように思えます。だから研究者の道も面白そうだと考え出しましたし、だから大学へ進学したいなと思うようにもなりました。

 そしてさらに大学に入ると、もうやりたいことや興味のあることは、無尽蔵に広がるばかり。夢や希望は大きくなれど、ではいったい自分はなんになりたいのかは、とうとう絞れませんでした。

 そんな状況で、現在に至る。
 今の自分に「将来の夢は何ですか」と聞かれても、答えに窮してしまう。小中学生向けに見える質問ほど、案外侮れないものの一例でしょう。
 けれども自分は、今に至る過程で、可能性を狭めてきたわけではない。むしろ広めに広めて、今も広がりつづける。だからひとつの場所にとどまることを嫌うという弊害も有るけれども、自分をもっと伸ばせる、もっと出来る人間になれるのだという自負はあります。
 多くの人は「ない」と答えてしまう上記の質問に、自分は自信を持って、「ある」と答えることが出来る。けれども、質問は「何」と問うているのだ、結局は答えられず終いか、なんとも歯がゆいものでありましょうや。


 * * *

 「辞めた後は、もっとじっくりと、自分のやりたいことを考えればいい。」

 そういうアドバイスも頂いております。年を取って後悔するよりは。もっとも、その道を捨てたがために何とか今が有ると考えることも出来るがね、ともいわれましたが、後悔の念はやった勇気よりやらなかった勇気である、とどこぞの心理学者が述べていたのを思い出されます。

 辞めることによって、周りの人に迷惑がかかることを恐れて、最初はなかなか勇気を出せませんでしたが、いまではいろんな人からありがたい「お説法」を頂いております。
 3年以内で辞める若者を批判する記事を新聞や雑誌ではよく見かけますが、ここでは応援されるばかりです。なんともありがたいことです。職場の人間関係は大変に良好です。そこから抜け出すのはやはり心が痛みますが、しかしやりたいことが、果たしたい貢献が、こことは違ったのです。それはやってみないとわからないのが、難しいところです。

 果たして自分の「将来の夢」とは何なのか。これからじっくりと、考えていきたく思います。やりたいことがあるんだ、1万人に一人の存在になってやろうじゃないの。